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まっさらな赤ん坊の頃から、人間は基本的には他者に感化され、影響されて自身の人格を形成してゆきます。生身の人ではなく『本』を媒介して他者、この場合は作者の思考や人格に感化、影響された、とはっきり自覚したのは高校の時で、その時期に読んだ本が自分にとっての『古典』にあたるのかなと思います。

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我が人生における古典作品。我が生涯の遍歴の分岐点。まぁ色々と思い当たるものの、書物については後々にまた語る機会があるっぽいのでそちらに譲るとして、ここではそれ以外の幼少の思い出について諸々と語ってみたい。しかしそんな過去の諸々にまつわる品々がこうしてオンラインでポチるだけで簡単に手元に配送されてくる社会って、けっこう物凄いことなんじゃないだろうか。思い出の故郷をgoogleアースで散策し、思い出の品をAmazonで購入できる時代。ネットってつくづく時間と空間を超越してるよな。

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真の「古典」となる条件はたったひとつで、それは「常に新しい」こと。そんな五冊を集めてみた。

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全部、映画をセレクトしました。自分に深い影響をあたえた古典の文学やら音楽やらって、あんまり思い浮かばなかったんです。あえて小説のジャンルで挙げるならアイラ・レヴィンの『死の接吻』かもしれません。ゲームという方向性もあったかもしれないですね。でも、なんとなく映画だったんですよね。Amazonにはいろいろ売ってるはずなのに。自分の守備範囲はどうやら映画みたいですね。それにしても、次々と新しい作品が生み出されているのに、いつ古典に目を通せばいいのでしょうか。

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古典というか、原点みたいなものを選んだ。ここに挙げた5つの作品は、どれもが、小学生か中学生のときに出会ったものばかり。これらの作品が僕を作ってくれたわけだ。どれが欠けても、いまの僕は、いまの僕ではないだろう。タイミングも重要だと思う。そのとき出会わなくても、後から出会ったりするのだろうが、出会うべきときに出会って価値があると思う。そして、繰り返し、繰り返し、触れるのだ。成長してからは、また違う味わいがある。


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