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目明し編

双子のトリックと禁じ手

『ひぐらしのなく頃に解』というタイトル通り、目明し編からはいよいよ謎に対する解答が描かれていく。目明し編は綿流し編に対応した解答編だ。圭一が観測していなかった事柄にスポットライトが当たり、闇に覆われていた真相が明らかにされる。

 最大のポイントは犯人の正体と行動だ。綿流し編の終盤で、魅音は圭一とレナに向かって自分が犯人であると告白していた。だが、彼女は魅音ではなかった。真犯人の詩音だったのだ(姉妹の本名は逆であるが、このコラムでは出題編と同じ呼称を用いる)。彼女は魅音を監禁して入れ替わり、祭りの晩からずっと「園崎魅音」として行動していたのである。ここを見破れるかどうかが綿流し編推理の成否を決める。

 双子の入れ替わり——それはミステリにおいて非常に古典的なトリックである。よく聞かれる言葉に「双子の入れ替わりは禁じ手」というものがあるが、これは不正確で誤解を招く言い回しだ。インターネットで言葉が一人歩きしているせいか、双子が絡むトリックをすべて禁じ手と勘違いしている読者も散見される。正確に言えば「手がかりなき双子の入れ替わりは禁じ手」なのである。エピローグで唐突に双子の片割れが現れて、その人物がアリバイトリックに絡んでいたと明かされる——これが禁じ手の最たる例だ。

『ひぐらし』は、双子の存在を事前に明かしておくことでフェアな出題を行っている。綿流し編の序盤を思い出してもらいたい。圭一は詩音という人物を「魅音が照れ隠しで演じている架空の人物」と思い込んでいた。このままならアンフェアな双子トリックになっていただろう。しかし中盤で詩音と魅音が同時に姿を現す。ここで双子の存在が確定し、推理の前提条件が満たされているのだ。 「双子がいたら入れ替わりを疑え」というのは、ミステリを読む際のセオリーの一つである。手慣れた読者なら、以降のシーンはすべて魅音と詩音の入れ替わりを疑い、頭の中で複数のパターンを構築しながら読み進めていたはずだ。

 作者の竜騎士07氏によると、原作(同人ゲーム版)の綿流し編を発表した当時、「魅音が犯人だったんですね」「綿流し編には謎がありませんでしたね」という感想を何通も受け取ったという。多くのプレイヤーが「魅音」の告白を鵜呑みにしてしまい、そこで推理をやめてしまったというのだ。竜騎士07氏は拙著『最終考察 ひぐらしのなく頃に』(アスキー・メディアワークス)の対談でも、〈プレイヤーは告白に弱い〉と回顧されている。

 目明し編で描かれた真相が全くの予想外だった方は、ぜひこれをきっかけに「嘘」や「誤情報」という可能性を疑っていただきたい。そうすれば謎と解答をいっそう楽しめるようになるはずだ。

綿流し編の解法と姉妹のドラマ

世の作家たちは「双子の入れ替わり」という古典的なトリックを用いる際、様々な工夫を凝らして多くのバリエーションを考案してきた。それは『ひぐらし』も例外ではない。

「…ね、…姉さま…!! …殺すのは……わ、私だけ……。その人は……許してあげ………、」

 地下祭具殿の牢屋に監禁された魅音は、詩音に向かって何度も「姉さま」あるいは「お姉」と叫んでいた。一方の詩音は魅音に向かって「詩音」と呼びかけている。これは読者の推理を阻むポイントだ。入れ替わりトリックを疑った読者を迷わせる誤誘導でもある。

 詩音と魅音は幼少時に入れ替わり、姉妹関係が本来のものとは逆になっていた——これを具体的に言い当てるのは容易ではないだろう。だが、二人の行動と生死に着目すれば綿流し編の真犯人は看破できる仕掛けになっている。綿流し編のエピローグで、大石が「実は園崎魅音も、…井戸の底から見つかったんですよ。」と断言していたことに注目したい。圭一が刺された時、すでに魅音は死亡していた——つまりあの夜、前原邸に姿を現した人物は詩音に他ならないのである。後は「なぜ魅音が死に、詩音が生き残っていたのか?」という疑問から逆算して、綿流し編の物語を再構築していけばいいのだ。生死の矛盾を成立させる筋書きを考えるのである。詩音と魅音に関するシーンをすべて検証すれば、「祭りの夜に入れ替わった」という結論を導き出すことができる。

