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読者レビュー

銅

資本主義卒業試験 著:山田玲司

平成生まれの僕

レビュアー:キノケン Novice

平成生まれの僕にとって、資本主義社会とは所与のものであって、それが当たり前のものであった。市場を崇め、自らの努力によって立身することができる社会。それが僕の知っている「社会」であった。
それがこの本に見事に打ち崩されてしまった。人間(特に、中途半端に学問をかじっている僕のような人間)は、極力自らの立場を客観的な場所に位置づけようとする。少なくとも僕と、周りにいる学友たちはそうである。だが、いかに自らを客観的に仕立て上げようとしても、やはり人の根底にあるのはその人間が育った環境である。その環境を疑うことができる人間なんて、そうそういるものか。
だが、この本の筆者はそれをやってのけた。自らが身を落としている社会の矛盾点や欠点を見出し、さらにそれだけではとどまらず、より幸福に生きるための示唆まで与えてくれている。こんなに素晴らしい所業ができる人が、現代社会にはいったい何人いるのだろうか。
この本を読んだ人には、ただ資本主義の穴や、その改善方法を知るだけにとどまらないでほしい。筆者のように鋭い批判的な視点、それを持つことの重要性にも気づいてほしい。
この本はまさに、資本主義社会に染まった僕たち若者の世代には、必読の書であると思う。

2012.02.18

さやわか
このレビューは惜しいというか、最後の一行がちょっと不思議なんです。というのも、その直前の2行で、「この本は資本主義の問題について書いているけど、それだけじゃないんだ」という話をしているのですよね。「資本主義の本なんだろう」と思っている人に対して、もっと視野の広い考え方を提供している。それはすごくいい指摘です。ところが、最後の行で「資本主義社会に染まった僕たち若者の世代には、必読」として、やっぱり資本主義の話に戻してしまっている。前の行で言ったことを自分で反故にしているのですよ。想像ですが、たぶん文章のラストをどう締めるのかがなかなか難しくて、わりと無難なところで落ち着かせてしまったのではないでしょうか(違ったらごめんなさい)。書きあぐねた時こそ、危なげない着地点にあっさりいかないほうがいいと思います。危なげない着地点は、いわば鉄板というかテンプレというか、簡単に書けてすっきりオチたように感じるかもしれませんが、このようにせっかく生まれた自分のオリジナルな論旨を壊してしまいがちです。ガマンして、粘り強く、自分しか書けない、自分だけの結びを考えた方がいいですぞ。とまれ、「銅」ということにいたしましょう!

本文はここまでです。