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レビュアー「横浜県」のレビュー

銅

「10年後の自分」を考える技術

その「意識」には内実が伴っているか?

レビュアー:横浜県 Adept

 あなたは「意識高い系」って聞いたことあります? 勉学や就職活動において、自分の経験や能力などを過剰にアピールしたり、そのために色んな活動を行ったりしている人たち、主に大学生のことです。彼らの行動力は称賛に値しますが、その原動力はどこにあるのでしょうか。本書の冒頭において、著者の西村行功が読者にこう呼びかけます。
「日々の生活には特に大きな不満はないものの、『このままで良いのだろうか?』と、ときおり不安になるあなた」
 この不安こそ、「意識高い系」を常に脅かしつづけているところのものであり、「昨日までと同じ今日」からの脱却・変革を計るため、いま何かをしなければならないと彼らを突き動かしつづけている衝動の大本だと言えるでしょう。また著者はこう続けます。
「夢や目標を漠然と持ちつつも、どうやってそれを実現していいのかわからないあなた」
 つまり彼らは、その不安ゆえに自分がいま何をすべきなのか分からないで困っているのです。そうして彼らの言動は空回り、「意識高い系」として揶揄されるまでに至るのではないでしょうか。
 その救いとなるのが本書です。「意識」を高める方法が記された自己啓発本の類とは異なり、筆者が「思考法と行動技術」と呼ぶところのメソッドが詳解されています。つまり高めた「意識」をどのようにして形にするのか、その方法を教えてくれるのです。
 いま何をすべきかを考えるためには、まず未来について考えてみる。ここで重要なのは、ただ目標や将来像を描くということではなく、「起こりうる複数の未来」について想定し、そのための手を事前に打っておくということです。著者によって紹介されるシナリオ・プランニングは、決して夢想や精神論に終わるものではありません。むしろ「起こりうる」という可能性、そしてそれと地続きの「現在」に、あくまで真摯に、ストイックに向き合います。つまり漠然とした未来像や、何をすべきなのか曖昧な現在の自分に、明確な型を嵌めていくということ。さらにそれは「起こりうる」かつ「複数」の型であり、計画性のないただの夢とは大きく異なっているのです。
 このままの人生でよいのだろうか。そんな不安を抱いたとき、ただ漠然と身体を動かしているだけでは、「意識高い系」だと後ろ指をさされてしまいます。そのせっかく高まった「意識」に、ぜひ具体性を伴わせてみましょう。そうした「10年後の自分」を考える技術に基づいた行動力こそ、本書が説く「自分が望む人生を自分の力で手に入れるための手法」なのです。

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2014.01.29

銅

三国志

星海社ある限り、新しい文学体験は続く

レビュアー:横浜県 Adept

 星海社は、文学の新しいカタチというものを、僕たちに示そうとしている。そのうえで大きな役割を果たすのが、8月刊行予定の吉川英治『三国志』だ。吉川英治といえば言わずと知れた時代小説家であり、『三国志』は代表作の一つであるとされる。また没後50年が経過し、その著作権が切れたことでも注目を浴びており、既に新潮文庫からは新装版が刊行されている。
 そこで疑問が生まれないだろうか。星海社は本来エンターテインメント小説を中心に出版している会社だ。国民文学作家とも呼ばれる吉川英治の作品を刊行する意味はどこにあるのだろうか。著作権切れが最も大きな要因であることは否定しがたいが、ただそれだけが理由なのだろうか。
 ここで参照したいのは、星海社が2010年から始動させた『坂本真綾の満月朗読館』である。そのラインナップには、『銀河鉄道の夜』・『山月記』という2つの有名文学作品が含まれていた。しかし他に様々な出版社から刊行された両作とは、表紙の趣が異なっているように思われる。前者の鮮やかな色遣いや、後者に描かれた人物の温和な表情は、他レーベルのものに見られるどこか暗いトーンの配色や、厳めしい顔つきと対比することができる。(たとえばともに角川文庫版と並べてみれば分かりやすいだろう)また坂本真綾による撮り下ろしの朗読を添えることで、星海社は「文学×朗読×イラスト それは新しい文学体験」というキャッチコピーにふさわしい作品を作り出したのである。これは既存の文学作品を再解釈する試みであり、既存の文学に新しい表情を与えるものだと言える。
 『三国志』においても、星海社は同じことをしようとしているのだ。そのことは添えられたコピーからも見てとれる。そこにはあの「土林誠が挑む、吉川英治の歴史的傑作。これぞ最新にして最高の三国志」とある。土林誠とは『戦国BASARA』で有名なキャラクターデザイナーであるが、この宣伝文において彼が主体として記されている点には驚きが漏れる。星海社版の『三国志』においては、本作が吉川英治によって書かれたのだということよりも、土林誠が、どのようにそれを再解釈するかということに重点が置かれているのだ。つまり『三国志』の出版は、星海社が文学の新しいカタチを提示しようとする試みの上に成り立っているのであり、そこには『坂本真綾の満月朗読館』から連なった、出版社としての一貫性を見出すことができるのである。
 さて土林誠によって描かれる『三国志』は、どのようにして既存のイメージとの違いを見せてくれるのだろうか。いずれにせよ、そうして出来上がった「最新にして最高の三国志」は、僕たちに「新しい文学体験」をもたらしてくれるに違いない。

