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皆殺し編

昭和のファミレスとエンジェルモート

 昭和50年代後半は外食産業が急激に伸びていた時代だった。定義や解釈によって異なるが、いずれにしてもファミリーレストラン(ファミレス)の歴史はそれほど長いものではない。株式会社ことぶき食品(現在は株式会社すかいらーく)が、すかいらーく1号店・国立店をオープンさせたのは昭和45年(1970年)7月のこと。株式会社デニーズジャパンは昭和48年(1973年)設立であり、上大岡に1号店をオープンさせたのは翌年である。こうした店が増えるにつれて、人々は改まった食事の場であった外食を日常的に行うようになっていった。国民の生活スタイルの変化は、昭和45年(1970年)が「外食元年」と呼ばれていることからも察することができる。なお、ファーストフードの代表格であるマクドナルドが銀座に1号店をオープンさせたのは昭和46年(1971年)だ。

『ひぐらし』には県外からも客が駆けつけるというファミレス、エンジェルモートが登場する。その人気の理由は大胆なデザインの制服であるという。『ひぐらし』ファンの間では、よく「昭和58年当時、ああいうファミレスは存在したのだろうか?」という会話が交わされていた。

 エンジェルモートのあまりに大胆な制服はフィクションとしてのデフォルメがされたものであり、昭和58年のファミレスとして考えると違和感が強い。元になっているのはファミレスではなく、平成の秋葉原を中心に流行した、かわいらしい制服を売りにする喫茶店——即ちメイド喫茶やコスプレ喫茶だろう。この昭和らしからぬアレンジは、原作の『ひぐらし』がオタク文化を理解した人々に向けて発表される同人作品だったことと無縁ではない。コミックマーケットに足を運ぶような人々が、秋葉原独特のカフェ文化を知らないはずがないからだ。言わば広義の「内輪ネタ」に近いものであり、「昭和58年の時代考証」という文脈で語るべき要素ではない。もちろん、目明し編の中盤で圭一が不良たちをやり込めた「固有結界」や、メイドへの熱い思いを語る入江の「メイドインヘヴン」、平成的なオタク文化を思わせる会話も同様である。

 最後に現実世界の昭和58年に目を向けてみよう。さすがにエンジェルモートほど先進的な店はなかったようだが、特徴的な制服を採用していたファミレスは存在する。たとえば昭和48年(1973年)に青山店をオープンさせたアンナミラーズは、身体のラインが目立つアメリカンスタイルの制服を採用していた。

 また、昭和47年(1972年)に創業した馬車道は、膝下丈の着物とスパッツを採用。歌手の中森明菜が名曲「DESIRE」で身に着けていた衣装をイメージしたものである。そして昭和61年(1986年)の上柴店オープンに伴って、明治時代の女学生をイメージした矢羽根模様の着物と袴に変更され、今に至っている。馬車道は埼玉県を中心に多数の店舗を展開しているため、ご存じの方も多いのではないだろうか。

沙都子が受けた虐待と、信じるべきもの

 日本には児童への虐待を禁じる法律がある。

 14歳未満の児童の保護と救済を目的として、昭和8年(1933年)に制定されたのが「児童虐待防止法」だ。これは当時問題になっていた人身売買に主眼を置いたものであり、昭和22年(1947年)制定の「児童福祉法」に吸収されていった。

 平成12年(2000年)には「児童虐待の防止等に関する法律」が制定される。『ひぐらし』の舞台となる昭和58年(1983年)にはまだ存在しない法律だ。「児童虐待防止法」と略称されることが多いため、昭和8年に制定された方を「旧児童虐待防止法」と呼んで区別することが多い。

「児童虐待」という言葉が頻繁に使われるようになったのは比較的近年である。『〈児童虐待〉の構築——捕獲される家族』(世界思想社)によると、1980年代の日本は児童虐待が少ない国として認識されており、今のように社会問題として大々的に語られることはなかったのだという。16ページに掲載された表から引用すると、朝日新聞の見出しに「児童虐待」に関する語が使われたのは、1984〜1986年をすべて合わせてもたったの3件しかない。ところが1990年になると17件に、2000年には266件に増加する。厚生省(現在の厚生労働省)が児童相談所における虐待相談対応件数の統計を取り始めたのは平成2年(1990年)以降であり、『ひぐらし』の舞台である昭和58年(1983年)にはまだ統計データが存在しないことも書き添えておこう。

