エレGY

CHAPTER 3-5『フリーウェアゲームスピリット』

泉 和良 Illustration/huke

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5『フリーウェアゲームスピリット』

十二月になった。

余計な事を考えぬよう、アンディー・メンテの仕事に没頭する日々が続いた。

サイトを毎日更新し、ゲーム以外のコンテンツの充実化も同時に進行させていく。

新作のゲームが好調で、通信販売の注文数が一気に増えた。

貯金残高は今月の家賃や光熱費を十分まかなえるまでに達し、生活に若干の余裕が生まれだした。

すぐに次のゲームの制作にも取り掛かった。

苛々いらいらしていた。

食費にも困らず、年明けの家賃さえ心配いらぬ程に収入は増えたというのに、僕の気持ちは日に日にすさむようになった。

ファンサイトや掲示板では、新作ゲームを賞賛する書き込みが毎日多数見受けられるようになり、最近では滅多に無かった熱烈なファンメールもチラホラと届いた。

しかし、どのファンを見ても、ついエレGYと比較してしまった。

誰も彼女ほどに僕を理解などしてはいないと、気がつけば蔑んでいる。

おかしな考えだ。

彼女だって、本当の僕ではなくジスカルドを見ていた。

彼女ですら僕を理解していないなら、もうこの世に今の僕を理解している者などいない事になる。

多分、そうなのだろう。

エレGYからのメールが届かなくなってからというもの、時々、つい彼女の影をネット上で探してしまった。

アンディー・メンテ関連のファンサイトやどこかの掲示板に彼女の名が無いかと検索してみたり、もしかしたらオンラインになっているかもしれない、とメッセンジャーを度々起動させてみたりする。

何も無い事が分かり、僕はほっと安心する一方で、極度に落胆した。

彼女を振り返ろうとする自分を責め、薬で押し殺す。

新しいゲームの制作は、中盤まで進んで、失速、停止した。

どんなに万人受けするゲームを作っても、ただ収入が増えるだけだ、と虚無感が僕を満たしてしまったのだ。

いつの間にか、かつての平凡な日々へと逆戻りしている事に愕然とする。

毎日、朝起きては、今日も何も無い、と呪った。

だが、もう一度ブログにおかしな事を書いて、何かを起こす気力は無い。

ゲーム制作日誌のブログのアクセス数は、一日に千人を越えていた。

アンディー・メンテのファン数は明らかに増えていたが、昔からのオールドファンは減ってしまったような気がする。

何年も前からの古いファンは、エレGY同様に、ジスカルドを愛してゲームをプレーしてくれる。しかし、新作の見栄みばえに釣られて増えた新参は、別に制作者の姿などをゲームに求めてはいない。面白いゲームがタダでできればそれでいいのだ、などと、そんな事をただ鬱々と考え続けた。

