ここから本文です。

友達な作家

開店から数時間して、瞬間的にお客さんが立て続けに来店してきた時間帯があった。

感覚的に大丈夫、と思える瞬間を探しながら接客を続けたが、細かいミスは減らなかった。

 

注文の際に、コーヒーやアイスコーヒーが何杯出たのか確認するためにメモを取ることになっていたのだが、それの書き損じがあった。

一度や二度の書き忘れではない、ということがこの問題のすべてだった。

AをやったらBをする。BのあとはCをやる、というが基本の流れなのだが、AとBが終わった段階でCの存在をすっぽり頭の中から忘れている。そんなミスが多かった。

 

接客に関しても終盤に近づくにつれ、ひどくなっていった。

疲弊している様子を隠さず、舌足らずなのに早口になっていて、ずいぶんお客さんに気を使わせてしまったと思う。

 

 

ニコ生に出演される予定だった佐藤友哉先生と、出演する予定がなかったのに出演してくれた鏡征爾先生の来店があった。

佐藤さんはもとより、鏡さんにも上京以前から精神的にありえへんほどの借りがあった。

少しはお話もしたかったけど、精神疲弊とテンパリのメーターが振り切っていた僕にそんな余裕はなく、カウンター越しに一言二言言葉を交わすだけだった。いずれお二人ともきちんとお話したい。お酒も交えてな!!

 

そういえば女性客がお一人ぐらいいたような気がするが、普通に普通の対応しかできなかった。

ああいう場面でなにかまともな言葉をかけられるようになることが、リアルが充実している人間への一歩なのだろうか。だとするならば、とりあえずそれは遠慮しておくことにする。

 

 

ニコニコ生放送「公開企画会議(仮)」の放送が間近に迫った頃、カウンター内で軽くトラブルが発生した。

流し台の下から水が溢れてきたのだ。洗い物のために水道を開きっぱなしにしていたことが原因だ。

 

このときの僕は、すでに幾多の試練を乗り越えたあとだった。

開店当初の僕ならテンパリまくって倒れていたかもしれない。どうしようどうしようと焦っているあいだに被害拡大という流れになっていたことだろう。

数時間の給仕をこなし、渡辺さんから何度も激を飛ばされ、もはやテンパる余地すらなくなっていたせいか、意外とそんな惨状に遭遇しても特に慌てることもなかった。

 

手元にあった雑巾を、水漏れ箇所に投げつけ、それ以上水が床を濡らすことを食い止めた。流し台の下にあったテッシュを大量に使ってさらに水の進行を阻害した。

当たり前のことを当たり前のようにできていただけかもしれない。だとしても、少しだけなにかを達成した気分にもなっていた。

 

水取りをして空拭きをしているあいだに、ニコ生の開始時間を迎えていた。

僕はそのまま水拭き作業を続け、おりをみて、放送に出て行くことになった。

 

 

水取りの掃除は、十数分以上続けていた。一生終わらない掃除をやっていた気がする。僕からこれでもう大丈夫、と判断して掃除を終えることはなかったはずだ。

ニコ生に呼ばれるまでは延々と雑巾がけをしていたであろう状況に、僕は取り込まれていた。

 

そんなところから引っ張りあげてくれたのが、鏡さんだった。

「もう大丈夫から、きなよ」

そんな声がカウンターの向こう側から、聞こえてきた。

声を掛けられた直後の僕は「まだやらないと」とかたくなだった。とにかく床を綺麗にしないといけない、というところから一歩も一歩も動かない姿勢だった。

 

意地っ張りになっていた僕に、鏡さんは我慢強く「大丈夫だから」と繰り返してくれた。

何度も繰り返し「大丈夫」といわれるたびに、かたくなだったものが、やわらくなっていくのが分かった。張り詰めていたものが、抜けていくのが、分かった。

 

こんなふうに、鏡さんには、何度も何度も引き上げてもらってばかりだ。

鏡さんが、あのときあそこにいてくれて、本当に助かった。

 

 

鏡さんの手に引かれるようにして、のっそりカウンターから抜け出し、椅子に腰をおろす。先週は北海道で観ていたはずのニコ生に、いよいよ僕は出演してしまった。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

小柳粒男を応援しよう! 

小柳粒男の作品
(このリンクよりご購入頂いたアフィリエイト収入は作家活動への応援として、小柳粒男へお送り致します)



本文はここまでです。