CHAPTER 1-1
2011:04:07
2011:04:07

1『君のパンツ姿の写真、求む』

『この日記を見た女の子は

今すぐに、自分のいやらしいパンツ姿の写真を携帯で撮って、

メールで僕に送って下さい!

直ちに! 早く!』

自分のブログにそう書いた。これが僕の今日の日記だ。

僕の眼は充血し鼻息は荒く、脳みそは爆発していた。その爆風でこの世の何もかもを吹き飛ばしてやりたかった。

僕のブログは、アダルトサイトではない。

訪問者の全く居ないようなアクセス数0のプライベートページでもない。

ネット上で配布される無料ゲーム・通称「フリーウェアゲーム」を制作するサイト『アンディー・メンテ』内にある、ゲーム制作日誌ブログだ。

普段は、至って真面目まじめな文章がつづられている良識のあるページ。

フリーウェアゲームを待ち望む少年少女達に、ゲーム制作の過程を公開し、完成の日まで楽しみに待ってもらうための、健全なブログであるはずなのだ。

しかし、僕はモニタをにらみつけ、更にやけくそ気味に書き殴った。

『どうしてもパンツが見たい!

まだ見ぬ君が、パンツを恥ずかしそうに見せている姿が......、どうしても見たい!

いつもは、じすさんに想いをぶつけたくても、恥ずかしくて躊躇ちゅうちょしてしまっているそこの君!

僕は、君のパンツ姿の写真を待っています!

そして君の悩殺的なパンツ姿の写真をとうとう手に入れたあかつきには......

ああ、もう、宇宙の全質量を足したエネルギーが、僕の右手の中に一瞬にして集結し......、激しく情熱的な愛のなぐさめが......ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ......あががががが゛あか゛あか゛あがかあああああ』

どうかしている......

誰がどう見ても精神錯乱を引き起こした人間の日記だ。

しかし僕は狂っていたわけではない。猛烈に怒っていたのだ。

こんな事を書いたのは、全てこのくだらない毎日のせいだ、と心の中で叫んでいた。

狭いワンルームの中の......退屈で平凡で、何の劇的変化も起きない日々。ただ老いてゆくだけの時間。何かしなければいけないのに......、という焦燥感しょうそうかんに押しつぶされそうになりながらも、一ミリのやる気さえおきない堕落した灰色生活。

そんな日常へのストレスがMAXに達した今日、僕は自分のブログに発狂したような日記を書くことで、ついに怒りを爆発させた。

こんなことをブログに書いても、誰の相手にもされない事は分かっている。

このブログの一日の平均アクセス数は約七百人。

せいぜい冷やかしか苦情のメールが送られてくるくらいであろう。

しかしそれでも、僕は書かずにはいられなかった。

この人生降下状態を何とか打ち破るために、あらゆる気力を失った僕が今唯一できる小さな革命......、それがこの『パンツ姿写真募集』だ。

ゲーム制作日誌で、まさか女の子のパンツ姿写真が募集されるとは思うまい。

それも自分の性的欲求を満たしたいという目的のためだけにだ。

見たか、世の中!

もうおまえ達の言いなりにはならない!

馬鹿ばかにしたい奴は馬鹿にするがいい。

昨日や一昨日と同じ事を繰り返すだけの、つまらない惰性だせいの日々なんてまっぴら御免なんだ。

文章を書き終え、ブログにアップロードされたのを確認して、僕は笑った。

半分は自嘲じちょうだ。

だが残り半分は、この日常と世の中に対する「ざまあみろ」という侮蔑ぶべつだった。

悶々とした気分が一転し、何とも清々すがすがしい気分で満たされた。

もしかしたら、この日記で僕の人生が変わるかもしれない、と期待までした。

多分、何も起こらない。

それでもいいんだ。

昨日までとは違うアクション。

容易に予想されてしまうような俗手ではなく、気付かない悪手と言われても奇手を打ちたかった。

そうすれば少しでも生きている意味がある気がする。

明日になったら、次は『セフレ募集』だ。

ゲーム制作なんか構いやしない。

どうせ頑張がんばって作っても、これっぽっちも儲からないじゃないか。

だったら明日も世の中を馬鹿にして、清々しい気分で笑ってやるんだ。

CHAPTER 1-2
2011:04:08
2011:04:08

2『自称フリーウェアゲーム作家』

僕の名は泉和良いずみかずよし。ネット上ではジスカルドというHNハンドルネームを名乗っている。二十六歳の自称フリーウェアゲーム作家だ。

フリーウェアゲーム作家? 何だそれは?

そう思う人がほとんどだと思う......マジョリティ。

僕ですら、自分以外にこの職業で食っている人を見たことがない。

フリーウェアゲームとは、ネット上などで入手できる無料のゲームの事。

僕はそれを一人で作り、ネット上で公開する。

かつて僕は、グラフィッカーやサウンドコンポーザーとしてゲーム会社で働いていた。

しかし、自分の能力が集団の中においては拡散し、平均化されてしまう事に耐え切れず、わずか数年でゲーム業界から身を引いた。

こう言うと格好よく聞こえるかもしれないが、本当の所は、会社という社会的組織の中で働くのが単に嫌だっただけである。集団行動の不適合者。社会からの脱落......マイノリティ。

二社で働いたが、どちらも短期間で辞めていた。

その後、僕は大学生の頃からやっていたフリーウェアゲームの制作を本格的に行うことにした。

フリーウェアゲーム作家の誕生だ。

それからもう三年になる。

失業保険はとうに切れ、収入は不安定。

国民健康保険や年金を納める余裕もなく、生活は苦しくなる一方だった。

フリーウェアゲームとは、無料のゲーム。

0円のゲームをいくら作っても、儲からないのは当然である。

では、どうやって収入を発生させているのかと言えば、二次商品をネット上で販売する事で所得を得る。

例えば、フリーのRPGを制作し公開したとする。

すると、少ないながらも必ずそのゲームのファンが生まれる。

僕はそのゲームのサウンドトラックCDやファンブック等を作って、彼らファン達に有料で販売するのだ。

何故なぜ、ゲーム本体に値段をつけないのかと言えば、僕のような個人がゲームを制作し有料で販売しても、一般企業のコンシューマーゲームに太刀打ちするのはほぼ不可能であるからだ。信頼ある大手メーカーのゲームが幾つも存在するのに、得体の知れない個人のゲームにお金を払う者はいない。

そこで、ゲームそのものを無料にする。

そうする事で、まずはユーザーを獲得するのだ。

個人制作といえど、企業のゲームにはない良さや面白さもある。

遊んでさえもらえれば、興味を持ってもらう事も可能だ。

そして、気に入ってくれた人にはグッズを買ってもらう。

......しかし、所詮アマチュア的活動の域を出ないのが現状。

僕が運営するゲーム制作サイト『アンディー・メンテ』の毎月の収入は、良くて十五万円。新作のゲームが出ない月は無収入に近くなる。

安定や保障といった意味の言葉とは無縁。

家賃滞納はもちろん、電気やガスなどのライフラインが断絶するのは日常茶飯事だった。

これが、フリーウェアゲーム作家の実態である。

それでもなんとかやってこれたのは、長年連れ添い応援し続けてくれた恋人がいたからだが、ついにはその彼女とも、数ヵ月前とうとう破局を迎えてしまった。原因は色々あるにせよ、将来の見えない男に付き合う女性は少ない。

当然の結果ではあるが、長く付き合った恋人を失ったショックはしっかりと僕を衰弱させた。

僕は生まれて初めて精神科のクリニックへ通院し、抗不安剤を処方してもらわねばならなくなった。

以上のように、このフリーウェアゲーム作家という職業は、たいへん無理がある。

だがもはや辞めるつもりはこれっぽっちも無い。

誰がなんと言おうと、僕はフリーウェアゲーム作家だ。

ちくしょう!

定職になんか絶対にいてやるもんか!!

......僕は人生の路頭に迷いつつあった。

CHAPTER 1-3
2011:04:09
2011:04:09

3『新着メール』

『パンツ姿の写真を下さい』などと馬鹿げた日記を書いた次の日の朝、僕はいつものように目覚め、ぼうっとした脳にうんざりしながらパソコンを起動させた。

ウィンドウズがブートするまでの時間、顔を洗い、歯を磨く。

シャツ一枚では肌寒く、毛布をマントのように羽織はおって机に座り、昨日書いた日記の内容を思い出した。

......たしか僕は、この怠惰たいだな日常をいる世界を冒瀆ぼうとくしてやったのだ。

そう、自分のブログでパンツ姿の写真を募集する事で......

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ......

そこまで思い出して、深い深い溜め息が出た。

なんとおろかしく、むなしい事か。

急激に自分が情けなくなり、落ち込んだ。

昨日、あれほど情熱にあふれていたのが信じられなかった。

よくもまあ、こんな下らない事で熱くなれたものだ。

あんな日記を書いたところで、何かが変わるわけがないのに。

『セフレ募集』? ......そんな事をする気も起きない。

僕はブログの管理画面を開き、昨日の日記を削除した。

ふん......、やっぱりか。

これが日常ってもんだろ。

今日もまた、昨日と同じ一日が始まるだけなんだ。

いつものようにメールソフトを立ち上げると、受信された大量の迷惑メールを見て更に気が滅入った。

迷惑メールを処理するだけの毎日だ、と人生を呪う。

メールの件名を確認しながら、次々と削除した。

迷惑メール......、削除......、迷惑メール......、削除......

「ん?」

一通のメールが目に留まった。

件名は『じすさんへ』とあった。

スパムメールや広告メールでない事は明らかだ。

開こうとして、少し躊躇した。

フリーウェアゲームを制作し公開するようになってから、色々な人から感想のメールが届くようになった。中には中傷的な物や、侮辱ぶじょく的な物も少なくなく、そうしたたぐいの物は、読んだだけで気分が滅入り、一日仕事が手につかなくなったりする。

そうしたメールを何度も目にするうち、感想メールは開かずに捨てた方が無難だ、という結論が僕の中で生まれていた。

ただでさえ今は落胆の真っ最中だというのに、これがそんな中傷メールなら泣きっ面に蜂だ。

よく見ると、メールには添付ファイルがあった。

昨日の日記の内容がよみがえる。

まさか......、パンツが......

いやいや......あせってはいけない。

そんな都合のいいパンツなどあるだろうか。

ここぞとばかりにウイルスを混入させたメールを送ってくるやからだっているかもしれない。

もしそうだとしたら、僕はまんまとそのトラップにはまってしまう事になる。

ああ...神よ、僕は既に精神的にボロボロです。

僕を苦しみに突き落とすような試練は、もう十分ではありませんか......

いや待てよ。

ここまで苦しんでいるのだから、もしかしたら、ようやく神様がご褒美ほうびにと、女の子のパンツ姿付きメールを授けて下さったのでは......

散々迷った挙句あげく、僕はそのメールを開いた。

......これでウイルスだったら、神を呪ってやると決意して。

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僕はしばらく、モニタを見つめたまま硬直した。

なんだこのメールは......

まず......、『まゆみ』とは僕のもう一つのHNだった。

他にも無数のHNがあったが、『ジスカルド』以外のHNを知っているのは、コアなファンである証拠だ。

次に、『UNPOKO』とは、サイトで売っている僕のオリジナルCDの一タイトル。

通販利用経験者だと判断できた。

しかしそのタイトル名から予想できるように、一般のファンがほとんど買わない一枚である。僕が冗談のように通販ページに並べた実験的CDだった。

メールの出だしでそのCDの事を持ち出してくるだけでも、相当なファンである事が予想されるが、その内容が「タイトルをローマ字にした事への批判」とは、これはいったい......

僕のゲームについても触れられているが、メールに書かれた『れいんぼーラン』とは、恐らく『レインボー〝ライン〟』の事だと思われる......

『まゆみ』という別HNまで知っており、マイナーなCDまで買っている程のファンが、僕の最近のゲームタイトルを間違えて憶えるだろうか。それとも単なる脱字なのか。

前後の調子から見ると......、わざと間違えて書いて、僕を挑発しているようにも思えた。......いや、もはやそうとしか思えない。

そして何より気になった点は、この差出人のはなはだ批判的な文体だ。

ただの批判メールならいくらでも読んだことがあるが、このメールはそれらの類とは全く別物である。

これがもし真性の批判メールだとしたら、添付された写真が偽物だったり、いたずらな物である可能性は高い。

だが僕にはそうは思えなかった。

僕は数度メールを読み返し、差出人の思考の輪郭をなんとか想像しようと努めた。

相当なファンである事が端々から感じられるが、それとは裏腹にあげつらった喋り口調......

差出人は女子高生か、中学生か?

なんにせよ、このメールはおかしい......

通常ではない。

ツッコミ所も含めて不可解な点があり過ぎる。

僕はPCのモニタを前に、この差出人の人格は到底はかれるものでは無い、と判断せざるを得なかった。

......いや、残された情報がまだ一つあるのを忘れてはいまい。

右手でそっとマウスを握り直した。

マウスカーソルをゆっくりゆっくりと移動させ、添付アイコンへと導いていく。

緊張。

ワンルームのこの部屋に、僕以外の人間がいない事を確認する。

そして、恐る恐る添付ファイルを開いた。

か、神よ!

......そこには、純白のパンツを身につけた女の子の下半身が写っていた。

顔や胸までは写っていない。

正面から撮られており、おしりは見えないが、色白の細い両足がすらっと伸び、小さな膝小僧ひざこぞうがなんとか写真の中に納まっている。

太股の丸みが生み出すハイライトは、パンツそのものよりも白く輝いて見えた。

そして写真の中心部に写る、彼女の下半身にぴったりと密着したそのパンツは、恐ろしいほどみだらな魅力を、PCのモニタを突き破って発していた。

下着の種類や、足の細さ、肌の質感から察するに、この被写体はまだ若そうだ。

ただの写真画像だというのに、僕は自分の顔が火照ほてるのが分かった。

たまげた。

本当に、自分のパンツ姿の写真を添付して、メールを送ってきた女の子がいたのだ。

羽織っていた毛布がいつの間にか肩から落ちていた。

拾いなおしもせず、呆然ぼうぜんと画面を見続けた。

この写真画像がネットのどこかから入手された偽物である可能性や、メール自体が冷やかしの偽メールである可能性を、僕は完全に取り払った。

あまりに不思議過ぎる文体と内容が、それが作り物ではない事を既に証明していたが、......写真を見て確信に至った。

この写真には、被写体の後ろにパソコンのモニタが写っており、そこには僕が作ったゲームが表示されていたのである。

か、神様......

ほんの少しでも疑ったりして申し訳ございませんでした。

僕が間違っておりました。

なんと素晴らしい贈り物でしょうか。

神様はついに、救いの手を差し伸べて下さったのですね。

ああ......ありがとうございます。

本当にありがとうございます。

............

でも、神様......

この女の子のメールは、どうしてちょっとおかしいのですか......

僕はその後も、何度もメールを読み返し、そして何度も写真を見た。

文章と写真の被写体を、様々な角度で組み合わせてみる。

だが、いくら考えても「頭のおかしな女の子」というイメージ以外、いてこない。

それ以前に、この文章がどこまで本気なのかすら分からない。

この『eri_k7721@yahoo.co.jp』という女の子......、謎だらけだ......、謎過ぎる。

何歳なのか......

どんな顔なのか......

どこに住んでるのか......

いったい何の目的でメールを送ってきたのか。

......何も分からない。

僕のゲームのファンであることは確かだが、他のファンとは全く違う異質さを感じる。

もっと彼女の事が知りたい、と思った。

そうだ、返事を書かなくては。

何しろ「へんじがこなかったらじさつします」と書かれている。

返事が来ないくらいで自殺されたらたいへんだ。

僕は細心の注意を払いながら返事を書いた。

相手は得体の知れない子だ。些細ささいな事で気を悪くさせてしまってはいけない。何しろ事によっては自殺を促してしまう可能性すらある。かと言って、どんな事を書けばこの女の子が喜ぶのか、全く推測できない。

五百文字程度のメールと一枚の写真画像。

その僅かな情報から感じ取れる、彼女の神秘さと破天荒はてんこうな魅力......

