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「鉄」のレビュー

鉄

「ジスカルド・デッド・エンド」

『私のおわり』の対の作品

レビュアー:USB農民 Adept

 エピローグにあたる短い章を読んでいる間、私は、悪い意味でポカンとした気持ちでいた。なんというか、書いてある内容は理解できても、それが実感として伝わってこなかった感じだ。

「死と再生をめぐる物語」と銘打たれたこの作品は、『私のおわり』の対になる作品のように思う。どちらも「死」という絶対不可避な「離別」を描いているが、視点の位置は対称的だ。『私のおわり』が死んでいく人の心の再生を描いたのに対して、『ジスカルド・デッド・エンド』では、『私のおわり』では描かれなかった、残された人々の心の再生を描いている。そういう意味で、二つの作品を併せて読むことは、互いの作品の理解を深めるように思う。
『私のおわり』の読了時、「残された人々はこれから何を思うのだろう」ということが気になっていた私にとって、この作品はその間隙を埋めてくれるかもしれない作品だった。そのはずだった。

 しかし、エピローグの章はあまりに唐突という気がしてならなかった。主人公がジスカルドの死を受け入れている描写を見ても、読者である私はそんなにすぐに受け入れることはできなかった。作中時間では一ヶ月が経過しているが、現実の時間ではページを数枚めくるだけの僅かな時間しか経っていない。その数ページに、一ヶ月分の重みがあったようには思えなかった。
 エピローグを読み終えて、消化不良のような気分で本を閉じた。

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2012.01.30

鉄

虚淵玄『Fate/Zero』

ウェイバーちゃんはヒロインなのか

レビュアー:yagi_pon Novice

ウェイバー・ベルベット、れっきとした男子である。
だがしかし、ヒロインのごときかわいさがあることは、
概ね認めざるを得ないところはある。
だってホントにかわいいから!
少しずつ彼(=イスカンダル)に心を開き、
彼の剣に守られる姿はまさにヒロインそのもの!
ただ、もちろんそれだけではないよ。
これはあくまで内的要因。

というからには外的要因がある。
それは、Zeroにはヒロインらしいヒロインがいないから。
ヒロインらしいヒロインとは、
つまるところかわいらしい女性ということ。
凛々しいヒロインはたくさんいるんですけどね。
セイバー、アイリ、舞弥などなど。
もちろん彼女たちもかわいい一面を持っています。
ただ、それを勝る強さがあるんですよね。
力や意思が、ウェイバーよりも圧倒的に強い。

というわけで、
ウェイバー・ベルベットは、
Fate/Zeroにおいて一番ヒロインらしいヒロインだと思います。

私も声を大にして、
「ウェイバーちゃんマジヒロイン」と叫ぼうではないか。

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2012.01.17

鉄

ドッペルゲンガーの恋人

違うからできること。わからないからしたいこと。

レビュアー:yagi_pon Novice

私は悲しいなって思うんです。
この結末を迎えた二人って。

恋とか愛って二つの楽しみがあると思うんですよ。
一方通行の楽しみと、交わる楽しみが。
片想いの楽しみと、両想いの楽しみ。
愛する楽しみと、愛し合う楽しみ。
もちろん人によっては、
片想いされる楽しみと、愛される楽しみもありますが。

けれど、この二人には交わる楽しみがないと思うんです。
実際、交わる描写がないんですよ。
むしろ意図的に描写していないと言ってもいいですけど。

結婚って、二人がいっしょになるということですよね。
そのいっしょになることの象徴が結婚式のキスで、
二人がつながり、交わるということですよね。

けれども、二人の結婚はつながりの描写が一切ないんです。
むしろウエディングドレスの画像付きメールを送ったり、
結婚式をあげたいと勝手に想像して
(そう考えているのは)「間違いない」と断言したりと、
一方的な思いを余計に強調しているようにすら見えます。

ただ、二人の中では交わる必要ないという見方もできます。
二人の中ではおそらく、クローン人間同士になったことで、
一つになったという思いがあるはずなんです。
少なくとも彼は、彼女と同じものになることを望み、
そうなったのですから。

物語の中の二人はきっと幸せなんだと思いますよ。
世界でたった二人だけの同じ者同士なんですから。
本当にわかりあっているのかもしれません。
二人ではなく、もはや一つとして。

けれども私は、やっぱり悲しいなって思います。
一つになってしまったら、
交わることはできないですから。

違うから、わからないから、交わるものだと思うんです。
彼女が彼女であるのかをたしかめるように交わった、
あのときの二人のように。
男と女で違うから交わったんだと思うんです。
同じだったら、一つだったら、それができない。

心が完全に通じ合っていないからこそ、
物理的に交わったり、つながるのだと思うんです。
手をつないだり、キスをしたり、セックスをしたり。
違うから、わからないから、
そういうこと、したいじゃないですか。

