ここから本文です。

レビュアー「さかもと」のレビュー

銅

Fate/zero

じゃぁどうなのよ

レビュアー:さかもと

前回のレビューで、魔弾がどうの、王の器がどうのと語った私だが、なぜあんな文を送ったのか。

それはただ、多くの人にこの作品を知って欲しいからである。
作品を読まないと分からないような単語を羅列し、
「こいつのレビューに書かれてるこれってなんだろう?」
「なんか引きこまれそうな話だな」
「魔法とかって俺の好みかも!」
そんな好奇心や疑問を抱いて欲しかったから。

そして興味を持ってくれた人もいれば、そうでない人もいるだろう。
「これもよくあるバトルものでしょう?」
「どんな話かいまいち掴めないんだけど」
そう思った人たちが。
私は願う。
今回はそんな方達のほんのひとにぎりでもいい、興味を示していただけることを。

――私の思いと矛盾してしまうが、この話は人を選ぶ。
明るいドタバタ学園ラブコメディが大好き、あるいはそういったようなジャンルしか読まないような人にはお薦めしない。

ラブコメディに飽きてきた人、血が湧き立つような刺激が欲しい人。
そんな人の前に私はこれを差し出す。

一冊イッとく? と。
まるでイケナイ薬の売人のように。

地雷や銃器と魔術が合わさったノベルを見たことがあるだろうか。

特異な状況に立たされた人間たちの心理をまるでその場にいるかのような緊迫感で描写したノベルが存在し得たのだろうか。

単に肉弾戦を描いただけでない、心理戦、そして善と悪、何かを救い、求める人間の心と何もかもを破壊し、犯してやろうとする人間の残虐さ。

確かにこれを大雑把に説明してしまえば。
聖杯という何でも願いが叶う道具を求めて七人の魔術師と七人の使い魔が戦う話、だ。

――しかしこれはただのバトルアクションものでは無い。
私も感じ取れていない何かがある。
何を感じるのかは人それぞれなのだが。

どうでしょう、興味を持っていだだけましたか?

本屋の前のあなた、モニターの前のあなたも。
ハードボイルドな虚淵玄氏の世界観、『ウロブチズム』を是非是非肌で、心で感じて、私にも分からない『何か』を悟って。


そして、この作品を愛していただきたい。

「 じゃぁどうなのよ」の続きを読む

2011.04.15

銅

Fate/zero(3)

戦いの始まり

レビュアー:さかもと

挨拶もなく、いきなりレビューを始めさせて頂く。

Fate/zero(3) 王たちの狂宴(以下本書)を
発売日当日に買い求めに本屋へ向かった私だが、どこの本屋でも売り切れなのである。
「あれ、発売日間違えたか?」と日付を確認しても、間違いなく3月10日。
結果、11日に目立たないところにある本屋で本書を手に入れた。

これはすなわち、本書が人気であると言う事を如実に知らしめているのではなかろうか。
表紙を飾る武内崇氏の美麗なイラスト、そして虚淵玄氏が綴る英霊の熱き闘い。
その全てが我々を魅了していることを。

――まさに最前線、まさに魔弾。
紙がコンテンダー、文字の一つ一つが魔弾。
紡ぎだされる文字の一つ一つが我々の内に眠る熱き引き金を引く。
同時に弾丸となりて、我々の心を打ち抜かん。
断言しよう。
私は本書に撃ちぬかれた。
なんというか、ズキュンとやられたのである。

王たちの狂宴。
このタイトルこそ相応しい。
彼らは己の誇りを問い、強さを敵に問う。
刃と刃が競演し、魔術師は敵を討たんと己が魔力と知恵を使い魔術の宴を行う。
切嗣は心を機械とし、セイバーは騎士道を貫く。
舞弥とアイリスフィールは愛した男のために。
闘いの中に起こる葛藤や恋慕、全てが見逃せない。
最初から最後までクライマックスなのだ。

王たちは強さと誇りを胸に誓い、女たちは愛と強さを胸に抱く。
惨劇の伯爵は狂いの宴を初め、山の翁は一部始終を見守る。

そして読み手たちは息を飲む。
人の域を超えた闘いと、書き綴られる言葉の魔弾に。

英霊よ、読み手よ。
いざ往かん。
始まりの、その先へ。
大いなる王の器へと。

「 戦いの始まり」の続きを読む

2011.03.22


本文はここまでです。