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読者レビュー

銅

青山 裕企『僕は写真の楽しさを全力で伝えたい!』

普遍的な言葉が胸を打つ

レビュアー:USB農民 Adept

 常々不思議に思っていることに、普遍性というものは客観的事実よりも主観的体験から浮かび上がってくるということがあって、例えば「人はなぜ生きるのか」という人類共通の難問に対しては、「自分はこの瞬間のために生まれてきたんだ!」と納得することが答えになると思うのだけど、それは恋愛とか家族とか仕事とか青春とか、人によって千差万別の特殊性の強い体験から得られることが多いように思う。
 この本は二つのパートで構成されている。一つは著者の青春について。もう一つは著者の仕事について。前者は個人的体験で、後者は写真という表現の一ジャンルの話しかしていないのに、私にはなぜだかとても、誰にでも届く普遍的な言葉が書かれているように思えた。
 青春のパートでは、自分の感じる気持ちに向き合うための準備と実践が語られていて、これは誰もが立ち向かわざるを得ない困難の話に感じた。
 写真のパートでは、ものをつくるということ、自分の気持ちを表現するということの基礎的なことや、それを継続するために大事なこと(自分の作品を見る際のコツや、自分らしさを発見する技術)が書かれていて、写真以外の趣味や仕事でも重要なことのように思えた。
 読み終えても、なぜそんな風に思ったのか、不思議でいたのだけど、表紙を見返してなんとなくわかった気がした。
 この本は青春や写真について語ることで、「全力で何かをやること」について語っていたのだ。私はその全力に胸を打たれたのだと思う。

2013.05.29

まいか
伝える側が全力、本気だからこそ伝わる本気がありますね。私も、みなさんに全力で、姫になりたい気持ちを伝えてゆきたいと思いました。
さやわか
「普遍性というものは客観的事実よりも主観的体験から浮かび上がってくる」という、ちょっと効いただけなら意外性のあるつかみの部分はよいと思います。文章もこなれていてすっと引き込まれるので、読み進めると、なるほどそうかもなと思わせる。そして本書のテーマにまでうまく着地しているのは特に見事だと思います。これは個人的に、非常に評価したいことです。ただ、これはぜひオススメしたいのですが、普遍性とか一般論を語るときは細心の注意を払った方がいいのですよ。たとえば冒頭の「人はなぜ生きるのか」という人類共通の難問に対しては、「自分はこの瞬間のために生まれてきたんだ!」と納得することが答えになると書き手はしているのですが、別にそんな納得なんか求めていないと言う人が現れると、この主張は成り立たなくなるわけです。あるいは、生物学的にはそんな納得は必要ないと言う人もいるかもしれない。普遍的な話というのは誰でも自分のこととして考えられるぶん、「自分と同じように考えない読者」の存在を意識して、その人の反論を先回りして予想しながら書いたほうがいいです。それが難しければ、「自分はこう思う」という形で書くほうがラクですよ。ということでこのレビューは「銅」としましょう。

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