Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話

第4回

虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON

あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!

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地中海からの爽風に髪を吹きあおられながら、言峰綺礼は、丘の頂のヴィラから続く九十九折つづらおりの細道を、一人、黙然と引き返していた。

つい先程まで語り合っていた遠坂時臣という人物について、綺礼は受け止めた印象の数々を思い返し、整理する。

おそらくは艱難かんなん多き半生を過ごしてきたのであろう。そうやってめてきたぶんだけの辛酸しんさんを、すべて誇りへと転化してきたかのような、揺るぎない自負と威厳を備えた男。

ああいう人物のことはよく理解できる。他ならぬ綺礼の父が、あの時臣と同類だ。

この世に生まれ落ちた意味、おのれの人生の意味を自ら定義し、疑うことなく信念として奉じている男たち。彼らは決して迷うことも、躊躇ためらうこともない。

人生のどんな局面においても、生涯の目的として見定めた“何か”を全うするためだけのベクトルで、明確な方針で行動できる鉄の意志。その“信念の形”が、たとえば綺礼の父の場合は敬虔けいけんなる信仰心であり、そしておそらく遠坂時臣の場合は、選ばれた者としての自負平民とは違う特権と責任を担う者としての自意識なのだろう。あれは、近頃では滅多めったに見つからない“本物の貴族”の生き残りだ。

今後当面、遠坂時臣の存在は綺礼にとって大きな意味を占めることになるのだろうがだとしても、彼は綺礼とは決して相容あいいれない種類の人間だ。父の同類というだけで、間違いなくそう言える。

理想だけしか見えていない者に、理想を持てずに迷う苦しみなど理解できる道理がない。

時臣のような人間が信念のいしずえとしているような“目的意識”というものが、言峰綺礼の精神からはごっそりと欠け落ちているのだ。そんなものは二〇余年もの人生を通じて、ただの一度も持ち合わせたことがない。

物心ついた時から、彼にはどんな理念も崇高すうこうと思えず、どんな探求にも快楽などなく、どんな娯楽も安息をもたらさなかった。そんな人間が、そもそも目的意識などというものを持ち合わせているわけがない。

なぜそこまで自分の感性が世間一般の価値観と乖離かいりしてしまっているのか、その理由すらも解らなかった。ただとにかく、どのような分野であろうとも、前向きな姿勢で成し遂げようと思えるだけの情熱を注げる対象が、綺礼には何ひとつ見当たらなかった。

それでも神はいるものと信じた。まだ自分が未熟であるが故に、真に崇高なるものが見えないだけだと。

いつの日か、より崇高なる真理に導かれるものと、より神聖なる福音に救われるものと信じて生きてきた。その希望に賭けて、すがった。

だが心の奥底では、綺礼とて、すでに理解してしまっていたのだ。もはや自分という人間は神の愛をもってしても救いきれぬと。

そんな自分に対する怒りと絶望が、彼を自虐へと駆り立てた。修身の苦行という名目を借りて、ただいたずらに繰り返された自傷行為。だがそうやってさいなむほどに綺礼の肉体ははがねごときたえられ、気がつけば他に追随する者もないまま、彼は『代行者』という聖堂教会のエリートにまで上りつめていた。

誰もがそれを“栄光”と呼んだ。言峰綺礼の克己こっきと献身を、聖職者のかがみとしてめそやした。父の璃正とて例外ではなかった。

言峰璃正が息子に向けている信頼と賞賛の程を、綺礼は充分に理解していたし、それがどうしようもなく的外れな誤解であるという現実には、内心、忸怩じくじたるものがあった。この誤解はきっと生涯、解かれることはないだろう。

綺礼が内に抱えた人格の欠落は、今日に至るまで誰にも理解されたことがない。

そう、ただひとり愛したはずの女にすらも

立ちくらみにも似た感覚を覚えて、綺礼は歩調を緩め、ひたいに手をやった。

死別した妻のことを思い返そうとすると、まるでもやがかかるかのように、なぜか思考が散漫になる。霧の中で断崖絶壁の縁に立つような気分。その先には一歩たりとも踏み出してはならないという、本能的な忌避きひ感。

気がつけばすでに丘のふもとだった。綺礼は足を止め、はるかに遠ざかった頂上のヴィラを顧みた。

今日の遠坂時臣との会見で、ついに満足な答えを得られなかった最大の疑問その問いこそが、綺礼にとっては最も気懸かりだったのだが。

何故なぜ、“聖杯”なる奇跡の力は言峰綺礼を選んだのか?

時臣による説明は、苦し紛れの後付けでしかない。聖杯が時臣の後援者を欲しただけだというのなら、綺礼でなくても、より時臣と親密な関係にある人材が他にいくらでもいたはずだ。

次の聖杯の出現までには、まだ三年もの猶予ゆうよがあるという。ならこんなにも早々に令呪を授けられた綺礼には、きっと選ばれるだけの理由があったはずなのだ。

だが考えれば考えるほどに、ただ矛盾ばかりが綺礼を悩ませる。

本来なら、彼は“決して選ばれない”はずの人間だ。

綺礼には“目的意識”がない。よって理想も、願望もない。どう転んだところで彼は、“万能の願望機”などという奇跡を担えるわけがないのだ。

暗鬱な面持ちで、綺礼は右手の甲に現れた三つのしるしに眺め入った。

令呪とは聖痕であるという。

はたしてこれより三年の後、自分は何を背負う羽目になるのだろうか。