だれとも違う人間で、よかったなって思います。
まぁ、当たり前なんですけどね。


P.S.
SFってこういうところが好きなんですよね。
もちろんわくわくするようなSFも好きですけど。
当たり前じゃない現実にはないことを描くことで、
当たり前の現実にあることを再確認できるような、
そんなところが。

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2011.12.20

鉄

きみを守るためにぼくは夢をみる1 白倉由美

それは誰が見ている夢なのか

レビュアー:ややせ Novice

序盤から、なぜこんなことが起こってしまったのだろうと、不思議でならなかった。
純愛だとか初恋だとかには正直あまり意識が向かず、起こっている出来事への違和感、その裏に何か意味があるのだろうか、どう解釈すればいいのだろうかという思考の渦に巻き込まれていくような気持ち悪さ……そう、気持ち悪さ。
あまりにも清々しい表紙のこの本から感じる、この「気持ち悪さ」はどう解消されるのだろうと、そればかりが気にしつつ読み進める読書となった。

朔は十歳の誕生日に恋人の砂緒と初めてのデートに出かけ、楽しくも背伸びをした一日を過ごす。そして、砂緒が大人になることに不安を抱いていることを知り、砂緒を守る未来を夢見続けることを約束して、それぞれの帰途についた。
その後、急激に襲ってきた睡魔のせいで朔は眠ってしまい、慌てて家に帰ると家族の様子がおかしい。なんと、朔は七年間もの間行方不明だったのだという。
朔は十歳の身体のまま、七年、時間の進んだ世界に立つことになった。

斧が朽ちるほどの長い時間ではないことを、幸福に思うべきなのか。とにかく、少年時代の七年は長すぎる。
サッカーの才能に恵まれた勇気のある少年だった朔は、ひ弱だった弟にも卑怯なクラスメイトにも追い越され、もはや誰にも敵わない。
しかし、当然のことながらママは優しく迎えてくれ、すっかり大人びた女子高生となった砂緒も朔をずっと待ってくれていた。噂を聞いて興味本位で近づいてきた女の子にも、熱烈な好意を示される。
これは、どういうことなのだろう。

もともと朔の家は、父親が不在の家だった。
そのせいもあってか、朔の周囲には今も昔も味方となってくれるような頼れる男がいない。男の友達すら出てこず、唯一の理解者である小児科の医師も、幼い頃の義妹との関係を恋人と臆面も無く言い切り、その思い出を大事に抱えているような半ば夢の世界の住人であるかのような男性である。
朔の復学を露骨なまでの悪意で渋る校長しかり、朔を肯定し、受け入れてくれる同性はいない。言い換えるなら、朔はママや砂緒に代表されるような女達の盲目的なまでの夢に、すっぽりと囲い込まれているのである。

夢には二種類ある。
現実に叶えようとする夢と、貪るためだけの夢だ。
朔が砂緒を守るために夢を見ようと言ったのは、もちろん前者の方の意味だったはずだ。ところが、結果を見る限り、朔が見たのは後者に近い夢だった。
フィクションとしてこの小説を読んでいる我々なら、たやすく朔が時間を飛び越えたのだと考えることができる。原因など分からなくても、何らかの理由でタイムスリップしてしまったのだ、と。
けれどこれがもしも現実ならば、作中の人物達のように、誰もそのような突飛な結論には至らないだろう。
行方不明の間、何らかの原因で身体の成長が止まってしまっているだけで、七年間は七年間として朔の上にあったはず、つまりどれだけ十歳にしか見えなくても、この小説の現実では朔のことを十七歳だとして認識しているのだ。
十七歳の青年が十歳の少年のように振る舞うことを当然世間は肯定せず、ママや女の子が無意識に望む理想の少年像としての朔と相反する。
この二つの虚実の像が、二重写しになった存在として絶えずぶれて迷っているように思えるのだ。
だからそのことに無自覚な彼らが掲げる恋愛は、どうしたって歪で、応援したくなるものではない。

物語は、朔がちゃんと居場所を見つけ、成長しよう、大人になろうというところで終わる。最初から朔はそのつもりだったのだから、改めてそんな決意をするのも変かもしれないが。
そのためには砂緒がそばにいては駄目だ。
眠りに誘う海の底からの声のような、ママがそばにいても駄目だと思う。
これはある日、なんの罪もなくすべてを奪われた少年が、それでも健全に真っ直ぐに成長しなければならない幼い騎士道物語なのではないだろうか。
因果もなく、理由もなく。
そしてきっと得られる報酬も無い。
望むのは架空のりんご、架空の思い姫。
それでも朔は夢を見続けるのだろうか。

1巻の終わりに、やっと物語が始まりそうな気配が感じられた。

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2011.12.20


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