 なお、「児童虐待の防止等に関する法律」において、虐待は次のように定義されている。「虐待=児童に暴力を振るうこと」というのは誤った認識である。

 一 身体的虐待

 二 性的虐待

 三 ネグレクト(保護者が育児を放棄すること)

 四 心理的虐待

 昭和50年代は今と比べて家族や地域の結びつきが強い時代であり、育児に関する秩序が様々な形で守られていたと考えられる。しかし、当時は家庭内暴力や虐待の存在が広く知られていないこともあり、法律も未整備だった。なかなか表面化しない事件もあったと思われる。沙都子への虐待もそういったケースの一つと言えるのではないだろうか。

 描写上ぼかされている点も多いが、彼女が鉄平から受けた虐待は非常に深刻なものだった。祟殺し編のコラムで触れたように、現在の基準に照らし合わせればすぐにでも保護が必要なレベルである。しかし原作プレイヤーの中には、祟殺し編の沙都子を疑う者もいた。彼女は周囲を騙すために、虐待を受けているかのような演技をしていた——という推理である。「沙都子が演技をするのは事件の犯人、あるいは犯人の一味だからである」という極端な仮説も存在したほどだ。

 彼女が実際に虐待を受けていたことは皆殺し編で確定した。圭一が頭をなでようとしただけで沙都子が嘔吐してしまう祟殺し編のワンシーンは、演技という可能性を否定する手がかりの一つだろう。

『ひぐらし』を推理する上で最も大切なのは「何を信じるか」である。

 ——沙都子と鉄平、果たしてどちらを信じるべきなのか?

 この問いの答えは明らかだ。沙都子は命に関わるような虐待を受けており、一刻も早い助けを必要としていた。それを信じなければ祟殺し編の推理は始まらない。

 振り返れば、鬼隠し編の鍵になるのは「部活メンバーを信じるか否か」であり、綿流し編の鍵になるのは「魅音を信じるか否か」だった。それが推理の重大な分岐点になっているのだ。「何を信じるべきか」という要素は圭一たちの仲間意識に重なるものであり、極度の疑心暗鬼を生じさせる雛見沢症候群との鮮やかな対比を見せている。

参考資料

上野加代子、野村知二『〈児童虐待〉の構築——捕獲される家族』(世界思想社)

見逃された薬物

 雛見沢の村境で発見される富竹の死体。彼は鷹野たちの手でH173を投与された結果、暴れ回って自らの喉をかき破るという凄絶な最期を迎えていた。皆殺し編で明かされたこの真相に、首をかしげた読者も多いのではないだろうか。何度も明言されていた「富竹の死体から薬物は検出されていない」という情報に矛盾するからだ。

 これは一体どういうことなのか?

 上野正彦氏の著書『死体に聴け——監察医という驚くべき仕事』(インデックス・コミュニケーションズ)によると、〈体内から毒などが検出されるかどうかは、解剖で採取された尿や血液などの化学検査の結果を待たなくてはならない。検査には時間がかかるため、2〜3日の時間が必要になる。すべての化学的データがそろうにはさらに40日かかる。〉という。

 それでもなお、すべての毒物が発見できるわけではない。検出が難しい特殊な毒は見逃されてしまうこともあるのだという。同書は昭和61年(1986年)に起きた保険金殺人事件を取り上げている。犯人が用いたトリカブトという植物の毒は、解剖時の化学検査でも検出できなかったのである。それでも犠牲者の死が不審であったため、解剖執刀医が自らの判断で保存していた心臓と血液を用いて、東北大学薬学部の専門家が改めて検査を行った。そして長い時間をかけて一つずつ可能性を消していった結果、ようやくトリカブト毒が検出できたのだという。

 病死とされていたものが、後に毒殺であると判明する——。

 これを富竹のケースに当てはめると、『ひぐらし』の世界で警察が導き出した結論は根底から覆される。大石や鑑識のじいさまは語っていた。「富竹の死体から毒物の類は検出されなかった」と。だが、その絶対性は最初から保証などされていなかったのである。

 本格ミステリの「お約束」では、未知の薬物を登場させることを厳に禁じている。それは作者と読者の知恵比べにおいて興を削ぐ仕掛けになってしまうからだ。持てる知識をすべてぶつけても解けない問題は、もはや問題とは見なされない。

