マフィアの日

芝村裕吏 Illustration/しずまよしのり

『マジオペ』外伝が期間限定公開ーー!

熱湯のような雨が降っている。この国は、雨まで熱い。

雨が降ったら涼しくなるのが筋だろうがとののしりながら、バケツをひっくり返したような雨の中を歩く。雨がトタン屋根を叩く音は、ハードロックのドラムの連打のようだった。うるさくてかなわない。

この頃は言葉の乱れが激しい。俺の事じゃない。世間一般の話だ。

良く分かってないのに調べもしないで発言する。だから変な使われ方をする。言葉が乱れる。

俺の呼ばれ方もそうだ。最近はマフィアと呼ばれる。間違いだ。俺はイタリア人でもないし、アメリカから逆輸入されたイタリア系犯罪組織でもない。ついでに言うとぎりぎりマージナル犯罪者ですらない。少なくともこの国に来てからはそうだ。

つまり、なんだ。俺がマフィアと呼ばれるのは、言いがかりだ。

問題は俺の英語力が怪しいことで、マフィアと呼ばれても反論が難しいことだ。そのうちマフィアって名前が浸透し、俺は近所でマフィアで通るようになった。最悪とは言わないが、言葉の乱れは好きじゃない。

「マフィア。マフィア」

軒先のきさきで声を掛けられる。この路地で占いをやっている年齢不詳の女だった。若い気もするが、そうではない気もする。年取って見えるのはやけに化粧が濃いせいだろう。

手招きをしている。雨宿あまやどりに誘っているようだった。

俺は五秒考えて、女の横へ歩いて行った。早くもブーツの中には水が溜まっていた。

とんでもねえ雨だ。会話が成立しないくらいの雨音に顔をしかめながら、俺は病院は大丈夫かなと考えた。まあ、大丈夫なのは大丈夫なんだろうが、余計な心配は嫌いじゃない。

片足で立ってブーツをひっくり返して水を流していたら、道行く男女が口元に笑みを見せて去って行った。この国の人間はどういうことだかみんな笑っている。悲しいことだって、日本に劣らずあるはずだが。

「マフィアはいつも顔をしかめてるね」

隣の占い師が、そんなことを言う。タイという国は、とにかく占い師が多い。多種多様な占いと占い屋が乱立し、それでいて廃業したという話はあまりきいたことがない。

ホテルの中にもレストランの中にも占い師が場所を借りて営業している。寺院にもいるが辻にもいて、俺の横にいるのは、その辻占い師だった。今は雨で化粧が流れて、恐怖映画みたいになっているが。

「いつも笑ってる奴は信用ならない」

俺は短くそう言った。占い師は大げさに手をあげて、大変そうな顔をした。

「いつも難しい顔をしている人のそばには寄りたくないものだよ」

「それは占いか?」

「いや、ただの一般論」

俺はサングラスをとってポケットに入れた。女の顔を見る。化粧はさらに流れて大変なことになっている。

「雨の日は化粧を控えた方がいい」

女はそれで気づいて、化粧を落とし始めた。俺は雨を見て、横の女は見ないようにした。

「それは日本の一般論?」

「多分」

化粧を落とした女は、ひどく若く見えた。三〇にはとても届いているように見えない。なんのための化粧か良く分からないが、俺はとりあえず空を見た。

この国の雨は激しいが、止むときは一気に止む。

「マフィアは片思いね」

俺は女を見た。女は一枚だけ札を出して、見ながらそう言っていた。

「占いか」

「占いよ。今日は商売にならないから、これで店じまいね」

女は荷物をまとめてさっさと出て行ってしまった。雨は、もう止んでいた。

占いなんてものは信用できない。俺は口の中でそう呟いて歩き出す。

それにしても、今まで言葉を交わしたこともない占い師にまでマフィア呼ばわりか。

言葉の乱れを嘆きながら、外国人も受け入れる仏教寺院で静かに瞑想めいそうする。この国は敬虔けいけんな仏教国だ。多くの男子は一生に一度は出家する。

こうの煙がゆっくり立つ中、金色の仏像に向かい合って瞑想している。

バンコクのオフィス街も近いこの寺院にいる外国人の七割は、麻薬のリハビリでここに寄宿する連中だ。残りの三割は麻薬をやりながら通ってきているもの好きだ。もの好きによればマリファナをやって瞑想するとすごく飛ぶ、コカインも混ぜると最高らしいが、たまに奇声をあげて取り押さえられているところを見ると、あんまり最高ってわけでもない気がする。この寺院で麻薬に縁がないのは俺と、飼われている犬だけだ。

