エレGY

CHAPTER 2-11『エッチしない』

泉 和良 Illustration/huke

「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!

11『エッチしない』

僕は歩くのを止めて、じっと彼女を睨んだ。

「えっ」と、彼女は一瞬脅えるような声を出して、すぐにギュッと僕を睨み返した。

「なんで泊まるの?」と、僕は更に睨みを強めながら言った。

「もう遅いから、帰るの面倒じゃん」

「ふーん」

「泊めて?」

彼女はわざとらしく困ったような仕草をして見せた。

女子高生らしいと言えばらしい仕草だが、何故か腹が立った。

もう薬の作用は切れていたが、切れた事による反動が、僕の理由の無いいきどおりを助長しているようだった。

「エッチするんでしょ?」と、僕は問いただした。

彼女はぎょっとした顔で「え゛えっっ」と反応した。

何も恥じるような事は聞いていないと言わんばかりな堂々とした口調で、僕はもう一度、

「エッチしないからな!」と、くぎを刺すように告げた。

だが、言った後で、まるで自分に言い聞かせているかのような感じに聞こえてはいまいかと、自己嫌悪に陥った。

僕は再び早足で歩き出した。

「なんで?」と、後ろから彼女は言った。

なんでとはどういう事だ、なんでエッチしないのかって事か?

エッチするとかしないとか、独断的に質問したのは僕なのに、どうしてそれを彼女が追及する必要があるんだ?

エッチする事を遠まわしに許容しているのか?

などという思考が頭を埋め尽くした。

「なんでーー?」と、さっきより後ろで声がした。

早歩きでスタートした自分の足を、今更止めるのは僕のプライドが許さなかった。

どんどんと後ろに遠くなっていく彼女に、「付き合ってないから!!」と、前を向いたまま大声で答えた。

数秒の間を置いて、予想よりもずっと後ろの方から、彼女の叫ぶ声が聞こえた。

「じゃあ付き合って!!

なら、今日泊めてくれるよね!!

今日、エッチもできるよね!!」

彼女の甲高い大声に反応して、近くで犬が吠え出した。

猥褻わいせつな発言をそんな大声でするんじゃないと犬が説教しているようで、僕は思わず吹き出してしまった。

アパートのすぐ近くのコンビニに入って、食料と飲み物を確保した。

エレGYは、これは誰が飲むのだろうかと疑問を持つほどの量のアルコールを僕に購入させた。

一瞬、家にゴムあったかな、という疑問が浮かんだ。

愚問だと自分で自分に回答した。

ゴムの有無は関係ない。

性行為をするつもりは無い。

僕のアパートのドアの前まで来て、「泊めてくれるんだよね」と彼女は聞いた。

僕はドアを開けながら、「うん、でもエッチしないし、付き合わない」と答えた。

エレGYがご飯を食べている間に、僕はバスタブとトイレを掃除した。

このアパートに女性を入れるのは初めてだった。

男性でもまだ小山田幸貴一人しか入れたことがない。

バスタブの掃除が終わると、僕は彼女をお風呂に入れた。

その間に今度は、部屋の掃除に取り掛る。

普段、人を入れない部屋を短時間で掃除するのは骨が折れた。

掃除中、バスルームからは彼女の歌声が聞こえた。

聞いた事のないメロディだ。

おそらく彼女の作詞作曲による歌の一つなのだろう。

歌詞の内容までは聞き取れなかった。

お風呂からあがった彼女は、夕食を取る僕を見ながら、物凄い速さでアルコールを摂取していった。

僕が心配して止めようとすると、「うるさい!」と怒鳴った。

二人で延々と、ただ話だけをした。

意味の無いような、当たり障りの無いどうでもいい話ばかりだったが、時間を潰すには十分だった。朝までの時間を一緒に過ごすという初めての事だけで、僕も彼女もある程度楽しめた。

そして外が明るくなって、二人とも疲れ果てて毛布の上に寝落ちた。

最初の数時間はおそらく完全に熟睡した。

それから数時間ごとに、うっすらと記憶が浮上してはまた沈んでいった。

その度に、僕とエレGYの眠る位置間の距離が縮まっているのを僕は見逃さなかった。

数回目の意識が半覚醒した時、この分だとあと二回も覚醒しないうちに彼女の体が僕に接触する事が予測された。

緊急事態、緊急事態発生!

危険物質が接近しています!

この針路のままでは衝突は避けられません

などと、寝ぼけた頭の中で警告アナウンスが流れた。

僕は再度睡眠へと落ちていく寸前で、残った全ての力を振り絞って、体の向きを彼女の反対側に変えることに成功した。

「なんで女子高生が僕のアパートで寝てるんだ、なんでだ」と、もう一人の僕が夢の中で僕を責め立てていた。

目が覚めた。

時計を見ると、正午だった。

エレGYはまだ眠っていた。

短いスカートから剝き出しになった白い太股が危険な構成をしていた。

目を逸らしながら、そっと毛布をかける。

バスルームに入って安堵の溜め息をついた。

シャワーを浴びた。

なんで安堵の溜め息なんだよっ、なんで僕がっ、あほらし! と、善人を気取ろうとする自分にうんざりする。

バスルームから出たら、真っ先に毛布をチラッとめくって、彼女の眠っている間にパンツをしっかり見ておこうと心に決めた。

バスルームから出ると、エレGYは既に起きて、昨日食べ残した食料を摂取していた。

「なーんだ、もう起きちゃったのかっ、パンツ見とけば良かった」

「すけべっ」

エレGYを駅まで送って帰した。

帰ってからまた眠った。

      ×

暗くなってから起き出して、コンビニでご飯を買った。

コンビニの帰り道、昨日からの事を振り返る。

僕とエレGYはどうなってしまうんだろう。

もう幻想とか魔法とか、考えるのがわずらわしかった。

彼女が本当の僕に幻滅してしまうなら、さっさとそうなってしまえばいいんだと、僕は諦め気味に考えた。

エレGYとの関係の中でジスカルド像を意識する事に、僕は疲れてしまっていた。

家に戻ると、女子高生がドアの前に立っていた。

一瞬、現実味の無い光景に目を疑う。

エレGYだ。

「なんしとんじゃ!!」僕は啞然あぜんとしながら叫んだ。

「うひゃひゃひゃ」彼女は、僕を驚かせることに成功し、いかにも満足といった風に笑った。

「うひゃひゃじゃねーだろっ、帰れバカッ」

エレGYの両手にぎっしりと握られた二つの紙袋を見て、僕はもう一度、「帰れバカッ」と怒鳴った。

「帰らないっ」

「絶対泊めないよっ、帰れっ!」

「やだっ」

「黙れ! 帰れ!」

そして彼女は泣き出した。

涙をぼろぼろ流す彼女を前にして、僕はくたびれたように溜め息をついた。

多分泣くだろうな、というこの今の光景が、彼女の姿をドアの前に見た時から、既に予測できていた。

もう一度泊めるなど言語道断。泊めれば今度こそ何かが発動してしまいそうだった。そして取り返しのつかないほど深い傷を互いに負う事になる。

僕は平静に携帯を取り出して、電話を掛けた。

「あ、小山田君。僕。もう仕事終わった? えーと実はさ、今日、今からご飯行かない? うん、また焼肉で大丈夫。ごめん、あの一人連れてく。うん。そう。じゃあ八時にね」