ここから本文です。

読者レビュー

銅

「欲情の文法」

官能小説の舞台裏

レビュアー:USB農民 Adept

 私はこれまで官能小説を読んだことがなかった。
 しかし、この本を読んで官能小説にも少し興味が出た。

 官能小説というと、つまりは濡れ場がメインとなるわけだが、しかし、濡れ場さえあればただそれでいいという程、単純ではないらしい。そこに至るまでの物語や設定は勿論、濡れ場で読者の興奮を誘うような文章技術も必要不可欠らしい。『欲情の文法』というタイトル通り、本書はその技術に最も紙幅を費やしている。

 著者が語る「欲情の文法」は、官能小説の舞台裏の解説のようで、官能小説の内容を普通に語るよりも、ずっと魅力的な紹介に思えた。
 何かの職業の舞台裏について語ることは、その仕事がどれだけの手間や時間や情熱を必要としているのか、強い説得力をもって語ることに等しいからだろう。

 特に私がすごいと感じた話は次の二つだ。
 一つは、思春期の性にまつわる経験を作品に活かすために、毎回童貞に戻ったつもりで執筆をするという件だ。

<童貞の頃の気持ちや性に対する渇望を忘れないようにしなければ、読者の共感を得られないだろうし、私自身面白くないのだ。新鮮な気持ちで、感謝と感激を持っていなければ、童貞喪失を描けないということである。だから、私は毎朝童貞に戻るのだ。>

 著者の官能小説に対する誠実さと情熱を見せつけられているような話で、読んでいて素直にすごいと思えた。「童貞に戻るって……そんなことが、物理的に可能なのか……」と読みながら少し考えたが、自分としては「不可能だ……!」という結論に落ち着いた。(そもそも物理的に童貞と非童貞を厳密に区別する方法がないのだから、問い自体が無効だ)「童貞に戻る」とは、あくまで心構えの問題なのだ。

 もう一つは、作品中のリアリティの設定について。

<匂いの描写であっても、リアルに描くと読者が引いてしまう。実際は、汗の匂いや残尿の匂い、お尻の穴の匂いというのは、いろいろな匂いがする。それをリアルに「臭い」と描くと、読者の夢を壊してしまうだろう。だから、常に「良い匂い」と描写する必要があるのだ。>

 読者が作品を楽しむ邪魔をしないために、過度にリアル過ぎてはいけないのだという。官能小説としての商品価値を高めるための、細やかな工夫だ。著者は独自に「官能の三原則」というものを作っていて、「1、避妊はいらない 2、生理中ということがない 3、処女でもイク」という内容だ。この原則も、読者が作中に没頭するの妨げる要素を描かないためのものだ。著者がリアリティの問題について、真剣に考えていることが窺える。(確かに、官能小説の濡れ場で「私、今日は生理だから、できないよ……」とか女の子が言うのは嫌そうだ)

 本書を読んでいると、著者が真剣に官能小説を執筆していることがわかる。仕事なのだから、真剣であることは当たり前だろうと思われるかもしれないが、その当たり前の事実を他者に伝えることは実は難しい。(「私は真剣にやっています」という言葉だけでは、説得力は生まれない)
 著者はそれをやってのけている。
 私は著者の真剣さに少しばかり胸を打たれた。

 本書を読了後、私は生まれて初めて官能小説を購入した。
 書名は、睦月影郎の『母娘下宿 上でも下でも』である。

2012.02.18

さやわか
内容の紹介と書き手の感想を並べたオーソドックスなレビューなのですが、変わったレビューの多いレビュアー騎士団では新鮮に思えました(笑)。この本自体が内容的に「食わず嫌い」で読まれない可能性もあるものなので、この書き方はいい選び方だと思います。ただ「作者は真剣で、それが伝わった、だから胸を打たれた(そして著作を買い求めた)」というのはわりといいエピソードなのですが、もうちょっと印象的な書き方がされてもいいと思います。と言っても、それだけのアドバイスでは難しいかもしれませんな。うーん、「作者は真剣」の部分がもうちょっと濃いめに描写されているだけでたぶん全然違うと思います。どうでしょうか? ここは、ひとまず「銅」ということにさせてください。

本文はここまでです。