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2011年06月

「雑誌の価値」についてたまーに考えることがあります。というのも最近は、必要な情報はネットで大抵手に入るわけじゃないですか。ならば雑誌にしかない魅力や価値って何だろうと考えたときに、必要じゃない情報も意図せず目に入る事じゃないかなーと思うわけです。「こんな情報があるんだ!」「こんなコンテンツがあるんだ!」「見てみたら意外と面白いじゃないか!」は手に取った雑誌を何気なくぱらぱら捲っているときに多いと思いません? ちなみにそんな私のここ数ヶ月の定期購読誌はえっちなゲームの雑誌です。こんなゲームでるんだ! 絵かわいい! 今までの文章が台無しですね!

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さて困った。もう何年も前から、毎号購読している雑誌はゼロです。以前はMac系の雑誌や自転車雑誌を毎月楽しみにしていましたが、情報はネットで充分、と思うようになりました。昔は情報に飢えていましたが、今は溢れかえった情報をどうやって遮断するか、積み上がってゆく本をどうやって減らすかが僕の一番の悩みで、雑誌は最初に切り捨て対象になりました。雑誌の重要度が低かったからではなく、本を捨てられない性分なので、雑誌でさえ、買ってしまうとなかなか捨てられないのです。そんなわけで、古い話ばかりですが……。

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生まれてから今まで何冊の雑誌を読んだか? 見当すらつきませんが、小説よりも多く読んだのは確実です。小説となりますと意識が切り替わり、気分を高めて(あるいは滅入らせて)読みますが、雑誌はもっとフランクに、オレンジジュースなぞを飲みながら読めますからね。今日も雑誌を買い、読み、読んだことを忘れ、雑誌を買ったことも忘れるのでしょう。そして町でたまたま見つけた商品を指差し、「あ、これってあの雑誌に載ってたやつだ」と、苦もなく思い出したりするのでしょう。

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ある人間の精神的なDNAの根幹を「雑誌」が形作る、そんな時代がかつて確実にあった。そしてこれからはきっと、そんな時代の存在は確実にシーンから遠ざかっていく。僕はもちろん、そんな流れに抵抗するレジスタンスの一員だ。良い意味で「雑」な味って、精神(こころ)には必要不可欠だ。

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はじめておねだりをして、買って貰った雑誌は「なかよし」でした。小学一年生…確か当時は美少女戦士セーラームーンが連載されていたんです。中学に上がり、たくさんの友人が少女漫画雑誌からファッション誌、漫画が好きな子さえ少年漫画雑誌などにうつって行く中、結局中学二年まで「りぼん」を買い続け(「なかよし」から「りぼん」に変わったりはしつつ)…中学三年になる頃には「単行本で好きな作家の漫画を買う」というのを覚え、おこづかいではとても雑誌まで手が回らなくなり、やめました。…実はそれ以来、毎号定期購読した雑誌はありません。そんなわたしが久しぶりに開いても、「いらっしゃい」と言ってくれる存在です。

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雑誌とは「煽るもの」だと考えています。シーンがそこになくても捏造する。まだ人気の出てないまっさらな誰かを大人気アーティストとして売り出す。その嘘を現実化するのは読者で、読者がついてくれば雑誌という嘘は現実のものとしてずっと回り続ける。だから僕は雑誌に公平性や正しさを求めていません。嘘をついても幻でもいい、真実は後からついてくればいい。一読者としての僕は無責任にそう思ってます。つまり雑誌が発する不確かな情報に振り回されたいのです。いつだって。


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