 大石の「今回の事件、死人が歩き回り過ぎなんですよ。」という不気味な言葉に惑わされて、綿流し編をオカルトと考えてしまった読者は、決して真相に辿り着くことができない。この謎は双子の行動に着目すればロジカルに解けるものだったのだ。

『ひぐらし』における双子入れ替わりトリックの面白さは、二人が抱えた園崎家の因習をドラマに繋げているところにある。古典的なトリックに対して「幼少時に入れ替わっていた姉妹」という変化球を織り交ぜ、それを圭一や悟史への恋愛感情に結びつけることで、推理と物語の面白さを両立させているのだ。もちろん、これは園崎家が支配する雛見沢でなければ成立しないドラマである。舞台設定と物語が不可分であることが分かるだろう。

 使い古された双子のトリックをどのように料理するか——綿流し編と目明し編の対応を見れば、竜騎士07氏の意図はしっかりと読み取れるはずである。

登場人物の心を読む——詩音の恋愛感情

 殺人鬼へと変貌していく詩音に感情移入した読者にとっては意外だろうが、目明し編に対して「なぜ詩音がここまで悟史を好きになったのか理解できない」という声が少なからずあった。「殺人を犯す動機として納得できない」というのである。

 確かに二人の関係は限定的に見える。出会いから別れまではごく短期間であり、実際に会って言葉を交わした回数も決して多くはない。だが、詩音にとって悟史がどれだけ大きな存在だったかは、文章をしっかりと読めば理解できるようになっている。

 詩音を理解するには、彼女の境遇を考えなければならない。学校では多くの友人に囲まれ、家に帰れば温かい家族がいるという「普通の生活」を、詩音は送ることができずにいる。彼女に希望や幸福はなかった。幼少時の入れ替わりで忌み子となってしまった詩音は、常に園崎家から疎まれ、遠ざけられてきた。厳格な聖ルチーア学園はあくまでも公的な学校だが、彼女にとっては無実の罪で投じられた牢獄のようなものだっただろう。

 本来の「園崎魅音」として生きることさえできず、常に日陰を歩き続けてきた詩音が、初めて目にする希望。それが北条悟史だ。優しさと決して折れない強さを持った彼に、詩音は惹かれた。二人が出会うシークエンスをよく再読してもらいたい。陰の存在である詩音と、そこに差した光である悟史が何度も対比されていることが分かるはずだ(星海社文庫版『目明し編(上)』86-93ページ)。

 推理面にも言及しておこう。詩音の重要な動機になった悟史との関係は、出題編の一つである祟殺し編で示されている(星海社文庫版『祟殺し編(上)』211-214ページ)。バーベキューの後片付けをしていた圭一が、集会所の脇で詩音と言葉を交わすシークエンスだ。詩音が日常で怒りの感情をあらわにする珍しいシーンであり、悟史への浅からぬ想いや、彼の失踪について何かを知っていることが示唆されている。これが出題編において詩音と悟史の関係を窺わせる唯一のシークエンスだ。彼女の発言に注意を払えば、綿流し編における詩音の動機を推理することが可能になる(私は当時、双子の入れ替わりトリックを論理的に突き詰めた後、仕上げの論拠としてこのシークエンスを推理に取り入れた)。詩音と悟史の関係に気づきさえすれば、綿流し編の前半で描かれた魅音と圭一の恋愛ドラマが、ただのコメディではなく重要な意味を持っていたことも理解できるはずだ。

 悟史を理不尽な形で奪われた詩音の絶望。膨れ上がる園崎家への恨み。最愛の悟史を忘れさせる、彼によく似た圭一という少年。忌み子として生き続ける苦しみと、もう一人の自分である妹への嫉妬……様々な苦悩が、綿流しの夜に最悪の形で暴走してしまう悲劇。それが綿流し編・目明し編なのである。

詩音の行動と死亡推定時刻

 綿流し編・目明し編に関して、「詩音が圭一を刺した時刻とマンションから転落した時刻が近すぎるのではないか」という疑問の声がよく聞かれる。まずは原文を確認してみよう。

 午前2時ごろ、自宅を訪れた、先の事件の容疑者(園崎魅音)に腹部を刃物のようなもので刺され重傷。

(中略)

 同日推定同時刻。

 XX県鹿骨市興宮のマンションで、転落事故が発生。

 被害者は先の連続失踪事件の被害者でもある、園崎詩音。

 この報告文を書いたのは警察関係者と推定できる。〈室内を徹底的に捜索したが、被害者以外の人間がいたことを示す痕跡は発見することができなかった。〉という、捜査の内容に踏み込んだ記述が見られるからだ。