俺にしたって興味がないわけじゃないが、寺院の庭に放し飼いになっている犬が仲間を見るような目で俺を見るので、もう少しナシでいこうかと思っている。

タイという国は、ただ熱い。二月でも熱い。坊主頭が焼ける。革ジャンを着るのがつらい。あげくにマフィア呼ばわりだ。だがやめない。理由はなんだろうと自分でも思う。分からない。

分からない時は分からない。そういう時は修行するもんだ。日々を努力して生きるもんだ。今は還俗げんぞくしてしまったが、俺の師匠は良くそう言っていた。

答えがすぅっと出てくる時が来るそうだ。俺はそれを待っている。

俺は坊主頭にサングラスを掛ける。バイクに乗る。スズキ・グラディウス六五〇。一二五㏄がせいぜいのこの国では一際ひときわ威容を誇る、黒と赤のバイク。

昔コナミが同名のシューティングゲームを出していて、俺はそいつが好きだった。それでこれに乗っている。名前は別にしても、スズキはいい仕事をしている。とにかくエンジンが良く回る。直ぐに盗まれそうになるのが難点だが。

バイクにまたがり、タイ市内から郊外に向かってアクセルをゆるりと開ければ、周囲の風景が流れ始める。風が顔に当たって、ようやく涼しくなってくる。

調子に乗って三時間もバイクに乗ると、体重が五㎏減る。この国では五回食事して日本人の二倍はカロリーをとるが、それでも十分という事はない。タイで生活するというのは、食べるのが大変という事だ。

バンコクから一時間も移動すると、月七〇〇〇円で五〇平米くらいの我が家につく。東京の家賃とは比べ物にならない大きさのアパートだ。バイクを入れるガレージもある。

マフィア、マフィアと周囲の子供とおばちゃんが言う。軽く会釈えしゃくする。なぜだか、食い物を貰う。一言だって漏らしたことはないが、俺が寺院に行っていることは知られているらしい。そしてこの国は、寺院に通う人間にひどく親切だ。そういう社会が出来上がっているといってもいい。

俺は布施ふせと思って食い物をもらう。食べるのも修行と思って何でも食べているが、時々頭のついた鶏肉をもらって、どうしようかと考えるときはある。仕方ないので、頭だけ庭に埋めて供養くようしている。体は食う。

良く分からない野菜、妙に生々しい鶏肉。スマホで鶏肉のさばき方を調べて鶏肉を捌く。最近はネットになんでも転がってる。まあ、助かる話ではある。

何回やっても慣れないが、どうにか解体してカレー粉をまぶして焼く。これでまあ、なんとかなる。誰かがカレー粉は万能と言っていたが、噓ではない。何をいれてもカレーの味がするというのは、しょっちゅう何を食べているのか自信がなくなるこの国ではとても大切なことだ。カレーなら、何が入っててもカレーと言い張ることができる。俺の心の平穏は、こうして守られる。

カレー焼きの鶏を入れてカレーを食う。骨は寺院の犬にでもやるか。いや、鶏の骨は割れると先が尖るからあまり与えない方がいいか。中々難しい。スマホで検索する気力もなく時計を見る。腹を立てる。時計が悪いんじゃない。時間の流れの遅さに、いらいらしているだけだ。

水しか出ないシャワーを浴びる。お湯を浴びたいなら昼に浴びればいい。ぬるい水が出てくる。

このところ一日に何度も水浴びする。このアパートにクーラーはない。俺だけではなく、この界隈かいわいの人間は一日五回は水浴びする。そうでもしないと暑くて困る。

水をかぶって暑さが少し落ち着いたら、歯を磨く。軽く香水で匂いを整える。黒いスーツに着替え、バイクにまたがる。川沿いを走りたいがあのあたりは万年渋滞だ。裏道を通って表通りをなるべく通らないようにバイクを走らせる。

裏道だろうと人が溢れるのがタイだが、昼間はそれほどでもない。暑いからだ。夜になると人も増える。

表通りは政治デモで賑わっている。鳴り物を鳴らして笑顔で騒ぐデモ隊はデモに見えない。この国のデモは本気じゃない。本気である必要はないところだ。

この国では、何でも予定調和で収まるようになっている。そういや、デモも夜になると人が増える。

もっと小さいバイクの方が良かったか。毎度そう思いながら、裏道を通り抜ける。人がバイクを苦労して転がす横で、鶏が餌を探して歩いている。頭にくる時もあるが明日はあれを食うのかもしれないと思うと、背筋が伸びる。

道が開けた。日本人が見ても病院とわかる建物が見える。目的地。俺は駐車場にバイクを止めて、長くて太い鎖で固定する。それでも急がないと、電柱ごと盗まれることだってある。