僕はいつの間にか、得体の知れない彼女に夢中になっていた。

CHAPTER 1-4
2011:04:10
2011:04:10

4『はじめまして、まゆみおうじさまです』

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CHAPTER 1-5
2011:04:11
2011:04:11

5『マック邂逅かいこう

アラームは昼の十二時三十分にセットしたはずなのに、目が覚めたのは朝の八時だった。

二時間ゲームを作ったが、そわそわしてずっと落ち着かない。

ネットを徘徊はいかいするも、胸の高鳴りを静められる物は何も見つからなかった。

時計を見るとまだ十一時だった。

待ち合わせは三時だが、彼女なら朝からでも待っていそうだな、と一人で笑った。

午前中の外の空気が好きだ。自転車で大井町まで散歩するのは悪くない。

どこかで丼ものでも食べて、碁会所ごかいしょに行って、そんな事をしてるうちにすぐ三時になるだろう。

僕はシャワーを浴びて着替え、外へ出た。

外界は少し肌寒い空気と完璧な青空によって構成されていた。

アパートの前の道では、課外授業中の小学生達が大移動の真っ最中だ。子供達の黄色い帽子をかきわけて、自転車で大井町方面を目指す。戸越とごしにある僕のアパートから大井町までは自転車で十五分くらいだ。

途中、戸越と大井町の中間地点にある下神明しもしんめい駅前のコンビニで、包帯とバンソウコウを買った。

大井町まで到達すると、そのまま近くの食事処にでも入るつもりだったが、一応マクドナルドの方へと確認しに行った。あんな突飛とっぴなメールを書く彼女のことだ。もしかしたら本当に朝から来て待っているかもしれないと不安に思ったのだ。

マクドナルドの赤い看板の色が目に入ると、両手がピリピリするのを感じた。

約束の窓際の席は、店外からでもはっきりと確認できる。

自転車に乗ったまま十メートルの距離まで近づいて、僕の心臓は一気に高鳴った。

......いた。

真っ黒い前髪で目の隠れた女子高生が、なマフラーに包まれて座っていた。

携帯を一心不乱に見ている姿は、普通の女子高生となんら変わり無かったが、テーブルの上に山と積まれたハンバーガーと、無造作に散らかる見覚えのあるCDケースが、彼女がエレGYである事を証明していた。

ふっと彼女が、こちらを見た。

彼女の照準はすぐに僕を捕捉した。

エレGYはさわやかに笑って会釈えしゃくをした。

一瞬、何故僕が僕であると分かったのか混乱したが、僕の姿などいくらでもネットに流出しているのを思い出した。ゲーム制作現場の映像や、僕本人が出演している映像作品なども、アンディー・メンテにはファンを楽しませるためにアップロードされている。

僕は会釈をし返した。

ガラス越しに僕を見つめる彼女の目の前に自転車を止めて、店内へと入った。

すぐに席には向かわず、まずカウンターへ行って注文をする。

彼女の方には一瞥いちべつもくれない。

カウンター前から彼女のいる席は見えなかった。

おそらく彼女は、僕がトレーを持って席へとやって来るまでの時間を永遠のように感じるだろう。

ちょっぴりいたずら心が出る。

会計を済ませ、ポテトとストロベリーシェイクのったトレーを受け取った後も、僕はしばらくその場を動かなかった。

こういう状況で相手や自分をじらすのが好きだった。

飛躍した幻想など、あっという間に覚めてしまう事を僕は知っている。

これまでも何度か、僕のゲームのファンである女性と直接会う機会があったが、誰もが幻想で僕を見ていた。

そして幾らかの会話を交わしていくうち、彼女達は現実とのギャップを上手うまく埋められず、僕に対する情熱から冷めていくのだ。

しかし、それがあっという間に覚めるものだとしても、魔法が効果しているうちは、僕はファン達にとっての王子様に違いない。

こうして席へ着くまでの時間をスローにする事で、その「あっという間」をほんの少しだけ延長させる事は可能である。

僕はアイドルでもスターでも、もちろん王子様でも無い。

ネット上でゲームを制作し公開しているだけの男。フリーウェアゲーム作家という名の貧乏人だ。

彼女の幻想に見合うだけの実体が足りない事は分かっている。

だからせめて、彼女が幻想を抱いている間だけでも、その状況を楽しみたかった。

僕は深呼吸をし、ゆっくりと窓際の席を目指した。

彼女はうつむいて座っており、近づく僕をチラチラと見ては気にしている。

量のある髪が、精霊を隠す森の木々や葉のように彼女の顔を包んでいる。

その狭間はざまからのぞく上目遣いの瞳と目が合い、咄嗟とっさに二人して目をらした。

二人の間を漂う微妙な空気とは裏腹に、テーブルの上の惨状には思わず笑いが込み上げてきてしまう。

山と積まれたハンバーガーは本当に五十個くらいありそうだ。

しかしそれでも僕は平然と席につき、上着を脱ぎながら「おはよう」と告げた。

彼女の王子様は、きっとハンバーガー五十個くらいで、はしゃいだりはしないのだ。

彼女は慌てながらも、テーブルの上に散らばったハンバーガーやCDを脇に寄せて、僕のトレーのスペースを確保してくれた。

彼女のそでから白い手首が覗く。

そこにしっかりと刻まれた生々しい傷たちを、僕は気づかれないように確認した。

傷は両手首にあった。

皮膚ひふが赤紫ににじみ、まだえ切っていない。力を加えれば簡単に血が噴出しそうだ。

それ以外に、いくつかの古い傷跡も各所に見えた。

「じすさんきた。えと、じすさん、はじ、はじめまして。ごめんなさい。うわーどうしよ。まじやべえ」

耳を赤くさせて嬉しそうに困惑する彼女が、後どれくらいで幻想から覚めてしまうのかを考えると少しだけ寂しくなった。

「目を覚ませよ」と言って彼女の失望を早めたい衝動に駆られたが、そんな事をしても誰も得をしない。

代わりに「じすさん来たよ」となだめるように優しく言った。

「うん、来たね、ほんとに来た......、ありがとう」彼女は恥ずかしそうに微笑ほほえんだ。

近くで改めて見ると、彼女は美しかった。

黒い前髪に混じるどこか深遠な感じの目。白い皮膚にあどけなさを散らすそばかす。それらとは真逆に、年齢とは不相応なつややかさを放つ唇。化粧はほとんどしていない。純粋な黒と白とピンク。美しさの三原色。僕の印象には、そこに手首の赤紫が加わる。

彼女は興奮したままだった。

「おちつけ、女子高生」

そう言って僕は笑いながら、コンビニ袋からバンソウコウを取り出した。

せわしない彼女の両手首を捕まえて、まだ癒えきっていない傷口にそっと貼った。

彼女はさまざまな弁明のような事をつぶやいて、目をまん丸にして泣いた。

CHAPTER 1-6
2011:04:12
2011:04:12

6『自転車の前カゴの中の少し美味おいしいハンバーガー』

「学校帰り?」

エレGYの制服を見て聞いた。

「んーん。あ、これ着てるだけ。学校ずっと休んでるから」

「近くに住んでるの?」

「うん、蒲田かまた、このマックちょー来るよ」

「僕の家はすぐそこだよ。戸越公園の裏なんだ」

「うん知ってる。CDとか注文した時、住所載ってて、わー近くだって思って。一回家の前まで行った事あるよ。びびってすぐ帰っちゃった」

「え、本当に?」

「本当に......あはは、ごめんね」

「『アンディー・メンテ』って知ってる? 僕のサイトなんだけどさ」

彼女が知らないわけがない。冗談のつもりで聞く。

「知ってるよ」彼女はにこっとして、軽快に答えた。

「いつから知ってるの?」

「結構前、......二年前くらい」

「へー、長いね。何のゲームが好き?」

「全部」

「全部かっ」

「うん、全部」

「て言うか、なんでこんな早くから居るんだ。三時からって言ってたのに」

「私行くとこ無いから......暇人ひまじんだし。あはは」

「しかも、CDこんなに持ってきて広げてるしさ」

「えー。広げてないと誰が私なのか分かんないじゃん」

「ああ、そうか。広げてたからすぐ分かった」

「でしょっ」

「広げておいてくれてありがとう」

「あれー、じすさんって、どうして『ニャー』って言わないんですか? ネットの日記とかじゃ猫語なのにっ」

「言うわけないだろっ」

「語尾に『ニャ』とか付いてないよ? なんで?」

「だからそれはネットだけだよっ。それにもう、最近はそんな書き方してないし。リアルで喋ってたら怖いニャ」

「ぎゃはははは、ウケル、きもい」

「だ、だから言ったんだ......

「あははは。んーん、大丈夫だよ、じすさん。へぇ......やっぱり『ニャ』って言ってるんだ」

「だから言ってねーよっ」

「ぎゃはは」

「企画書持ってきたの? ほら、ゲームの案があるってメールに書いてた」

「うん、持ってきたよ。えとね、ほら見て。......これとね、これ」

「どれどれ......。なるほど、全然面白くなさそうだ......

「えー......、ひどーい」

「はは。よしっ。これ持って帰っていいかい?」

「うん、いいよ。持って帰ってっ。作ってっ。スタッフロールにエレGYって入れてねっ」

「作ったらね」

「やったあー」

「そうだ。携帯ムービー撮った?」

「え、あ、うん、撮ったよ。見たい? 見たい? 見る?」

「うん、見せて」

「ちょっと待って。うわまじ、見たい? じすさんえろいよっ。どうしよ......、えーと、はい、これっ見てっ」

「うわっ、脱いでるじゃないかっ」

「で、でで......でしょっ。私頑張ったからねっ。欲しい? ねえ、欲しい?」

......あんた、顔真っ赤だよ」

「えーーーっ、噓、ちょ、ちょっと、もうっ、あー恥ずかしいっ」

「じすさん、はいこれっ。ちゃんとCD‒Rに焼いてきたよ。これに入ってるからっ」

「何が?」

「このムービーが......

「あはは、馬鹿じゃないの」

「うわー......、ひどい、いらないの?」

「いるよ! もちろんいる! やった。もらった。もらったぜ!」

「それ見て、ひとりでやるんでしょ......

「ああ、やるよ」

「やらし......

「悪い?」

「悪い、へんたいっ」

「おめぇが撮ってんじゃん!」

「あははは、あー緊張した......、フー...

「ステストって知ってるかい? ステッパーズ・ストップっていうサイト」

「えーと、ポーンさん? ......っていう人の所だよね?」

「そう、ポーンさん。アンディー・メンテと同じようにゲーム作ってる所だよ」

「ちょっとだけ知ってる。時々じすさんの日記にでてくるから」

「そうか」

「ねえ、じすさん。メアド教えて、携帯の......

「えー、いいよ」

「あ、あとメッセもっ、登録して!」

「えー、いいけど」

「パチパチパチパチ」

「じすさんって囲碁いご好きなんでしょ?」

「ああ、好きだよ」

「日記によく出てくるもんね」

「ここから歩いて二分くらいの所にあるんだよ。僕の行ってる碁会所」

「へーーっ。実は私も囲碁やってみたんだっ。じすさんの真似まねして......。時々ネット碁やってるの」

「ふーん、どうせすぐ止めるさ」

「なんでっ、私やるもんっ。てんてんてん、にこにこあせまーく!」

「なんじゃそら......

「さてと、どうしよう。まだお昼も来てないし、......帰ろうか」

「えー......、じすさん、もう帰るの?」

「何か面白い事ある?」

「うーん、......自転車、うしろ乗せてっ」

「乗ってどこいくの?」

「そこら辺」

「あそう......。いいよ、よし、自転車乗ろうぜ!」

「うん」

「あっ、これどうするんだ、大量のハンバーガー!」

「じすさんにあげる。私食べると太るから」

「こんなに食えるかよ!」

自転車の前カゴに詰めに詰め込んだハンバーガー達は、後ろに乗せた人間のせいで数度転倒する度、道路に投げ出されては転がった。

その日の午後、ハンバーガー達は僕の胃袋を必要以上に満たし続けたが、結局全ては食べきれず半分以上が捨てられた。

しかしそれでも普段何気なく食べるハンバーガーよりかは、確かに美味しい味に違いなかった。それらはどれも形が崩れて冷めていたが、彼女の笑い声を聞きながら食べると、他のどんなハンバーガーよりも不思議と価値のある味に思えた。

夕方になって帰ることにした。

マクドナルドの前に再び戻り、そこで別れる。

自転車に一人で乗り、漕ぎ出そうとして「あっ、じすさん」と呼び止められた。

振り向くと、彼女は両手首を頭の横につけて、うさぎのように飛び跳ねながら、

「ありがとう、バンソウコウ!」と言った。

CHAPTER 1-7
2011:04:13
2011:04:13

7『帰り道』

エレGYと別れた後、帰り道の僕の脳内は彼女の事でいっぱいだった。

自転車を漕ぎながら、夕日をぼうっと見つめ、長考する。

エレGYから受ける若い新鮮なエネルギーが、僕にはまぶしかった。

その上、僕の作品や表現の全てを手放しで受け止めてくれる。

まさにいやしそのもの。

彼女と話をしているだけで、昨日まで憎かったこの世界が途端に素晴らしい物に見えてくる。

エレGYは僕の作品の全部が好きだと言ってくれた。

なんと嬉しい言葉だろう。

フリーウェアゲーム作家として送ってきた苦しい日々が全て報われるようだ。

だが、待て......

それらはみな、彼女の抱いている『じすさん』という幻想の上に成立しているのを忘れてはいけない。

数回も会えば彼女もまた、これまでのファン同様にやがては僕に飽きてしまうのだ。

踏み切りで止まった。

遮断機しゃだんきは下りているのに、なかなか電車が来ない。

......しかしエレGYは、今までのファン達とはどこか違う。

彼女は何か......、変だ。

間違っても普通の女の子とは思えない。

普通の女子高生は、自分のパンツを脱ぐムービーを会った事もない人間のために撮ったり、ハンバーガーを五十個も注文したりしない。

確かに僕の作品は、一般の物とは違った天邪鬼あまのじゃくな作風が多い。音楽やゲーム以外のコンテンツにおいても、どこかひねくれた反社会的表現が含まれる。そうした部分にかれるファンには当然変わった人が多くいた。

だがエレGYは、それらの人達とも違うように思う。

第一感、最初のメールを受け取った時に、不思議なオーラを感じたのは本当だ。

......エレGYはおかしい。

とてもおかしい。

もしかしたら、おかしい彼女ならば今までのファンとは違い、僕に幻想など抱いていないかもしれない。

もしかしたら、本当の僕を理解してくれた上で......

それならどんなにいいか。

勝手読みだと頭を振った。

今日の会話を振り返っても、彼女が僕の事を有能でハイセンスな人間だと思い、尊敬の眼差まなざしで見ている事は明白だ。

しかしその実体は、ゲーム会社を逃げるように辞め、社会から逸脱してしまった低収入の泉和良というただの男......

電車が轟音ごうおんと共に通り過ぎた。

うう、なんて事だ。

彼女が目を輝かせながら見ている相手は僕ではない。

彼女の視線の先にあるのは『ジスカルド』というネット上に生まれた僕の分身の方なのだ。

そんな事は今までの経験を振り返れば、最初から分かっている事だった。

遮断機が上がる。

だが僕は、踏み切りの前で自転車にまたがって、ぼけっと突っ立ったまま。

遠くのビル群にもうじき隠れてしまう夕日に、じっと目をらした。

もっとエレGYに接近したかった。

彼女の持つ未だ解明されない多くの謎が僕の興味を最大にまで引いて止まない。

できる事なら明日......、いや今夜にでも、もう一度彼女と会って話がしたかった。

しかしそんな活発な接近は、魔法が解けるまでの時間を早めかねない上、僕自身の感情を加速させてしまうだろう。

あまり彼女に入れ込んで、魔法が解けた後に傷つくのは僕だ。

過去の経験が、彼女への気持ちをもっと抑えて距離を置く事を提案していた。

秀策しゅうさくも言っている。逢危須棄......あやうきにえばすべからくつべし。

夕日が沈んで、空が一気に暗くなり始めた。

      ×

家に着くと玄関の扉にメモが挟まっていた。

『泉和良様、家賃二ヵ月分が未払いのままです。至急ご連絡下さい。大井建託おおいけんたく

僕はそのメモを手に取ったまま、ただ立ち尽くした。

エレGYの事で染まっていた脳が、一瞬にしてにごった暗黒で満たされた。

数日前、電気代を払うために預金からお金を下ろした際、明細票に印刷された残高は確か四千円。

ちょいと一、二時間、もうこのまま玄関の扉の前で立ったままでいてやろうか、と意味不明な事を考えた。そんな事をしても誰もくやしがらない。

家の中へ入る気力も無くなった。

寒いからすぐに入った......

玄関に靴を脱ぎ捨て、手持ちの金を確認しようと財布を取り出す。

ポケットから何かが落ちた。

バンソウコウの箱。

エレGYの顔が浮かび、家賃滞納の憂鬱ゆううつな気持ちが少し和らいだ。

「女子高生のファンまでいるのに、家賃滞納ですか......」と、独り言を言う。

玄関の棚の上にあったボールペンを取って、バンソウコウの箱のふたに『エレGYのリストカット用』と書いた。

財布の中を見るのは止めた。

財布はバンソウコウの箱より軽かった。

最近はゲーム制作もサウンドトラックCDの制作も、遅々ちちとして進んでおらず、当分の間は新作発表による収入は見込めない。

どこかの誰か数十人が突然アンディー・メンテのファンになり、現在販売中の全てのCDとファンブックを一度に購入してくれたらいいのだが......、そんな期待はするだけ無駄だ。

この半月、携帯の着信履歴は不動産会社のナンバーで埋まっていた。

引き延ばすのは限界だった。

残された道はただ一つ......

ぐっと奥歯を嚙み、自己嫌悪けんおと罪悪感を押し殺す。

僕は携帯を取り出して、この世で最もみじめで情けないメールを書いた。

『お父さん、お母さん。お元気ですか?

実は、家賃が払えません。

どうか家賃六万円を仕送りしては頂けないでしょうか。

まともな仕事にも就かず、このようなお願いをしてごめんなさい。

一ヵ月分だけでも払わないと、今にも追い出されかねない状況で、万策ばんさくき、お父さん、お母さんにメールをした次第です。

本当は電話で話すべきですがつら過ぎてできません。

今日にもアルバイトを探してなんとかするつもりでいます。

どうかよろしくお願いいたします。

                                 和良』

うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

僕は心の中で泣き叫びながら、その日のうちに荏原えばら郵便局人事課へ電話した。

三日後、女子高生の熱烈なファンまでいる自称フリーウェアゲーム作家は、副職として郵便屋さんで夜間のアルバイトをし始めた。

CHAPTER 1-8
2011:04:14
2011:04:14

8『碁会所』

バイトを始めて二日目の昼、僕は碁会所に向かった。

碁会所は、大井町駅から歩いてすぐの、古いビルの二階にあった。

暗い階段を昇って、開き放しにされた入り口を通り、店内に入った。

煙草たばこの匂いと、碁石を洗った洗剤の匂いが混じって漂っている。

「お、いらっしゃい、ああそうだ、今日はレッスンだったか」

椅子いすに乗った初老の男性が部屋の奥から現れ、愉快ゆかいそうな顔をして言った。

彼はこの碁会所の席亭せきていである。

僕は彼から週に一回、指導碁のレッスンを受けており、彼の事を先生と呼んでいた。

お客はまだ誰も居なかった。

壁に掛かった時計はまだ一時を指している。

お爺さん連中がやってくるのはもう少しってからだ。

時計の隣には、日本棋院きいんより発行された六段の免状と、アコースティックギターが飾られている。どちらも古くほこりをかぶっていた。

先生は若い頃はミュージシャンだったそうだ。フォークブームの頃にバンドとしてデビューし、三十歳の時に引退してこの碁会所を開いたらしい。そのせいか、喋る言葉もユーモアと知性に溢れ、他の大人達とはどこか違って見える。

数ヵ月前、僕が初めてこの碁会所に来た時も、先生は同じように車椅子で部屋の奥から現れた。

「どれくらい打つの?」

生まれて初めて碁会所という未知の場所を訪れ、極度に緊張していた僕は「ま、まだ碁盤で打った事がないんです......、ルール覚えてまだ浅くて、ネットで打ったりしてます」とおどおどしながら答えた。

「高校生かい?」

「い、いえ、もう大学も卒業してて......