 大石は死亡推定時刻の謎について、次のように語っている。

「前原圭一が刺されたのは、ほぼ同じ頃。その頃には園崎詩音はすでに飛び降りていて、屋根の上で脳震盪中…? …違いますねぇ。ベランダから抜け出して圭一を刺して。ベランダへまた戻る時に誤って落下…、じゃないかなぁ?」

 彼の推理は正しい。〈単車を使えば、圭一の家なんてすぐだ。〉という詩音のモノローグによって移動手段は確定している。錯乱状態にあった詩音は、猛スピードで単車を飛ばしてマンションと前原邸を往復したのだ。興宮と雛見沢の距離は鬼隠し編の序盤に明記されている。 〈最寄りの町まで行けばあるにはあるが、自転車で1時間もかかる。〉

 決して近いとは言えないが、梨花や沙都子を含む部活メンバーが自転車で遊びに行ける程度の距離である。田舎道なので信号機もなく、単車を飛ばせば恐らく片道15分ほどで辿り着けるだろう。〈同日推定同時刻〉という情報とは矛盾しているように見えるが、警察が推定可能な時間は分単位の厳密なものではない。綿流し編のコラム「死亡推定時刻」で触れた通り、ある程度の誤差が生じうるのだ。

 つまりこれは、警察による「おおよその推定時刻」を読者がどう解釈するかという問題だったのである。分かってしまえば非常にシンプルな謎だが、警察の発表を額面通りに「間違いなく同時刻だった」と受け止めると、推理は袋小路に迷い込んでしまうだろう。

 いくら検死官や医師が手を尽くしたとしても、わずか15分程度のずれを見破ることは困難だ。だから大石は「ほぼ同じ頃」という前提条件を自ら口にしつつ、詩音が圭一を刺しに行って再びマンションに戻ったという、一見矛盾する推理を披露したのだ。そしてそれは正解である。彼が死亡推定時刻に含まれる幅を考慮して語っていることがよく分かるシーンだ。

双子の入れ替わりを再考する

 エンジェルモートのウェイトレスは詩音か、魅音か?

 綿流し編の前半で、園崎姉妹は何度入れ替わっていたのか?

 ——この謎に頭を悩ませている人は多いのではないだろうか。目明し編では綿流し編の前半にあたるパートが丸々省略されており、確たる答えが示されていないからだ。

 私は出題編当時、綿流し編における姉妹の入れ替わりをすべて推理したことがある。細部は割愛するが、概略を以下に記す。

1.圭一の自宅に弁当を届けたのは、詩音に変装した魅音である。

2.エンジェルモートで働いていたのは詩音であり、魅音はウェイトレスとして一度も登場していない。

3.電話で圭一をデザートフェスタに誘った詩音は、確かに詩音本人である。

 この推理は目明し編を読み終えた今でも変わっていない。両編の情報を踏まえつつ、もう一度振り返ってみよう。

 1の推理をした理由は、魅音が「女らしい自分でいられる詩音」になりきることで、圭一との距離を縮めようとしていた——という裏のストーリーを仮定したためである。だから彼女は部活の残り物であるハンバーグで弁当を作り、圭一の家に向かったのだ。翌日、圭一から返礼の飴玉を受け取った魅音が、一日中嬉しそうな様子だったことを思い出したい。レナが何度も匂わせているように、魅音は圭一から異性として見てもらいたかったのである。彼にいつも憎まれ口を叩かれていた魅音が、他意のない「ごちそうさま。うまかったぜ。」という感謝の言葉をどれほど喜んだかは想像に難くない。だが彼女の淡い期待は、詩音の裏切りによって水泡に帰してしまう。悟史を失っている詩音は、恋愛が上手く行きそうだった魅音に小さな嫉妬心を抱いたのだろう。それがデザートフェスタ当日、圭一に正体を明かした理由である。魅音が詩音になりすますには、詩音と計画を共有しなければならない。「同じ時間帯に詩音(魅音)が二人存在する」「二人の経験や知識に矛盾が生じる」といった状況を回避する必要があるからだ。詩音が〈私が働くためには、魅音の協力が欠かせない。〉と考えていたように、姉妹は普段から同時に目撃されることを回避していたのである。詩音はいつものように電話で魅音の近況を聞き、嫉妬心を募らせたものと推定できる。