バンコクには何でもある。性犯罪被害者専門の病院もその一つだ。表立ってそういう名前で出ているわけじゃないが、まあ、そういう患者を優先で引き受ける病院はある。院長はいい年の取り方をした婆さんで、男に厳しいってのを除けば上出来の感じがする。

受付に軽く会釈する。裏口に通されて給食を運ぶエレベーターに乗る。

病院の匂いというよりは、殺菌剤の匂いがする。

「もう少し明るい恰好かっこうで来ると表から入れるね」

笑顔で職員からそう言われた。この国では誰も彼もが人好きする笑顔を浮かべて喋る。俺は軽く頭を下げる。いつものやりとりだったが職員は気にせず、俺を通した。

そういう被害にあった女性に、明るい恰好して行くのはどうなんだ。

サングラスを取りながらそう思う。

この国はいい国だが、笑顔が時々張り付いているように見える時がある。それとも俺のこの気持ちは、ひがみっぽい何かだろうか。

深呼吸する。ノックする。勢いよくドアを開ける。そちらの方が怖がらせないと、今は体験的に理解している。

金色の髪の人が、ベッドに体を起こして休んでいた。俺を、煙るような目で見た後、少し笑って見せた。

天使だ。ここに天使がいる。と、俺は思う。仏教徒らしくない表現でスマン。

年齢はまあ、二〇かそこら。その割に浮ついて見えないのは悲しいことがあったからか。

肌は抜けるように白い。金髪碧眼へきがん、アメリカ人ってやつだ。見れば見るほど人種が違うという気になる。顔を見ていれば髪に目が行く。綺麗な金髪で千切ちぎれた耳は厳重に隠されいて、俺はつい目を外しそうになる。だがそういう行動こそが、彼女を悲しませる。だから、背筋を伸ばそうと努力した。無駄な努力だが、人生には努力するしかない時はある。

「何か困ったことはありませんか」

「何も」

俺の言葉に対する、小さな返事。今日の会話。終わり。

俺は頷いて帰りかける。毎日こうだが、俺は別に嫌じゃなかった。いや、時計を頻繁に見るぐらいにはこの時間が好きだった。

いつかはここに、花の一つでももって来ようかと思っている。彼女が悲しまないことを確認したら、だが。

って」

俺は帰るために三歩歩いて、俺の耳を疑った。

「待って」

次の言葉ははっきり聞こえた。即座に振り向く。彼女は下を見ている。スーツの乱れを直した。急ぎすぎたかもしれない。

沈黙が続く。唾を飲み込む音が響きそう。クーラーの動作音がうるさい。

待つことにした。幸いこの病院はクーラーが効いていて、汗が噴き出ることもない。

「明日、あの人がくるの」

天使はそんなことを言った。

どう言っていいのか、考える。うめき声がもれなきゃいいが。

「明日は金曜です」

「でも来るの」

天使は少し頰を赤らめて言った。綺麗だと思った。ただそれが、俺に向けられていないだけで少し悲しい。

「ど、どんなこと話せばいいかな。どんな顔をすればいいんだろう」

彼女にしては随分な早口で、そう言った。時々舌がこんがらがりそうになったのが気になったのか、上目がちに俺を見ている。俺はサングラスを取り出す。息を吹きかけてレンズを磨いた。そうでもしないと、間が持たない。

「そう言えば、外でデモをやっていました」

他にもいう事があるんじゃないか。そんなことを思いながら、そういうことしか言えなかった。

「デモって、政変かなにか?」

「お決まりの都市と地方の争いです。二一世紀に入って、ずっとそうやっている」

「そう」

天使は目を伏せた。俺は自分のやりとりのつたなさに絶望する。

何か別のことはないか。何か彼女を喜ばせるようなことは。

俺は考えたが、何も言えなかった。

「ありがとう」

小さな声が聞こえた。俺は軽く頭を下げて、その足で寺院へ向かった。

修行が足りないんだろう。きっとそうだ。

バイクにまたがってエンジンを掛けたところで辻の占い師が雨にたたられて顔が中国の川のように色とりどりに流れていたことを思い出した。

言いに戻ろうかとも思ったが、やめた。思いなおせば面白くもなんともない。

寺院にて瞑想をしていると、コカインの匂いがやけに鼻についた。僧侶の誰かがやってるんだろう。俺は雑念を追いやろうと瞑想に入る。麻薬なんか使わなくても、めくるめく体験というものはできるもんだ。今日は調子が悪いが、いけるときはいける。