「ああ、じゃあもう社会人かっ。仕事は何してるの?」

「無職です......

「あははは、じゃあ金ないな。月謝安くしてあげるから、ここでやってる子供教室に通いなさい」

そうして僕はこの碁会所に通うようになった。

二十代の年齢で碁会所に通う人はほとんどいない。

僕は珍しがられて、先生をはじめ、先生の奥さんや碁打ち仲間のお爺さん達など、大勢の人によくしてもらっていた。

僕は先生と向かい合って席についた。

碁盤の上から黒石の入った碁笥ごけを手前におろす。

指導碁で僕が先生にハンデとして置かせてもらう置石は三つ。ここに来て間もない頃は九つだった。その数が少ないほど、僕と先生の実力差が縮まっている事を意味する。

「お願いします」

対局が始まった。

レッスンは二時間ほどで終わった。

その頃には、お爺さん連中も現れ、店内で対局し合っていた。

お茶を飲みながら、お爺さん達の対局を横から覗いていると、上着のポケットの中で携帯がブルルルと振動した。

エレGYからのメールだった。

『じすさん、今日も遊べにゃいんですか? どうなんですか? どうなんだ! おい! 答えろ! 殺すぞー!』

殺されては困るので、返事を書く。

エレGYと会った日から、似たようなメールを二度もらった。

しかし、自分の気持ちをまだ落ち着かせられずにいる僕は、二度とも断った。

『今日は碁会所にいるからだめさ』と打って送信。

これで三度目。気がとがめた。

複雑な感情が僕を悩ませていた。

彼女には魅力的な要素が多い。

強烈無比な性格の上、美人だ。

会えば自分の気持ちが揺らいでしまいそうで怖かった。

彼女はただのファンだ。

それ以上ではない。

僕のことなど何も知らない。

ネット上のジスカルドを見て、幻想を抱いているに過ぎない。

今はまだ、僕をジスカルドと同一視しているだろう。

だが、「リアルの泉和良はジスカルドとは違う」と、彼女もいつかは気付く。そうなれば彼女は僕に失望し、去っていくに違いないのだ。

だから、ファン以上の関係を求めてはいけない。

距離を置くべきだ。

彼女に気持ちがかたむかないようにしなくては......

再び会うにしても、もっと冷静になってからの方が安全だ。

僕はそう自分を納得させた。

「兄ちゃん、打つかい?」

お爺さんの一人が僕に声をかけた。見覚えの無い顔だった。頭もひげ白髪しらがだらけの、背の低い優しそうなお爺さんだ。

夕方からの郵便局のバイトにはまだ時間がある。

「はい、打ちます」と答えた。

「兄ちゃん、どんくらいじゃ?」

「えーと、二段くらいです」

「強いのうっ。わしが黒で、センでもいいかい?」

「はい」

『先』とは、ハンデなしで先に打つ事を言う。

囲碁は一手ずつ交互に打つため、先に打つ方が若干有利となる。

そこで通常は、後から打つ側に、最初から六目半の持ち点を与えて、平等な対局とする。

ところが、これが『先』になると、両者共に零点のままスタートする。

当然、後から打つ側は不利になるのだが、対局相手が自分よりほんの少し強い場合などには、この『先』で丁度良くなる。

囲碁は先に打つ方が黒石を持つので、お爺さんが黒番。『先』であるため、白番の僕が不利。

つまり僕が二段なら、このお爺さんは初段くらいだと予想できる。

「お願いします」と、しわがれた声でお爺さんが言った。

僕も挨拶あいさつを返す。

お爺さんは、一手目を右下の星に打った。謙虚さの表れる初手しょてだ。

右上隅から打つのが多いのだが、右下隅は、打つ者にとって最も近い場所になる。逆に言えば、相手にとって最も遠い場所。そうした初手は、謙虚さや警戒心を感じさせる。

反対に、これが敵意き出しなら、左上隅から打つ。左上隅とは、相手にとっての右下隅つまり相手に最も近い場所だ。相手の懐へいきなり初手を打てば、敵意もしくは、やる気満々と受けとめられる。

お爺さんにならい、僕も手前隅の星に打った。

三手目・黒番。お爺さんは、右下の星から大ゲイマの位置へシマリ。右下隅の陣地を囲う手。

星から大ゲイマへと、すぐにシマる手は珍しい。を囲うにはやや中途半端で、中央の戦いに対してもシマリが消極的となる。

四手目・白番。僕は、手前のもう一方の隅の星に打った。

すると、五手目で黒は、その白の石にすぐにカカってきた。

......地を囲うかと思えば、五手目で空き隅を残したまま突然のカカリ。初手からは一転し、鋭い気迫を感じた。

変わった布石を見て、このお爺さんと以前に対局した事があるのを思い出した。

改めて顔を見たが、なんとなく記憶にあるような無いような。しかしその後の手を見ても、石筋には確かに憶えがあった。

碁会所には毎日大勢のお爺さんが来るし、同じような格好の人が多いので、なかなか見分けも付きにくい。

だがこうして対局すれば、石の流れが全てを教えてくれる。

相手がどんな人なのか......、前に打った事がある人なのか......

対局は中盤で唐突に終わった。

お爺さんがポカをし、大石の死活が問題になる難しい戦いが発生した。それ以前に争っていた箇所との絡みとなり、数手で局面が破綻はたんする。

お爺さんは、自分の取り皿の中の石をジャラジャラと盤上に落とした。それは投了の合図だ。

囲碁は実力差がはっきりする苛酷なゲームである。スポーツのように体力を必要とはせず、年齢や性別に関係なく誰にでも真剣勝負が可能ではあるが、その分勝敗には有無を言わさぬ厳しさが伴う。だれにも対等に勝負ができるということは、大人が子供に負けることもあるし、図体の大きな男がかよわそうな女の子に打ちのめされることもある。そしてその結果は対局者の力関係を容赦なく明確にさせてしまうのだ。

このお爺さんは、七十歳はありそうな風貌だったが、半世紀近くも年下の僕に「ありがとうございました。また教えて下さい」と礼儀正しく言った。

見ると、対局中の気迫からは想像もつかないようなほぐれた笑顔で、にっこりと僕の顔を見ていた。

神経が極限まで研ぎ澄まされた後の......、対局直後のこの感じが好きだ。

まるで今まで別の空間にいたような気がする。

終わってみれば、命懸けの激闘を繰り広げた相手は、すぐ目の前に座っていて、ほがらかに微笑んでいる。

僕はかしこまって「こちらこそありがとうございました。また打って下さい」と頭を下げた。

その後も、何人かのお爺さん達と対局した。

時計が五時をまわって、一区切りがついた。

今からここを出れば、六時からの郵便局のバイトに間に合うだろう。

先生やお爺さん達に挨拶をして、店内から出た。

ビルの下へ降りる階段は、夕方のせいで来た時よりも暗くなっていた。

足元を確認しながら降りて行くと、オレンジの反射光が下方からしてくる。外は夕焼けだ。

出口が見えると同時に、女の子の足が見えた。黒いソックスを穿いていた。

一段降りるごとにフレームが上がり、やがて短くした制服のスカートが見えた。薄い臙脂えんじと紺のチェックの入ったスカートが夕方の風に揺られ、そこから夕日を反射して輝く太股が覗いていた。更にフレームが上がると、黒いカーディガンが見えた。胸元にはねずみ色のリボンが垂れ、隙間から中のブラウスの白が見えた。

顔に至る前に、その女の子が誰であるか察しがついた。

相手もそうだったに違いない。

僕が階段を降り切る前に、彼女の方からビルの中へと飛び込んで来た。

「じすさん、いた!」

ビルの外からの逆光で、彼女の顔が薄暗い。そのせいで余計に笑顔が印象的に見えた。

黒髪と赤いマフラーを揺らしながら階段を昇ってきて、僕の右手をつかんだ。

彼女の手は小さくて冷たかった。

手を摑まれただけだというのに、胸奥の琴線きんせんが振動した。

彼女がニヤリとする。

次の瞬間、僕の手は強い力で下へと引っ張られた。

「うわっ」

それを全く予想していなかった僕は、慌てて左手で手すりを摑んだ。

しかし落下の勢いを完全には止める事ができず、僕は彼女の頭の上におおいかぶさるように倒れこんだ。

「きゃっ」と言って彼女は僕の体を受け止めた。

冷や汗が出た。

そのまま止まらなかったら、彼女もろとも数段下へ落下していた所だ。

手すりを取った左腕に全力を込め、なんとか彼女への負担を軽くしようとする。

「あははは、じすさん、落ちろおおおーーー!!」

「おい、ちょ......、まっ」

僕の左腕の努力は虚しく散った。

彼女は僕の体を鷲摑わしづかみにすると、自ら階段の下方へと重心をずらしたのだ。

僕の体は彼女の腕に振られ、彼女の真横を通り過ぎて、ビルの入り口へと落下した。

「うっ」と、うめいて数秒、僕の体の上に更に彼女が落ちてきた。

二度目の「うっ」は、彼女の笑い声でき消された。

彼女の髪の毛が僕のあごのすぐ下にあった。

いい匂いが鼻まで到達する。

僕の体の上で笑い続ける彼女を押しのけ、なんとか立った。

彼女を無理矢理立たせ、ケガをしていないかすぐに確認した。

彼女の手首に、僕が以前貼ったバンソウコウがまだそのままあった。

それ以外に目立った所はなく、胸を撫で下ろす。

「おまえ、殺す気か!」

「怖かったね! あははははは」

「なんでこんな事っ......

「あははははははは」

彼女は本気で笑っていた。

怖さと驚きと安堵あんどがごちゃ混ぜになる。

「はは......、もう、なんだこいつ......、あはは......

彼女につられ、僕も笑いが込み上げた。

二人で笑った。

感情が溶けて流れていく。

心の中で、再度凍結。笑うのを止めた。

冷静さを失うな、泉和良。

彼女が求めているものはジスカルドであって、おまえではない。

......ごめんなさい、探してみたら碁会所が見つかったの」

僕の表情の変化に気付いたらしく、彼女は笑うのを止めてそう言った。

「え、い、いや、いいんだよ。痛っ」

見ると、左手のてのひらを大きくりむいていた。ひじもだ。

「わ、傷。じすさん、バンソウコウまだある?」

「え、あー、ポケットにある」

取り出すと、彼女はさっと僕の手からそれを奪った。

「砂落として。貼ってあげるね」

言われたとおり砂を払い落とすと、血が一斉ににじみ出てきた。

彼女は、その上に何枚ものバンソウコウを覆いかぶせていく。

接近した彼女の横顔を見て、長い睫毛まつげにうっとりした。睫毛は彼女が視線を動かす度、ミツバチの羽のように小刻みに揺れた。

掌から側面にかけて、バンソウコウのよろいが完成した。

「あれ? 泣かないの?」と、彼女は首をかしげ、いたずらっぽく微笑んで言った。

大きな目がぱちりと瞬いた。黒く深い瞳にはオレンジの光点があった。

彼女の可愛かわいげなしぐさや、挙動一つ一つが耐えられない。

心の中の鍵を掛ける端から、錠が弾け飛んでいくようだ。

僕は彼女の顔を見ないように下を向き、ビル前に止めてあった自転車の所へ数歩移動。

黙ってガードレールと自転車を結んであった鍵を外した。

「今から、バイトなんだよ。じゃあな」

「えっ、バイト?」

目を見開いてぼんやりと聞き返す彼女を無視し、自転車を走らせた。

バンソウコウの箱を渡したままだと気付くがもう遅い。

後ろを振り向くと、彼女が手を振っていた。

手を振るなと自分に言い聞かせたが、バンソウコウを貼られて買収された左手は、僕の命令などききもしなかった。

当然、郵便局のバイトは遅刻した。

CHAPTER 1-9
2011:04:15
2011:04:15

9『ジスカルドの魔法』

ゲームをプレーして感動したら、その制作者の事が好きになってしまう事はよくある。

そうでなければ、外見が良いわけでもなく、高い収入があるわけでもない......、そんな二十六歳のならず者に好意を抱くファンは出現したりしない。

その好意とは、思い込みという幻想によって誇張され肥大している。

僕はこの現象を「ジスカルドの魔法」と呼ぶ事にした。

個人制作のゲームは、多くのエンターテーメントメディアの前にはあり同然である。

なんとか少数のファンを摑み、その場しのぎの収入を得ても、家賃や光熱費という強敵は毎月容赦なくやって来る。

フリーウェアゲーム作家一本で生活を維持していくためには、最低でも毎月一本のゲームとその二次商品を制作し続けなければならないのだ。そうしないと、次の月が乗り越えられない。

大きなゲーム会社でも、毎月ソフトを発売する所は少ない。ゲーム制作自体、膨大な時間が掛かるものだし、単なるコンテンツの乱発では駄作しか生まないからだ。

しかし僕はそうは言っていられない。

半年や一年に一本なら、いくらかのファンを獲得するだけのいい作品も作れるだろう。

だが、一年の大半をまかなう程の収入をその数回で獲得する事は、個人制作のフリーウェアゲームではまず無理である。

毎月、作り続けるしかないのだ。

たとえ駄作でも......

そんな中で、僕はある術を編み出した。

もし「作者が天才だ」とファンに思わせる事ができれば、どんな未完成な物を発表しても、ファンにはそれが名作に見えるだろう。

更に作者の事が好きになってしまえば、作者がどんな物を作ろうが無償で受け入れられる。

そう。

これが「ジスカルドの魔法」だ。

僕は、駄作しか生めないハイペースな制作を強いられる苦しい状況の中で、いつの間にか、大勢の人々に好かれるような作者像をゲームやサイト上で構築し、それを利用するようになっていた。

多くのゲームを作るうちに、ゲーム内ではプレーヤーをある程度、洗脳する事が可能であると、僕は気づいていたのだ。

プレーヤーに「ジスカルド」を理想像として演出する事で、他のどんな駄作さえも、良作に思わせる手法......。それが魔法だった。

アンディー・メンテ内のゲーム公開ページを開くと、ウィンドウのタスクバーには「あばたもえくぼ」と表示される。

そこには......、そんな魔法を利用せねば、フリーウェアゲーム作家として日々を乗り越えていけない現状を、自ら嘲笑した皮肉が込められていた。

ファンが主催するオフ会に招かれるなどして、これまで多くのファン達と直接出会った。

半数は女性だ。

彼女達全員が、ジスカルドの魔法に掛かっていた。

......ジスカルドは凄い。ジスカルドは天才だ。ジスカルドは何でも知っていて、正しき道を照らしてくれる。ジスカルドなら私を救ってくれる。この世の全ての苦しみから解き放ってくれる......彼女達はそう思っていた。そんな風に僕を見ていた。

初めは冗談かと思った。

それとも僕の気付かぬうちに、実は僕は本当に天才になっていて、神のような力を得たのかと、勘違いさえした。

......違う。

彼女達が見ているのは僕ではない。ジスカルドだ。

正体は魔法だ。

ジスカルドの魔法が、ゲームやネットを飛び越えて、彼女達の幻想をそこまで飛躍させていた。

彼女達にとって、ジスカルドはまさに神のような存在なのだ。

ジスカルドには、どんな欠点や弱点も、美点に見せる力がある。

その力の源は、全て彼女達の幻想にある。

ジスカルドが「いいゲームが作れず悩んでいる」と日記に書けば、......なんて苦悩しているんだろう。凡人には想像もつかない苦しみを抱いているんだ......と思われ、「お金が無くて生活が苦しい」と書けば、......天才はなかなか世に認められないものだ。なんてかわいそう。がんばって......と思われる。

だが、この魔法には欠点があった。

これはあくまで幻術だ。実体を知れば、魔法は解けてしまうのだ。

現実の僕を前にした時、彼女達は初めてそれが単なる幻想だと気付く。

現実の僕が同じ事を口にしても、決して美点には変化しない。

「ゲームが作れず悩んでいる」と言っても、それはただの愚痴ぐちにしか聞こえない。

「お金が無い」と言っても、もはや単に貧乏くさいとしか思えない。

個人差はあれ、どのファンも......、一度僕と会えば、あとは時間が経つほど僕への情熱から冷めていった。

ジスカルドが単なる理想像だったと分かり、少しずつ去っていった。

暴走する期待に現実が添えないのは当たり前だ。

そしてその度に、僕は思い知った。

ファンはあくまでファンである。

彼女達はファンとして理想を抱き、僕を見る。

その視線は決して真の僕に向けられているものではない。

勘違いしてはいけない。

それを承知し、自重じちょうしなくてはならない。

......自重できなかった。

あれほど気持ちを抑えろと言ったのに、心が言うことをきかなかった。

二度会っただけなのに、エレGYの笑う顔が鮮明に思い出される。

エレGYの事が頭から離れない。

彼女から魔法が解けてしまう事を恐怖している。

僕はエレGYの事を好きになってしまっていた......

僕の失恋が確定した。

魔法が切れ、彼女が「泉和良はジスカルドとは違う」と理解した時......、僕は傷ついてしまうのだ。

エレGYが好きだ......