かつては、自分の非力さを擁護するために用いてきた「ジスカルドの魔法」が、今では何より愛しい「僕の作品」に思えた。

「ジスカルド」というもう一人の僕こそ、アンディー・メンテ最大の作品ではないのか。

そして、それを誰よりも愛してくれたのが、エレGYだったのかもしれない

      ×

僕が躁鬱そううつ病ではないか、と掲示板に書き込みがあった。

新作ゲームの公開から二週間もしないうちに、アンディー・メンテのサイトが閉鎖状態となった事に対する反応である。

僕は何度も新しいゲームの制作を再開しようと試みたが、無理だったのだ。

一旦そのゲームは中断し、気分を変えて違うゲームの制作にも挑戦してみた。

だが、何かを作ろうとすると、その都度、エレGYの残した道標が僕の心に現れる。

本当はそんな風に作りたくないが、お金のためだから、と割り切って作る部分。自分に対する噓の部分。そうした箇所で一々つまずいた。

初心者が悩むような事だと、自分を嘲笑あざわらった。

随分昔に通り越したはずの葛藤の壁だが、そんなものが、エレGYの影を伴って完全に僕の仕事を立ち往生させた。

苛立ちが頂点に達した日、僕は制作途中の全てのゲームをハードディスクから削除した。

アンディー・メンテのサイトのトップページにはこう書いた。

『アンディー・メンテは閉鎖します』

ブログや掲示板はそのまま放置したが、通販ページやゲームコンテンツは全て削除した。

これで収入源は完全に絶たれる。貯金の残高が尽きればおしまいだ。

何もかもが、どうでもよかった。

何もかもをぶち壊して、いくら押し殺しても出てくる感情と共に、全部をリセットしたかった。

一部のファン達は、各所のサイトや掲示板で、その事に対する疑問や抗議を投げかけていた。

「閉鎖とはどういうことですか? 再開はされるのですか?」などという内容のメールが多く届いた。

しかし数日ですぐにそれらは沈静化した。

何も変化が起きないと分かると、新規ファン達はまた別の無料ゲームを求めて去って行ったのである。

残ったのは結局、昔からいたファンだけのようだった。

しかしそこにはもう、彼らが求めるジスカルドはいない。

僕は自分に嫌気が差していたのだ。

目指すべき夢を目指さず、あるべき姿でいられない。

かと言って自分を捨てて完全に商業主義に徹する事もできず、生活は依然貧乏という鉄の重りを引き摺ったまま。

志はいつの間にか喪失し、状況の悪さと自分の弱さは世の中のせいにして、日常すら変える事も出来ずにただくすぶり続ける。

そんなある日、僕はブログにあの日記を書いた、本当はあの時点で、アンディー・メンテは閉鎖するはずだった。

だが、メールが来た。

差出人は、エレGYと名乗った。

僕は、彼女とマクドナルドで出会い、話をした。

彼女には、僕がかつて手にしていたはずの無限のエネルギーと若さがあった。

彼女は、僕が忘れかけていたスピリットを思い出させた。

フリーウェアゲームの制作とは、本来自由気ままなものである。

その良さの一つは商業性に束縛されていない所だ。

未完成だろうと、不出来な物であろうと、まさに自由。

何をやってもいい。

プレーヤー側は無料でそれらを入手し、気に入った物だけを遊ぶ。

気に入らなければデスクトップのゴミ箱に捨てるだけだ。

高いお金を払って買ったのに全然つまらないじゃないか、などと思う事もない。

フリーウェアゲームはタダなのだ。

こうした背景の中で、無数のフリーウェアゲームが創造される。

自由な精神は新しい挑戦や開拓をやりやすくし、次から次へと未知の概念・価値観を生み出していく。

これこそが、フリーウェアゲームスピリットだ。

かつては僕も、そんなスピリットに共鳴し、夢を見出していた。

自由な表現を得る事の素晴らしさに感動し、誰も見た事の無いようなヘンテコな作品をがむしゃらに作った。

生み出され続けるカオスなゲーム達は、そうした物に敏感な感覚を持つ一部の若者達へと伝わっていく。

ところがある時、僕は変転した。

僕が作るゲームから、突拍子とっぴょうしもない表現や希有けうの成分は少しずつ姿を消し、だれもが面白いと既に知っている欠片ばかりの、秩序ある寄せ集めへと変わっていった。

生活のための収入を、ゲーム作品から派生するグッズ販売に頼るようになったからだ。

公開するゲームが多くのプレーヤーに受け入れられなければ、当然二次商品も売れず、それは僕の生活レベルに影響する。

ただ作りたいものだけを作るわけにはいかなくなった。

綺麗事では食えない。当たり前のこと。

しかし、もはやそこに、あの高潔なフリーウェアゲームスピリットは存在しない。

自分が恥ずかしかった。

自分のやっている何もかもが。

自分の作っている何もかもが。

見せ掛けに過ぎないと分かってはいても、相対的価値の高いと分かっているものを利用する事で、センスや能力の無さをカバーするのだ。

そういう物を利用する事でしか生み出せない。

自分だけの絶対的な価値を探求し、それを表現する事から逃避している。

光を発してる存在じゃない。

反射してるだけだ。

そんなやつは芸術家じゃない。

エレGYの事を考えた。

彼女は中学生の頃から、ネット越しにずっと僕を見てきた。

それほどの長期間、僕の作品に触れてきた彼女なら、僕の表現が変化した事にも気付いたかもしれない。

最初の頃は作品から自由な精神を感じていたのに、徐々にプレーヤーの好みを意識したびた印象を受けるようになった、とか。

それでも彼女は僕に会いたかったのだろうか?

それとも、ネット越しに見えるジスカルドは、まだまだ夢と希望に溢れていて、新しい表現と価値を模索する勇ましい冒険者だったのだろうか?

頭に浮かぶエレGYの瞳は、あまりに真っ直ぐで眩しい。

僕がフリーウェアゲームスピリットを失う事を、彼女だって嫌うはずだ。

若さと独自の信念に満ち溢れた彼女は、夢に突き進んでいた頃の僕と少し似ている。

あの頃の僕なら、間違いなく今の僕を罵倒し、嫌悪する。

夢を捧げてきたアンディー・メンテが尽き果てるのは、大切な物を見失ってしまった事への報いだ。

やがてアンディー・メンテのトップページも消えた。

ごめんな、ジスカルド

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