夜になってバイクを走らせる。

人通りは随分多くなっていた。道行く人々の顔は皆笑顔になっている。普段から笑顔の国ではあるが、夜こそ本当の笑顔がある気になる。

俺は還俗した師匠に会いに行く。平屋の大きな建物はスラムの横にあって、師匠はそこで、子供たちを傭兵ようへいに売りつける商売をしていた。

ろくでもない国のろくでもない商売だと思うが、これでどうやら人助けになっているらしい。子供たちが喜んで傭兵になっているという。

俺は庭にバイクを止める。戦場に送られる予定の子供たちが暗い目をしてこっちを見ている。

なんと言えばいいのか分からないので、俺は手招きする。片眉をあげてバイクに乗る真似をした。一人の子供が寄ってくる。鶏ガラに似た子供。俺は抱き上げてバイクに乗せる。荷物の積み下ろしのために小学校の校庭くらいある庭を、ゆっくり回って見せる。

子供が女の子だったことに気づいたのは抱き上げた時だった。師匠の大事な商品だとは思うが、俺は怒りをまき散らしたくて仕方ない。

すぐに子供たちが集まってくる。ちょっとだけ笑ってる。

でかいバイクもいいもんだ、子供たちを五、六人乗せて動ける。ちょっとした曲芸だ。たまらんな。

「なんだ。梶田かじたか」

建物から出てきたアロハシャツ姿の師匠が言った。マフィア以外の名前で呼ばれるのは、久しぶりのような気がする。師匠は子供たちを見て、笑顔を見せた。怖い顔だった。四角い印象の顔にがっちりした体つきは、今でも現役を思わせる。今だって銃は俺よりうまいだろう。その腕でこの人は、ものになりそうな子供のリクルートを任されている。

「うす。主和しゅわさん」

「ま、子供と遊んでやるのは重要だな。終わったら来い、飯でも食おう」

師匠はそう言って屋内に戻った。俺は交替で運びながら何十周だか回った。でかいバイクを買って良かったという気になる。やっぱりグラディウスだな。ライフフォースもいいが。

俺は程よく疲れて主和さんの家にあがりこんだ。年はいってるが幸せそうなどこかの外国人の奥さんと、赤ん坊を連れて、主和さんは笑みを浮かべていた。金に目がくらんだ教祖様を社会的にぶっ殺すために、日本で無差別銃撃テロを起こして逃げ出してきた人とは思えない仕草だった。

「お前も子供が好きになったか」

主和さんは、子供を商いにしている人間特有の柔らかい笑いでそんなことを言う。俺は外にいる子供たちの事を思った。この明るい家の中と外にいる子供に、どんな差があるんだろうと思った。

「好きじゃないですよ」

外に腹を空かせている鶏ガラみたいな子供がいる。

子供好きだったら、ここでただ飯にありつくことに、耐えられないに違いない。

「そうか、好きに見えるがな」

赤ん坊を抱いてそういう主和さん。俺は黙って味噌汁をすする。

奥さんはどうみても日本人じゃないのにどんな事情か毎日味噌汁を作っている。どんな人なのか聞いてみたいが実際聞いたことは一度もない。聞いてはいけないことのような気もする。

「そういや、明日ボスがこっちに来る」

俺は鼻を鳴らした。主和さんのボスは、子供を傭兵にして金を稼いでる子供使い、俺たちくずの中でも最低のド外道げどうだ。俺の天使を守り切れないで傷つけた、そんな奴でもある。俺はアイツが嫌いだった。たとえその稼業が子供たちのためのもので自身はちっとも儲かってないと知っていても、それでもやっぱり嫌いだ。

「そう嫌うな」

「子供を地獄に落として商売するようなやつらはみんな死んでしまえ、ですよ。主和さん」

言った後でそりゃ主和さんもそうだったことに気付いた。

だが主和さんは声を立てて笑い、頷いて見せた。

「いや、本当にまったくだな。お前の言う通りだ」

どうせ自分は地獄に落ちるという気楽さで主和さんはそう言って笑った。子供を抱きなおして口を開く。

「この子が大きくなったら、ボスのところに預けようと思っててな」

「自分の子供まで売るんですか」

「これはボスの受け売りだが、知らんことは罪だ。自分で人を殺すより重い罪だ。俺はこの子の罪を減らしたい」

「まだ赤ん坊ですよ」

「すぐ大きくなる。そしてこの世がろくでもないことに気付く。自分が罪深いことにも。その時に絶望もあきらめもしないようにするためにな、ボスに預けたい。あの人は誰よりも絶望しているし、罪深いが、あきらめてはいない」