エレGYに嫌われたくない......

だが、魔法の副作用によって敷かれたレールは、一直線に失恋を目指している。

彼女がこれまでのファンと同じく、いつか現実の僕に失望するのは必至なのだ。

後は終焉しゅうえんの訪れを待つのみ。

魔法が解けなければどんなにいいか。

......これが、今まで魔法によって、ファン達の目をあざむいてきた事への罰であると言わず何と言おう。

因果応報、自業自得。

泉和良は、自らが生み出したジスカルドによって殺される。

泉和良は愚かである。

CHAPTER 1-10
2011:04:16
2011:04:16

10『仕事』

午前中、アンディー・メンテの仕事をした。

主な仕事はまず通販作業。

メールを受信し、迷惑メールを消し、通販メールとそれ以外を抽出する。

通販メールは0件......

若干の絶望感をさらっと心の中で流す。

三ヵ月前に新作を出してからは、アンディー・メンテは半ば停止したままだ。通販利用者数の激減は必然である。

パソコン雑誌の編集部からメールが届いていた。

三ヵ月前に公開したゲームの掲載と収録の依頼だ。

返信メールを書く。

許可するといった旨を書き、掲載誌の送付先も記入する。送信。

こうした雑誌掲載の依頼は頻繁ひんぱんに届いた。

雑誌にゲームが紹介されれば、それが広告の役目を果たす。ネット以外からのファン獲得において有効だ。

ソフトウェア・ライブラリー・サイトからも、状況報告メールが届いていた。

こちらはネット内でのファン獲得において重要なサイト。

このサイトに自分で制作したゲームを登録するのだ。

登録されたゲームは、ライブラリーにジャンル分けされて保管される。

ユーザーは、そこから自分の好みに合ったゲームを見つけて、ダウンロードする事ができる。

アンディー・メンテが登録しているゲーム数は約百二十。僕が大学時代から作ってきたほぼ全てのゲームが、そこには収められていた。

送られてきた報告メールによれば、僕が登録しているゲームの中で、現在最もダウンロード件数の多いゲームは『自給自足』で、二十万件。無人島で生き残るためのシミュレーションゲーム。二年程前にネット上で口コミによって人気が広がり、ダウンロード数が一気に跳ね上がった。

その次に多いのは『スターダンス』で七万件。初期の頃に公開した正統派RPG。地味に人気があり、今でも毎月少しずつ数を伸ばしている。

三番目は『アイラム・イヴ』という医療シミュレーション。五万件。こうした定番シミュレーションはいつでも人気がある。

それ以外の僕の百十余りのゲームは、全て二千件〜四万件の間。

他のゲーム登録者の報告メールを見た事がないため、僕はこれらの数字が大きいのか小さいのか長い間分からずにいた。

だが、二年前に『自給自足』が、このサイトで毎月発表されているダウンロード数ランキングのシミュレーション部門の一位を記録した時、だいたいの見当が付いた。多分十万件を越えればヒット。それ未満は普通。

これだけのダウンロード数を得ても、ひと月に十五万円を稼ぐのがやっとだ。

先月の収入は五万円もなかった......

フリーウェアゲームは、ゲーム自体が無料。収入を得るためには、サウンドトラックCDなどを制作して売らなくてはならない。

しかし所詮身一つ。

それらを作るのにも、ゲームを作るのと同じくらいの時間を要してしまう。

『自給自足』のようなヒット作が毎月作れればいいが、そうもいかない。

ジスカルドの魔法に頼りながら、なんとかぎりぎり作品を作り続けてきた。

僕のように本業ではないにせよ、フリーウェアゲームを作っているクリエイターは大勢いる。

彼らとのつながりもあったが、百を越えるフリーウェアゲームを一人で制作して、それらを生活のために公開しているクリエイターを僕はまだ知らない。

僕は常に孤独だった。今もだ。

ネット上のどこにも、お手本や見本は無い。

中にはフリーウェアゲームから商業作品へと昇華させ、サクセスストーリーの階段を昇っていくクリエイターもいた。

だが、そんなクリエイターが生まれる度、僕はより陰鬱いんうつに、あくまでフリーウェアゲームである事にこだわった。

気付けば毎日が仕事に追われていた。

やがて疲れ果て、今に至る。

今日の通販メールが0件なのは、やはり必然だった。

通販の仕事が無かったため時間が空いた。

ゲームやCDの制作、サイトの更新など、やらなくてはいけない仕事は山ほどある。

全くやる気がおきなかった。

代わりに囲碁の本を取り出して、棋譜きふ並べをした。棋譜並べは気持ちが落ち着く。

午後になると碁会所へ行った。

昼食は抜き。お金を少しでも節約しなくてはならない。

碁会所の席料は本来千円のはずだったが、僕だけはタダだった。

「遊ぶ金がないなら、毎日ここに来て碁を打てばいい。そしたら強くなるぞ」と言って、先生は僕の席料を全日無料にしてくれたのだ。

夕方の五時になると、慌てて対局中のお爺さんに頭を下げ、碁会所を飛び出した。

そこから自転車で四十分かけて、荏原の郵便局へと向かう。

夜の十二時まで、郵便物の仕分けのアルバイトを行った。

帰宅すると深夜一時だった。

午前中に仕事をし、午後は碁会所。夕方から夜まではバイト。

そんな日が続いた。

エレGYからは毎日メールが届いた。

メッセンジャーでも、時々会話を交わしていた。

彼女とのネット上でのリアルタイムな交流は、午前中か、アルバイトから帰宅した後の深夜に限られた。

僕がメッセンジャーにログインしてわずか0.5秒で話しかけてくるエレGY。

僕が送る一通の携帯メールに対し、五通を返信してくるエレGY。

彼女は朝夕に限らずいつでもオンラインだったし、こちらから携帯メールを送って、返信が少しでも遅れた事はなかった。

エレGYが抱いているであろう幻想におびえながらも、熱心なアピールを前にするとなすすべがなかった。

日の目を見るきざしもないゲーム制作作業の上に、郵便局の夜間アルバイトの辛さが加算した今の僕には、エレGYの存在が女神にも等しく思えてしまう。

彼女と一度話せば、あらゆる苦痛が消えてくれるのだ。

たとえこれが魔法であっても......、いつか彼女が僕に飽きるとしても......、僕はこの心地よい波に何もかもをゆだねたくてしょうがなかった。

彼女からは、引き続き「次はいつ会えるの?」と催促さいそくを受けていた。

いずれ訪れる傷心から身を守るためには、活発な行動は控えるべきだ。

なるべく会う機会を減らし、僕の中の気持ちを小さくする事ができれば、魔法が解けた時のショックは軽度で済む。

僕は何とか、彼女と会う事を引き延ばし続けた。

しかしそれも一週間が限界だった。

多くの意味で弱体化した僕に、もはや気持ちの流入を止める事などできなくなっていた。

一週間後、僕は再びエレGYと会う約束をした。

CHAPTER 1-11
2011:04:17
2011:04:17

11『セカンドマック』

会合の当日、月曜日。

僕は早起きをして、約束の時間より早くマクドナルドへとおもむいた。

今度は彼女より先に待って、気分を落ち着かせたかったのだが、三十分早く到着したにもかかわらず、彼女は前回と同じ席に同じ服装で座っていた。

「まだ九時半だよっ、なんでこんなに早くいるわけ」

「いーじゃん、朝気持ちいいよ」

満面の笑みでそう答える彼女を見て、僕は思わず泣きべそでもかいてしまいそうになった。

彼女が幻想から覚めるまで後どれくらいなんだ。

魔法をちょっとやそっと引き延ばせても、いつか消えてしまうと思うとあまりに切ない。

魔法が切れた後、この気持ちをどうしたらいいんだろう。

傷つきたくない......

もっと自分の気持ちをセーブすべきだ。

......だが、半端な自制心など無意味だった。

朝マックを注文する。気持ちを整理できぬまま席につき、彼女と対峙する。

彼女の笑顔は無敵過ぎた。

まるで、ジスカルド以上の魔法を放っているかのごとく。

口角が上がって笑窪えくぼが見える度に、全身の血管が麻薬で満ちるようだ。

この世の全ての辛苦を解放するかのような繊細で透き通った声で「おはよ」と改めて言われた。

「おはよう、何時に来たの?」

平然と挨拶を返す心中は、混乱の極み。

視線が合う度、視線が合わなかった場合の平行宇宙に至らなかった事を祝福せずにはいられない。

「一時間くらい前」

「早過ぎだろ......

「私、マクドナルド好きだからいいんだ」

ああ、あの美麗びれい凄艶せいえんなぷるんとした唇はいったい何なんだと、脳は恍然こうぜんと訴えていた。

あ゛あ‌゛あ‌゛あ‌‌゛あ

もう頭がぐちゃぐちゃだ。

「じすさん、今日は何時まで遊べる?」

「うーーん......

「久しぶりなんだから、たくさん遊ぼうよ」

「そうか......、よし、今日はずっとここに居座ろうぜっ」

「えーっ、うん、そうしよう! あれ、郵便局のバイトは?」

「夕方からあるけど、それまでっ......。いや、ズル休みしようかな......、でもな......。まーいーやっ。よし決めた、休もう休もう。今日は夜まで遊ぶ!」

「えーーーっ、ホント? じすさんやばいよっ」

「大丈夫さ、副業なんだから」

「そっか、本業はアンディー・メンテだもんね」

「そうだよっ」

「わーい、やったねじすさんっ」

「やったぜ!」

もはや自制の欠片かけらも無かった。

余計な悩みは全て頭の隅に追いやった。

僕は右手の拳を大きく天へと掲げて、大げさに喜びを表現する。

すると、彼女も真似して拳を突き上げた。

「きゃははは」

彼女は無邪気むじゃきに笑い続けたが、その時、袖の口から見えた手首に、以前とは違う新しい傷が増えているのを、僕は見逃さなかった。

一瞬、話題として触れる事に戸惑ったが、彼女の右手を素早く摑むと、「これ、また切ったんだろ」とたずねた。

さっきまで笑ってた彼女の顔がぱっと怒りの表情へと変化した。

強い力で僕の手を振りほどくと、

「うるさい。おまえがなかなか会ってくれなかったから、嫌われたのかと思って死のうとしたんだよ」と、彼女は強い口調で訴えた。

瞬時に空気が一転し、頭が真っ白になる。

狼狽ろうばいした。

「ばか!!」

僕は、自分が彼女の傷の一因になっている事に心底びっくりして、思わずそう叫んでしまった。

彼女に対してではなく、自分の無頓着むとんちゃくさに対しての叱責しっせきだった。

おのれが傷つく事ばかりを気にしていた自分が、急速に情けなく思えたのだ。

彼女は、当然自分が怒鳴られたと思い、きょとんとして僕を見た。

「いや、違う。僕がばかだ」

「え?」

「いや......、ごめんよ......、ごめん。手見せて、両手」

新しい傷はちゃんと両方の手首にあった。まだ日の経っていない鮮やかな生々しい傷だ。

目の前の傷が、自分のせいであると思うと、心中に恐怖と激痛が走った。

「今日、会えたろ? いつだって会えるよ」

「え?」

彼女は不思議そうに僕を見た。僕が何を言ってるのか理解できていないかのような表情だ。

僕はしばらく、彼女の両手首を握り締めたまま放さなかった。

自分の心配だけをして、彼女の気持ちなど何も考えていなかった事が恥ずかしかった。

彼女は既に現実的に傷ついてる。弱っているのは僕ではなく、彼女の方なのだ。

彼女に救いを求めていた自分がおこがましい。

何がフリーウェアゲーム作家だろう。

救いを与える立場であるはずなのに。

彼女のような存在すら救えていない。それどころか彼女は僕のせいで手首を切ったのだ。

ああ、僕は馬鹿だ。なんて馬鹿なんだ。

「じすさん、悪くないよ。私が勝手に切っただけだしね」

少しの沈黙の後、彼女ははにかんでそう言った。まるで落ち込む僕を慰めでもするような優しい声だった。

「ごめんなさい。もう切らないで」僕は彼女の手首を握ったまま、頭を下げて言った。

「うん」

「痛い?」

「んーん、痛くない」

掌で傷口を隠すように包み、もう一度「ごめんなさい」と謝った。

「じすさんの手、柔らかいね」

見ると彼女のほおが紅潮していた。

僕はため息混じりに笑って、彼女の両手を捨てるように突き放した。

「えー、もう終わり?」

彼女は少しだけムッとした顔をして、それからベロをちょこっと出して微笑んだ。

      ×

その日、家に帰宅したのは夜の九時頃だった。

改めて時計を見、郵便局のアルバイトを休んでしまった罪悪感が胸の中で湧き上がる。しかしまぶたの裏に残るエレGYの顔がすぐにそれをかき消した。

PCを起動させメッセンジャーにログインする。エレGYは既にオンライン状態になっていた。

ついさっきまで会っていたばかりだ。さすがの彼女も今は話しかけてこないかもしれない。

僕はまだまだ話し足りない気分だったが、精神的余裕の少ない男だと思われてはだめだ。あしらうくらいでなければ、それこそあっという間に飽きられてしまいかねない。

僕は彼女に話しかけたい欲求をぐっと堪えた。

『じすさん、今度いつ遊ぶ?』

僕の低レベルな葛藤かっとうなどいとも簡単に踏み潰して、エレGYからのメッセージウィンドウは開いた。

『こんばんは、さっきぶりですね、エレGYさん』と、いかにも冷静な素振りで返事をする。心中では嬉しくてぴょんぴょん飛び跳ねていた。

『ねえ、次いつ? 明日は?』

彼女の純粋でストレートな欲求の表現が飛んでくる。

「明日!」と即答したいのは山々だが、それでも『うーん......と、あくまで渋る振りを通した。

『碁会所にも行かないといけないしな。そうだなー、じゃあ金曜日はどう? 四日後』

『うん! やった!』

『じゃあ、もう今日は寝るから』

『えー、早いよ』

『早起きしたから疲れたんだよ。でも今日は楽しかったね。おやすみ』

『凄く楽しかったよ! おやすみんみんぜみ!』

まだ全く眠くなかった。

CHAPTER 1-12
2011:04:18
2011:04:18

12『二人乗り』

四日後、僕らは再び会った。

その次は三日後に。更にその次は二日後に。

ついには毎日のように同じマクドナルドの同じ席で朝の十時に待ち合わせるようになった。

当然、午前中のアンディー・メンテの仕事はできなくなり、午後の碁会所も休む日が多くなっていった。

マクドナルドでは、エレGYはいつも僕より先に来た。

制服の上に赤いマフラーのいでたちで、僕の曲の入った携帯プレーヤーを聴きながら窓際の席に座って、何も注文せずに待っていた。

僕が一番安いハンバーガーとコーラを頼むと、彼女も真似をして僕と同じメニューを頼んだ。

昼まで話し込んで、その後は自転車で二人乗りをして、大井町中を無意味に散策した。

自転車の後部に乗ってる間のエレGYは、びっくりするほど甲高かんだかい大声で笑った。

車道と歩道をさえぎる細い分離帯を見るたびに、「その上に乗れ!!」と彼女は僕をけしかけた。

一人乗りの時でも、そんな危険を冒したのは中学の時以来だ。

まして二人乗りの状態でそんな綱渡つなわたりのような事をしたら、車輪が落ちた時にはただではすまない。

落ちた。

それも何度も。

どちらかがケガをすると、彼女はバンソウコウを取り出し......僕から奪ったやつだ......嬉しそうに傷口に貼った。

毎日、僕の脳には彼女の悲鳴と笑い声が蓄積され、体には擦り傷やあざが残った。

お風呂に入ってあざを見る度に、彼女の声が蘇る。僕だけの記憶媒体。

かつて大量のハンバーガーが入っていた自転車の前カゴは、転倒する度に変形して、ぐにゃぐにゃになった。

すぐにタイヤの空気が無くなるようになり、マクドナルド近くのイトーヨーカドーの地下にある共用の空気入れで、空気を補充してから探検に出発するのがデートコースに加わった。

エレGY自身の情報も少しずつ増えていった。

彼女は一人っ子で、母親と二人暮らし。父親はいるらしいが別居中。小動物が大好きで、インコとハムスターと猫を飼っている。

高校三年生だが、学校へはほとんど行っていない様子だった。

友達も居るようには見えない。

一度、学校へ行く事を勧めた事があったが、彼女の意思が変わらない事をさとって、以来その事には触れないようにした。

普段、家ではずっと作詞をしているらしい。

曲はあるの? と聞いたら、一応あると言う。

鼻歌だけの伴奏をラジカセで録音して、月に一回、路上で披露しているのだと言う。

僕はそれを聴かせて欲しいと嘆願たんがんしたがあっさりと断られた。

僕の願いの一切を、何の拒絶も無しに受け入れる彼女が、たった二つだけ、その登校拒否の事と歌の事をこばんだ。

CHAPTER 1-13
2011:04:19
2011:04:19

13『私、じすさんのファンなんよ』

エレGYと会っていくうち、彼女はじょじょに、僕の作品に関して中傷的な語彙ごいで感想を述べるようになった。

「『怪盗プリンス』やったかい? アップロードしてすぐの頃、低スペックだと動作しないって声が多くて、対応に苦労したんだよ」

「ああ、あのきもいやつでしょ、全然興味ない」

「え......、ガーン......

「ムービーは見た? クリスマス用のやつ」

「うん見たよ、猫が血まみれで面白かった! じすさんの描く猫可愛いよね」

「あれさ、最後にはみんな生き返って笑顔になるのがいいだろ?」

「あ、そうなんだ、長かったから途中で見るの止めた」

「あ......

「『SISTER』って凄いんだぜっ、チャットで対戦できるんだよ!」

「へーすごいね、何が面白いの?」

「面白いさっ。今度サイトで大会やってみようと思ってるんだ」

「ふーん、ジスカルドもつまんなくなったなー......