 しかし『ひぐらし』における未知の薬物は、推理上大きな障害にはなっていない。「警察の判断と真実は必ずしもイコールではない」という現実的な可能性を視野に入れて推理すれば、薬物の正体は些細な問題に過ぎないからだ。重要なのは「なぜ全編共通で富竹が同じ死に様をさらすことになったのか」という点である。そして、彼を殺すことができる人物は限られる。あなたは真犯人を言い当てることができただろうか。

 作者の竜騎士07氏によると、未知の薬物と謎の組織「東京」は、本格ミステリの禁じ手であることを重々承知の上で用いた要素だという。竜騎士07氏は拙著『最終考察 ひぐらしのなく頃に』(アスキー・メディアワークス)の対談において、〈私は「人類が知らない存在や物質」は必ずあると思っているので、それをハッキリと示す1つの風刺として「未知の薬物と謎の組織」を登場させたのです。〉と発言されている。

 鬼隠し編の圭一は〈富竹さんの死は未知の薬物によるもの。〉と書き残していた。疑心暗鬼と妄想に支配された彼が、信憑性のない遺書の中で真実を言い当てているというのも皮肉なことである。

参考資料

上野正彦『死体に聴け——監察医という驚くべき仕事』(インデックス・コミュニケーションズ)

ある死体の冒険

 近代の歴史から、鷹野三四と山狗にまつわる出来事を紹介しよう。

 これは第二次世界大戦中に行われた「ハスキー作戦」の序章である。

 1943年4月30日——スペインのウエルバ沖で、地元の漁師が海に漂う死体を発見した。それはイギリス海軍の服を着た男であり、所持品に含まれていた身分証明票からウィリアム・マーチン少佐(少佐待遇の大尉)と判明する。

 死体を詳しく調べたスペイン当局は、肺内部に粘液が染み出ていることを確認。マーチン少佐は海で溺死してウエルバに漂着したものと結論づけた。つまり、連合国軍の使命を帯びてイギリスを発ったマーチン少佐の搭乗機が、何らかの理由で海上に墜落したと予想したのである。

 少佐は複数の書類を所持していた。それは王国参謀本部次長アーチボード・ナイィが第十八軍団司令部ハロルド・アレクサンダーへ宛てたもので、「連合国軍はギリシャに侵攻する」という極めて重要な内容を記したものであった。それだけではない。総合作戦指令部長ルイス・マウントバッテンが地中海艦隊司令官アンドリュー・カニンガム提督に宛てた手紙には、「攻撃が終わり次第、彼(マーチン少佐)を私の許にお返し下さい。その際、イワシ(sardines)を何匹か持たせていただきたく存じます」という一文があったのだ。これは連合国軍のサルデーニャ(sardinia)侵攻を仄めかしたものと考えられた。

 スペイン当局が掴んだこの情報は、諜報機関の手を経由してドイツ軍に伝えられることになった。詳細な検討の果てに文書の信憑性を認めたアドルフ・ヒトラーは、シチリア島に向かわせるべき戦力をギリシャ、サルデーニャ、コルシカ島に割くという決断を下す。連合国軍の動きを事前に察知したドイツ軍は、この先の戦いにおいて大きなアドバンテージを得たはずだった。

 ——しかし、すべては連合国軍の罠だったのである。書類はすべて偽物されたものであり、本当の侵攻先はシチリア島であった。計略に引っかかったドイツ軍は、「砂漠の狐」ことエルヴィン・ロンメル将軍を含む貴重な戦力を、ことごとく主戦場から遠ざけてしまったのだ。マーチン少佐は生きたまま飛行機で海に落ちたのではない。イギリス軍が、潜水艦で運んだ死体を意図的にウエルバ河口沖合に流したのである。

 しかも、ウィリアム・マーチン少佐なる男は実在の人物ではなかった。イギリス軍は全く関係ない男性の死体を、架空の男「ウィリアム・マーチン少佐」に仕立て上げたのだ。プライベートの痕跡としてチケットの半券や恋文を持たせ、軍の身分証明票は一度紛失し再発行の手続きを取ったものであった。イギリス国内でも作戦の中心人物ユーウィン・モンタギューらによる巧みな工作が行われており、マーチン少佐という人物があたかも実在していたかのような「証拠」がいくつも生み出されていた。こうした現実味と人間味を増すための偽装工作によって書類の信憑性を高め、ドイツ軍をまんまと騙すことに成功したのである。

