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レビュアー「よ・よ・よ」のレビュー

銀

レッドドラゴン(十六幕まで)

俺にはもうエィハしか見えない

レビュアー:よ・よ・よ Initiate

 友人と同じ企業から内定を頂き、同じように内定承諾書を出さず、酒を飲んだ。
 働きたくないだの、社会不適合者でもなれる職業ってあんのかよとか、くだらない妄想と現実逃避を肴にしながら話した結果、TRPGに手を出そうということになった。何を言っているのか解らないだろうが、自分にもよく解らないことを説明しろというほうが野暮というもの。つまり面白いことがしたいということだ。

 そこで勉強のための『レッドドラゴン』。これを読んで、最初に思い浮かんだのが戯曲だった。たまたま先月はシェイクスピアやら、ゴーゴリやらを読んでいたから、会話文だけの文章を読んでいても苦ではなかった。余談だが、三島由紀夫は『文章読本』の中でこう言っている。「いったん戯曲を読むことに親しんだら、その面白さは小説以上であります」と。なぜなら、会話文だけが続くので、会話だけで人間関係の機微が描かれることになる戯曲の方が読み手にスキルを要求するから、らしい。その点、TRPGに馴染みのない私はプレイヤーの楽しげな雰囲気を感じた。ライト戯曲的な新しいジャンルじゃないか? (笑)とかついてるし、背景だって格好良いし、何か壮大な音楽が流れているし。
 同時に新しい電子書籍の形としても魅力的だと思った。出来たら音楽ファイル付きで電子化して欲しい。着信音にしたいからという超個人的な理由で。まあ、そもそも技術的に可能なのか解らないし、著作権の問題とかで難しいとは思う。全作セットでサウンドトラック付きとかで発売するのとかでもいいけど。もう一つ付け加えると、この世界観で遊べる仲間が欲しいかな。これは友達が少ない弊害。

 長くなったが、絶対に書いておきたいことがある。ここから先は、俺の俺による俺のための情念に満ちたエゴイスティックな文章なので、読みたくない方は辞めておいた方がいい。軽いネタバレも含まれているし。
 俺は断然エィハ萌えだ。可哀想だろうが! なんであんな可愛い奴が唾かけられたり、十六歳まで生きられないとか宿命付けられてるんだよ! ふざけんな! 会話の一言一言が短めで、なんとなく達観した雰囲気とか出てるし! まだ十才だぜ? 正気かよ? ロリコンだよ。俺が十才の頃なんて何にも考えてなかったボンクラウスノロ野郎だったのに。とにかく紅玉いづき氏には命を賭して頑張って頂きたい。勝負に勝てなくてもいいとか言うのが大嫌いだけど、とにかく無事に旅を終えて欲しい。本来有り得ないほど、胸が苦しくなるぐらい、恋と呼んでも差し支えない程度には、エィハの無事を祈っている。

最前線で『レッドドラゴン』を読む

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2012.05.18

銅

武器としての決断思考

頭のなかの武器庫

レビュアー:よ・よ・よ Initiate

 大学の生協で聞いた。「武器としての決断思考ありますか?」店員曰く、「あー、ないですねえ」。そりゃねーよな。アホウの集まる大学の生協に置いてあっても買う奴いねーし。あの質問をしてから三ヶ月。大学の生協を覗くと置いてあった。帯には「東大NO.1ベストセラー」。格の違いを感じたね。泊の違いも感じたけど。

 授業形式の一冊。さすがにロジックを教える本だけあって、ロジカルな文章に加え、本なのに考える時間が設けられている。終始「論理的な正しさとは何か」という問題提起をし続けている。少しづつ議論が発展していく形も解りやすい。何より編集サイドの努力も見える。各章の終わりに大きな文字でまとめが書いてあり、近眼老眼なんでもござれ。さすが星海社と思わず首を縦にブンブン振った、電車の中で。

 この本の最大の良いところは、ベターを求めていないことだ。人が考えるとき、その時点のベストを目指せという。不安定な経済状況が改善されない昨今、「本物」になりたければ、この本を読むべきだろう。

ジセダイで『武器としての決断思考』を読む

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2012.04.23

銅

竹画廊

竹というよりむしろ松

レビュアー:よ・よ・よ Initiate

ガキの頃、お絵かきチャットが流行ってた。
俺は絵が上手くないから邪魔してばっかだった。人が描いたものを消して、消して、消して。

就活に嫌気がさして、星海社のHPを眺めていると、竹画廊のページを見つける。
戯言シリーズで出会って以来、竹氏の絵は何度も見てきたつもりだった。
ここで世界で一番クールな探偵、シャーロックホームズの言葉を引用したい。助手であるワトソンに向かって一言、「きみは見ているだけで、観察していないんだ」。その通りだよ、ホームズ。俺は竹氏の絵を見ているだけで、全然観察していなかったようだ。
竹氏の絵を改めて観察すると、その絵の水々しさに驚いた。平面から水が滴り落ちてくるんじゃないかと思うぐらい潤っている。
AIの技術がいくら進んでも、AIには書くことの出来ないであろう絶妙な曲線が独特の色で塗られている。少なくとも俺には世界はこんな風に見えないし、おそらく誰にも見えないだろう。これが竹氏の世界なのだ。

その後、興味を持って竹氏について調べてみると、かつてお絵かきチャットで遊んでいたという。もしかしたら俺ともインターネットを介して同じ場所にいたのかもしれない、そう思うと少しだけ顔がほころんだ。

最前線で『星海社竹画廊』を見る

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2012.04.23


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