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レビュアー「zonby」のレビュー

銅

2WEEKS イカレタ愛

小説の絵の力

レビュアー:zonby Adept

「2WEEKS イカレタ愛」でイラストレーションを担当しているえいひさんを見逃していた。
美麗なイラストレーションが平台を彩る時代。
見ているだけでくらくらするような中、えいひさんのイラストは控えめな感じかと思っていたが、全然勘違いだった。

えいひさんの絵柄はどちらかというと、印象が強い訳ではない。
一度見たら忘れらないという訳でもなく、何か特殊な技法や材料で描かれた訳でもないと思う。
でも、「2WEEKS イカレタ愛」のイラストレーションとしてちゃんと見て好きだと思った。
と、同時にえいひさんのようにしっかりと描かれている人が小説のイラストを担当されたことを私はとても嬉しく思う。

えいひさんの絵において特徴的なのは透明感だ。
特に髪の毛が重なった部分の表現と、瞳の表現は重要な点だと思う。
その表現により、良い意味で重力というか質量がカットされているように感じる。
髪と肌のあわいの色合い。
様々な色彩を取り込んだ瞳は、軽やかな印象だ。
軽やかではあるけれども、塗って重ねて馴染ませる。
その過程はとても一朝一夕に完成できるものではない。
軽やかには見えからといって、手が入っていない訳ではないということが
それらの表現から知ることができるだろう。
さらりとしてはいるが、物語の世界観を感じることに
えいひさんのイラストは、ちゃんと一役買っている。

「2WEEKS イカレタ愛」は見えないもの、や精神、死と生について強く言及している物語だ。
目には見えない、大きくて緻密な力の流れ。
壮大な宇宙の存在。
半透明の少女や、肉体から肉体へと移動する宇宙人。
近くにいても分からない感情。
えいひさんのイラストはそれらのイメージをこれもまた
絵が秘める見えない力によってサポートしてくれるだろう。

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2013.06.22

銅

サクラコ・アトミカ

想いは枠組みをこえる

レビュアー:zonby Adept

「サクラコ・アトミカ」は私にとって非常に印象的な一冊だ。
私は私の知らない世界やルールが登場する、ファンタジックな世界観を好まない。
世界観を理解するだけで苦労するし、世界観が違うということはきっと登場人物も感性が違うだろうと思うと、どうしても共感しにくいし、物語に入りこめないのだ。

最初は半信半疑でページをめくった。
だって冒頭から「畸形都市」なんて聞きなれない言葉が出てくるのである。
畸形都市に囚われたあまりに美しすぎる姫。サクラコ。彼女の牢番を務める、ヒトの形をした異形・ナギ。都市を支配するは、天才・ディドル・オルガ。目的はサクラコを犠牲として原子の矢を放ち、他の都市を焼き尽くすこと。
固有の単語も、この世界を律するシステムも完全に理解するのは、難しかった。
でも。
最後まで読んだあと、私は泣いていた。
帯のキャッチコピーには「―――サクラコの美しさが世界を滅ぼす」とある。
魅力的で、的確な表現だと思う。
けれど私にとってこの本は「肉体という枠組を超越した「愛」の物語」だ。

人間にはどれだけの愛や、人を想う気持ちがあっても肉体の枠組みを超えることはできない。
人に気持ちを伝えるには、肉体を使い、あるいは肉体を使うことによって何らかの行動を起こして伝えるしかない。それしか、私達は方法を持っていない。

この物語でナギは、自在に身体の形を変える。腕を伸ばすこともでき、どんな異形の姿にも変化できる。ナギはサクラコへの想いだけを糧に人智の及ばぬ異形になって彼女のために歩き、挑んだ。
この物語でサクラコは、耐えがたい美少女だった。誰もが畏れ、敬い、跪かざるを得ない程の美しさを所有し、やがてその身体は美しいが故に原子の矢となった。身体を失い、しかし失ったからこそ無力であった彼女はナギと共に闘うことができた。

この物語のその点に、私は価値を見出し、何度でも泣いてしまうのだ。
現代を舞台にした小説では、これは味わえない感覚だと思う。
化け物になっても一人のことを思って彷徨う絶望。破壊兵器として原子になりながらも闘うと決める意思。誰かのため。誰か一人のためになら、ヒトの姿だって捨てよう。
ナギが化け物に、サクラコが原子になる過程が、自己犠牲で片づけられていないのも好きな点だ。

この物語を読んでいると、あまりの辛さに読むことが辛くなることもある。
今もそうだ。適当に開いた一ページを読んだだけで、自分が涙声になっているのに気づく。
でも最後まで読んで欲しい。

読み終えた時に、ふわり、と原子のサクラコに包まれ、その傍らでちょっと困ったような笑顔のナギがいてくれるような気がするから。
そうしてサクラコのこんなセリフが聞こえるはず。

「何を暗い顔をしておる!奇跡は起きる。おんしなら、大丈夫じゃ!」

そうやって背中を押されているような不思議な気分に
きっとなるから。

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2013.06.11

銅

『サエズリ図書館のワルツさん』 紅玉いづき

物語を守る人

レビュアー:zonby Adept

ワルツさん。
職業はサエズリ図書館代表、特別探索員。
本というものが、本として製本されたものを読むことが珍しく、贅沢な趣味となった時代。
彼女はそこにいつも存在し、訪れた人に最もふさわしい、必要な、求める本を静かに差し出す。

