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レビュアー「yagi_pon」のレビュー

鉄

投稿終了画面のtugenekoさんの絵

自分だけの絵 part.2

レビュアー:yagi_pon Novice

自分の中で勝手にできた、パート2シリーズです。

一度書いた話ですが、また書きたいと思います。
新しい投稿終了画面のtugenekoさんの絵、素敵ですね。
レビューを投稿して得点を重ねていけば褒賞が得られるわけですが、
この絵は一番最初の褒賞ですよね。
レビューをたとえ一文字のものでも投稿すれば見られるわけですから。

さて今回は、桜満開の絵。
団長が姫を肩車してあげています。
団長の顔は見えていませんが、
きっと、イリヤを肩車している切嗣みたいな優しい顔をしているはず。
ほほえましいですね。

そして今回は、「ありがとうございます」が団長の吹き出しです。
夏ver、秋verは背景に書いてあり、
冬verは書き初め風に、これも背景の一部になっていたわけですが、
今回はそうではありませんでした。
それにしても、姫が違うことに夢中で、団長が本筋に戻すという、
ふつおたなんかでよくあるパターン!
関係性まで見えてきますね。

ここまでの流れは前回とほぼ同じですね。
一枚の絵を見ていろいろ想像できると、
自分だけの想像ができるから、それが自分だけの絵になるんだと。

まぁ結末が同じではつまらないので、
自分で自分にツッコミを入れてみることにします。
そもそも、だいたいそんな想像はみんなできるんじゃないか?と
それは全然「自分だけの絵」ではなく、
むしろ特定の人たちが楽しむことのできる、
いわば「私たちの絵」なのではないかと。

投稿終了画面の絵って、ライトノベルでたまにある、
あとがきのあとに載っている絵に似ていると思うんです。
その本を読んだ人がうれしくなるような絵。
レビュアー騎士団の投稿終了画面もきっと同じだなって。
レビュアー騎士団を知っている人がうれしくなる絵が、
毎回出てくるわけで。
読者である「私たち」だけに向けられた絵。

そして、「私たちだけの絵」としても、
tugenekoさんの絵は良いと、私は思います。
先ほど似ていると言ったライトノベルのあとがきにも、
大きくわけると二つパターンがありまして、
一つはただかわいい女の子が描いてあるパターン。
もうひとつは読んだ人がうれしくなる絵が描いてあるパターン。

一つ目を全否定するわけではありませんが、
二つ目だとやっぱり、余計にうれしいんですよね。
読み終わった人がいろいろと想像できたり、クスっとできたり、
それこそ、投稿終了画面と同じなわけで。
秋verの本をはむはむしてしまっている姫もかわいいけれど、
今回みたいな絵の方が、私は好きですね。
かわいいだけじゃない、「私たちだけの絵」なので。

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2012.04.02

銅

星海社ラジオ騎士団:開け!心の扉!!

