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読者レビュー

銅

サエズリ図書館のワルツさん

触れられるということ

レビュアー:カクラ・メロンソーダ Adept

電子書籍と紙の本の違いは、物語という意味では全く差がないです。電子書籍に否定的な意見はよく聞きますが、本の本質は物語なのだから、どちらでも良いということになりそうですが、じゃあ何故紙がいいのだろう?と思うと『触れられる』ということしかないと思います。この物語りは多分10〜30年後位の日本の、ある図書館の話なのですが、教科書が電子書籍子化していて、子供達が紙の本を珍しがっています。紙の本を未だに大切にしている主人公の割津さん(司書・眼鏡っ娘)、上司に怒られてばかりでマイナス思考な上緒さん(20台前半OL)、古藤さん(ジャージ眼鏡っ子人妻)など、ポイントを抑えた登場人物は、キャラ立ちし過ぎることなく、物語の本筋を優しく飾ってくれています。触れられるということは多分、それを読んだ頃に自分は何をして過ごしていたか、どんな事が好きだったか、そんな記憶も強く紐づくんじゃないでしょうか。だから、きっと紙がなくなることはないんだろうな、と気付かせてくれる物語です。

2013.05.29

さやわか
実はこのレビュー、カクラ・メロンソーダさんがもう一通『サエズリ図書館のワルツさん』について書いてくださったものとかなり似ています。しかしよく読むとちょっと違っている。だからあえて掲載することにしました。こちらのレビューの方が、よりはっきりと「じゃあ何故紙がいいのだろう?と思うと『触れられる』ということしかないと思います」と断定してしまっているのが面白いと思いました。もう一通のレビューのほうにも書きましたが、「ぼくは別の理由で紙がいいと思っているけど…」という読者が現れると、この書き方は通用しなくなってしまうのですね。ではどうしたらいいかというと、やはりここはもうちょっと柔らかい表現を心がけた方がいいと思います。ひとまず二通を送られた熱意も込みで「銅」を進呈いたします!

本文はここまでです。