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レビュアー「zonby」のレビュー

銅

アイディ。

「坂本真綾」と坂本真綾という人

レビュアー:zonby Adept

私が坂本真綾という人物の存在を強く意識し出したのは、『坂本真綾の満月朗読館』の配信を聴いてからだった。
落ち着いていて、透明感のある声。
読み上げる口調は柔らかで、文章や言葉ををとても丁寧に大切に扱っているのが感じられた。

以前から名前だけは前から知っていた。
けれど、それはどこか遠い次元。言うなれば二次元に近い認識をしていたように思う。
彼女の仕事の一部でもある、アニメの声優というのも関係があるかもしれない。
彼女の名前を聞く時は、常に声を担当したキャラクターの名前や、アニメの題名がついて回っていた気がする。
私とは全く別の世界で、私とは全く別の物で構成された、誰か。
いや、「誰か」とさえ捉えていなかった。

――坂本真綾。
という私と同じ地平の延長線上にいる人間ではなく。
「坂本真綾」
と、カッコ付きで私は彼女のこと認識していた。
坂本さんでも、真綾さんでも、マーヤでもなく、「坂本真綾」。
それは人の名前ではなく、商標登録された何かの呼称のように。

そんな認識だったものだから「アイディ。」を読んで、余りにも当たり前の事実に衝撃を感じた。

なんだ。普通の人じゃん!
人間じゃん!

もちろん子供の頃から子役として、いわゆる多くの人が送る普通の人生とは違う流れの中にいる人だ。
大きな舞台での公演。歌手活動など、描かれるエピソードには想像もつかないようなこともある。
例えば舞台稽古の役作りについて。
例えばCDデビューについて。
反面。
自分の忘れぐせや、買い物についてなんて誰でも経験のあるエピソードには、友達の失敗談を聞くような気軽な気持ちで思わず、頷いてしまう。
堅苦しい言葉は少なく、丁寧に言葉を拾って繋ぎ合わせているイメージ。
自分の見たもの、感じたことを素直に誠実に書いている印象を受けた。その中でも特に、「心」の描写は読んでいるこちらの「心」まで揺さぶる程、鮮烈だと思う。
難しい言葉は一切ない。
けれど彼女によって捉えられた心は、その輪郭を様々な言葉によって克明に描き出され、繊細に提示される。
嬉しい、けれど怖い。
寂しい、けれど安心する。
欲しい、けれど欲しくない…。
変化する心。
いつだって変容する心。
安定しない、心。

生きていれば誰だって向き合わなければならない心。

「アイディ。」には坂本真綾の心の断片がたくさん詰め込まれている。
ただの文章にしか見えないかもしれないけれど、その選ばれた言葉の一つ一つには確かに彼女の心が反映されているのだ。
その心の濃密さに応えるように、私の心が反応する。
そしてそこに、私は生きた人間の姿を見る。
感じる。
「坂本真綾」は商標登録なんかではない。
坂本真綾は、私の立つ地面から地続きのどこかに存在して生きる、一人の人なのだ。
と。

「遠くまで来たけれど、
いつか見た地平線で感じたように、
すべてはつながっている。」

彼女の声を聴く度、私はこの言葉を思い出すことになるだろう。
その度、今日もどこかで生きる彼女に私は聴こえない言葉を返すのだろう。

「貴女が今どこにいるのかはわからないけれど、
私の本棚には「アイディ。」があります。
すべてはつながっています。

―――坂本真綾さん。」

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2012.04.02

鉄

死体泥棒

死体泥棒の現実と、私のロマンチシズム

レビュアー:zonby Adept

死んだ恋人を盗んで運んで、冷凍保存。
花盗人ならぬ、死体泥棒。
それって物語のテーマとして、なんだかロマンチック?
いいえ、そんな訳ありません。

そんな言葉を、この物語を読み始める前の私に投げつけてやりたい。
読む前に想像していた、主人公が恋人の死体を盗んで冷凍保存し、毎日夢か現の耽溺の日々。なんてひと昔前の猟奇小説のような展開は、あっと言う間に打ち砕かれました。
そうです、そうです。
そうなんです。
この現代社会において、死体を完璧に冷凍保存するなんてことは意外と簡単そうで難しいんです。
死体を盗む、ましてや自分の部屋で冷凍保存。
なんて言葉を聞くと、なんだか主人公が鬼畜に思えるでしょう?それをやった主人公の人生、180度変わるような気がするでしょう?
でもあんまり変わらないんです。
むしろ悪くなるんです。
今までぎりぎり大学生だったのが学校まで辞めてしまって、部屋には手慰みで作ったバルーンアートの山。死んだ恋人を腐らせないために巨大冷凍庫はずっと稼働させていなくちゃならないし、なんというか人生下降線?むしろゴミ虫、クズ人間一歩手前?
この本を開く前に感じていたロマンチシズムなんて糞くらえですよ、まったく。