こういうラジオが好きなので

レビュアー:yagi_pon Novice

ラジオがずっと好きでした。もちろん今も好きです。今でも一番好きな番組は「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」です。この番組は、2008年に惜しまれつつも終わってしまいましたが、先日このラジオの話題を久しぶりに目にしました。くりぃむしちゅーの有田さんと、このラジオの大ファンでゲストに来たこともあるASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル後藤さんが、後藤さんの著書『ゴッチ語録 A to Z』の巻末で対談でのことです。その中で、ラジオのおもしろさは結局「内輪」なのだと、有田さんは言っています。彼が言うとおり、「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」は内輪ネタのオンパレードでした。スペシャルウィークというラジオ聴取率期間内での放送にて、ひたすら高校時代の友達にどういう人がいたのか、ひたすら話しているだけということもありました。ラジオに対する思いは人それぞれだとは思いますが、私は、ラジオだから聴くことのできる「内輪」な部分が非常に好きです。
さて、本題に入りましょう。星海社ラジオ騎士団の話です。この番組一つで話をするのは難しいので、比較対象を持ってきて話をしたいと思います。また少し話が逸れるのですが、この星海社ラジオ騎士団が配信されている響というサイトには、以前に訪れたことがありました。それは偶然にも内容の近いものだったので、今回はそれを比較対象にしたいと思います。その番組は「沢城みゆきと12の夜」というもので、CD化もされたWebラジオの中ではなかなかのヒット番組だと思います。この番組は、声優・沢城みゆきさんと交流のあるプロフェッショナルなゲストを毎回招いて話をする番組です。毎回ゲストを呼ぶという形式も似ているため、比較はしやすいと思います。この番組で私が特に好きな回は、脚本家の岡田麿里さんがゲストに来た回です。”私は岡田さんのことを「まりりん」と呼ぶのに、岡田さんは私のことを「沢城」と呼ぶ。混沌としてる。そんな風に呼ぶ女性は事務所の社長とあなただけだ!”という二人の会話や、”あだ名はあまりつけられないけれど、小学校の頃は背が高かったので「ゴーレム」と呼ばれていた。目の前でたて笛を吹かれて眠れと言われた”という岡田さんの話などなど、すごくパーソナルな話が笑えておもしろい。もちろんそうした仲好しとしての話だけではなく、プロフェッショナルな話もある。”脚本家として作品に参加するときと、シリーズ構成として作品に参加するときの違いは?”などと言ったリスナーからの質問をぶつけたりもする。私が個人的に、星海社ラジオ騎士団の特にゲストコーナーでがんばってほしいなと思うところは、上記でいうところのパーソナルな話の部分です。パーソナルが現状は話がないわけではありません。開け!心の扉!!というコーナーではゲストへの質問でパーソナルな話をしていると思います。ではなにが足りないのかといえば、その人とだからできるパーソナルな話だと、私は思うのです。先ほど出てきた二人はどう呼び合っているのかという話に象徴されるような、この二人ではなかったら確実にしないであろうな、という話。例えば、パーソナリティの一人である平林さんは星海社で編集として働いているわけだから、じかに担当した人が来ることもあるわけで、「雑誌のインタビューで聞いても同じことが返ってくるんじゃないの?」と思う以上のおもを引き出せると思います。また、もう一人のパーソナリティであるさやわかさんも、団長として星海社レビュアー騎士団をやっているわけだから、「こういうレビュー来てますけどどうですか?」なんて聞いてみてもいいと思うのです。「実はこの本、全部iPadで執筆しました」くらいの驚きが提供されてほしいと思います。レビュアー騎士団でも、金をもらったレビューは大概、すごくパーソナルな話が絡んでいるじゃないですか? その人だから書ける話というのがおもしろいので、星海社ラジオ騎士団でもぜひ、星海社ラジオ騎士団でしか聞けないような内輪な話を期待したいなと、個人的には思ってします。

最前線で『星海社ラジオ騎士団』を聴く

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2012.04.02

銅

『ならないリプライ』他

これはフィクションだけど

レビュアー:yagi_pon Novice

まずは、『ならないリプライ』の話を。

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 それともただ単に、Nちゃんの殺され方がフィクションじみているからリアリティが湧かないだけだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~『ならないリプライ』69段落より引用~

物語の中では上記の引用のように、”フィクションじみている殺され方”、そして”漫画みたいな死に方”と、二度にわたって同じような表現が出てくる。物語の中の登場人物は、それこそフィクションの中でしか考えられないような殺され方をする。たしかに、そう言いたくなる気持ちはわかる。ただ、私は同時に違和感も持った。なぜなら、そのような殺され方を私は知っていたからだ。それも、現実の世界で起きた出来事として。
ショッキングな事件だったこともあり、一定の割合の人は知っているだろう。そうした事件をモチーフとして書かれた物語の中で著者は、「これはフィクションだから」とでも言いたげな表現を繰り返す。そうすることでむしろ、「これはフィクションだけど」と主張しているように。「これはフィクションだけど」、現実にはこうしたひどい事件が起こるのだとでも言うように。


思えば私はずっと気になっていたのだ。デビュー作『ブレイク君コア』のあとがきを読んでから。彼があとがきで、あえて分かりやすくは書かないといったことを知りたくて。そしてそれは、”生きている僕は小説を書く”といった彼の小説の中にヒントがあることを信じて。