 なお、その死体は海で溺れてなどいなかった。計画に沿った死体を都合よく手に入れることができなかったため、イギリス軍は溺死体とよく似た所見——肺内部への体液滲出——を示すことに着目して、肺炎で死亡した男の死体を選び出していたのだ。現地の医学レベルを計算に入れ、誤った結論が下されることを確実視しての作戦だった。

 架空の人物に架空の人格と架空の生活を与えたモンタギューは、途中でマーチン少佐に不思議な親近感を抱くに至り、彼の死体が安置された冷蔵庫に赴くのは気が進まなかったほどだという。彼は次のように述懐している。

〈マーチン少佐は、われわれにとって、まったく生きた存在となっていたのだし、まただれかが親友のことをよく知っているように、われわれもまた彼を知っていると思っていたからである。ともかく、ラブレターや、父親からきたきわめて個人的な手紙も読ませてもらうというきわめて近接した間柄にあったものだ。こうなると、われわれは、ビル・マーチンを幼少のときから知っているような気になり、彼の求愛の進み具合についても、財政的不如意の成り行きにも、私心をはなれた親身の関係を持ちつづけてきたものだった。(中略)わたしたちは、世の多くの父親が子どもについて知っているより、彼をよく知っていたのだ。〉

 こうして綿密に計算された偽装工作「ミンスミート作戦」をドイツ軍は見抜けなかった。そして7月10日——決行された「ハスキー作戦」は成功を収め、連合国軍はイタリア侵攻の足がかりを得ることになる。

 終末作戦を遂行した鷹野三四は、岐阜県山中で焼いた死体を隠れ蓑にして「生ける死者」となった。山狗に歯科医院のカルテを偽造させて警察を欺いたものと推定される。

 才媛であるが軍事には疎そうな鷹野が、こうした歴史を把握していたかどうかは分からない。だが彼女が用意させた偽装死体が岐阜県警を迷走させ、山狗たちのミスで生じた「死後24時間経過した死体」という謎が興宮署の大石たちをも困惑させたのは紛れもない事実である。

 一方、深い軍事知識を持つであろう小此木は、もしかすると命令を受けた時にイギリス海軍の偽装工作を思い出していたかもしれない。この大胆な作戦の行く末を想像し、あるいは困難とトラブルがつきまとうことを予想して——あの不敵な笑みを浮かべながら。

出典

『ノンフィクション全集22』(筑摩書房)収録

ユーウィン・モンタギュー著/北村栄三訳『ある死体の冒険 (THE MAN WHO NEVER WAS)』

DNA鑑定と先入観

 岐阜の山中で発見された死体は、鷹野三四のものではなかった。この真相に対して「鷹野の偽装死体はDNA鑑定で見破れたのでは?」という疑問の声を上げる読者がいたのは当然かもしれない。平成23年現在、新聞やニュースにDNA鑑定という言葉が何度も登場するからだ。

 しかしその歴史は非常に浅い。DNA鑑定法の開発と普及は1980年代の終わり頃であり、急速な進歩を見せたのは1990年代のことだ。契機となったのはイギリスの遺伝学者アレック・ジェフリーズが開発し、1985年に論文を発表したDNAフィンガープリント法である。『ひぐらし』は1983年(昭和58年)を舞台にした作品だ。まだ存在しないDNA鑑定で鷹野の入れ替わりトリックを見破ることはできない。

 日本において最初にDNA鑑定の証拠能力が認められたのは、1990年に発生した「足利事件」だ。栃木県足利市で女児が行方不明になり、翌朝、近くの河川敷で遺体となって発見された。1991年(平成3年)、DNA鑑定に基づいて当時の容疑者・菅谷利和氏が逮捕される。そして2000年(平成12年)、最高裁判所はDNA鑑定の証拠能力を認めて菅谷氏に有罪判決を下したのである。

 だが2009年(平成21年)、東京高等裁判所はDNA再鑑定の結果、犯人のものとおぼしきDNAと菅谷氏のDNAが一致しなかったことを公表。その後判決は覆され、菅谷氏の無罪が確定した。彼は濡れ衣を着せられ、17年半の長きにわたって自由を奪われていたのだ。

 最初のDNA鑑定にミスが生じた原因として、二つの可能性を紹介しておく。

 一つ目は鑑定に用いた試料の問題だ。生きた人間から血液などの試料を採取すれば、DNAを取り出して鑑定するのは容易である。しかし犯罪捜査におけるDNA鑑定はほとんどの場合劣化した試料を扱うため、人為的なミスが起こりやすくなる。