 2については、「背中に刺青を入れた魅音は、着替えを必要とする仕事を嫌うのではないか?」と考えるのが自然である。また、(文章外の情報だが)背中が大きく開いたエンジェルモートの制服も裏付けとなる。鬼の刺青を入れた魅音にこの制服を着ることはできないのだ。当時、「髪の毛や化粧品で刺青を隠したのでは?」と予想したプレイヤーが多数いたが、立派な和彫りである鬼の刺青はその程度のカモフラージュで隠せるほど小さいものではない。そしてエンジェルモートのオーナー・園崎義郎は、魅音が鬼の刺青を入れていることを知っている。詩音を雇用することはあっても、制服が着用できない魅音をウェイトレスとして雇用することはないだろう。

 3はデザートフェスタ当日の詩音が確実に詩音本人だったこと、そして魅音がデザートフェスタとは関係ないおもちゃ屋で店番をしていたことから、疑いの余地はない。仮に魅音があの電話をかけていたなら、デザートフェスタで圭一にアプローチをする狙いがあったことになる。しかし魅音はおもちゃ屋にいた。当然だ。彼女はウェイトレスとして働くことができないのだから。よって、「魅音が圭一をデザートフェスタに招待した」という可能性は消え去るのである。

「……魅音が……電話をくれたろ…? 昨日さ…。」

「…しないよ私。……何のことか全然わかんない…。」

 目明し編における圭一と魅音の会話によって、この推理は裏付けられている。

 このように、綿流し編の前半部は作中の情報を拾い集めれば解くことができる。描かれなかった解答に到達する手段として参考にしていただきたい。

詩音のけじめと双子の入れ替わり

 綿流し編前半における二人の入れ替わりをもう少し追いかけてみよう。目明し編にはこれに関する興味深い情報がある。中盤で描かれた詩音のけじめである。詩音と葛西は次のような言葉を交わしていた。

「………園崎本家としては、…詩音さんがご自分でけじめを付けられたので、これで決着とするそうです。……聖ルチーア学園には退学届が出されます。詩音さんは興宮の学校に編入になるそうです。」

「………………園崎詩音の人権が、認められたってことか…。」

「…そうですね。今後は園崎詩音として生活して下さって構わないそうです。…ですが、みだりに雛見沢には近付かないこと。園崎魅音を騙らないこと。人前にみだりに姿を現さないこと、…他にも細々とありますが、つまるところ…、」

「存在を認めてやるから、……本家に目立つようなことは二度とするなってわけか。」

「そういうことになります。……もちろん永続的なわけじゃありません。ほとぼりが冷めるまで当分、ということです。具体的にいつまで、という期限があるわけではありませんが、……今年いっぱいくらいはこれまで通り、目立たない生活を送られた方がよろしいかと思います。」

「…私は興宮でひっそり暮らすだけで十分です。……元々、これまでだってそうして暮らしてきたわけだし。」

 注目すべきは〈園崎魅音を騙らないこと〉という条件だ。前回のコラムで述べた三つの推理を当てはめてみたい。詩音は前半部で一度も魅音を名乗っていないのだ。どうやら詩音は園崎本家との約束を守っていたようである。彼女が周囲を騙すために魅音を演じたのは、過ちを犯した綿流しの晩以降に限定されることになる。

 一方の魅音は、圭一と仲良くなるために詩音を名乗ったことがある。これは魅音に「詩音を騙らないこと」という条件が課せられていないためだ。詩音のけじめを哀れに思った魅音は、後に自ら爪をはいでいたが、園崎本家から特別な制約を課されたわけではなかったのだろう。

 綿流し編前半の推理は、以上の補足をもって終了としたい。

 綿流し編・目明し編は、祭りの夜を境に豹変した詩音が紡ぐ物語だった。

 幼少時の入れ替わり以来、偽りの名乗りを強制されていた詩音。ずっと歩んできた偽りの人生。昭和57年に巡り合い、失った幸福。そして昭和58年、彼女は名乗る——鬼へと変じた己の名を。

「……初めてご挨拶申し上げます。…園崎本家当主跡継ぎ。…魅音でございます。」

 事件の渦中で二つの名を使い分けていた詩音が、自首を迫る圭一とレナに初めて本当の身分を明かすシーンだ。詩音はその時すでに人ではなかった。怨みと復讐の念に取り憑かれた鬼だった。彼女自身が圭一に繰り返し告げていたように。

 果たして、詩音が解明できなかった雛見沢の闇とは何か。彼女は何を誤認していたのか。物語は次編、罪滅し編へと続いていく。ぜひ鬼隠し編を再読しながら謎が明かされる時を待っていただきたい。

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