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 小説を書いた。デビューした。改稿中、東日本大震災が起こった。元から地震の多い地域だし、大した被害はないだろうと高を括っていた。しかし、それは間違いだった。テレビの中の光景はとんでもないことになっていた。たくさんの人が死んだ。実感が湧かなかった。改稿が終わってから帰省した。生きている人はピンピンしていたけれど、景色は滅茶苦茶になっていた。道路の脇に壁のように積まれた瓦礫、そこら中でひしゃげている車、土砂に埋もれた海水浴場。
 友人と港を訪れた。なにをするでもなく話をした。別に地震の話じゃなくて、普通の二十一歳然とした話。ふいに友人が言った。この港でもたくさんの人が死んだ。そういった内容のことを言った。コンクリートの港に打ち上げられた死体を想像した。自分の足元を見た。なにがあるわけでもないけれど、僕は自分の足元を見た。
 そうだ。僕はいつのまにか気づいている。このあとがきでなにを書きたいのか、書きたかったのか、既に僕は気づいている。しかし、あえて分かりやすくは書かない。いや、わかりやすくは書けない。なんというか、噛み砕いたとたんに薄っぺらくて陳腐なものになってしまうのだ。読み取ってくれなんて言わない。ただあなたが読んだように僕は思っている。
 そんな感じであとがきに代えさせていただく。
 生きている僕は小説を書く。
~~~~~~~~~~~~~~~『ブレイク君コア』p303より引用~

『ブレイク君コア』のあとがきの後半部分はこのようになっている。最前線のみで読んだ人がいれば、ぜひとも読んでもらいたい。

これを踏まえたうえで、話を広げていこう。


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 僕が好きになったのは、現実に中指を立ててフィクションじみたノンフィクションを求める浮世離れした墓無美月なのだ。
~~~~~~~~~~~~『夜跳ぶジャンクガール』p239より引用~

これは二作目である『夜跳ぶジャンクガール』からの引用だ。物語の中で主人公は、ヒロインのことをこのように説明しているのだが、また、”フィクションじみた”、である。『ブレイク君コア』でも、同じような”漫画みたいな”、という表現が出てくる。言い訳のように、まるで自虐するように、彼は物語の中でそうした表現を繰り返す。フィクションの中でフィクションじみたことをしていると、わざわざ表現する。そうすることでむしろ、「これはフィクションだけど」と主張しているように。「これはフィクションだけど」、現実にはこうしたひどい事件が起こるのだとでも言うように。

「これはフィクションだけど」、『ならないリプライ』のように殺されてしまった人は実際にいる。「これはフィクションだけど」、『夜跳ぶジャンクガール』のように自殺中継をして死んでしまった人は実際にいる。
”フィクションじみた”殺され方が実際に起きてしまうように、人はときにフィクションよりもひどい死に方をしてしまうことだってある。そんなことを言葉にしてしまっては彼のいうように陳腐になってしまうけれど。また逆に、フィクションのようにあっけなく死んでしまうこともある。それこそ、津波に飲み込まれてしまった人たちのように。そのように言ってしまっては余計に陳腐になってしまうけれども。

「これはフィクションだけど」の先を口すれば、それは陳腐なものになってしまう。著者がそこまで答えを用意してしまえば、それこそ薄っぺらいものにしかならない。私一人が考えても結局、陳腐で薄っぺらいものにしかならない。それでも、一人一人が考えれば、それは薄っぺらくなんかはない。
彼はきっと、あとがきでだって伝えたいことはわかりやすく書かないだろうし、物語の中でにもわかりやすくは書かないだろう。読んだ人が答えを出すことはできても、正解はない。もしかしたら変わることだってあるかもしれないけれど、私の中での答えはひとまずこのレビューに書いたとおりだ。
物語は彼が作ってくれる。きっとフィクションじみた物語だ。たぶん、人が死ぬ。そして私はこれからも考える。「これはフィクションだけど」のその先を。

最前線で『ブレイク君コア』を読む

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2012.04.02

銅

『マージナル・オペレーション』

デザートのそのあとに

レビュアー:yagi_pon Novice

読んだ後見返してみて、これはこういうことか!と思わず納得してしまうようなイラストが表紙だったりすると、すごくうれしかったりする。そんな経験がたまにある。

あーもうすっごい話したいけれど、読んでない人の楽しみをとってしまうのは忍びないので、できる限り抑えめに言うと、この本の表紙に描かれている羽根。白い小さな羽根と、黒い大きな羽根。それにちゃんと意味があるんだよねーこれが。正直初見では全然目がいかなかったけれども、よーく見てみると二つの羽根が重なるところにスポットライトが当たってるみたいになってるし!(とは言っても物語のカギになってるとかそういうことではないからね笑)なんていうか、食事してデザートまで食べたのに「えっ?なに?サービスで持ち帰りのおみあげもらえるの?ラッキー」ってくらい。食事がおいしいのはもちろんうれしいけど、サービスでそんなことしてくれたらやっぱりうれしいでしょ。ちっちゃいことかもしれないけれど、やっぱりうれしいと思うんですよ私。だからさ、きっちり本編の食事を味わって、あとがきのデザートも食べたあとにでも、味わってみてください。

最前線で『マージナル・オペレーション』を読む

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2012.03.09


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