ずっと、図書館の人になりたいと思っていた。今でも、結構まじめに思っている。
いつでも自分の好きな本に囲まれて、新刊や個人では手に入らない貴重な本。それらに触れて毎日を過ごす。
私は本が好きだ。
だからそんな毎日を過ごせたら、きっと楽しいだろうな、と想像する。
想像だけ、する。

けれど、本当に本を、物語を好きなだけではなく、「守る」ということは、楽しいだけでは済まないし、何かを負わねばならない時もあり得る、ということを、私はこの本を読んで考えるようになった。

本を読む趣味なんてなかった人、本を本当に必要としている人、本に思い出を持つ人。本に対していろいろな想いを持つ人が、サエズリ図書館を訪れる。
その中で私にとって一番強烈なエピソードは、一冊の本を盗んでしまった人の話だ。本を図書館に戻すためにやってきたワルツさんに、その人は言う。
「一冊ぐらい、一冊ぐらい、いいじゃないですか!!」
その本は一冊しかなかったのだ。
本当に、一冊しかなかったのだ。
ワルツさんは、渡さなかった。
ただ、こう言った。
「本は死にません」「わたしはここにいます」
と。
本が好きだから知っている。狂おしいほど手元な置きたい本があることを。
本が好きだから知っている。何冊もの本が、茶守ることのできる者の手になければ、いとも容易く消えていってしまうことを。

私はただの本好きで、図書館の人ではない。ワルツさんはキャラクターで、サエズリ図書館も存在しない。でも本だけは確かにここにある。本は、死なない。
私はワルツさんにはなれないけれど、でも、本を、物語を守る人にはなれるかもしれない。
だからせめて、こう言おう。
私の力では守り切れないものはたくさんあるだろうけれど。
それでもせめて。
本に触れる全ての人に。
「それでは、よい読書を」
と。

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2013.05.29

銀

「怪談と踊ろう、そしてあなたは階段で踊る」

怪談と遊ぶ少女達

レビュアー:zonby Adept

「男子は腹が立ったら仕返しをする生き物だけど、女子は憎かったら呪う生き物だもの」

二元論は好きではないけれど、この台詞にハッとしてしまいました。
特に「女子は憎かったら呪う生き物」という言葉。
全ての女子がそうとは言いませんし、否定したい気持ちも山々ですが、そうです。女子とは呪う生き物なのです。
というと、なんだか女の子があまりにも禍々しい感じがしますし、私自身何やら儀式のようなことをして人を呪うような人間だと思われては困ります。
具体的に言いましょう。

貴女が女子、あるいはかつて女子であったなら「おまじない」って身近なものじゃありませんでしたか?
あるいは男子、かつて男子であったならどうして女子がそんなに「おまじない」に熱心なのか理解できなかったこともあるのではないでしょうか。
「おまじない」という言い方が不自然であれば「ジンクス」や「占い」と言った方が分かりやすいかもしれません。
ええ。私にも経験があります。
好きな人の名前を消しゴムに書いて、全部使い切れたら結ばれる。
目の前を黒猫が横切ったら今日は不幸。
カラスの羽根は拾ってはいけない。
こっくりさんで使った十円玉は、神社のお賽銭に入れなければいけない。
そうそう。
星座占いなんかは、朝のニュース番組でやるほど定番の「占い」です。
星座占いや血液型占いなんかは別にしても、そういえば学校というものに通っていたころは随分とそういった「おまじない」や「ジンクス」の類が沢山あったものです。

呪いとはまじない。
そういう意味では女の子の日常に呪いは溶け込んでいるのです。
女の子はそれを呪いと意識しないまま、好きな人の預かり知らぬところで呪いをかけ、朝学校に来る前に見るニュースで星占いを見て、今日は幸運。あるいは不運と自分に呪いをかけ、時には憎い相手を呪いと知らずに呪うのです。
「怪談と踊ろう、そしてあなたは階段で踊る」の中でも、呪いを利用し架空の神を祀り上げたのは他ならぬ女子でした。

作者である竜騎士07さんの著書に「ひぐらしのなく頃に」という一連のシリーズがありますね。
あの物語の中でも、呪いに惹かれていったのは女の子といった印象が強くあります。
極自然にオヤシロサマという祟る神を受け入れていた竜宮レナ。
一つ遅れてついてくる足音を、可愛いとさえ感じていた園崎詩音。
まじない、祟りを作り出し、神になることを願った鷹野三四。

反面、男の子である前原圭一・北条悟史は祟りをおそれ、怪異をおそれ、金属バットでそれらに対抗しようとしました。

この物語は些細なオマジナイの物語です。
けれど、そこを。
底の底にじっと目を凝らして見て下さい。

オマジナイを呪いへ、そして祟り神へと祀り上げる
無数の無害で無邪気な
幾人もの女の子がきっといるはず。
―――そして、新しいオマジナイを、求めているはずですから。

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2013.05.29


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