エレGY
CHAPTER 1-7『帰り道』
泉 和良 Illustration/huke
「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!
7『帰り道』
エレGYと別れた後、帰り道の僕の脳内は彼女の事でいっぱいだった。
自転車を漕ぎながら、夕日をぼうっと見つめ、長考する。
エレGYから受ける若い新鮮なエネルギーが、僕には眩しかった。
その上、僕の作品や表現の全てを手放しで受け止めてくれる。
まさに癒しそのもの。
彼女と話をしているだけで、昨日まで憎かったこの世界が途端に素晴らしい物に見えてくる。
エレGYは僕の作品の全部が好きだと言ってくれた。
なんと嬉しい言葉だろう。
フリーウェアゲーム作家として送ってきた苦しい日々が全て報われるようだ。
だが、待て……
それらはみな、彼女の抱いている『じすさん』という幻想の上に成立しているのを忘れてはいけない。
数回も会えば彼女もまた、これまでのファン同様にやがては僕に飽きてしまうのだ。
踏み切りで止まった。
遮断機は下りているのに、なかなか電車が来ない。
……しかしエレGYは、今までのファン達とはどこか違う。
彼女は何か……、変だ。
間違っても普通の女の子とは思えない。
普通の女子高生は、自分のパンツを脱ぐムービーを会った事もない人間のために撮ったり、ハンバーガーを五十個も注文したりしない。
確かに僕の作品は、一般の物とは違った天邪鬼な作風が多い。音楽やゲーム以外のコンテンツにおいても、どこかひねくれた反社会的表現が含まれる。そうした部分に魅かれるファンには当然変わった人が多くいた。
だがエレGYは、それらの人達とも違うように思う。
第一感、最初のメールを受け取った時に、不思議なオーラを感じたのは本当だ。
……エレGYはおかしい。
とてもおかしい。
もしかしたら、おかしい彼女ならば今までのファンとは違い、僕に幻想など抱いていないかもしれない。
もしかしたら、本当の僕を理解してくれた上で……
それならどんなにいいか。
勝手読みだと頭を振った。
今日の会話を振り返っても、彼女が僕の事を有能でハイセンスな人間だと思い、尊敬の眼差しで見ている事は明白だ。
しかしその実体は、ゲーム会社を逃げるように辞め、社会から逸脱してしまった低収入の泉和良という只の男……
電車が轟音と共に通り過ぎた。
うう、なんて事だ。
彼女が目を輝かせながら見ている相手は僕ではない。
彼女の視線の先にあるのは『ジスカルド』というネット上に生まれた僕の分身の方なのだ。
そんな事は今までの経験を振り返れば、最初から分かっている事だった。
遮断機が上がる。
だが僕は、踏み切りの前で自転車に跨って、ぼけっと突っ立ったまま。
遠くのビル群にもうじき隠れてしまう夕日に、じっと目を凝らした。
もっとエレGYに接近したかった。
彼女の持つ未だ解明されない多くの謎が僕の興味を最大にまで引いて止まない。
できる事なら明日……、いや今夜にでも、もう一度彼女と会って話がしたかった。
しかしそんな活発な接近は、魔法が解けるまでの時間を早めかねない上、僕自身の感情を加速させてしまうだろう。
あまり彼女に入れ込んで、魔法が解けた後に傷つくのは僕だ。
過去の経験が、彼女への気持ちをもっと抑えて距離を置く事を提案していた。
秀策も言っている。逢危須棄……危うきに逢えばすべからく棄つべし。
夕日が沈んで、空が一気に暗くなり始めた。
×
家に着くと玄関の扉にメモが挟まっていた。
僕はそのメモを手に取ったまま、ただ立ち尽くした。
エレGYの事で染まっていた脳が、一瞬にして濁った暗黒で満たされた。
数日前、電気代を払うために預金からお金を下ろした際、明細票に印刷された残高は確か四千円。
ちょいと一、二時間、もうこのまま玄関の扉の前で立ったままでいてやろうか、と意味不明な事を考えた。そんな事をしても誰も悔しがらない。
家の中へ入る気力も無くなった。
寒いからすぐに入った……。
玄関に靴を脱ぎ捨て、手持ちの金を確認しようと財布を取り出す。
ポケットから何かが落ちた。
バンソウコウの箱。
エレGYの顔が浮かび、家賃滞納の憂鬱な気持ちが少し和らいだ。
「女子高生のファンまでいるのに、家賃滞納ですか……」と、独り言を言う。
玄関の棚の上にあったボールペンを取って、バンソウコウの箱の蓋に『エレGYのリストカット用』と書いた。
財布の中を見るのは止めた。
財布はバンソウコウの箱より軽かった。
最近はゲーム制作もサウンドトラックCDの制作も、遅々として進んでおらず、当分の間は新作発表による収入は見込めない。
どこかの誰か数十人が突然アンディー・メンテのファンになり、現在販売中の全てのCDとファンブックを一度に購入してくれたらいいのだが……、そんな期待はするだけ無駄だ。
この半月、携帯の着信履歴は不動産会社のナンバーで埋まっていた。
引き延ばすのは限界だった。
残された道はただ一つ……
ぐっと奥歯を嚙み、自己嫌悪と罪悪感を押し殺す。
僕は携帯を取り出して、この世で最も惨めで情けないメールを書いた。
うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
僕は心の中で泣き叫びながら、その日のうちに荏原郵便局人事課へ電話した。
三日後、女子高生の熱烈なファンまでいる自称フリーウェアゲーム作家は、副職として郵便屋さんで夜間のアルバイトをし始めた。