「正気の沙汰じゃない。子供を売るなんてどうかしている」

「誰も売ってはいない。この子も外の子も。ただ、生き方の選択肢がある。というだけだ」

主和さんは還俗して奥さんを作って子供まで設けているのに、一人で解脱したような顔で言った。

俺は黙って席を立った。そのまま出ていく。

ボス、ボスね。知ってるさ。あんたのボスは天使の“あの人”だ。くそったれ。何がアラタだ。子供使いめ。

俺は腹いせに鶏ガラみたいな子供たちに飯を食わせようと思った。実際屋台に行ってなけなしの金を使って食い物を買い、子供たちに配って回った。この金の出元が子供使いだと思うと涙がでた。

あのくそったれの方がずっと人を助けてるってか。

バイクを走らせて家に戻る。シャワーを浴びながら壁を叩いて落ち着いた。いや、そんな落ち着き方をしてスマン。

呆然として居間に座り込んで、俺はいろいろ考えた。考えても答えはでない。瞑想してもうまくいかない。こんなに腹が立つ夜は、寝ることだって難しい。

俺はノートPCを立ち上げる。こういう時はあれだ。ゲームでもやるに限る。俺はゲームを遊んで体験を記事にする。ゲーム専門サイトに投稿する。中坊の頃からずっとやっている、俺の趣味。

いつからか腹が立った時の趣味になっている。これじゃゲームにも失礼だと思うのだが、眠れない夜にはこういう過ごし方が一番いい。瞑想よりも純粋に、バイクを走らせるよりも集中し、指を、正確に動かす。ただそれだけ。今やってるゲームは中々良くできていると思う。める記事を書く。眠くなる。投稿して寝る。

朝になる。雨を気にしながら外に出る。TVで天気予報でもあればいいのだが、この国の人間は、占いに熱心なわりに天気予報には頓着とんちゃくしない。変だろ。それとも俺が変なのか。

マフィア、マフィアと子供たちが寄ってくる。うっかり昨日の夜と同じように子供たちを乗せて周辺を一周してしまった。子供たちは目を輝かせている。俺は昨日、主和さんと喧嘩別れしたことを思い出して憂鬱になった。いや、向こうは喧嘩になったとも思っていないかもしれないが。

今日は仕事だ。なのに何をやっていやがる。

俺は寺院に寄って預けている武器をギターケースに入れた。ショットガンにサブマシンガン。それとIイルミネーターという情報機器。Iイルミネーターはゴーグルの形をしている。俺はゴーグルを胸ポケットにひっかけて、バイクに乗った。いつもよりずっと早く、病院に行くことにする。

ところが道はひどい渋滞だった。万年渋滞なのがバンコクだが、今日は特に酷かった。いつも使う裏道にも人が溢れていた。通勤時間だからだろう。俺はバイクを足で押すようにして、少しずつ道を進んだ。だいぶ早めに出たつもりだったが、ぎりぎりになるかもしれない。

子供たちを乗せて近所一周なんてするんじゃなかった。

進まない車列にうんざりした頃、歩道の方からマフィア、マフィアと声が聞こえた。昨日見た辻の占い師だった。手招きをしている。

俺はバイクから降りて押して歩く。女占い師も出勤前なのか、すっぴんの顔立ちだった。

「よく会うね。マフィア」

「ひでえ渋滞だ」

皮肉なことにバイクを押して歩道を歩いたほうが早かった。俺はこの皮肉な事態に片眉をあげ、タバコに火をつけて一服した。健康に気を使う薬物中毒者ジャンキーは、酒と女とタバコはやらないが、俺はジャンキーじゃない。女の方がとんとご無沙汰だが。

「マフィア、今日は特別な日よ」

「祝日か」

「選挙よ。中国と戦うか、決める日よ」

選挙で渋滞するのかと思ったが、選挙を妨害しようとする連中もいるのかもしれない。そもそも選挙で決めるような話なのか。

「戦いなんかしないほうがいいと思うが」

「そうね。誰だってそうよ。でも相手が背中を見せているときは違う」

張り付いた笑顔の下を見たような気になって。俺は煙草の煙を吐き出した。図体ずうたいが大きいせいで背中も大きい中国は大変だ。ちょっと調子を落としたら、最近は四方八方から蹴られようとしている。

ボスが来るっていうのも、その辺りが関係しているのかもしれない。

商売にさといやつのことだ。ご自慢の子供たちを売り込むに違いない。

天使への見舞は、そのついで、だろう。俺は悪態をつきたくなった。あの娘を大事にしているというなら、ついでにするな。ついでに。

頭に来たので頭が赤くなるまで一気に煙草を吸って盛大に煙を噴出した。一吸いで一本の半分は吸ってやったぞと占い師を見ると、彼女は唐突に口を開いた。

「マフィア、片思いね」

俺はむせた。痰が絡む。この占い師は、昨日からそればっかりだ。

「片思いなんかしていない」

「占いは確実ね。でも今日は、病院にいかないほうがいい。悪いことが起きる」

ようやく列が動き出した。警官が仕事をしたのかもしれない。

俺は占い師を不満そうに見た。彼女は涼しそうな顔をしている。

「次は金を払うから、もっとマシな占いを頼む」

そう頼んでバイクに乗る。平均時速六㎞かそこらで、どうにか病院にたどり着いた。

これから忙しくなる。普段から病院周辺は俺がパトロールして、狙点そてんになるような怪しいところはつぶしているが、ボスが来るとなると、ボスを狙って敵が来る可能性がある。実際一度あった。そういう敵に限ってボス以外を狙ってくる。

