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レビュアー「matareyo」のレビュー

銅

月のかわいい一側面

私も飛べるよ!

レビュアー:matareyo

「ぼくの予想が正しければ、十五夜の下でイザヤはぼくのものになる」

おおぅいきなり何様なんだい君は、とそんな出だしで始まる『月のかわいい一側面』。犬村小六・著、片山若子・イラストのこの作品は星海社web・「最前線」にて「カレンダー小説」という企画の第二弾として2011年9月12日(中秋の名月!)~18日に期間限定で掲載された。

類まれなる美貌のイザヤという女の子のことが大好きな「ぼく」は彼女に秘められた真実に迫ろうと16万円もする小型カメラで盗撮を始める……おいなんだこいつは!っていうお話し。ストーカーのお話し。……もちろんそれだけってわけじゃないのだけど。とにもかくにもこの男の愛は深いのです。どん引きするくらい。それは実際読んでいただくとして(掲載終了してもいつかまた読める日もありましょう!)。

さてさて。小型カメラなんか出てくることからもわかるようにでこれは現代が舞台。mixi、twitter、ユニクロ、H&M、原宿、マクドナルドなんて言葉もちらほら。そして作中にわぁ現代だと思ったところがあったんですね。

ウィキペディアが出てきた!

いやその言葉が出てきただけじゃ別になんてことないんだけれどね。
リンクが貼ってあったのです。
作中に。物語が終わった後に載ってる参考文献とかじゃないよ。作中なんだよ。
これは「ぼく」がイザヤに、「昔々のある愛の物語」(これ重要なんで明言できない!)について説明しようとしたとき、現代文明の利器たるiPhoneを使ってウィキペディアのそのページを見せた場面。クリックするとそのページに飛べる。イザヤは読む。私も読む。おぉ、なんだかイザヤになった気分。というかついついガッツリ読んじゃっててちょっと作品のこと忘れてたね。ウィキペディアはこれだからままならないよ!

それにしてもこれ、面白いねぇ。紙の本だとできない。電子媒体だからこそできる表現の仕方。
あぁ、つながってるんだ。そんなふうに思った。リンクへ飛べるってだけじゃないよ。「ぼく」とイザヤと読者が同じ時間を生きているんだなぁという。しかもこれはカレンダー小説。今回は中秋の名月がキーワード。私は9月12日にこの作品を読んだ。
「ぼく」もイザヤも読者の私も、そして物語を届ける媒体も今という時間でつながっている。リンクっていう小さなところだけれども、更新され変化する時代の先っちょを走っているようで楽しいね。

ただ、どんなに時代や環境変わっても、惚れた腫れたで追いかけたり逃げまわったり、恋だの愛だのっていうのは人間にとって変わらないテーマのよう。「ぼく」がiPhoneで見せた「昔々のある愛の物語」のように。「ぼく」がイザヤを愛し続けるように。新しくて、変わらない物語。これはそんな作品なんじゃないかな。どうしたって変わらないんだ。とてもかわいいことだなぁと思う。

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2011.09.30

銀

星の海にむけての夜想曲

それでも、星を見上げる

レビュアー:matareyo

幼い頃、私にとって星は希望の象徴だった。そこに輝いている。じっと目を凝らしてみても正体のつかめない、未知の何か。そこで図鑑を見てみる。壮大な宇宙が広がっていた。それでもわからないことはたくさんあるらしい。図鑑には私が大人になった未来のことも描かれていた。未来の私たちはスペースプレーンや軌道エレベーターで宇宙に飛び出し、月に基地を造り、更にその先へと進み続け、未知を解明していた。星を目指す未来は輝いていた。無邪気に夢見ていた。大人になってしまった今、未来はそんなに単純なものじゃあないんだっていうのは、わかっているんだよ。

2011年7月7日~14日の期間限定で星海社Web「最前線」に掲載された佐藤友哉「星の海にむけての夜想曲」は宇宙へ飛び出すどころか、天災によって星も空も見えなくなってしまった、今からさほど遠くない未来の物語。「花粉病」なる奇病が発生し、子供たちが未来に絶望している未来。七夕の日、軍によって外出を禁じられているこの日、ある学校で先生と生徒が出会う。「星なんて見えるわけがない」と言う天文部の顧問。対して「見えます」と固く信じる天文部員の少女。絶望的な世界で、それでも星という希望を追いかける。そんなお話し。

この作品、実は設定がありえない。星空の見えなくなった原因の天災というのがこれまた荒唐無稽なんだよ。近未来の地球を舞台にしているけどかなりファンタジー。そんなこと起こるわけないだろう!
――って、思ったはず。2011年3月11日を経験する前だったなら。これはあの震災を経て書かれた作品。震災を経て、その先にある未来を描いた作品。この作品を今読んだからにはそこに触れなければならない。なぜかっていうと私が明らかに震災以後を意識して読んでしまったから。その時思ったことを隠して何かを言うと嘘になってしまうような気がする。