「エ、エレGY死ね!! うわあああああああああああ゛あ‌゛ああ ゛あ‌゛あ‌゛」

会って初めの頃こそ、僕に気をつかって言葉を選んではいたようだが、以前より親しくなったせいか、または魔法の効果が薄れてきたのか、今ではずばずばと本心を言う。

元々上辺うわべを取り繕うのが嫌いな性格のようではあった。

これが他の人から言われた言葉なら、他人の批評に弱い僕はいっぺんに凹んで気力を失ってしまうだろう。

だが、彼女に言われると不思議と清々しく感じられた。

ある時、どうしてそんな言い方をするのかと聞いてみた。

すると彼女は、

「私、じすさんのファンなんよ」と答えた。

彼女いわく、自分はジスカルドのファンであると言う。

彼女曰く、ジスカルドには面白い所と面白くない所があると言う。

彼女曰く、ジスカルドからそのどちらかが欠けてもダメだと言う。

彼女曰く、ジスカルドは私の言う通りにすべきだと言う。

彼女曰く、そうしてくれたら、私もジスカルドの言う事には全て従うと言う。

「じゃあ全て言う通りにするから、ここで今すぐパンツ脱い...

最後まで言い終わらぬうちに、彼女のビンタによる攻撃を受けた。

「今のはビンタ・フィフスね、第五形態のやつ」

それは僕のゲームに出てくる技の名だ......

エレGYと会いだしてから、僕はまだ一本もゲームを完成させてはいなかったが、僕の創作に関する感覚は、彼女の特異な物差しによって、日に日に新しい形状へと変化し続けた。

ゲームを作っていても、彼女が喜びそうな要素を多く加えるようになった。

サイトの更新も、彼女の目を意識して行った。

エレGYに掛かっているだろう魔法の事は依然気になっていたが、もはや彼女への気持ちを抑えることなどできなくなっていた。

いつか彼女が幻想から覚めた時の事を考え、心のどこかでブレーキはかけつつはあったが、好きという気持ちが止まらない。

彼女に関して、自分で自分を制御しきれなくなっている事が、僕を不安にさせていた。

CHAPTER 2-1
2011:04:20
2011:04:20

1『小山田幸貴おやまだこうきとniko』

土曜日の夜、僕は友人の小山田幸貴に焼肉屋へ食事に誘われた。

小山田幸貴は、僕が大阪の芸大に通っていた頃に出会った友人だ。僕と同じ頃に上京し、都内でシステムエンジニアとして働いている。こうして時折、僕の貧乏暮らしを見兼ねてご馳走ちそうしてくれる。

戸越銀座とごしぎんざにある焼肉屋へ行く前に、近くのゲームセンターで待ち合わせた。まずはそこでゲームでもして腹を空かせるのが僕らの常だ。

先に到着したので、一人でシューティングゲームをプレーした。

ゲームオーバーになって、店内を見回そうとすると、いつの間にかすぐ隣の席に小山田幸貴は座っていた。会社帰りのため背広姿だ。

来たらすぐ声をかければいいのに、アクション系ゲームのプレー中に呼びかけるなど無粋ぶすいだとするのが彼の流儀だ。

「もう予約してるよ。泉君、行こう」

僕らは焼肉屋へ移動した。

小山田幸貴は上着を脱ぎながら「どう? 調子悪くない?」と聞いた。

「ああ、大丈夫だよ。ありがと」

数ヵ月前、前の恋人と別れた時、精神的なショックで立ち直れずに混迷する僕に精神科のクリニックを勧めてくれたのは彼だった。その時は随分世話をかけてしまった。以来、僕の体調や精神状態を親身になって気にかけてくれる。彼には感謝が尽きない。

店員が運んできたドリンクで乾杯する。

「さあ、たんとお食べ」小山田幸貴は冗談ぽくそう言って、肉を焼いてくれた。

「そうだ、変な子がいるんだよ」一口目を食べて僕は言った。

「誰?」

「エレGYって子なんだけどさ......、あ、ほら、ブログ見た? パンツ姿の写真募集の......

「ああっ、見た見たっ。笑ったよ、あれ面白かった。あははは」

「それがきたんだよ、本当にっ。パンツ姿の写真添付して送ってきたんだ。そのエレGYって子がっ」

「えええっ、まじで?」

「まじでっ」

「凄いな......、僕もブログ作って書こうかな......

肉を食べながら、既に彼女と直接会っている事や、彼女が少し変わった子である事などを話した。

小山田幸貴は驚きながらも、興味深そうに話を聞いていた。

「いいなー、楽しそうで。......ああ、でも良かった。泉君、前会った時は暗い顔してたからさ」

そう言われて、前回彼と食事した時の事を思い出す。

自分がどんな顔をしていたのかは憶えていないが、エレGYと会ってから、毎日ががらりと変わったのは確かだ。

郵便局でバイトを始めた事も話した。

「バイトなんて珍しいね。アンディー・メンテ苦しいの?」と彼は心配そうに言った。

「なかなかやる気が出なくて......、新作もずっと出してないんだ」

「バイトするくらいなら、そろそろ仕事探すのはどう?」

彼は、数少ない僕の理解者ではあったが、会う度に定職に就く事を親のように勧めてきた。

「絶対イヤ」

「言うと思った......

食事の後は、人通りの無くなった夜の戸越銀座商店街を二人ではしゃぎながら歩き、彼の家へと向かった。

途中コンビニに立ち寄り、お酒一缶と遊戯王ゆうぎおうのカードを三パック買った。

それを見た小山田幸貴は、既に買い物を済ませていたにもかかわらず、対抗意識を燃やして遊戯王のカードを倍の六パック摑み取り、レジへと持っていった。僕も彼も、遊戯王のカードゲームが大好きなのだ。

彼の家へ着くと、室内に散らばる女性の所持品類が目に入った。ついこないだまでは無かった物だ。

彼は今、オンラインゲームで知り合ったnikoという女性と交際中だった。

そのゲームに彼を誘ったのは僕だったが、ある日、仲のいいプレーヤー同士でオフ会を開く事になり、そこで小山田幸貴はnikoの事が好きになった。

二人で遊戯王のカードゲームに没頭ぼっとうしていると、仕事を終えたnikoが帰宅してきた。

nikoは僕を見るなり「しすみん、何してんの!」と彼女独特のアニメキャラのような声で言った。

nikoと出会うきっかけとなったゲーム内では、僕は『sismi』というHNを名乗っていたため、以来彼女は僕の事を『しすみん』と呼ぶのだ。

小山田幸貴の場合は『ききつき』というHNだった。これまたnikoは今でも彼の事を『ききたん』と呼ぶ。

ネットやゲーム内で知り合った同士にとっては、その時のHNがいつまでも名前としてリンクされる。軽い気持ちで変な名前を付けると後でたいへんだ。

「遊戯王やってんだよ、あはははは、にこちゃん、お帰り」と、僕は言った。

「また遊戯王かっ。あっ、また新しいパック買ってる。あ、ききたんもだっ」

僕らもniko同様、リアルでも彼女を「にこちゃん」と呼んだ。

nikoの本名は千原南鈴、「ちはらなんり」と読む。日本人と台湾たいわん人のクォーターだそうだ。小柄な体と子供っぽい喋り方が彼女を幼く見せているが、二十歳だった。働くのが好きらしく、いくつものバイトを掛け持ちし、毎日夜遅くまで仕事をしているようだ。

「泉君のターンだよ、早くっ」

小山田幸貴にかされて、慌ててカードをドローした。

お酒に弱いくせに、彼と遊ぶ時はいつも強がってお酒を飲む。

焼肉屋での一杯とコンビニで買った一缶で、すっかり酔ってしまっていた僕は、手札を見つめて作戦を練るうち、瞼が重くなってきてしまった。

「あーしすみん、寝てるよっ。ほら見てっ。お酒弱いのに飲むから、すぐ寝ちゃうんだよっ」

着替えを終えて室内に入ってきたnikoが僕に指摘した。

「うっ、寝てないっ、寝てないよっ」と目をぱっちり見開いて反論したが、お腹も気持ちも満ちて眠くなった僕は、言葉虚しくそのままスリープモードへと突入していった。

半睡眠の中で、小山田幸貴がエレGYの話をnikoに聞かせているのが耳に入った。

nikoが「えーー、しすみんめ、しすみんめ」といじわるそうな声で喋っていた。

      ×

次の日の朝、シャワーの音で目が覚めた。

隣の布団ではnikoが一人で眠っていた。バスルームにいるのは小山田幸貴だ。

僕が起床したのにつられて、nikoものそっと上体を起こした。

「あーそうだ、今日ききたん仕事だった」

寝ぼけ眼でnikoが言った。

「あれ、日曜だよ? 今日」

「うん、にちよーしゅっきん。ききたんたいへんなの」

「そうかー、悪い事したな。泊まっちゃってごめんね、にこちゃん」

「いーのいーの。にこは休みだから、しすみん今日、にこと遊んでね」

「えーっ、僕がっ?」

「そだよ、しすみん、にこのおもり」

nikoはそう言うと、シャワーを終えて出てきた小山田幸貴と入れ代わるようにしてバスルームへ消えていった。

「おはよー」と、濡れた髪を拭きながら小山田幸貴は言った。

「おはよっ。小山田君、今日仕事なのかっ。泊まってすまんね」

「いーよ。にこちゃん一人だから、どっかに連れてったげて」

「にこちゃんにもそんな事言われた......、どうしよう」

早々と身支度を終えた小山田幸貴を見送って、部屋には僕とnikoだけが取り残された。

nikoが着替えと化粧をしている間、僕は携帯ゲームをして時間を潰した。

互いにまだ目が覚め切っていないせいか、二人ともほとんど喋らなかった。

別に気まずいわけではないのだが、親友の彼女と二人きりになるのは、くすぐったいような変な気分だ。

見ればnikoはそういうことをほとんど気にしていない様子だった。鏡に向かって黙々と化粧をし、服を着替える時だけバスルームへと消えた。

nikoは僕の事を完全に信用し切っているようだった。思えば初めて会った時から、彼女は僕にも小山田幸貴にも親しく、まるでよそよそしい所がなかった。誰に対してもそうであるのかどうかは分からないが、おかげですぐに仲良くなることができたのだ。歳が離れているにもかかわらず、今では親友と話すように僕と口を利いてくれる。僕は彼女のそんな気さくな人柄に好感を持った。彼女が僕を警戒するような人間だったら、こうして小山田幸貴の家に泊まることもできないだろう。

「しすみん、コンビニいくべ」と、マスカラとの格闘を終えたnikoが言った。

nikoはいつの間にか髪を後ろで束ねて、耳に白色の小さな三角形のイヤリングをしていた。落ち着きのあるベージュのワンピースを着て、下には足首まで伸びた少したるみのある黒いスパッツを穿いていた。どちらも暖かそうな生地をしており、動くと各所にできる布のしわが可愛かった。

外に出ると、空は晴れていたが、夜の間に降った雨でアスファルトが濡れていた。

両手を精一杯伸ばして、潤った朝の空気を肺の奥まで吸い込んだ。

「あー気持ちいい。ビューティフルサンデーだぜ」

「しすみん、年寄りくさいね」

「げえっ、なんでえっ。朝の空気吸ったらじじいなのかっ」

「酔ってすぐ寝るし、じじいじゃね」

「うっ......

コンビニでパンとヨーグルトと牛乳を入手して、再び部屋に戻り朝食を取った。

その後はnikoを大井町のデパートへと連れて行くため、二人で駅まで歩いて向かった。

道の途中、nikoは昨夜小山田幸貴から聞いたエレGYの事を尋ねてきた。

「しすみん、エレGYちゃんの事聞いたよ」

ニヒヒと悪そうな笑みを浮かべてnikoは言った。

「き、聞いたかっ」

「聞いた。付き合うの?」

ドキリとする。

「ええっ。えーーと......

エレGYとの具体的な進展について考える事に、僕は回避的だった。

数度会って、互いに引き寄せ合っている事を実感してはいたが、僕は未だエレGYの視線の先にある人物が、自分であるようには信じられなかった。

「なんだっ、はっきりしろ、しすみっ」

「わ、分からんっ」

「なんで? 好きなんでしょ?」

「ええっ、あんた、手厳しいね......

「当たり前ぢゃ、あほか。にこに全部言うてみ」

隣を並んで歩いていたnikoは突然立ち止まって、横から僕の顔を覗き込んだ。その目は獲物を狙う大蛇だいじゃのように光っている。

「怖いなっ!! にこっ!」

「好きなんじゃろ。どうなんじゃっ、うひゃひゃひゃ」

「ほら、あれだよ。あれ。エレGYはさ......ファンだろ。だからなんか......、アイドルとかを好きになるみたいな感じで、僕を美化して見てるんじゃないかと思ってさ」

僕は、大蛇nikoに正直な所を告げた。

「あーーー、ファンかーーーー。しすみんはアンディー・メンテの王子様だもんねえーーーー」

nikoは大袈裟おおげさに腕を組んで、何度もうなずいて見せた。

......で、好きなんじゃろ?」

「す、好きだよっ! ああ好きだよっ! でも、なんか、駄目じゃん! エレGYが好きなのはジスカルドって奴で、僕じゃないんだよっ。今はお熱って感じだけどさっ。そのうち、僕がただのつまらない男だって気づいて、熱も冷めて......、ね?」

「しすみん、ださーーい」

「ガーーーーーン......

nikoは笑っていたが、僕の言いたい事がどこまで伝わっているのか判然としなかった。

自分の虚像が一人歩きしたり、相手の虚像を追いかけたり......、そんな境遇を経験した事がなければこの気持ちは分からないかもしれない。

そう思いかけていたら......

「しすみんも、ききたんも、ゲームの中と一緒だったよ」と、nikoは言った。

「え......?」

今度は僕がnikoの顔を覗き込んで、その先を聞いた。

「会う前も、後も、しすみんはしすみんだったし、ききたんもききたんだったよ。にこもにこだったでしょ?」

「う、うん」

「エレGYちゃんはどうか知んないけどねっ。だって、アンディー・メンテのしすみんは、格好つけてるしぃーーー」

「ガーーーーーン......

結局、nikoとの会話の中では何も分からなかった。

しかし彼女は彼女なりに僕を励ましてくれたのだろう。色々と子供っぽいところはあるが、人の気持ちに対して敏感な頭のいい優しい子なのだ。

僕は自然と彼女のそうした部分に癒されて、少しだけ心が安らぐのが分かった。

その日は午後まで、大井町のデパートで買い物に付き合った。

別れ際、またしてもニヒヒと悪そうに笑い「しすみん、がんばれよ」とnikoは言った。

CHAPTER 2-2
2011:04:21
2011:04:21

2『想像の風船』

秋も終わりに近づき、寒さで気が滅入った。

今日になって更に気温が下がったようで、なかなか布団から出られず、午後になって起き出した。

メールをチェックすると、CDの注文メールが二通届いていた。

アンディー・メンテのサイト更新頻度ひんどは低下している。ここ数日は放置したまま。最後にゲームを公開してからもう随分と月日が過ぎている。

それでも少ないながら、時々こうして注文メールが届く。僕の貴重な収入源の一つだ。

一通はCD二枚。どちらもやおいゲームのサウンドトラック。

もう一通はなんと全買いだった。

やった、これでしばらく食い繫げる。

アンディー・メンテの取り扱う通販で、最も販売数が多いのはやおい系の商品だ。

やおいとは、女性向けに作られた男性同士の性愛関係を描いた作品の事を言う。

僕は数年前から、やおい好きの女性が抱く、男性には無い特殊な思考に興味を持ち、そうした要素をアンディー・メンテのゲームにも取り入れてきた。

フリーウェアゲーム界では、まだまだきちんとしたやおいゲームが少ない。おかげで、アンディー・メンテは多くの女性ファンを獲得する事ができていた。

現状、通販でお金を落としてくれるユーザーのほとんどは、コアゲーマーなどではなく、そうした女性の同人系ファンだった。昨今のやおいブームの上に、彼女達の多くは同人活動によって通販慣れしているのだ。

しかし、極稀ごくまれに現れる全買いユーザーは、彼女達とは少し違う。

低迷気味のアンディー・メンテではあるが、取り扱う商品の額を全て足すと、その金額は三万円を越す。

気に入ったゲームが一つ二つあったからと言って、個人サイトの通販に三万円をぽんと出す人はなかなかいないだろう。

全買いをするにはそれ相応の理由があるはずなのだ。

アンディー・メンテの全てと相性が合い、その雰囲気ふんいきが大好きになってしまった人、ゲームをプレーして人生を変えるほどの感動や衝撃を受けた人、そして、ゲームやサイトから垣間見れる制作者・ジスカルド個人が好きになってしまった人......つまり魔法に完全に掛かってしまった人。そんな人が全買いに至る。

僕は注文メールに返信を書き、商品の梱包こんぽう作業を行った。

エレGYも、この全買いをしてくれたユーザーのように、アンディー・メンテを好きになってくれたのだろうか......

そんな事を考えていると、ふと頭にある事が浮かんだ。

エレGYが僕のCDのいくつかを持っている事は知っていたが、いったいどれくらい通販を利用しているのか......

もしかしたら、エレGYも既に全買いをしているのではないか?

それらは通販履歴を調べれば分かる。

商品発送済みのフォルダを開き、検索欄に名前を入力しようとして手が止まった。

何度も会ってはいたが、僕はまだ彼女の本名を知らなかった。

正確には苗字を知らない。下の名は確か「エリ」だ。初めの頃のメールで彼女はそう告げていた。

僕は試しに、「エリ」の名で検索をかけてみた。

......何もヒットしなかった。

適当に漢字を当てはめ、「絵梨」で検索してみる。

......0件。

次に「絵里」で検索......