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2013.07.08

銅

ジスカルド・デッドエンド

デッドエンドはハッピーエンド

レビュアー:横浜県 Adept

登場人物の一人が死ぬと分かっている作品を読むのはつらいものがある。救いのない展開が訪れることを知っているがゆえの閉塞感に苛まれてしまうからだ。『ジスカルド・デッドエンド』は、しかしその閉塞感を突き破る作品でもある。

ジスカルドを崇拝していたはずの主人公デイジーは、あれほど忌避していた彼の死をあっさりと受け入れてしまう。いや、実際には葛藤があったのかもしれない。なにしろジスカルドが死ぬ瞬間の次に描かれる場面では、それから既に一か月の時が経ってしまっている。確かにデイジーが失意に暮れていたらしき描写はある。しかしそれらを加味したとしても、デイジーの見せる前向きさは、どこか唐突な感じを拭えない。

それでは、このデイジーが見せた気持ちの切り替えには、説明が不足しているというのだろうか。決してそうではないはずだ。この作品は、ジスカルドの死それ自体ではなく、それをデイジーがいかに受け入れるのかという点に重きが置かれているからだ。あるいは、彼がそれを受け入れることができるようになるまでの成長が、一冊を通じて描かれているのである。

デイジーはジスカルドを崇拝していたがゆえに、彼の思想をそのまま受け継いでいる。たとえばそれは「生きるために創造をしている」ということであり、「創造を止めると死んでしまう」ということであった。なかでも「誰かと分かち合うことに創造の意味がある」という彼の言葉は、作品全体を貫くテーマであるとさえ言える。『ジスカルド・デッドエンド』では、これらの言葉がもつ意味を、デイジーが改めて自己に問いかけるなかで物語が進んでいく。また、デイジーは物語を通してこれらを実践するために必要なものを一つずつ獲得していく。初めは好いていなかったはずのイリヤが、自分と同じ思いを「分かち合う」人間であると認識することで心を許していく様などは、その最たる例のように思われる。

だからジスカルドの死は、デイジーから創造を奪うことをしなかった。それはむしろ、人と分かち合うべき「彼に対する思い」を駆り立てた。そしてデイジーには、それを分かち合うことのできる相手、9000さんと、イリヤがいた。また創造を人と分かち合うという発想も、物語冒頭のデイジーにはなかったものであるから、彼が成長した証と言えるだろう。

死という結末が提示されていながら、そこには前向きな意味づけを見出すことができる。それは決して唐突なものではなく、『ジスカルド・デッドエンド』という一つの物語を経ることで、デイジーが、そして僕たち読者が辿り着くことのできるハッピーエンドなのだ。

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2013.07.08

銅

投稿しようぜ!

読みたくなる「応募方法」なんて、他にないでしょ?

レビュアー:横浜県 Adept

ふつう「応募方法」は誰しもが読むものじゃないよね
仮に目を通すことがあったとしても、その応募に特別な興味がない限りは、内容なんてロクに覚えていないはずです
だけど4ページマンガの「応募方法」だけは話が違ったりするんですよ
そこには「投稿しようぜ!」というタイトルの漫画が添えられていて、「まんがの描き方教えるくん」とかいう謎のキャラクターが、応募要項を簡単に説明してくれるんですね
あとは色々なおっさんが描かれていたり、「おいしいしいたけ」が登場したりします
え? 意味が分からないって?
そんなこと言われたって、僕にも理解できませんよ
ようするにこれ、ギャグ漫画なんですね
本来なら忘れてしまうはずの「応募方法」が、面白い漫画と一緒になることで、みんなの記憶に残っちゃうというわけです
これなら、「応募方法」のページが無駄になりませんよね
投稿に興味のない人でも楽しめますし、そんな読者の中から、新しく関心をもってくれるような人が生まれるかもしれません
もちろんのこと、そもそも募集が気になっていたような人には、より「応募方法」を覚えてもらいやすいじゃないですか
ただ一つ気にかかる点は、この「投稿しようぜ!」が4ページにはなっていないので、そもそもの募集要項を満たしてはいない、ということではあるのですけれど、それもまた本作におけるギャグの一つだということで

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2013.06.11


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