厳重に守られたボスを殺せないときはその情婦じょうふを狙うって話だ。クソッタレ。いや、天使は情婦じゃない。なぜなら綺麗だからだ。

俺は病院近くの公園を見て回り、乱立するビルのうち、狙点になりそうな場所を再度見て回った。ボスが来るのは遅く、おそらくは渋滞に巻き込まれているんだろうと思われた。

この調子では見回りは早く終わる。俺は天使のところにいこうかと考えた。

いいや、やめておこう。ボスを待ち焦がれる様子なんか見たくはない。

古いビルに入る。階段を上る。屋上には違法建築である建て増しした建物がある。建物の上に建物を建てているわけだ。タイだけでなく、東南アジアでは広くみられる形式だ。

住人がびっくりした顔で見ているが、俺は無視して見て回った。いや、なんであの住民がびっくりするんだ。ここに来るのははじめてじゃない。

俺は身を隠しながら楽器ケースからサブマシンガンを取り出した。防弾ジャケットが普及してからすっかり見なくなったが、軽いので俺はこの武器を使っている。それに、ここ炎熱のタイで防弾ジャケットを着続けるのは難しい。

俺は安全装置を親指で外した後、建物の上の建物の周囲を巡るように歩き出した。角を出る時が一番緊張する。飛び出し、銃を向ける。同じく銃を向ける相手がいる。背が低い。銃口を上に向けながら顔をよく見る。子供だった。Iイルミネーターをしている。ということは味方だろう。

実戦だったら死んでいたなと俺は思った。子供を撃つには勇気がいる。分かっていてもぎょっとする。

「イルミネーターをつけるべきです。マフィア」

「誰がマフィアだ。いや、なんでその呼び方を知っている?」

子供はいつもボスにくっついている少女だった。名前はジブリールというらしい。天使の名前らしい。ボスは天使をはべらせるのが趣味らしい。腹が立つ話だ。

「見た目がそうだから」

俺はスーツ姿の自分を見た。

「イタリア製じゃない」

「意味が分かりません。イルミネーターをつけてください」

しぶしぶIイルミネーターをつける。俺はこいつが嫌いだった。これをつけると心の底までボスの部下になったような気になる。

目と耳から情報が流れ込んでくる。イルミネーターは俺の状態や視界をボスに送る。ボスはそれを見ながら判断する。何千ものイルミネーターの情報を一人で処理するボスは化け物だと主和さんは言っていた。

目の隅に映る情報は地図だ。狙点になりそうな全部の場所に兵士が送り込まれている。俺が調べたような場所でなく、もっともっと狙撃が難しい場所を押さえてあった。

「もっといい狙点があるだろ」

「そこもすぐに押さえます。ただ、敵がもしいるなら、難しいところだとアラタは言っていました」

アラタとはボスの名前だ。俺は鼻を鳴らした。プロの戦争屋は言うこともやることも違う。

「そうかい。ま、俺が見た感じじゃ人はいなかったけどな」

「すぐに再確認します」

「俺が信用ならねえってか」

「状況はすぐに変わります。入力しますから、何分前に調べたかを教えてください」

自分で入力する」

俺は腹を立てながらそういった。しょうもないこだわりで効率の悪いことをしていた自分に腹が立った。

「入力した」

「指示を待ってください」

待つほどもなく、ボスから指示が一人一人に飛んでくる。

俺にも来ていた。病院に来いと。

俺は片眉をあげてビルの階段を下りていく。あの野郎は、ボスは俺に天使とラブラブなところを見せ付けるつもりなんだろうか。

ビルを出てサブマシンガンを持ったまま小走りにボスのところへ行く。

ボスは車から降りたばかりだった。防弾されているとはいえ、自分で軽自動車を乗り回すとはどういうことだ。

車のわりに上等な仕立てのダブルのスーツを着ている。身軽に降りて歩くさまは疲れた三十男には見えない。かの悪名高き子供使いにも見えないが。

「やあ」

ボスは俺を見て笑った。手にはタブレット端末。それと、寺院の前で売ってるような安そうな花束。どう見てもサラリーマンがちょっと背伸びして高いスーツを着ているようにしか見えない。違和感といえば一つだけ、その割にはやけにスーツが馴染なじんでいるというところだけだ。

