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レビュアー「AZ」のレビュー

金

ジハード1 猛き十字のアッカ

胸躍る聖戦の再演

レビュアー:AZ Adept

定金伸治さんの『ジハード』。高校生の頃、通学の電車の中で食い入るように読んだ。黒い背表紙に宗教画のような表紙絵、史実の上に立つ多くの才、多くの英雄たちに心躍らされた。おかげで、世界史は苦手だったがイスラム史だけは楽しんで勉強できたものだ。

『ジハード』は、第三回十字軍遠征をイスラム陣営を主軸において描く、歴史ファンタジーだ。もとは集英社から刊行されていたものだが、星海社から完全版として再販されることとなった。完全版の名に反さず、集英社文庫版には無かった美麗な挿絵や、細かだが物語をより深めるための本文の修正が加えられている。当時のファンとしてはとても嬉しいことだし、また、初めて読む人もこの傑作歴史ファンタジーに魅了されるに違いない。そう思えるほど、この作品には愛が込められている。

例えば、主人公の一人・ヴァレリーが騎士・ラスカリスにイスラム陣営へ一緒に行こうと言えなかったと回想するシーン。星海社文庫版では、一人でイスラム陣営へ行くのは怖くて誰か一緒に来て欲しかったという、ヴァレリーの弱さを示すような思いが書き加えられている。ヴァレリーの魅力は、弱さだ。誰もがもつような恐れや悲しみを人一倍感じてしまうからこそ、読者はヴァレリーに思い入れを抱いてしまう。そんな、登場人物達の魅力をより深めるような修正が、各所に見受けられる。定金さんの作品愛がひしひしと感じられて、読者としては嬉しい事この上ない。

今後も、あのキャラはどんなデザインなのだろうとか、あの場面はどんな風に描かれるのだろうと、期待は尽きない『ジハード』。読んでる間はしばし高校生の頃に立ち返り、また、新しい発見に心を踊らせながら、ヴァレリー達の旅路をもう一度楽しみたいと思う。

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2014.04.22

銅

星海社新書

ブックオフに並ばない星海社新書

レビュアー:AZ Adept

 先日、何か面白そうな本はないかとブックオフの新書コーナーを眺めていたところ、あることを発見した。たくさんの新書が大きな本棚にぎっしりと詰められている中に、星海社新書が一冊も無いのだ。これは一体何故なのだろう。
 本を売る理由は様々あると思う。本を置くスペースが無いとか、お金が欲しいとか、などなど。しかし、どの本を売るかを決めるときには、一つの基準しか無い。それは、その本をもう一度読みたいか否かだ。つまり、ブックオフに並ばない、売られない本である星海社新書は、多くの人からまた読みたいと思われているのではないか。
 星海社新書は、「武器としての教養」を次世代の仲間たちに配ることを目的としている。これまでに発刊された武器たちは、次の武器を買うために道具屋に売られていくようなたぐいのものではない。どれもこれも、ドラゴンによく効くとか、強力な状態異常効果が付いているとか、素早い敵にも確実に命中させられるとかいった、ユニークな武器ばかりである。それぞれにしかこなせない役割をもつ武器たちなのだから、売ってしまうなんてとんでもない。
 まあ、ブックオフに並ばない理由はそもそも発刊数が他のレーベルに比べて少ないからじゃねーの、という意見もあるかもしれない。だが、そうであったとしても、星海社新書の有用性が下がるわけではないと思う。むしろ少数精鋭なのだ。来るべき決戦で役に立つだろう星海社新書、是非売らないで、アイテム欄に残しておいて欲しい。

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2014.02.25

銀

星海大戦

SFを語る者達へ

レビュアー:AZ Adept

 SFはこうでなくっちゃと、そう思える物語だ。舞台は、広大かつ精緻に設計された宇宙。登場人物は、宇宙に似つかわしい大きな器をもつ者達。読者は、星の海に思いを馳せて、ただただ夢中に楽しむこよができる。
 私も、時間を忘れ、没頭して楽しむことができた。SFって、やっぱり面白いなあと思えた。だからこそ、あとがきには驚かされた。「かつてSFという物語ジャンルがありました」そんな文言から始まるあとがきには、著者のSFへの強い思いが込められていた。
 SFを過去形にしてしまったのは、SFを語る者だと著者は言う。「これはSFではない」「あなたは本当のSFファンではない」などと語る者が、SFから人を遠ざけた。それは、本当に存在した歴史なのだろう。私も、本当の作品、本当のファンといった言葉に踊らされてきた記憶が多くある。
 しかし、本来ならそんな言葉を気にする必要はないのだ。あとがきにもあるように、周りが何を言おうが気にせず、物語を楽しめばそれでいい。本当の、なんてわけの分からない定義なんて無視しよう。SFは、楽しむためにあるのだ。
 だから、この物語をレビューで語ることには、若干の躊躇があった。私のレビューを読むことで、誰かの楽しみを阻害することにならないだろうかと。星海大戦には、人類の宇宙進出、謎の地球外生命体、強い意志をもつ登場人物、超科学技術、宇宙戦争、陣営ごとの体制… といった想像を巡らせて楽しむ要素がたくさんある。どうか、SFの未来みたいな難しいことを考えながらこの作品を読まないでほしい。読んでいる間は、星の海につかって楽しんでほしい。そして、読み終わった後には、自分の感じた楽しさを伝えるために、存分に語ってほしいと思う。

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2014.01.29

銀

一億総ツッコミ時代

もっと面白いレビューを書きたい!

レビュアー:AZ Adept

 私は、どちらかといえばツッコミ側の人間である。自分から面白いことを言うようなことは少ない。けれど、他人のボケに対してツッコミをいれるのは、手前味噌だが得意だと思っている。高校生の頃に「ツッコミ王子」というあだ名をつけられた程だ。
 しかし、『一億総ツッコミ時代』の著者は、ツッコミからボケへ転換せよという。批評してばかりのツッコミから、自ら面白いことをどんどん発信していくボケへ。確かに、その方が面白い世の中になることだろう。だが、ツッコミにどっぷり使った人間がすぐにボケろといわれても、困って右往左往してしまうだけではないだろうか。
 この、レビューというのも、ボケかツッコミかといわれれば、ツッコミ側のものだろう。何か題材があり、それに対して自分の考えや感想などを述べるというのは、まさにツッコミだ。評価なんかを偉そうに書いてみれば、よりツッコミ感が増すことだろう。そんな性質をもつレビューを、どうしたらボケの側にもっていけるのか。
 本書の中では、ボケに転向する手がかりとして、「良い/悪い」という評価をするのではなく「好き/嫌い」という感情を表現するということが挙げられている。「好き/嫌い」を表明するということは、自分というものを表に晒すということだ。これには、とても勇気がいる。しかし、他人を気にせず、自分の思いを押し出せる人には、強烈な魅力が備わるだろう。
 レビューでも、批評に留まらず、「好き/嫌い」といった自分の思いを述べていくというのはどうだろうか。「自分は、この作品のここが好きだ!」「ここが面白い!ここを読んでほしい!」といった自分だけの思いを叫ぶ。そうすれば、他の誰にも真似できない、独自の魅力が生まれるはずである。
 私は、この『一億総ツッコミ時代』という本を痛く気に入っている。外から供給される面白さだけで満足するなんて、真っ平御免だ。自分から面白いことを打ち出して、世の中の人達を楽しませたい。自分の価値観を、他の人達に広めたい。そのために、私は、もっともっと面白いレビューを書けるようになりたいのだ。

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2014.01.29


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