でも思うんですよ。
死体を盗んだことで自分の人生や、何より自分が変わらなかったことに一番驚いたのは、多分主人公自身だったんだろうな、って。
もちろん、部屋に鎮座する巨大冷凍庫&冷凍保存された恋人の存在は異質ですよ。
けれど一度主人公の日常に溶け込んでしまえば、それもまた日常の一部になってしまう。ロマンなんて欠片もなく、現実的に処理されるべき問題の一部になってしまうんだな、って。
生きている人間には現実がつきまとうのです。
そこに死んだ人間を無理矢理、生きているかのように見せかけてねじ込んでも死んだ人間の時間は止まったまま。
主人公は、死んだ恋人を盗んで保存することで現実に対抗する、非現実を作り出そうとしたのかもしれません。そこまで考えていなかったとしても、死んだ恋人の腐敗、あるいは火葬という時間を止めることで主人公自身に流れる時間も、止めたかったのかな、と思います。
時間なんて、止められる訳ないのにね。

少しでもロマンを感じるとするならば、それは私の頭の中にしかないのかもしれません。
物語の中に描かれなかった彼等の部屋の描写。
壊れたおもちゃ箱みたいに、色とりどりのバルーンアートが散らかっていて、それに不釣合いな無骨な業務用冷凍庫がある部屋を、想像するんです。
低く唸るような稼働音をたてる冷凍庫。
その中で、眠るように死んでいる美しい恋人。
その音を聴きながら、馬鹿げた色の組み合わせでバルーンアートを作る主人公。
流れる時間。

その描写されなかった光景だけが。
ね?
ほら少しだけ、私のロマンチシズム。

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2012.03.09

銀

「Fate/Zero」

一人の男を巡る二人の女の関係

レビュアー:zonby Adept

衛宮切嗣とアイリスフィール。そして久宇舞弥。
この三人の関係性ほど、私を惹きつけるものはない。
特にアイリスフィールと舞弥の、友情に似たけれど多分友情ともまた違う感情の交錯を、興味深く。同時にその付かず離れずの距離感を羨ましく思ったりもする。

「Fate/Zero」は単純に説明してしまえば、一つの宝を巡る闘いの物語だ。
その中には様々な立場にそれぞれの動機、野心、願いを持った魔術師と、同じくそれぞれにまた目的や考えを持った英霊が現れる。
魔術師と英霊。
マスターとサーヴァント。
通常であれば、この関係性こそが物語を盛り上げる大きな要因の一つであると思う。
互いに一つの道具であろうとする切嗣とセイバーの、徹底して温度の感じられない関係性は何かやりきれなく思うし、反対に豪放磊落なライダーとどこか未熟な感じのするウェイバーのやりとりは闘いのさなかにあってさえ、微笑ましく感じてしまう。自分の身体と引き換えにしてでも守りたい者のために、契約を結ぶ者。あるいはサーヴァントの暴走や、能力に魅了されてしまうマスターなど、単なる主従の関係に留まらない人間対(元)人間が故に起こるイレギュラーな出来事が「Fate/Zero」を単調な、バトル・ロワイヤルからもう一歩も二歩も踏み出した領域に踏み出させているのだと思う。

さて、ここでもう一歩。
物語の中に関わってくるのは、マスターとサーヴァントだけではない。
衛宮切嗣に関わってくる、これもまた道具であり妻でもあるホムンクルス。アイリスフィール。
切嗣のアシスト的役割をする久宇舞弥。直接的には聖杯戦争に関わりがないものの、この二人の女性の存在が、「Fate/Zero」における衛宮陣営を彩るもう一つの関係性だろう。
女性というならば、セイバーもここに含まれるのかもしれない。しかし、切嗣に対しサーヴァントという
立場上、彼女はこの関係性から除かれる。
あくまで魔術師でも、英霊でもないからこそ、この二人は異彩を放っているのだ。

一人の男に二人の女。
普通に考えればどろっどろの三角関係である。
舞弥が登場した当初は、アイリスフィールも複雑な感情を抱いていたようだったし、読者である私もそんな展開を想像した。けれど、そこに転ばなかったのが更に私の興味をひいた点でもある。
と、同時に不思議な関係だ、とも思う。
二人の目的は明確としている。

―――全ては衛宮切嗣のために。

その目的が二人を結びつけ、更に同性であるということが、その繋がりをより強固にしているように私には感じられた。
片や聖杯戦争を有利に進めることだけを目的につくられたホムンクルスという道具。
片や切嗣に拾われ、闘いの道具となることを叩き込まれて育った子供。
しかし道具である以前に彼女達は、れっきとして女である。
互いの持つ境遇さえなければ、聖杯戦争などというものに関わることもなく、同時に衛宮切嗣という自分の人生を大きく変える人物にも出会わず、普通の人間。普通の女。あるいは生まれることすら。生き残ることすらできなかった女達。
彼女達は切嗣という男を――例えどのような形であれ――愛していたに違いない。
それは女性とはいえ、男性として生きた過去を持つセイバーには、現時点ではきっと理解できないものだ。

