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読者レビュー

銅

ひぐらしのなく頃に 綿流し編(上)

魅音+詩音=不穏

レビュアー:zonby Adept

――最初に感じるのは異和感と嬉しさという複雑な感情である。

前作「ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編」を読んでいるならば尚のこと、その複雑な感情は強く感じられることだろう。なぜならば今作「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」では、前作で行われた残虐な行為。悲惨なストーリーは無視され、死んだはずの登場人物が何事もなかったかのように、再び「ひぐらしのなく頃に」の世界を構成しているからだ。

主人公・前原圭一とその仲間達が送る楽しいゲームとスリルに満ちた毎日。レナはご機嫌で笑いながら攻撃を繰り出し、魅音は手段を選ばず勝利を求める。沙都子は相変わらずトラップマスターとしての手腕を発揮し、梨花ちゃんは可愛くも鋭い狸っぷりで皆を骨抜きに。前作同様…否、前作以上にヒートアップする彼らの日常。テンポの良い会話と、個性的で時に息のあった連携に、読み手は「鬼隠し編」の上巻で感じたような、高揚感と痛快感を感じることと思う。これを「嬉しい」と感じないひぐらしファンがいるだろうか、いやいない。しかし最初に書いたように読み手は「嬉しさ」を感じながら、同時になんとも言えない「異和感」を感じ続けることになるのも必至なのが、この「ひぐらしのなく頃に 綿流し編(上)」なのである。

それはお馴染みのメンバーの中にするりと紛れ込んだ異分子。極自然に、極々自然に彼女は物語の中に登場し、彼女が関わることで物語は前作とは違う方向に導かれてゆく。

彼女の名前は「園崎詩音」。

園崎魅音の双子の妹。自らを「おじさん」と呼び、活発で豪放磊落な性格の魅音とは正反対の性格をしている。女の子らしく気がきく少女であり、何故か、何故だか魅音とは離れて暮らしている。きわどく可愛い制服が(ある意味)売りの、園崎家系列飲食店「エンジェルモート」でアルバイト中。おろした髪と、魅音ならば絶対にはかないであろうスカート姿で登場するキョラクターだ。
綿流し編では新たな登場人物である彼女が主体となり、圭一の選択を左右する大きな鍵となっている。

 「園崎詩音」とは「園崎魅音」が作りだした架空の兄弟なのか。魅音が詩音なのか?詩音は詩音なのか。本編の中で翻弄される圭一同様、きっと読めば読むほどこの姉妹について、疑問は増していくはずだ。そして最初は「異和感」としてしか感じられなかった「園崎詩音」というキャラクターに次第に愛着をおぼえていくだろう。その既存のキャラクタ―に劣らない、物語をひっぱる力のある個性ゆえに。

だがゆえに…ゆえに「不穏」に至る。
魅音と詩音。
双子の姉と妹。
相反する性格のはずの二人に共通する、底知れぬ気迫。
二人は圭一の前に現われては消え、消えてはまた現われる。魅音の中に時折詩音が顔をのぞかせ、詩音の中に時々魅音が顔をのぞかせる。すれ違い、入れ違い、勘違い。照れ隠し、誤魔化し、有耶無耶にする。

圭一と魅音。圭一と詩音。詩音と魅音。

それぞれの会話や仕草の中。表情の描写。さりげない関わりの中に楽しいだけではない「不穏」を、次に繋がるであろう、しかし何に繋がるかは分からない得体のしれない「不穏」を、感じ取ることができるだろう。「鬼隠し編」がそうであったように、楽しい日常の中に狂気は潜んでいる。ある瞬間を境に、「不穏」の種は爆発し、日常を破壊する。
くるりくるりと表情を変え、せわしなく入れ替わる二人の少女像は「綿流し編(上)」のところどころに、傷や嘘や糸を張り巡らせて待っているのだ。
日常の反転を。
嘘が本当に、本当が嘘に変わる一瞬を。
この「不穏」がどう決着するのかを見届けるために。

不穏の正体を知りたいのならば、「ひぐらしのなく頃に 綿流し編(下)」にてお確かめ下さい。

何が嘘だったのか、何が本当だったのか、それは彼らがおのずと語ってくれるのだから。

2011.04.15

のぞみ
最初の一文にこめられた気持ち、率直な意見という感じで、好きです。この一文にある、違和感と、嬉しさが何なのか、はっきりと書かれていて良いと思います。
さやわか
zonbyさんのレビューは何度か掲載させていただいてますが、相変わらず文章に艶があって面白いですな! こういう文体は普通に考えるとレビューを書くのに向かないとされるものなので、僕にとってはzonbyさんのレビューを読むのには不思議な快感があります。
のぞみ
自分の複雑な気持ちを、整理して素敵に本の魅力に繋げている感じが、気持ちよかったです。
さやわか
ですなー。zonbyさんはこの美文的な文体でありながら論旨がはっきりしているのがよいですな。何を書くかちゃんと考えて文章を組み立てている気がします。結果として、『ひぐらし』という作品の不穏さ(みおん・しおん・ふおんという韻律も小気味よくて良いと思います)とぐいぐい引き込まれる感じが不思議な迫力をもって伝わるようになっている。「最初に感じるのは異和感と嬉しさという複雑な感情である」みたいな文章はある意味で読者を選ぶというか敷居が高いのが難しいところだけど、それでもこの方向性は面白いと僕は思います。ということで「銅」で!

本文はここまでです。