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読者レビュー

銅

「サエズリ図書館のワルツさん2」

【生と未来と永遠と】

レビュアー:jakigan bla Novice

「もう一度探し出したぞ。何を? 永遠を。/ それは、太陽と番(つが)った海だ。」『永遠』(ランボー作/堀口大學訳)
 本は歴史的、貨幣的価値が高いから尊重されるのか?そうではない。本は生きている。数多の情報を、知識を、物語を、そして感動を内包しつつ息づいている。いや、本は「生」そのものであるからこそ尊重され、愛されるのだろう。しかし、本は時代を越えて継承されていく内、疲れて病気にもなれば怪我もするし、放っておけばやがて朽ちて死んでしまう。本が人の手と指とによって紡ぎ出された以上、生き永らえさせるのもまた人であり、その技術を持つ専門家のことを「図書修復家」と呼ぶ。
 サエズリ図書館でボランティアをしながら、図書修復家を目指す若い女性、「千鳥さん」は、当代随一の老図書修復家、「降旗先生」に、何度も弟子入りを志願するが、彼はその申し出を「本には未来がない」から「本には延命する価値がない」、だから「わたしの仕事にも価値がないのだ」、と拒絶し続ける。しかし、千鳥さんは思う。「終わる世界に、本が残るかもしれない」、と。だから「命のかぎり、本を直せば。誰かがそのあとを、つないでくれるかもしれない」、と。奇しくも「生きることは働くこと。そして、技術が残れば、生きた証が残るだろう。」という、かつて若き日の降旗先生の言葉通りに。
 ところが弟子入りも叶わないまま、降旗先生は「生」とは正反対の状況に直面し、右手に後遺症が残る事態に陥る。天賦の才能故に、図書修復家の呪縛から逃れ得なかった彼は、千鳥さんに自分が選択できる輝かしい「未来」を見つけなさい、と勧める。しかし千鳥さんは、先生の右腕となることを選ぶ。本という「生」を手助けすることによって、また自らの「生」の意味を問い、「未来」へ進もうと決意する。「生」は確かに有限なのかもしれないが、その弛まない継続と積み重ねとが「未来」へと繋がって行く。そしてその「未来」を繰返し紡ぐことが、いつしか「永遠」へと繋がって行くことを信じて。そして千鳥さんの決意を知った降旗先生もまた、彼女の手を借り、ピリオドと呼ばれる数多の「生」を奪った人類史上最大の人災後の時代に、一度は諦めかけた、図書修復家としての「生」を取り戻し、「未来」へと繋げようと決意する。その二人を支え、貫くものは「愛」。これもまた「生」の、「未来」の、「永遠」の一つの形である。
 そう、「サエズリ図書館のワルツさん2」は、本という「生」を介して巡り会った一人の若い女性と、一人の年老いた男性とが、各々の、そしてお互いの「生」を、「未来」を、「永遠」を探し続けようとする物語なのである。(了)

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2014.06.18

銅

大坂将星伝 <下>

知ることができて

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 下巻では、関ヶ原の戦いに敗れ、家来や小倉10万石を失ってしまった毛利勝永が、再び歴史の表舞台に躍り出る過程が描かれる。
 土佐に捕えられ、隠居生活を送る中、勝永の武将としての感性は次第に衰えてゆく。次男が生まれたものの、妻のおあんは体調を崩して亡くなってしまい、父・吉成も痴呆の末亡くなる。
 囲碁や、将棋、釣りや、茶道に明け暮れる姿は、ほとんど民と変わらない。しかし、15年の時を経て、大坂夏の陣に参戦する段になると、示し合わせたかのように信頼のおける家来や、武将たちが集まっていく様子を見ると、懐かしさと心強さが込み上げてくる。

 豊臣秀吉の子である秀頼に、もしもの時は毛利豊前を頼るよう石田三成に言われていた、と告げられる場面は勝永がこれまで培ってきた力を存分に発揮するスイッチのようで心地よい。
 秀吉、三成、秀頼、時代が流れても、主に頼られることは何物にも代えがたい嬉しさだったろう。

 最後まで読み終わってから、上巻の冒頭を読み返した。
 そこには、下巻のクライマックスにあたる場面が描かれている。下巻でも文章を変えて出てくるかと思っていたが、上巻でしか描かれない。
 著者が最も描きたかったのはこの序章ではないだろうか?
 そこには、大坂夏の陣が何のための戦であるのかを悟り、落ち着いた勝永と緊張を隠せない息子・勝家の姿がある。
 息子の緊張を解きほぐそうと勝永は「我が軍は実に大きい」や「戦では強いだけではいかん、柔らかくないと」と自信を持たせるような言葉を投げかけるが、息子はその全てを理解できない。
 彼が父の言葉を理解するには、上・中・下巻と私が読み、勝永が得てきた経験が必要なのだ。
 戦場を美しい地獄で、「新しい国生みの舞い」だとさえ感じてしまう彼の息子への言葉は、現代に生きる我々に向けたエールのようにも感じる。

 勝永の夏の陣における選択には賛否が分かれることだろう。彼は、徳川家康を追い詰めながら「生かす」決断をする。
 「小にして厚き国を造ってみせるがいい。しかし、それがこの天下にふさわしくないと我が志が断ずれば、その時はあなたかその子孫の首を頂戴に参ります」
 戦の勝敗が決まった後で、家康は
「小なるところに厚きものは生まれぬよ」
 とつぶやく。
 江戸時代が300年続いたことを考えると「小にして厚き国」という彼等の選択はこの地点においては正しかったと言えるのではないだろうか。
 