「Fate/zero」の中で、実は対等な関係を結んでいたのは彼女達だけだったのではないか、と私は思う。マスターとサーヴァントは基本的に主従の関係であるし、魔術師同士の中でも立場の軋轢はある。またサーヴァント同士の中でも、微妙な力関係や相対があった。
彼女等にそれがなかったとは言えない。
舞弥にはアイリスフィールを守るという役割があった。
それでも、二人は対等だったと私は言い切りたい。
二人が感じていた感情が、友情などという簡単にまとめられるものでないことも分かっている。しかし私は思いたいのだ。二人の女の間には、例えおかれた境遇が違っても何か繋がるものがあったのだと。

―――全ては衛宮切嗣のために。

二人にその確固たる目的があるがゆえに。
二人にその確固たる目的がなかったとしても。

最前線で『Fate/Zero』を読む

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2012.03.09

銅

「山月記」ミギーさんの絵について

その絵の裏側にあるもの

レビュアー:zonby Adept

柔らかい感じ。
儚くて、暖かい感じ。
可愛らしいキャラクター。
多くの人がミギーさんの絵を見た時に感じるのは、そんな感想だろうか。
私の第一印象もそうだった。
だが、何枚もミギーさんの絵を見ている内にその印象は払拭され、むしろそんな印象しかもてなかった自分を恥ずかしいと今は感じている。

柔らかでさりげない色使い。絶妙なぼかし。
満月朗読館『山月記』にてイラストを担当したミギーさんの絵は、一見さらりと口当たりよく、見る者にガツンとした衝撃を与える画風ではない。
人物を形取る、ラフな線。色同士のぼかしなどは偶然性によって生み出されたものであるようにも見えるし、人物や動物を描いたページはまだしも草だけがページの端から幾本か飛び出すように描かれたところなど、ともすれば誰でも描けるのではないかと思うくらい、慎ましい。

だが私は断言する。
それは錯覚であると。
満月朗読館『山月記』の中に使用されている絵の一枚一枚には、恐ろしい程の計算が働いている。その計算を計算として見せないところが、またそれらの絵の凄さなのだ。

私がミギーさんの描く絵を見て感じるのは、冷徹な視線だ。
職人的とも言える、とても醒めた視線。
頭の中にある絵を、紙に再現するために働く計算(無意識にしろ、意識的にしろ)は、狂いを許さない。
紙。と。絵の具。と。水。と。時間。
その関係性を、絵は容赦なくミギーさんに求めてくるはずだから。

それはミギーさんがアナログな絵を描いていることにもゆえんすると思う。
アナログとは、紙に水彩や鉛筆など従来の方法で絵を描くことだ。
反対に、今やメジャーとなったパソコンでフォトショップやSAI、ペインターなどのアプリケーションを使用して絵を描く方法をデジタルと呼称する。

この二つの大きな違いは、「失敗できない」という点だろう。
アナログは大きな間違いをしない限り、誤魔化しはきく。だが、デジタルのように失敗をなかったことには絶対にできないのだ。
また、ある程度途中で画質や効果の変更ができるデジタルに比べ、アナログ(ミギーさんの水彩画の場合は)紙と絵の具とそれをとく水。そして時間の選択が、重要になり筆をおく瞬間瞬間が勝負になる。
紙。
紙にはいくつもの種類がある。吸水性の程度も紙によって変わるし、絵の具ののりや広がりを決定づける一つ目の要因だ。
絵の具。
水彩絵の具の扱いは繊細だ。筆にのせ過ぎれば色が強くなり過ぎる。混ぜ過ぎれば濁る。同じ色を二度
作ることは難しい。
水。
水は紙の表面を時として痛める。絵の具を溶けた水を使えば、絵の具に色が混ざる。水彩を描くのに必要不可欠なものではあるが、それだけに扱いに気をつけねば絵を台無しにしてしまうこともある。
最後に時間。
目には見えない。自分の感覚だけが頼りだ。水彩には乾きの時間がある。紙にのせた絵の具が乾く前に次の色をのせれば混ざってしまうし、反対にあえて色を混ぜたい時に時間を図り間違えれば、不自然なものになってしまう。特にぼかしの技法には、この見極めが完成度を左右する場合もある。

ミギーさんはそれら四つの要素と向き合い、一枚の絵を描き出していると私は感じるのだ。
それらに対峙し、冷徹に見極めているからこそ、あの絵が生み出されるのだ。
アナログで描かれた絵は、私にその描かれた裏側を。絵にかけられた時間を問うてくる。
ミギーさんの描く絵はそういう絵だと思う。

文章を読むのも良いが、絵も見て欲しい。
絵に込められた緻密な計算を。
ミギーさんの絵にかける冷徹な目を。
紙と絵の具と水と。
そしてそこにかけられた時間と。

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2012.02.18


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