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読者レビュー

銅

小泉陽一郎『夜跳ぶジャンクガール』

健全な生き方

レビュアー:USB農民 Adept

<僕は姉と楓の視線を感じながらも、感じるからこそ、美月と白目を舐めあう。痛くても幸せそうに、見せつけるように。>

 図太く生きるということは、傷ついていないことを意味しない。
 格好悪くみっともなくとも、誰かに生きて欲しいと願うことは、過去に死んでいった人たちへの不誠実とはならない。
 自分以外の誰かが死んで、死ななかった自分が生き続ける。
 それを罪深いこととして考え出すと、際限のない迷路に迷い込む。誰も悪くないのに、誰かが悪い気がしてしまう。どこにも正しい答えはないのに、どこかに正しい答えがあってほしいと願ってしまう。そんな生き方は、出口のない苦しみを抱え込んだような、不健全な生き方のように思う。
 けれど、その迷路に足を踏み入れた我々は、それでも迷いながら生きている。そして生きている以上、生きている実感を求めずにはいられない。
 生きている人間が生きている実感を求めることは、死んだ人々への不誠実を意味しない。

『夜跳ぶジャンクガール』の主人公が、姉と幼なじみの亡霊に背を向けながら、生きながらえて恋を謳歌することは、決して彼女たちへの不誠実を意味しない。

 生きている人間は、精一杯に生きながら、死者に対して思いを馳せる。主人公はそういう生き方を選び取る。それが健全な生き方なのだ。
 彼岸には誰かの死があって、此処には自分の生の実感があって、その二つの前提のうえで人は生きている。それを忘れなければ、主人公も、私たちも、健全に生きていける。

2012.04.23

さやわか
文章は少し抽象的な嫌いがありますが、主張があって好ましく思います。『夜跳ぶジャンクガール』という作品についてよく考えた上での内容になってもいるようです。これが新規読者にとって価値ある文章たり得るかというと難しいところだとは思います。そうであるためには、もう少しストーリーに則して説明的に書く必要があるでしょうな。それに、たとえばこの文章の二つ目のブロック(「図太く生きる…」以降)を削除するくらいのことをやって端的に理解できるようにした方がいいかなと思います。ですが、横浜県さんのいま書きたいものがこっちであるのなら、それはそれでいいと思いますぞ! ひとまず「銅」にいたしました!

本文はここまでです。