俺は黙って頭を下げた。なんで俺を呼びつけたんだろうと思いながら。

二人で歩き、病院に正面から入る。多額の金を払っているせいか、止められもしなかった。俺の時は裏口からだぞと思ったが、俺の顔が怖いせいかもしれない。

俺は安全装置をかけてサブマシンガンを楽器ケースに入れる。ここからはスーツの下のガンホルダーに入っている一〇㎜自動拳銃だけが頼りだ。

病院特有の大きなエレベーターに乗る。男同士の二人きり。

見ればボスは、死にそうな顔をしている。俺の目線に気付いて口を開いた。

「いつも思うんだよ、どうすればいい、どんな顔をして会えばいいのかなって」

天使と同じことをいってやがる、やっぱりラブラブなところを見せ付けるつもりか。

俺は腹が立ったが、同時にため息もついた。いや、ラブラブでいいじゃないか。あの人が幸せなら、俺はそれでいい。

「恋人らしく振舞えばいいんじゃないですか」

俺はそう言った。ボスは黙った。照れることもなく、自慢げでもなく、それが随分奇妙に見えた。

エレベーターが到着したことを自動音声が案内する。ボスは歩く。俺は付いていく。

病室の前で俺は胸のガンホルダーに手をやりながら背を向ける。気持ちは天使の幸せを願っていても、いざまあ、ラブラブなところなんか見たくもない。本物のマフィアならどうやるかな。そんなことをちらりと思った。

まあ、今の俺よりは恰好いいだろ。ゲームなんかやらんだろうし。

タバコを吸いたい気分になりながら、幸せを祈りながら絶望する気分で時を待つ。敵が来てくれないものか。

来たらちょっとは気分が晴れるだろう。少なくとも自分が何かについて悩まなくてもいい。ただ幸せを願って引き鉄を引くことだってできるだろう。命を賭けるに値する。

ドアの奥で何かの音が聞こえたが、俺は無理やり無視した。向こうから女の看護師が近づいてくる。悠然と不釣り合いに太いベルトをつけている。じゃらじゃらと丸いものを提げていた。

俺は拳銃を抜いて警告なしに発砲した。遠目だったし、片手だったし、何より横に飛んでいたので命中はしなかったが、敵も横に飛んでいた。ベルトに伸びた手が、続く瞬間何かを投げる。

手榴弾しゅりゅうだん

俺は頭を抱えた。映画で見るほど強力でもないが、爆発の衝撃で耳がバカになって窓ガラスが全部割れる程度の威力はあった。ドアが派手にぶっ倒れている。

腕と背中に相当の破片が刺さっている。対人用だろう。背広の下に防弾ジャケットを着ていたのはよかったが、腕や手の甲は完全に守り切れていなかった。頭も切っているかもしれない。痛い。

俺は頭痛に耐えながら楽器ケースからサブマシンガンを取り出して安全装置を外した。無照準で弾をばらまき、立ち上がって病室に駆け込んだ。

見ればボスがベッドに覆いかぶさるように天使をかばっている。頭にくるがいい仕事はしている。

「敵だ」

「そのようだね」

ボスはのんびりと言った。殺し合いに慣れているというよりは、天使を心配しているようでもある。俺はそれで、黙った。

敵が手榴弾を投げ込んで来るだろうし、そうなればお陀仏だぶつだ。投げ込ませないように近寄らせない、それに尽きる。俺はサブマシンガンでおおざっぱに狙いながら撃つ。敵は廊下に隠れて顔を出せない。そりゃいいが、サブマシンガンの弾が切れた時が勝負の分かれ目になる。

「ベッド立てとけ、その後ろに隠れろ」

俺はそう怒鳴りながらショットガンを取り出した。軍用ではなく猟銃で、半分にぶったぎったものだった。単発縦二連の銃身で装塡されている弾はそれぞれ一発と二発である。

サブマシンガンの弾倉を交換しながらショットガンを撃つのはしんどそうだ。手が足りない。

俺はボスを呼ぶか迷う。ボスの手が欲しい。しかし、そうすると負傷や死ぬ確率は上がるわけで、俺はそれで苦悩した。

「くそ、弾がない」

思わず声がもれた。すぐに返事が耳元から返ってくる。Iイルミネーターだった。

「三秒後に弾の交換に入ってくれ」

「ああ!?」

「大丈夫だ」

ベッドの後ろと耳元から、やけに冷静な声が聞こえてきた。

俺は一秒考える。どうせ、弾はない。俺は弾倉を交換する。

背後の窓が派手に割れる。思わず身を凍らせる。いや、弾の交換だ。

背後から俺の横、壊されて開け放たれたドアめがけて何発も弾が飛んでいる。狙撃だった。いや、味方が狙撃を、それも連射しているのに気付いた。しかも一人じゃない。数があるから十分な制圧効果がある。俺は弾倉を交換していいぞと怒鳴った。射撃開始、すぐに狙撃が止む。

