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独りで出来たことがあったのかな

欲しいものリストの欲しいものが、届いた。書籍、お米、電気ケルト、ライブDVD、ノベルゲーム、コンバース、お水2リットルが二箱。計3万円以上の欲しいものが、届いた。

 

気分はオンラインゲーム初心者が上級者からガチ強武器を渡された心境だろうか。モンハンなら剛種武器、ダークソウルならグラント+5などを。本来の仕様的に有り得ないものを渡されたような、さすがにこれを受け取ることは遠慮してしまうような。

自らの力だけでなんとかしたい人やえどさん"&ふみいちなら、返却するという態度を取ることもままあるだろうが、僕にはそういう意思が示せない。

そこまで強がることが出来ない。普通に助かる。それしか言い様がない。

パソコンと電源だけがあれば、小説が書けるなんて思えない。人生にかかる端々の出費のすべてを、これらが帳消しにしてくれる。月末になると、財布の薄さのする必要がなくなる。心と体にかかる余計な負担を助けてくれる。

これは僕を大きく助けてくれる。

だからこれらを倉庫の奥に寝かせてしまうつもりはないし、むしろ毎日観るし毎日使うと思う。

 

ずっとひとりっきりでやりたいと思っていた。ひとりで生きてひとりでやってやるんだ、と。中学時代か高校時代か大学時代。基本的に友達が少ない側の人間だったからこそ、そういう思想を持ち続けることはある種の必然だったのかもしれない。

 

小説についてもそうだった。ひとりで書くんだ、と。作家の仕事は孤独だといわれる。

でも初めて小説を書き終えたとき、僕は独りではなかった。

偶然小説を書いていることをクラスメイトに知られて、そいつらに読ませるというモチベーションが、初めての長編を書き上げる気持ちをくれた。

初めて投稿したときは年末だった。近場の郵便局は空いておらず、恥を忍んで父親に車を出してもらって空いている郵便局を探した。

初めて一次選考を通った投稿作のアイディアも、高校時代のクラスメイトからもらったそれだった。

「二十四歳の地図」に関しては特にそうだ。僕一人でやっていたなら、最初の更新から次の更新日まで一ヶ月かかっていてもおかしくなかった。

 

ずっとひとりっきりでやっていきたいと思っていた。

でもそうはなっていなかった。

 

僕がなにかしらの結果や達成を得たとき、僕は必ずひとりではなかった。切ないことだけど。

作家の仕事は孤独といわれている。実際の作業として一人でやることが多いかもしれない。本質的なところで誰にも助けてもらえず一人で書いて一人で直して一人で終わらせないといけないのかもしれない。ただ小柳粒男としては、この孤独という強い単語を使うことは、ためらわれる。

あまりに助けてもらわないと何もできやしないから。

独りの時間が多いことは確かかもしれない。それでもそれを孤独と感じているのか、ということだ。

 

誰かの鼓動と魂と罵声を感じる。ずっとひとりっきりでやろうとしていた僕だから、なおのことそれは思う。ずっとワンマンアーミーで有りたかった。一人無双で頑張りたかった。

でもそうはならなかった。一人で書くことはできた。そして一人で書いているあいだは、ろくな結果がでなかった。

僕が何かを手にしたときは、どうしょうもなく、誰かが力を貸してくれたときだった。

だから無意識のうちに、僕は独りであることを拒絶していたのかもしれない。

 

そんな原初の気持ちを思い出す。そういう最初の感情をまた、思い出す。

Amazonの段ボールいっぱいに送ってもらった、欲しかったものを見つめながら、僕はそんなことを思う。

全部自分のためだけにやってきたつもりだった。全部僕のためだけにやろうとしていた。

でもそれでは上手くいかないことが大半だった。悲しい現実だけど。

だから誰かのためにやるということを選ぶ。

 

こういうときほど僕は僕の力の薄さを実感する。だからこそ、僕は僕に力をくれるすべてを使わないと、この最前線でやっていけない。

この最前線で今日からもう一度戦っていくために、僕は僕以外の誰かのために、小説を書く。

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