すると、二十一件が表示された。

全て「古島こじま絵里」という女性からの注文メールだった。

二十一件という数はアンディー・メンテの通販としては飛び抜けた数字だ。販売中止となった商品を含めても、これまでサイトに並べた商品数は二十五品くらいしかない。

最初のメールの日付は四年も前。

僕がまだ大学生の頃だ。

エレGYが、アンディー・メンテを知ったのは二年前くらいだ、と言っていたのとは異なる。

メールを開き、住所を確認した。

大田おおた区蒲田」......

エレGYと同じ住所だ。

確信には至らないが、僕はこの「古島絵里」がエレGYであると信じた。

一通一通メールを開いていくと、彼女は新しい商品が出る度に、その都度注文をしているようだった。

時には、既に購入済みであるはずのCDを、再び注文しているメールもある。少なくとも僕のオリジナルCDの一つ『music』だけでも、彼女は六枚所持しているはずだ。

「そんなに買ってどーすん!」と、部屋で一人ツッコミをいれた。

彼女の支払いは、半分くらいが郵便為替かわせで行われていた。

僕は、押入れの中のダンボール箱を引っ張り出し、大量に詰め込まれた封筒の中から、差出人が古島絵里になっている物を探した。

小一時間かけて見つかった封筒は三通。どれも今年に入ってから届いた物だ。他は引越しの時などに捨ててしまったのかもしれない。

三通とも同じ白い便箋が使われていた。注文商品名と住所・氏名が書かれ、簡単なメッセージが添えられている。

『いつもゲームを遊んでいます。これからも頑張ってください』

『CDが届くのを楽しみにしています。じすさんの音楽が好きです』

『新作がとても面白くて、寝ずにプレーしています。楽しいゲームをいつもありがとうございます』

更に、僕のゲームのキャラクターの描かれた紙が全てに同封されていた。どのイラストにもハートマークと星が無数にちりばめられている。

メッセージもイラストも、他のファンが送ってくる物と大して変わりはない。

だが、彼女がこれらをどんな気持ちで描いたのかを考えると、何故かつい声を出して笑ってしまった。

笑いながら僕は、エレGYがちょっとだけ怖くなった。

彼女のストーカー的所業が怖いのではない。そんな怖さなら、彼女が「家まで来た事がある」と言った時や、僕と会えない事で手首を切ったと知った時など......、とっくに慣れている。

僕が怖いのはあくまで、彼女が失望してしまいかねない事に対する危惧きぐだ。

この二十一通の注文メールがエレGYの物ならば、彼女のジスカルドに対する想いは並大抵ではない。

少なくとも最初の注文メールが届いてから四年......

僕が大阪で大学生をしている頃から、彼女は僕を知っていたのである。

その期間、彼女の想像はどれくらい巨大化しただろう。

そしてついに彼女は、現実のジスカルドに出会ってしまった。

理想とのギャップが、彼女のふくらませた風船をじょじょにしぼませていくのは目に見えている。

ジスカルドに対する幻想という名のエアが抜け切った時、彼女を四年分の失望が襲うのだ。

nikoが現実の小山田幸貴の中にも「ききつき」を見たように、エレGYもまた僕の中に「ジスカルド」を見出し、想像と現実を上手く中和してくれたらどんなにいいか。

しかしそれには、あまりに四年は長過ぎるように思う。

nikoがオンライン上の小山田幸貴・ききつきを見ていたのは、ほんの数ヵ月だ。それくらいの期間の想像なら、それ以上の現実時間がやがては溝を埋めてくれるかもしれない。

だが、エレGYの場合はケースが違い過ぎるのではないか。

「にこちゃん、四年だってさ。それでも大丈夫かな......

そう心の中で問いかけてみたが、nikoの悪そうなニヒヒという笑い声が思い出されるばかりだ。

梱包した商品を郵便局に出しに行った。

外の寒さに臆して、郵便局が閉まる直前まで家を出るのを躊躇ためらったため、かえって自転車を飛ばすはめになった。

エレGYと次に会うのは明日だった。

彼女と出会う事に、再び抵抗が生まれていた。

うっかり古島絵里の注文メールを調べてしまったばかりに、余計な心配を抱えてしまったようだ。

しかしもはや、彼女に会わないでおく事などできそうもない。

冷たい風が吹いて、落ち葉が道の上を走っていた。

上着のえりを首いっぱいまで締め直す。

魔法が少しでも持続して欲しい。

願わくば魔法が解けた時、彼女の失望が少しでも軽度なもので済むようにしたい。

そう思いながら、自転車を漕いだ。

CHAPTER 2-3
2011:04:22
2011:04:22

3『雨マック』

朝、外は雨が降っていた。傘をさしても防ぎきれないくらいの大粒の雨だ。

自転車で行くのは諦め、歩いて戸越公園駅まで向かった。

そこから電車で大井町駅まで行く。

駅までの距離と電車の待ち時間を含めると、自転車で行くよりも時間が掛かる。

僕はエレGYに、少し遅れる事を携帯のメールで伝えた。

『まゆお遅刻かよっ! 待つのヤだからもう帰る! 噓だよーん。待ってるぴょん』と、すかさず返事が返ってきた。

大井町に着き、マクドナルドへ向かう。

店外からでも確認できるいつもの席が、雨と曇った窓ガラスのせいでよく見えない。

更に接近すると、赤いマフラーの色がなんとか判別できた。

僕は少しだけ早足になって、店内へと入った。

傘をたたみ、時計を見ると十時三十分。

ようやく見れた彼女の表情に、怒っているような雰囲気は微塵みじんもなかった。

「おはよ」

......

エレGYは何も言わずににんまりと口角を上げた。耳にはイヤホンがついている。

「何聴いてるの?」

......

またしても無言だ。

「こいつ......

僕はエレGYの頰をぎゅっとつねった。

「いあ゛い、はなしぇっ」と、彼女は抓られて半開きになった口でそう訴えた。

いつまでも放そうとしない僕の手を顔の動きだけで振りほどき、キッと僕を睨みつける。

そんな事をしながらも、僕は彼女の両手首に新しい傷が生まれていないかをさりげなく確認した。

よし、古い傷跡のままだ。

「注文してくるよ」

カウンターへ向かおうとすると、服の裾をつかまれた。

彼女は、片方のイヤホンを僕の耳に近づけて、流れている音を聴かせた。

何の曲かはすぐ分かった。僕のゲームに使われている『雨』という名の曲だ。

窓の外を指差して「雨だろ」と答えると、彼女は右手でOKのマークを作って正解だと示した。

彼女が風邪かぜを引いてると気づいたのは、注文を済ませ席へ戻ってから十分も過ぎた後だった。

彼女の手首にばかり気を取られ、ほとんど無言なのはいつもの悪ふざけかと思っていた。

よく見れば顔も少し赤く、さっき頰を抓った時も確かにやや熱っぽかったかもしれない。

平静を装おうとはしているが、彼女が今日無理をしてここに現れている事は察しがついた。

僕は今日の予定の中止を告げた。

当然彼女は嫌がったが、帰って風邪を治さないともう会わない、と脅した。

肩を落とし、しぶしぶ駅へと向かう後ろ姿を見て、これがきっかけでまた手首を切ったりするかもしれないと不安になった。

慌てて駆け寄って、「治ったら遊ぼう。いくらでも。無限だぜ!」と、大袈裟に言った。

彼女は少しだけ笑って、駅の中へと消えていった。

彼女の風邪によって、僕の中でほっとしている嫌な自分がいた。

そいつはこう思っている......

風邪でしばらく会えなくなるぞ、これでまた魔法の延長ができる......と。

確かに、会えない時間にはばまれて、彼女はより僕に気を魅かれるかもしれない。

僕に対する幻想が再度膨らみ、興味を失うまでの時間を稼げる。

「ふん!」

僕は傘をたたんで歩道の脇に投げ捨てた。

大粒の雨が一斉に頭上から襲い掛かってくる。

彼女の風邪につけこんで、保身ばかりを考えるおまえに罰を与えてやる。

泉和良、おまえは最低だ。

おまえのような奴は、家まで歩きだ。

雨でズブ濡れになって帰れ。

それで風邪でも引けば、少しは彼女の辛さが分かるだろう。

次の日、僕は風邪を引いた。

......馬鹿じゃないのか。

CHAPTER 2-4
2011:04:23
2011:04:23

4『風邪』

僕は昔から風邪と縁が深い。

どんなに体調管理に気を配っていても、一年の間に何度も風邪を引く。しかも毎回長引いてなかなか治らない体質ときた。

特に冬の間は慢性的にせきや頭痛に悩まされる。

カレンダーはもう十一月だ。

今年も僕には厳しい季節が訪れたのである。

昨日の帰り道を思い出す。

傘なんか捨てるんじゃなかった......

目が覚めると同時に走ったのどの激痛が、そう僕に後悔こうかいさせた。

一人暮らしの風邪は悲惨なものである。

起き上がるのがやっとのような状態でも、食料や薬などを調達するために外出せねばならず、そのせいで病状は更に悪化する。

ただでさえ休みがちだった碁会所と郵便局のアルバイトへは、これでしばらくは完全に行けなくなるだろう。

僕は丸一日寝込んだ。

夜になって起き出し、下がらない熱に朦朧もうろうとしながらも近くのコンビニまで買出しに出かけた。雨はまだ降り続いていた。

簡単な食事を取り薬を飲むと、すぐにまた倒れるようにして眠りに落ちた。

喉の痛み、発熱、頭痛、関節の痛みとお馴染なじみの試練を乗り越えながら、その次の日もやはり寝込んだ。

もはや慣れっこな過程ではあったが、苦しみの程は優しくない。

三日目にようやく回復の兆しが見えた。

エレGYからの十二通ものメールに気づいたのは、その日の昼前だ。

いつの間にか切れていた携帯のバッテリーを充電しなおし、画面を見て僕は慌てた。

その時まで、メールを確認する事をすっかり忘れてしまっていたのだ。

彼女は僕が風邪で寝込んでいた事を知らない。

彼女と別れた日と今日を除けば、連絡を取っていない時間は二日だったが、僕の脳はあっという間に彼女が手首を切るイメージを連想した。

自分の手抜かりを責めた。

すぐに一番最初に届いたメールへとカーソルを合わせ、順番に開いていく。

『じすさん、今日はごめんね。治ったらまた遊ぼうね!!!!!! 喉が痛い!!!! でもじすさんに心配されて嬉しい!!!!』

『眠ってばかりで退屈だよ〜〜、じすさんに会いたいな〜〜〜。じすさん今何してるの?』

『おい、ジスカルド! 返事をしろおおおおおおお! ジスカルドオオオオオ!』

『おはようじすさん! 朝起きたら風邪良くなってたよ! もうばっちりだよ! じすさんがちゃんと治せって言ってくれたおかげだワン』

『あああ......、どうしてじすさんから返事が来ないんだ......。私の事嫌いになったのかもしれない......、どうしようどうしようどうしよう。もう寝るよばかっ』

『今日はまだ雨が降ってるけど、明日は晴れるそうです。晴れって聞くと、じすさんと自転車で二人乗りしてる時のことが思い浮かびます。また二人乗りして大井町を探検しよう?少し涙がでちゃった』

『じすさんこんにちは。アンディー・メンテのサイトもブログも更新されてなくて、不安です。じすさん忙しいのかな......

『まゆお死ね、まゆお死ね、まゆお死ね、まゆお死ね、まゆお死ね』

『朝の四時です。今、私はオナニーをしています。この世の美少女、エレGYより』

『じすさん? おやすみなさい。もう寝ます。明日は返事きてるといいな......

『きっと私の事、ヤになったんだよね。ごめんなさい。何がいけなかったんだろ......、風邪引いてるのに無理に行ったからかな? ごめんなさい......

『マックのポテト、一人で食べても美味しくない』

エレGYからの十二通のメールは、まるで万華鏡のように一通一通が変化しながら心境を伝えていた。

最後のメールはほんの三十分前に届いたものだ。更にそれには、いつものマクドナルドの店内が写された画像が添付されていた。

彼女は今、あのマクドナルドのあの席に居るのだ。

僕は焦りながら身支度をし、自転車に飛び乗った。

携帯で彼女に連絡を入れた方が早いのは分かっていたが、今すぐ向かってその場で安心させたかった。

三日前にマクドナルドの前で別れた時の、寂しそうに駅へと帰っていく彼女の後ろ姿を思い出し、胸が詰まる。

もし手首に新しい傷があったらおまえのせいだぞ......自責の念がペダルを全速力で漕がせた。

降ったり止んだりを繰り返していた雨は、早朝の小雨を最後にすっかりあがっていた。

通り過ぎる家の屋根や電線に残った雨粒が、太陽の光を反射してきらきらとおどっていた。

空気は冷たかったが、澄んだ空が病み上がりの体に力を与えてくれるようだ。

更にペダルを漕いだ。

彼女に会いたい。

自転車を降りると、それまで意識していなかった鼻水と咳が一気に襲ってきた。

悲鳴をあげる気管を拳で叩いて抑えつけ、窓越しに座る彼女を見た。

姿を見、とりあえず胸を撫で下ろす。

エレGYはいつもの席に座っていて、僕にはまだ気づいていなかった。

急いで店内へ入ろうとした時、携帯の着信音が鳴った。

きっと彼女が今送ったメールだ。

まだ息が落ち着かず両肩を上下させながらも、僕は立ち止まってメールを開いた。

『じすさん、このメール届いていますか? もし届いてたらいいな。

いつも遠くからじすさんを見ていました。あのブログの日記を見た時、これをきっかけにしてじすさんに近寄れたらいいなと思って、メールを出しました。そしたら本当にじすさんに会えて、色んな話をしたり、二人乗りしたり、凄く嬉しかったです。

でもじすさんには、私をあまり近寄らせたくないみたいな雰囲気がいつもあって、それが悲しかったけど、きっとそういうものなんだと思っていました。だから、じすさんがもう私と関わり合いたくなくなったのなら、私もそれに従います。

中学の頃からずっと、じすさんが創造する全部が好きでした。ありがとうじすさん』

入り口の自動ドアがなかなか開かなかった。

店に飛び込むと一直線に左奥の席に走った。

濡れた床に転びそうになる。

店内の様子を気にしている余裕はなかったが、昼近くでいくらか混んでいたのだろう。窓際の席へ辿り着くまでに、二、三人と擦れ違ってぶつかりそうになった。

やっと席一つ分まで近付いた時、エレGYは携帯から顔を上げて、こちらを見た。

目も鼻も赤い。

涙でぐしゃぐしゃ。

席に座って息を整えた。

メールにずっと気づいていなかった言い訳をしようと思っていたが、彼女の顔を見ると言葉が飛んだ。

「じすさん......だ」

エレGYが泣きながら笑った。

僕は息を切らせながら「へへ」と、少し照れて笑い返した。

テーブルに落ちた彼女の涙を見やり、すまない気持ちで胸が満ちる。

はっと思い出して、彼女の手を摑むと、テーブルの上に乗せて袖をまくった。

古い傷跡だけが白い手首に模様を描いていた。

「良かった、切ってない」と、僕が溜め息をらすと、「泣くので精一杯だったよ?」と彼女はにっこりして言った。

その表情を見て更に溜め息が出る。

僕は背もたれに深く身を委ね、張り詰めていた気を解放させた。

すると安心したせいか、またもや気管が暴れだして咳き込んだ。

「大丈夫? じすさん」

「ごめん、僕も風邪引いちゃってさ。寝込んでたら、いつの間にか携帯の電池切れてて......」と、ようやく説明して「心配かけて、本当にごめんなさい」と謝った。

「わあ。どうしよっ、ごめんなさい」と何故か彼女も謝った。彼女は途端に慌て出し、かばんの中をゴソゴソと搔き回し始めた。

「私が風邪移しちゃったんだ......。あああ......私バカだなっ」

「えっ、いやっ、違うんだ。そうじゃないよ」

「絶対私だよっ、じすさん元気だったもん。本当にごめんなさい......、あああ」

彼女は尚も動揺しながら鞄をまさぐり、「あったっ」と言って風邪薬とのどあめを取り出した。

「これ、私の薬。じすさん薬飲んでる? 飲んでなかったら......

「薬は飲んでるからっ。いや違うんだよ。雨で濡れて勝手に風邪引いただけ。完全に自分のせい。君のせいじゃないから」落ち着きなく薬を差し出す彼女の手を遮って言う。

「でも私風邪引いてたし、移した可能性も捨てきれないでしょ? 私がいけないんだ......

彼女はのど飴の包装紙を剝いて、「これ今すぐ舐めた方がいいよ」と、僕の口の中に強引に押し込んできた。

「この薬も持って帰って。今あるのが無くなったら買いに行くのたいへんだし。これとても良く効くから」

「君の分が無くなるだろ。僕は家にちゃんとあるからさ」

「私は大丈夫なの。熱は?」

彼女は立ち上がって僕のひたいに手を当てた。抵抗しようとして止める。彼女の気が済むまでじっとしているのが無難だ。

「うーん......ちょっとあるよ? ああ、じすさん、待ってて。私オレンジジュース注文してくる」

「あっ、おい。涙......

止める前にカウンターの方へ駆けて行ってしまった。

まだ顔には涙の跡が残っているのに、そんな顔で注文したら店員がびっくりするぞ......

「店員のお兄さんに大丈夫ですかって言われちゃった。あはは」

数分後、オレンジジュースを持って戻ってきた彼女は、照れながら笑った。

「ありがとう」と礼を言って、ジュースを飲む。口にはまだのど飴が入っていたが気にせず飲んだ。彼女が注文してきてくれたというだけで、特別なまじないでも掛かっているような気がして、美味しい味がした。

「あーひどい顔だ」

手鏡を見ながら彼女が言った。目元をハンカチで何度も拭っている。

泣いたせいなのか、恥ずかしさのせいなのか、彼女の頰はまだ少し赤い。

「でも良かった......。じすさんとまた会えて......