「階段から味方が上がってくる」

ボスの声。俺はそこまで落ちついてはいられない。金属のボールが床を叩くような音に神経を削りとられながら身を隠す。爆発する。でたらめな投げ込みだったんだろう。煙は派手だが部屋の中には被害がない。壁に当たったあたりで爆発したか。

一息つく間もなく続く二、三個の金属のボール音。俺はでたらめに叫びながら廊下に飛び込んだ。ベッドの裏に隠れているやつらは生き残るだろう。俺が生き残るには廊下に出るしかなかった。

廊下に飛び出し、そのまま滑った。滑りながらショットガンを構える。廊下の陰に隠れた敵と目が合う。知った顔だった。すっぴんの顔の、占い師。俺は撃った。何かを思い、あるいは考える前に身体が引き鉄を引いていた。

至近距離のショットガンに撃たれたら惨たらしいことになる。挽肉ひきにく製造機にかけたような有様だ。ただ敵は階段を転げ落ちていったので、まじまじと見る必要はなかった。

一人だけか。仲間はいなかったのか。そんなことを考えながら立ち上がる。一人だけ、っていうのなら、敵は間抜けもいいところだ。

階段を上がってくるやつがいる。俺はショットガンを下に向ける。ジブリールだった。冷たい目で死体を一瞥して、階段を上がってきた。

「他は片づけました。もう大丈夫です」

そんなことを言う。俺に向かっていったのかと思ったら、Iイルミネーターに向かって言っていたようだった。つまりはボスに話しかけていたわけだ。

「梶田さんがもう一人を倒してくれたようだ。ありがとう」

「無事ですか」

「大丈夫。梶田さんが守ってくれたよ」

ジブリールのいる階段の下り口から天使の病室まで歩いて三〇mほどしかない。それなのにIイルミネーターでそんな会話をしているのがおかしかった。

俺は血で汚れた自分の頭をなでて傷を確認しながら、ジブリールの表情をうかがう。下を向いて、寂しそうな、つらそうな顔。

女の気持ちなんざわからないはずの俺が、この時ばかりは良く分かってしまった。こいつは多分、扉の前に立っていた俺と、同じ顔をしている。

俺はうめいた。Iイルミネーターのマイクに拾われたか、ボスがすぐに声をかけてきた。

「大丈夫ですか、梶田さん」

「俺は梶田じゃない。マフィアだ」

良く分からない反発心から、いや、分かるが認めたくもない感情から、俺はそう言った。

「頭を怪我しただけだ」

「幸い病院です。すぐ治療できますよ」

「だろうな」

俺はそう言った後、血で濡れていない方の手で、ショットガンを捨てたその手でジブリールの背を叩いた。

「行ってきて邪魔してもいいんじゃねえか」

そう言った。俺にそんな資格はないが、この娘にはあるような気がした。

その後、俺は二個下のフロアで治療を受けた。

背中に一個破片が入っていたが、それ以外はまあまあ普通だった。死なないという意味だ。痛いは痛い。

ボスが病院にいくら払ったかは分からない。

俺は包帯で腕や頭をぐるぐる巻きにされて、病院から出た。

ボスや天使が待っていた。もう一人の天使、ジブリールも。

「大したことなさそうで良かった」

「意外に死なねえもんだな」

心配するボスに対し、俺はそう言った。天使は、ボスにしがみついている。俺は目をそらした。

「アラタ、私にもIイルミネーターを頂戴ちょうだい

天使の言葉に、ボスは目を泳がせた。

「君はまだ療養中だ」

「前みたいには無理かもしれないけど、がんばるから」

「がんばらないでいいんだ」

「キャンプで毎日一緒に食事をしてたじゃない。私、あの頃に戻りたい」

「あんまり料理美味しくなかったろう」

「そんなことじゃなく!」

俺はジブリールの背中をばんばん押した。ジブリールは下を向いて動かない。

俺はため息をついた。上を見た。ボスを見た。

「人を悲しませるのは悪党のやることだ」

「まったくだ」

なめらかにボスはそう答えた。普段からそう思っているようななめらかさだった。

「分かってるなら、うまくやりな」

俺はそう言ってグラディウス、バイクに乗った。エンジンを掛けると背中が痛い。それでも俺はアクセルを開けた。世の中うまくいかないことばかりだ。