 死んでから400年後も、本意を貫く強い心と優しさを兼ね備えた人物であった、と語り継がれる武将を知ることができてとても嬉しく思う。

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2014.06.18

銀

レッドドラゴン

ヤラセだとしても

レビュアー:ジョッキ生 Knight

2年以上にわたる更新が、ついに終わってしまった。

レッドドラゴンとは、豪華作家人・イラストレーターが競演したTRPGを連載したものだ。TRPGとは、例えるなら、ドラクエみたいなRPGを即興劇で演じたようなもの。ただし、途中の行動、選択肢はサイコロの目によって決定されるという、多分に偶然性を含んだアナログなゲームになっている。それゆえに、思いもしない方向に話が転がったりして面白く、先の見えない展開が光るゲームだ。

この偶然性の積み重ねが奇跡を起こし、無事結末へと至ったわけだが。終わってみて思うのは、ちょっと出来すぎじゃね?ってことだ。つまり、ヤラセの可能性を疑う自分がいる。すべては台本通り、打ち合わせに則って行われ、失敗してしまった所はカットされて、再プレイされていたなんてことがあってもおかしくはない。なぜなら、読んでいる僕らには結果だけが知らされるし、オープンな場でこれらが行われたことはないからだ。だから、ケチを付けようと思えばいくらでもできる。

でも、僕はあえてしない。なぜなら、この物語は面白かったからだ。ヤラセかどうかなんて気にしなくなるほどに面白かった。ただそれに尽きる。

ヤラセに憤慨する人の気持ちを考えた時、信じていたのに騙された的な、リアリティを追求した結果起こる齟齬が原因な気がする。そりゃあメディアに属するものは基本娯楽だし、特にバラエティとして放送してるものに真実もへったくれもねえだろとは思うんだけど、そう思わない人もいるんだろう。だから、このレッドドラゴンもきっとヤラセじゃねーのと追及し、実際にヤラセだった場合、憤慨する人も出てくるのかな?とは思う。

でもね、個人的にはどっちでもいいと思ってる。前にも言ったが面白かったからそれでいいやって思ってる。それは僕の中の大きく占める概念として面白ければ許すというものがあるからだ。それは人生を楽しく生きるためのルールにしているんだが、笑わせたもの勝ちだなって思ってる。人を笑わせるって結構難しい。だから、僕はそれが出来る人に最大級の賛辞を送りたい。それゆえに辿り着いたのが面白ければ許す、この概念だ。

創作物なんて大抵フィクションだよ。楽しめればいいんです。特にそれ以上のことを求めるのはちょっと酷ではないかい?だからそこは童心に戻った気持ちで楽しもうじゃないか。不毛な探りあいなんてやめて、ただ楽しもうよ。このレッドドラゴンというコンテンツは、それに足る娯楽であると僕は思っている。

レッドドラゴンで紡がれた物語。それは最初から最後まで出来すぎた物語だった。対立関係にあったローとスアローの結末や、忌ブキが王になったこと等、偶然を重ね合わせたら必然に落ち着いたという、なんとも現実的なお話だった。そこに僕はなるようにしかならないという人生訓みたいなものを見いだしたが、どうだろうか。この物語を偶然が生んだのなら奇跡を、必然が生んだのなら喝采を。どちらにせよ、僕はこの物語に最大級の賛辞を送りたい。

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2014.06.18

銅

「大日本サムライガール5」

一見さんお断り、だよ?だよだよ?

レビュアー:オペラに吠えろ。 Lord

 断言してしまおう。
「大日本サムライガール5」は一見さんお断りの一冊だ。

 * * *

 これは小説に限ったことではなく、シリーズ物の宿命として、長くなればなるほど新規に読者を開拓しにくくなる傾向がある。本書のように1巻からストーリーが連続している作品は尚更だろう。だが、本シリーズが巧みだったのは、4巻までは毎巻、新キャラクターのアイドルが登場していたことだ。

 前巻を読んでいる人も読んでいない人も、新キャラクターについては「何も知らない」。そして新キャラクターを中心に話が進んでいたので、シリーズに対する知識がなくても楽しむことができた。しかし、5巻からは明らかにストーリーの方向性が変わる。未読の人のために詳細は省くが、メイン格の新キャラクターは登場せず、すでにわたしたちが知っている某キャラクターに大きな変化が訪れるのだ。

 これまでが「広く浅いストーリー」だとしたら、ここからは「狭く深いストーリー」になるといってもいい。言ってしまえば、前巻までで役者がそろい、この巻からは新章が始まった。一見さんお断りといったものの、それは裏を返せば、一見さんではない人=シリーズのファンならばこれまで以上に楽しめるということ。これまでの4巻にわたって張られていた伏線の一部が回収されるあたりは、その真骨頂。これまでは脇役でしかなかった某キャラクターの一面が掘り下げられ、そのことで彼女が一層魅力的に写るのは、実に見事といえるだろう。

 現時点で7冊が出ているシリーズを今、一から読むというのは大変だと思う人も多いだろう。そのことは否定しない。それでも、4巻までは一見さんにも優しい作りになっていることは既述の通り。だから未読の方には、試しに1冊読んでみることを薦めたい。

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2014.06.18


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