「はは、良かったね」

「うん」彼女は小さく頷いた。

「メールに書いてたけどさ......、中学生の時から知ってたの? アンディー・メンテの事」

「うん、知ってた。雑誌で見たの。最初は絵を見て、ちょっと他のと違う感じだったからやってみて......、そしたら面白くって。その後も、これ面白いなーって思って見たら、どれもみんなアンディー・メンテって書いてて。うわ、すごい、アンディー・メンテって何だろうって」

僕は中学生だった頃のエレGYを頭の中で想像してみた。

学校から帰ってきた彼女が、フリーウェア雑誌の中から僕のゲームを見つけ出し、夢中で遊ぶ......。そんな光景を思い描くと、つい嬉しくなって笑ってしまう。

「中学生でか......、他に趣味とか無かったの?」

「何言ってんの? 趣味とかそういうんじゃないの! アンディー・メンテは人生だよ?」

「なんだそりゃっ」

「私の全てだったんだから......

そう言うと、彼女は懐かしそうな顔をして、視線をテーブルの上に落とした。

彼女の想い出の中にあるジスカルドは、どんな風に描かれて来たのだろう。

「私の全てだった」などと言い切れる物は多くない。

彼女の想い出を、失望に変えさせてはいけないという責任が僕にはある。

だが、現実を目の前にすれば、幻影などやがては薄れていくものだ。

実際に会ってみてどうだった? イメージと違ってたでしょ? と問い詰めたかったが、彼女は未だ、想い出の延長線上に立つジスカルドを僕に見ているに違いないだろう。

「じすさん、新作まだ?」

「え?」

不安な気持ちが顔に出てしまったのか、エレGYはそう言って話題を変えてきた。

「最近、アンディー・メンテのサイト、全然更新ないよ? 何か作ってるの?」

「いや......、何も作ってないよ。エレGYってやつの事で頭がいっぱいでさ」

僕は冗談ぽく本音を言った。

「ばーか」

エレGYの顔からはすっかり涙の跡も消えていた。彼女は肩をすくめて恥ずかしそうにそう言った。

暗くなる前に彼女と別れた。

家に戻ると、待ってましたとばかりに熱がぶり返した。

布団に倒れこむ前に、忘れずにちゃんと携帯を充電器にセットする。

僕は再び、風邪との戦いの眠りへと旅立った。

      ×

その夜、エレGYは夢の中に何度も現れた。

ケタケタと笑ってはしゃぐエレGY。ちょっとエッチな雰囲気のエレGY。そこで終わっていればいいものを、最後に現れたエレGYは、ついに魔法から覚め、本当の僕に落胆して去っていってしまった。

......これは単なる夢じゃない。いずれそうなるかもしれない可能性の一つだ。

今までのファン同様に彼女もまた、やがて訪れる幻想の終わりを迎え、いずれ僕への興味を失ってしまう。

思うだけでいたたまれないが、かと言って対策も無く。

魔法が解けるのをただヒヤヒヤとしながら待つのみ。

どうすればいいのか分からなかった。

愚かな悩みだ。

こんな悩みを抱くやつはきっとそんなにいない。

そもそもファンとは作品を通して作者を愛するものだ。

作者を現実以上に想像するのもファンとしての楽しみの一つだし、ファンとはそういうものである。しかも僕の場合は、それを更に自ら助長してきた。

つまり、ファンとそれ以上の関係になろうとする事自体が間違っている。

前にも言ったはずだ、自重すべきだと。

ファンとの間には一定の距離を保ち、プライベートな自分は見せず、あくまで作品を通してのみ接するべきなのだ。

ああああ、しかし僕は......もうエレGYと出会ってしまった。そして好きになってしまったのだ......

僕の中で、破綻はたんしていた。

既に打った手を悔やんでも仕方がないが、次に打つべき簡明な一手も見つからない。

次の日、僕がすっかりうつな気分で朝を迎えた事は言うまでもない。

CHAPTER 2-5
2011:04:24
2011:04:24

5『小さな新作』

風邪に苦しみながら数日が過ぎた。

外出は最低限に抑えた。

郵便局と碁会所はずっと休んだまま。

エレGYとは会いたかったが、今会って再び風邪がぶり返すのも困る。彼女とはメールとオンライン上での会話に留めた。

彼女は、何度もお見舞いに家まで行くと言ってきたが、こんな所を見られては、ますます魔法が解けるのが早まってしまう。

家にだけは絶対に来させてはならない。

僕は「来たら殺す」と言って、必死に断った。

病気とは言え、さすがに一日中家にいると退屈だった。

その日は、朝起きると熱も引いていた。頭痛はまだあったが酷くはない。

エレGYに「じすさん、新作まだ?」と急かされた事を思い出し、久しく手をつけていなかったゲーム制作を行う事にした。

作りかけたまま放置しているゲームが幾つかハードディスクの中にはあったが、どれも再開させる気分にはなれなかった。

風邪が治りきるまでの短期間で、楽に作れるものがいい。

僕は開発ツールを立ち上げ、デフォルトのままのプロジェクトフォームを見つめながら、しばし頭を巡らせた。

浮かんでくるのはエレGYとの事ばかりだった。

仕方ない。

ボタンのコンポーネントをフォームに貼り、試しに「自転車を漕ぐ」と入力した。

二つ目のボタンには「ジャンプ」と書いた。

まだ何のアクションも持っていないその二つのボタンを無意味にクリックする。

「はは...」思い出し笑い。

エレGYと二人乗りをして、何度も分離帯の上に乗り上げては転倒するシーンが、頭の中で再生された。

エディタ画面を呼び出すと、メインスレッドに円を描写する命令文を書いた。

ゲーム中での仮の自機だ。後でちゃんとした絵に差し替える。

入力ルーチンで、自機の操作系をプログラムする。

マウスカーソルのある方向を認識させて、そっちへ自機が自動移動するようにした。

幾つかの縦のラインを描写させ、画面の上から下へとループさせる。とりあえずの背景。

ここまで約十分。最初のコンパイルを行う。

これくらいのショートプログラムは、今のマシンなら半秒もかからずにコンパイルできる。僕が中学生の頃は、数行のプログラムをコンパイルするだけでも数分を要したものだ。開発ツールも飛躍的に進歩した。この十分でやった作業を、中学生の頃の僕にやらせたら、一時間以上はかかる。

モニタの画面中央に灰色のウィンドウが表示された。

ウィンドウ内下方に、黒い円が描写され、その後ろを縦のラインが雨のように流れている。道路の上を走る自転車の出来上がり。

マウスを右へ動かせば、円は右へ、左へ動かせば、左へ......、流れる疑似道路の上をゆっくりと移動した。まずは成功だ。

ウィンドウの右端には「自転車を漕ぐ」と書かれたボタンと、そのすぐ下に「ジャンプ」と書かれたボタンの、二つが表示されている。

両方のボタンを交互に連打した。

もちろんまだ何も起こらない。流れるラインの上を円がただ静かに浮遊したまま。

だが僕の頭の中では、大迫力のアクションシーンが、派手はでなエフェクトとSEを伴って想像された。

「ビシュンッ」自転車がジャンプした音だ。

何の反応も見せない空のボタンをクリックしながら、自分の口で言った。はたから見たら、さぞあわれに映るに違いない。幼児顔負けの一人遊び。ゲームを作る者にとって、最も重要なスキル。

「良し」と一人で呟いた。

想像のビジョンに手応えを感じる。後は頭の中にできた完成品に少しでも近づけられるよう、現実において再現するだけだ。

「でもこれ......、あはは」と、また一人で笑った。「きっと、このゲームが面白いのは彼女だけだろな」

一息つく。

しんどいはずの仕事だったが、しんどいどころか不思議と愉快だった。エレGYがこのゲームをどんな風にプレーするのかと思うと胸が躍る。いつもはユーザーの反応を予想する度に胃が痛くなるのに。

背伸びをして肩をほぐした。頭痛が気になったが、それよりお腹が減っていた。

パソコンの横に転がるマーガリン入りのロールパンの袋を手に取る。二つ取り出して、二つ一気に口に押し込んだ。口の中の唾液をパンが全て吸ってしまって、なかなか飲み込めない。気にせず画像ソフトを起動した。

六十四×六十四ドットの大きさにキャンバスを設定し、まずはペンタブレットで大雑把おおざっぱに輪郭を描く。

上から見た自転車の図。

線はふにゃふにゃで、言われなければ何か分からない。乗ったら事故間違いなしの自転車が生まれた。

一ドットごと黒色を置いて線を修整していく。

輪郭線が整形できたら色を塗り、線と塗りつぶした面の境界を中間色で補完する。いわゆるジャギー消しと呼ばれる作業。

ようやく自転車らしく見えてきた。

次にその上に乗せる二人の人間を描く。

またもや上から見た図。面倒だから適当に描いた。出来損ないっぽい雰囲気がこのゲームには合いそうだ。

道路の背景チップ、分離帯、空、雲、自動車、通行人、犬、猫、ゴミ、民家、信号機、標識、ガードレール、塀、木......など、ゲームを演出するための小道具を描いていく。

どれも真剣に描かず落書きのようなタッチでいい加減に仕上げる。

このゲームにはそういうのが合うんだ、と自分に言い訳。一々真面目まじめに描いてたら完成する前にモチベーションが尽きてしまう。そうなったらこのゲームも、作りかけという名の棺桶かんおけ行きだ。

見た目がボロボロでもなんとか完成させたかった。

......エレGYに遊んで貰いたい。彼女に伝えたいのは、小奇麗なグラフィックや表層的完成度じゃない。

いい加減とは言え、闘病中にしてはこんを詰め過ぎた。夜になったら咳が止まらなくなった。

だが、パソコンのモニタには、一日の作業量にしては十分すぎるほどの結果が映されていた。

ただの円だった自機が二人乗りの自転車に変わり、線だけだった背景には、空間を表現する様々なユニークなオブジェクトがスクロールしている。

二つあったボタンは姿を消している。それらのアクションは、マウスの左右のクリックに割り当てた。もう無反応ではなく、クリックすればちゃんと自転車は速度を上げ、ジャンプした。

まだゲームシステム上の目的......「クリア」とか「点数」「ストーリー」などといったゲーム性を生むための道標みちしるベ......は実装されていなかったが、アクションの基盤はできた。

僕は画面を見ながら満足した。

数日経って、ゲームは完成を迎えた。ミニゲームではあるが久しぶりの新作だった。

タイトルは『二人乗り』。

自転車に二人乗りをして、車道と歩道を区切る分離帯の上をどこまで走れるか......、というふざけた内容のアクションゲーム。

数ヵ月ぶりの新作ではあったが、収入には到底繫がりそうにない。

丸きりエレGYだけを意識したゲームだ。不特定多数のユーザーや、収入の事は全く考慮せずに作った。ゲームとして面白いかどうかすら怪しい。

だが、気持ちは充足していた。

ただ作る事が楽しかった。

彼女にさえプレーしてもらえればいい。

余計な意識に遮られず、自由に何かを創作する......そんな感覚を数年ぶりに味わい、僕の心は安らいだ。

ネットに公開すると、すぐにエレGYから携帯にメールが届いた。

『じすさん、二人乗り、最高!』

そのメッセージを見ただけで、僕は何物にも代えがたい喜びを得た。

誰か一人のためだけに作品を作る。衝動はその人を喜ばせたいという気持ちのみ。その人からの賞賛によって全てが報われる......シンプルな創作構造。

こんな物を作っていたのでは、収入の見込みがますます薄れると分かってはいたが、金のために作るゲームより、何倍も充実しているように思えた。

      ×

ようやく咳も治まりかけてきた日、郵便局から電話があった。

ついに僕はアルバイトをクビになったらしい。

これだけ休んでいたら当然だろう。

薄々こうなるとは予想していたが、改めて社会的脱落者の烙印を押されたようでちょっと凹む。やはり僕には、普通の仕事やアルバイトは向かないのだ。

エレGYにその事をメールで伝えると、「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは......」と、『は』が永遠に続く返事がきた。

そのメールを読むと、クビも大した事じゃないなと思えた。

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『Readme.txt』

【ソフト名】二人乗り

【バージョン】1.00

【ソフト種別】フリーソフト

【動作可能OS】Windows系(Windows XPで動作確認済み)

【必要なもの】このゲームをやってみようと思うに至る暇

【開発言語】Delphi

【掲載日】2007/11/14

【著作権】Copyright (c)アンディー・メンテ

※遊び方

マウスで操作します。

左クリック:自転車を漕ぎます

右クリック:ジャンプ

自動車や歩行者に気をつけながら、車道と歩道を分かつ分離帯の上に飛び乗りましょう。

分離帯の上を進めた分だけポイントが得られます。

転倒したり歩行者にぶつかったりすると体力が減り、0になるとゲームオーバーになります。

【インストール方法】適当なフォルダに解凍して下さい。

【アンインストール方法】フォルダごと削除すれば、何も残りません。

【URL】http://f4.aaa.livedoor.jp/~jiscald/

【電子メール】andymente@akheron.co.jp

(批判、批評、評論の類のメールは不要です。また攻略の質問や、起動上の問題等にも対応できかねます、御了承下さい)

30000rpm/sec.で加速しろ。二人乗りの自転車こそ、最速最高の二輪と知れ。

                              アンディー・メンテ

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CHAPTER 2-6
2011:04:25
2011:04:25

6『ユメ』

週末になって、再び小山田幸貴に焼肉に誘われた。

ゲーセンで待ち合わせて焼肉屋に向かう道中で、郵便局のバイトをクビになった事を伝える。

彼は「えーーーっ、どうするの」と驚いて心配そうな顔をした。

「仕事紹介しようか?」

「いらない」

「アンディー・メンテ一本で、いつまでも行くってわけにもいかないでしょ」

「一本だよ! いっぽんぽんだよ! てんてんてん、にこにこあせまーく」

「なんだそれは......

不安そうな目で僕を見る小山田幸貴に、僕は「大丈夫だよ、なんとかなるさ」と陽気に答えた。

実際、半月分のアルバイト代は月末に振り込まれるだろうし、何よりエレGYからのメールの返事を思い返すと、本当になんとかなるような気がしていた。

焼肉屋に入ってから、エレGYとの進展について報告した。

「その子、泉君のこと、本当に好きなんだね。めちゃ惚れだ」

「でも、ファンの人達ってみんな最初はそうでしょ。僕の事が好きになるようにゲームとかで演出してるんだから。熱烈なメールとか送ってくる人もよくいるしさ」

肉をひっくり返しながら「いいじゃん、モテモテで」と、小山田幸貴は言った。

僕は、まだ焼け切っていない肉の一切れをはしで摑むと、無理矢理口に放り込んで「でもそれって......、僕を好きなんじゃなくて、アンディー・メンテのジスカルドってやつを好きなんだよ!? むしゃむしゃっ」と、半ば怒り気味に答えた。

「それまだ赤いよっ」

「妄想の膨れ上がった末の勝手な思い込みなんだからっ。今までもそういう人が居たの、話した事あるでしょ。そういう女の子のファンって、リアルの僕と会うと、みんなしばらくして居なくなってるじゃん。当たり前だけどさ、現実が妄想に勝てるわけないしっ」

小山田幸貴は呆れた顔をして、焼けた肉を僕の小皿に入れてくれた。

「で、エレGYちゃんはどうなの? そういうファンと同じ?」

「わからん」

「でも、相当好きそうだよね」

「中学ん時から......、もぐもぐ、......アンディー・メンテ知ってたって。四年前から」

「うへー、凄いねっ。僕らがまだ大阪にいた時じゃん」

「四年も肉焼いてたら、焦げまくりだよっ。炭の味しかしないよっ」

「え、うん......、え、どゆこと?」

「いや、自分でも意味不明だなと思いました......。すみません、小山田さん、とうもろこし頼んでもいいですか......