 そして二つ目は、「犯人は菅谷氏であろう」という関係者の先入観だ。赤根敦氏は『DNA鑑定は万能か その可能性と限界に迫る』(化学同人)の中で次のように指摘されている。

〈足利事件のように警察の捜査官が特定の容疑者に目をつけ、しかも明確な証拠がない場合、DNA鑑定の結果に期待を寄せるでしょう。そのような場合、捜査官が科学捜査研究所の鑑定人に、「この容疑者のDNA型が出るはずだからなんとか検出してくれ」と依頼してくることがあるかもしれません。(中略)試料の状態が悪くてなかなか明瞭な結果が出せない場合は、鑑定人が検出したいと願っているアリル(対立遺伝子。以上KEIYA注)のようなピークがわずかに検出されれば、それを鑑定結果と結論づけてしまうかもしれません。〉

 こうした先入観の恐ろしさは『ひぐらし』でも長期的に扱われてきた問題だ。

「毎年起きる殺人事件は、村ぐるみの犯行に違いない」

「首謀者はどうせ園崎家に決まっている」

 圭一、詩音、そして長年事件を追い続けた大石……一体何人が誤った先入観で暴走したのだろう。園崎家を始めとする雛見沢の人々に疑いの目を向けさせた真犯人は、ずっと陰で笑っていたのである。鷹野三四の正体と「東京」の存在が判明した今、読者は大石たちが進むべき道を踏み外していたことを知る。そこに『ひぐらし』のメッセージ性があると言えよう。

 なお、DNA鑑定の技術は日進月歩だ。足利事件当時、鑑定結果が別人と偶然一致する確率は833分の1程度と言われていた。しかし今ではその精度が4兆7000億分の1まで高められているという。そして理論値でわずか1ナノグラム(10億分の1グラム)の試料から個人を特定したり、劣化した試料から鑑定を可能にしたりする技術が実用化されているのだ。2010年、近畿大学医学部法医学教室が日本で初めて「ゲノム定量解析システム」を法医学の分野に導入。最新鋭の技術を犯罪捜査などに活用すると発表して注目を集めた。

参考資料

赤根敦『DNA鑑定は万能か その可能性と限界に迫る』(化学同人)

近畿大学プレスリリース

舞台が昭和だった理由

『ひぐらし』の時代設定が昭和だった理由について、竜騎士07氏はインタビュー『ひぐらしのなかせ方 第一回』において次のように発言されている。

〈まずノスタルジックな雰囲気が欲しかった。〉

〈もう一つは、やっぱり携帯電話と“祟り”が似つかわしくない。携帯電話で破られるトリックが山ほどあるんです。〉

 推理ドラマにおいて、携帯電話はアリバイトリックを崩壊させるアイテムとなりうる。それを逆手に取った作品もあるが、『ひぐらし』のように日をまたいで描かれる物語では「長時間携帯電話を使わない理由」が必要となり、舞台設定やキャラクター設定にも影響が出る。『ひぐらし』では携帯電話が存在しない昭和を舞台にすることで、その問題に対処していたのだ。

〈その後「山の寒村ならケータイ来てないよ」というツッコミがあって(一同笑)。ああやられた、と(笑)。現代でもよかったじゃん!と(笑)。〉

 竜騎士07氏はこのような発言もされている。しかし現代だったら鷹野が仕掛けたトリックはDNA鑑定によって曝かれていただろう。仮にトリックを削除しない場合、「東京」と山狗が捜査機関及び鑑定作業に介入するといった筋書きが想定できる。本質的には歯科医院のカルテ偽造と同じことである。ただし操作するのが既存の書類にとどまらないため、かなり大規模な工作になり、推理不可能な謎に変化してしまうかもしれない。

 あくまでも個人的な意見だが、これらを踏まえると昭和58年という舞台設定は適切だったように思う。オヤシロさまの祟りで一人が死に、一人が消える……そして発見された死体がむごたらしく焼かれていたという恐怖。だが最後にはその謎に説明が付き、黒幕が姿を現す——。物語の面白さと推理面での面白さが両立した謎だったからである。

 ちなみに携帯電話と並ぶ通信手段であるインターネットも、当時はまだ存在していなかった。パソコン通信(インターネットとは異なる)がサービスを開始するのは1986年(昭和61年)である。昭和58年と平成23年現在の常識は大きく異なっていることが分かるだろう。

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