作品自体はこの現実と地続きの「リアル」な未来を描いているわけではないんだよ。でも読んでいるとそれをまざまざと見せつけられる。天災。花粉病。子供たち。他にも、他にも。そういうキーワードが重なってしまう。今騒がれている様々な事実に。あるいは想像に。この作品を読んで、その世界が「ありうる未来」と思うほど現在の現実を反映していた。
今、この作品を読む人はどのような気持ちになるんだろう(これを書いている2011年8月26日現在では掲載終了のため読むことができないのが残念)。私は今年2011年の3月まで学生だった。そして4月に社会人となった。震災ににまつわる事態に対して自分の立ち位置に困惑気味なんだ。年齢の上では大人とはいえ、学生ならばまだ「無責任なオトナたち」に無邪気に反抗できた。どんな夢を語ったってお構いなし。でも社会人になった途端、そんな無邪気なことはできなくなったのね。責任ある大人として自分たちの下の世代のことだって考えなければならない。自分の中の「常識」がそう思わせてしまう。でも学生が社会人に身分を変えたって、劇的に自分の中身が変わるわけじゃあないでしょ。社会ではまだまだひよっこ。でも責任がうんたらかんたら。無闇に希望を語ればそれだって無責任なんだよ。現実を見ろって。私はどこに想いを置けばいいのだろう。情けないでしょう、いい大人が。でもそうなんだよ。

今思えばこの作品を読んだ時、私は先生に自分を重ねていたように思う。若い教師。でも子供の頃みたいにやたらめったら純粋に無闇に希望を追いかけたりはしない。そういう大人。自分もなってしまったんだなぁって少し寂しく思いながら。だけど更に追い打ちをかける場面がある。少女が先生に質問する。

「先生は、織姫と彦星との距離をごぞんじですか」
「…十四・四光年。メートル換算で、百三十六兆二千二百四十億メートル」

答えたよ、先生……。っていうかメートル換算まで聞いてないよ!
と心のなかでつっこみながら私は先生がとても愛おしくなった。だって知ってるじゃん! 「見えるわけがない」とか言いながら、覚えてるじゃん! 希望を捨てられないじゃん!
先生だって子供の頃があった。希望を追いかけたことがあった。少女と同じだ。先生になったからってあの時と断然しているわけがない。ずっと地続きの自分なんだ。
そして少女はもっと強かった。

フィクションがイコール「嘘」ではないと思う。物語は単なる夢物語ではないと思う。それに触れて心を揺り動かされる私がいるから。いつ描かれたか。いつ読んだか。そこから離れれば現実がある。ありのままに語れば笑われてしまうことも、フィクションだからこそ力を持って伝えられることもあると思う。こうやって現実に迷っておどおどとしている私だけれども、そんな迷いを絶ち切ってくれることだってある。

僕はそれでも希望を忘れることができないんだ。

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2011.09.08

銅

最前線セレクションズ 心に「名言」を刻んだ作品(唐辺葉介2011.07.30)

「読ませてくれる」って嬉しいですね

レビュアー:matareyo

何を当たり前なことを、と思われるかもしれませんが、小説家やシナリオライターは文章でご飯を食べているわけなんですよね。

『最前線』のコンテンツに「最前線セレクションズ」というコーナーがあります。作家やイラストレーターなどのセレクターがAmazone.co.jpで手に入れられるアイテムを週替わりのテーマに沿って選び、コメントをするというもの。
2011.07.30付のセレクションズ、この週のテーマは「心に『名言』を刻んだ作品」。ゲストセレクターは唐辺葉介氏。彼がこの依頼を引き受けた理由。「つまり、僕はお金が欲しいのです。つまり、これは新刊『ドッペルゲンガーの恋人』の宣伝なのです」ということだそうです。言った……!
しかしながらこの宣伝(!)、なかなか見せてくれます。

内容をかいつまんでみますと、
「僕」と酒に酔うといつも将来の夢を語る友人、そして「昆虫図鑑」・「まむしドリンク」・「ナイキのスニーカー」・「ダニー・ボイル監督『トレインスポッティング』」といういささか奇妙な取り合わせのアイテムを巡る四編のエピソード。「僕」はそこで「名言」に出会う。

わかりましたでしょうか? わからない。ごもっともです。400字詰め原稿用紙3枚にも満たない短いお話し。だから多くは語れぬのです。むしろ実際読んだほうが早いよ! で、私は読み入ってしまったのですよ……。このセレクションズ、コメントが只者ではなかった。コメントというか、作品? そう作品! 四編あわせて「ひとつの作品」だったのです。ちょいとヘンテコな友人がふわりと素敵。
ここで私は唸りました。彼は唐辺葉介という作家をしっかり宣伝していったのです。筆をもって。
この人は作家です。今当たり前のことを言いました。
そんなわけで私は唐辺葉介に興味もっちゃったわけですね。つまり、どんな作品を書くのでしょう。つまり、『ドッペルゲンガーの恋人』はどんな作品になるのでしょう。そういうことです。
してやられた。

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2011.08.17

銅

ブレイク君コア

君がこの本を目にしちゃった、

レビュアー:matareyo

今。現在。この瞬間。君は何を想い、何を感じてる?
『ブレイク君コア』は「今この瞬間」を駆け抜ける。
恋に落ちた少年。その矢先の人格交代劇。
少年が恋をしたのは誰? 何?
確かなはずの「今」の想い。それはすぐさま過去に流れ去る。更新され続ける『今』。解体された人格、感情。本物はどこか。少年は青すぎるほどに問い続ける。バラバラにされても、むき出しでも、ツギハギでも、その先に生み出された答えがある。
今。現在。この瞬間。君は何を想い、何を感じてる?
そしてこの本を手に取り、駆け抜けた未来、その瞬間――

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2011.08.04


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