小山田幸貴は笑いながら店員を呼んだ。注文を済ませて再び会話に戻る。

「でもある意味、泉君のことを誰よりも理解してる所はあるよね。多分」

「えーっ?」

「だってさ、アンディー・メンテって、泉君のスピリットのかたまりじゃん。まあ、ちょっとやそっと好きになったくらいじゃ、単なる一時的なファンかもしんないけどさ。エレGYちゃんの場合は四年間はそれを見てきたわけだし。今までのファンとはやっぱり違うんじゃない」

確かにエレGYは他のファンと明らかに違う。

と言うか、そもそも普通の女の子とも全く違う。彼女は変だ。

僕が彼女に魅かれる部分はそこにあった。

そして、小山田幸貴の言うように、彼女が僕の作品に対して持つ視点は、誰よりも僕の作品を理解しているような感じを受けさせる。だからこそ僕も彼女の独特の価値観に共鳴させられるのかもしれない。

もしそれが本当なら、物を作る者としてこれほど嬉しい事はないのだが。

とうもろこしがテーブルに来た。五つに分割されたそれらを網の上に均等に並べる。

「にこちゃんがさ、しすみんはエレちゃんにメロメロだ、って言ってたよ」

「ぐええっ」

僕は恥ずかしいのを誤魔化ごまかそうと、網の上のとうもろこしを何度も転がした。

「まだだよっ、それ焼けてないのに食べたら死ぬよっ」と、注意された。

「彼女が本当に僕をどう見てるのかは分からないけどさ。......こっちが本気で好きになった後になって、やっぱり想像と違ってたから、さよなら、ってなったら......。そういう失望されるの、もう辛いじゃん」

小山田幸貴の表情が憂慮ゆうりょの色で染まるのに気づいて、思わず本音を言ってしまった事を後悔した。

しばらく間があって、「ユメちゃんの事、早く忘れてさ。新しい恋をするべきだよ。傷つくかもしれないけど、前に進むのっていい事だよ」と彼は言った。

......ユメとは僕の前の恋人の名前だ。

もう僕の中では消えかけた名ではあったが、僕の精神状態を気に掛けてくれている彼がそのように心配するのは当然だった。

現に今でも、時々ユメと別れた頃の事を思い出すと、抗不安剤を飲まねばならない事もある。

ユメが僕から去った原因は、経済的な面や将来性の無さだけにあるわけではなかった。

ユメもまた、かつては僕のファンだった。

それもアンディー・メンテを始めて間もない頃の、最も初期のファンの一人。

その頃の僕はまだ夢と希望と自信に満ち溢れていた。

フリーウェアゲームのフロンティアを開拓しようと熱意に燃えていた。

そんな僕をユメは好きになった。

ユメとの会話の中で出てきた、くだらない冗談などを次々とゲーム化した。

ユメに「うんちのゲーム作って」と頼まれれば、本当にうんちのゲームを作って公開し、二人でケラケラと笑った。

二人で様々なゲームを作った。好き放題に。

だが、アンディー・メンテを仕事として運営するようになってからは、そんな事はできなくなった。

......いや、違う。できなくなったのではない。

僕が変わってしまったのだ。

ユメは、その事を嘆いた。

「どうしてもっと変なゲーム作ってくれないの? またうんちのゲーム作ってよ」

ユメがそうせがむ度、「駄目なんだよ、そんなゲームじゃ......。やおいゲームとかを作らないと生活費が足りなくなるんだ」などと言って拒んだ。

受け手に喜ばれなければそれが収入の減少に直結する。その恐怖が、僕からフリーウェアゲームクリエイターに最も大切な何かを奪っていってしまった。

その事が彼女には許せなかったらしい。

生活のためだからという大義名分を口実にして、本当に作りたい物を作らず、ジスカルドという幻影を演出し続ける僕に、彼女は失望したのだ。

しかし僕にはどうすることもできなかった。

その事で苦しんでいたのは僕も同じだったからだ。

現実に対する様々な妥協だきょうや割り切った考え方が、作品から芸術性を失わせていくのは分かっていても、それに打ち勝つだけの力や若さが、時間が経つほどに僕から消えていく。

そんな僕の弱さを、彼女は執拗しつように批判し続けた。

言い争いが絶えなくなり、破局は当然のように訪れた。

それからもう数ヵ月が過ぎている。

彼女の事を忘れる事はできた。しかし、自分の弱さが原因で大切な物を失ってしまう恐怖は、今でも僕の心の奥底に痛みを伴ってある。

炭火でいい具合に焼けたとうもろこしを食べた。

「とうもろこしが一番美味しいよ。一番美味しい!」

僕が大声でそう言うと、小山田幸貴は安心したように笑った。

CHAPTER 2-7
2011:04:26
2011:04:26

7『小山田幸貴とniko2』

食事を終え、また小山田幸貴の家へ遊びに行くことにした。

途中、コンビニでお酒とお菓子、遊戯王カードを買っていると、「悪ガキどもがいるぞー」と後ろから声がした。仕事帰りのnikoが僕らを指差してにんまりと立っていた。

三人で肩を並べ、戸越銀座商店街の道を遮断するように歩いた。

普通なら小山田幸貴とnikoは並んで歩くのに、今夜に限っては何故か僕を間に挟んで歩いていた。朝、仕事前に喧嘩けんかでもしたのかな、と邪推する。

人でごった返す昼間とは違い、夜は帰路につくサラリーマンがチラホラ見えるだけ。

ずっと続く街並の先に、真円の月が浮いている。僕の両隣には友人二人。僕を中心にして、全てがシンメトリカルに構成されているように見える。バハムートくらい召喚できそうなほど荘厳そうごんな雰囲気だった。

酔っていい気分になっていた僕は、「この世は我等の物ぞー!」と、コンビニ袋を掲げて叫んだ。

「きゃはは」nikoが笑いながら「物ぞ!」と続けて言った。

小山田幸貴は、すれ違うサラリーマンの視線を気にしながら、仕方ないなという感じで

「ぞ」と小さい声で繫げた。

「泉君、久しぶりに囲碁打って」と、家に着いてから小山田幸貴は言った。

「うん、打とう」

「にこも! そのあと、にこも打って!」

小山田幸貴も、僕と同時期に囲碁を始めていた。しかし、仕事で忙しく、碁会所にも行った事がないため、彼の棋力きりょくは初心者のままだった。nikoに至っては、最近ようやくルールを覚えたばかりである。しかし、こうしてたまに打ちたいと言ってきては対局した。

小山田幸貴はテレビの下から、初心者用の九路盤きゅうろばんを取り出した。

ハンデとして小山田幸貴に二つの石をあらかじめ置かせ、対局は始まった。

しばらく囲碁を打っていると、nikoが暇そうにして「しすみん、エレちゃんは?」と聞いてきた。

「会ってるよ。僕が風邪引いちゃったから、最近ちょっと間が空いてるけど......

「風邪かー、しすみんはよく風邪引くなあ」

小山田幸貴の手番だったが、やや複雑な展開になり長考していた。

「エレちゃんに看病しに来てもらった?」

「もらうわけないじゃんっ」

「なんで? まだ付き合ってないの?」

「付き合ってないよ」

「なんでー? 嫌いなの?」

「そうじゃないけど......

「なにそれ。はっきりしない男は駄目だよ!」

「う」

小山田幸貴が石を置いた。手番が僕に回る。nikoの追及に動揺した僕は、思わず間違った場所に手拍子で石を打ってしまった。

「あ、違う。しまった、待って」

「だーーめーー、いひひ」と、小山田幸貴がニヤリとしながら次の手を打った。

致命的なミスでこちらが一気に敗勢になる。

「あああ......、デビルニコの心理攻撃にまどわされたせいだっ......

「グヒャヒャヒャ、愚かなしすみんめ。はっきりしないからぢゃ」

僕が頭を抱えていると、小山田幸貴は気分良さげに「泉君、バイトをクビになっちゃったんだよ」とnikoに言った。

「噓ーっ、あははは、しすみんらしい」

「もう働いた方がいいよ、泉君。仕事を紹介するからさ」

僕は無視して、なんとか形勢を取り戻すための妙手を探し続ける。

「駄目だよっ。しすみんが定職に就いたら、しすみんのいい所が消えちゃうの!」とnikoが代わりに反論した。

「綺麗事じゃ食えないでしょっ」と小山田幸貴が言うと、

「何よっ。にこには仕事ばかりしないで趣味持て、ってうるさく言うくせに」nikoの声のトーンが大きくなった。

「それはおまえが趣味なくて、僕にうざったくしてくるからだろ」

「うざったくしてない。遊びたいだけだもん」

「こっちはいつも仕事で疲れてるのに、遊べるわけない」

「にこだって疲れてるよ。でも一緒に話したり遊んだりしなきゃ、付き合ってる意味ないもん」

「趣味もないおまえと何の話するわけ? だから趣味持てって言ってるんだろ」

二人の言い合いをよそに、碁盤と睨めっこを続けていた僕は、なんとか凌げそうな一手をようやく見つけることができた。

「よし、これでなんとかいけそうだ。小山田君、打ったよ」

突然、碁笥の蓋が飛んできた。

びっくりして見ると、nikoが小山田幸貴を狙って投げた物だと分かった。

いつもの口喧嘩程度かと思っていたら、nikoは涙ぐんだ目で小山田幸貴を睨んでいた。

「じゃあまたネットゲームするよ、そしたら趣味できるもん」

「勝手にしろよ。男でも作ってくれたら、こっちも楽だし」

小山田幸貴の言葉に、nikoの顔が更にゆがんだ。

nikoは近くにあった化粧品や小物を摑むと、次々に投げ出した。

幾つかが小山田の体に当たり、彼も同じように物を投げて反撃した。

「な、なんしとんじゃああ!」と、僕は困惑しながら叫んだ。

再び物が飛んできて、碁盤の上の石をバラバラにしてしまった。

もう碁どころではないにもかかわらず、......今までの手は全部憶えてるから並べ直せば大丈夫だ、などと心の中で無意味に呟く。

「ぎゃああああ」とnikoが叫びながら、小山田幸貴の体を殴り出した。

「い、痛いだろっ。やめろ! ああもうっ、にことなんか付き合うんじゃなかったよ!」

「うるさい、ききたんなんか死んぢまえ!」

怒鳴り合いが続く。

「あわわわ......、僕のために争うのはやめてええ!」と、なんとか場を静めようと失笑覚悟の冗談も言ってみるが、二人の耳には届かない。

「もういいよ! 意味わかんねっ。ああもうっ」

小山田幸貴は急に立ち上がり、コートを乱暴に持つと、扉をバタンと閉めてアパートの外へと出て行ってしまった。

部屋に僕とnikoだけが取り残された。

数秒置いて、「うわあああん」とnikoが泣き出す。

なんじゃこらあ......

あまりに唐突とうとつ過ぎて、わけが分からない。僕の頭の中は、まだ碁盤の上の石の続きを読もうとしていた。対局の復帰不可能は明白だ。

nikoをどう慰めてよいのか分からず、ただ呆然とする。

「な、何がどうしたって言うわけ?」

nikoは答えず、泣き続けた。

お酒のせいで頭がグラグラしていたが、ほろ酔い気分はすっかりめていた。

こんな状況で二人きりでいるのは何か危険だ。

場の空気に耐え切れなくなった僕は、仕方なく自分の家へ戻ることにした。

「にこちゃん、ごめんね。僕、帰るよ。......よくわかんないけど、仲直りするんだよ」

nikoは泣きながらも玄関まで僕を見送ってくれた。

扉を閉めようとすると、閉まる直前で止められ、その隙間からnikoは泣き顔を覗かせて「しすみんは、エレちゃんと喧嘩しちゃ駄目だよ。分かった? うわああん、また来てね」と言った。

アパートを出て数分の所で、小山田幸貴が道端に座って煙草を吸っていた。

「にこちゃん泣いてるよ。寒いし、戻りなよ。僕、今日はもう帰るからさ」

「すまんね、泉君」

すぐには動きそうにない彼の雰囲気を見て、僕も隣に座った。

「シリウスって知ってる?」

星かと思って夜空を見上げたが、曇って何も見えない。「にことよくパーティー組んでた......」と付け足されて、ネットゲームの中のプレーヤーのHNだと気付いた。

「ああ、うん。エルフやってた奴だっけ」

「そう。あの人、前の彼氏だったってさ」

「ん?」

「シリウスが、にこの前の彼氏なんだよ」

「ええ、本当に?」驚いて聞き返す。シリウスの事を思い出そうとしたが、僕らとnikoがゲーム内で知り合ってすぐの頃に、数回見かけただけで、ほとんど憶えていない。

「うん。でもまあそれは、にこの過去の事だからいいんだけどさ。それ聞いてからはもうゲームもしなくなったし。にこもやってないんだよ」

二人がゲーム内に現れなくなったのは半月ほど前だ。知り合いが居なくなってつまらなくなり僕も同時期にやめていた。そんな理由があるとも知らず、時折二人に「またネットゲームやろうよ」などと言った事を思い出して後悔した。

「そしたら、ほら......、にこには他に趣味がないでしょ。それまではゲームの話が共通の話題だったからね。あとはもうお互いの仕事の話しか無くてさ。二人とも仕事で疲れて帰ってきて、また仕事の話なんかしたくないし。......そんな感じなんだ。にこはもっと話そうとか言ってくるけど、無理に話題作るのもしんどいから......

「趣味がないとか言ってたのは、そういう事か......

「うん......。せっかく碁打ってもらってたのに、ごめん」

「いやいいよ。しばらく喧嘩にも気付かないで、ずっと碁の手筋読んでたわ......

「あはは」

小山田幸貴はようやく笑って「あれ、僕勝ってたでしょ?」と言った。

「いいやっ、コウの筋があったよ。コウ材次第だけど、まだ僕にもチャンスあったはずだ」

「えー、負け惜しみー」

「ちげーわい」

体温が下がってきて、上着に首をうずめた。

「共通の話題とか、焦らなくてもすぐできるよ。......『一緒に居れるだけで幸せだよ』とか言ってあげな」僕は立ち上がりながら言った。

「おええっ」小山田幸貴はふざけて吐く真似をして、「ありがと......、さっきは、綺麗事じゃ食えない、なんて言ってごめん」と謝った。

「そんなこと言ってたっけ? しょっちゅう言われてるから気付かなかったよ」

小山田幸貴は苦笑しながら僕の足を叩いた。

CHAPTER 2-8
2011:04:27
2011:04:27

8『感想メール』

────────────────────────────────────────

────────────────────────────────────────

メールを読んで、自分で作った『二人乗り』のゲームをプレーして、またメールを読んだ。

エレGYがこのゲームをプレーして、どんな風に感じたのかを正確にシミュレートしたかった。

ゲーム内のエレGYが叫ぶシーンでは、メールにあったように僕も声を出して一緒に叫んでみた。

このゲームはエレGYを面白がらせるためだけに作ったゲームだ。

どうやらそれは成功した。

だのに僕は全く落ち着かなかった。

メール後半部分で触れられていた、宇宙人いずみかずよしに関する記述が気になって仕方がない。

「この宇宙人に連れ去られるのが今のわたしのゆめです」とまで書かれてある。

もしかしたら僕は不用意にも、このゲームで彼女にアプローチ的な事をしてしまったんじゃないのか。......つまり、彼女のためだけにゲームを作るという行動は、作品を介して彼女に告白してるのも同然ではないのか......

僕は頭を抱えた。

駄目だ......作品を介するのは良くない。

エレGYの僕に対する幻想を、より肥大させる事は、魔法の延長には繫がるかもしれないが、同時に現実との差を大きくもするのだ。

彼女の気持ちは、ますますジスカルドの方に接近するようになる。

それは......魔法が解けた時の、本当の僕に対する失望を、より強くしてしまう......

『二人乗り』を作った事で、事態を悪化させてしまったのではないか、と僕は神経質に考えた。

エレGYと出会ってから一ヵ月が経過していた。

僕の中のエレGYに対する気持ちは拡大する一方だった。

そしてそれと比例するように、エレGYが幻想から覚めてしまう事の恐怖が重くし掛かる。

もっと冷静になるべきだ......もっと慎重しんちょう......

CHAPTER 2-9
2011:04:28
2011:04:28

9『電気止められる』

朝起きるとネットが止められていた。

大丈夫、焦ることはない。

数日前の通販での振り込みによって、いくらかのお金が口座にはあるはずだった。

払い込み用紙を探そうとポストを覗くと、電気が今日にも止まるという通告書が入っていた。

ふっ......、まだまだ。なんのこれしき。

他にも滞納によってガスと電話、携帯会社からの葉書もわんさかとあったが、急を要するのはとりあえずネット回線と電気だ。

二つの未払い分を併せるとおよそ二万円。

払える。

だが、今週の食費も下ろせば残金は再び0に戻るだろう。

僕は重い溜め息をつきながら、自転車に乗って銀行のATMへと向かった。

三万円を下ろすと、残金は百二十円になった。

コンビニでネット回線代と電気代を払い、昼飯の弁当と飲み物を買った。

財布に残った全財産は八千円ちょっと。

郵便局からのバイト代が入るのはそろそろだ。

それと併せて、あと二、三の注文さえあれば、今月の家賃はなんとかいける......

しかし、新たにゲームやサウンドトラックCDなどを制作しなければ、来月分までは乗り越えられそうになかった。

『二人乗り』のような力を抜いたミニゲームなら簡単に作れるのだが、それでは食っていけない。

はぁ......面倒臭い......

僕は家に戻ると、作りたくもないゲームを作り出した。

三十分もしないうちにマウスを放り投げる。

駄目だ。ちゃんとやらないと、来月の家賃が......

再度、制作に戻る。

また三十分後にダウン。

エレGYからメールでも来ていないかと、PCメールと携帯を何度も確認する。

受信メール0件。

こちらからメールを送れば、ものの数秒で返事が戻ってくる事は分かっていたが、彼女を現実逃避に利用したくはなかったし、こちらからメールを送る事は魔法が切れるのを早めてしまう気がしていた。

続かない集中力を無理矢理数珠じゅず繫ぎにして、夜までになんとかゲームの基盤を完成させた。後はゴールに向かってただ膨大な作業を重ねるだけだ。

半月くらいで完成できれば、残りの半月でサウンドトラックCDを作って販売できるだろう。

計画を練るほど気が重い。

夕飯をコンビニに買いに行こうと部屋を出ようとした時、携帯にメールが届いた。

エレGYからだった。

『じすさん、風邪はどうですか?

もし良くなってたら、明日映画に行きませんか?

明日はレディースデーなのでーす』

一日中ゲーム制作をしてストレスでいっぱいだった僕は、すぐさま「いくよ!」と返事を送った。

いいのか、泉和良。そんなに簡単に返事をして......

魔法が消えるのはあっという間だ。そして心を許した分だけ、後で傷つく。

送信完了の画面を見つめながら、自問した。

......と言うか、しまった......

映画代を差し引いたら、今週の食費が......

CHAPTER 2-10
2011:04:29
2011:04:29

10『映画』

エレGYと大井町以外の場所で会うのはこれが初めてだった。

待ち合わせの場所も今まではずっとマクドナルドだったが、今日は川崎駅の改札口だ。

なんだか、いかにもデートっぽくて少し浮かれた気分になる。

川崎駅の改札を潜ると、すぐにエレGYが僕の隣に現れた。

ここでも彼女は制服姿だ。

彼女は伏兵の真似をして、「グサーッ」と言いながら、透明な刀で僕のわき腹を突き刺した。

はかりおったなあー、うぎゃあー」と、僕も倒れる振りをする。あほだ。

何事も無かったかのようにスッと立ち上がり、「何の映画観るの?」と僕は聞いた。

エレGYは最近封切りされたばかりのSF映画のタイトルを答えた。

映画館へ行く前に、駅近くのファーストフードの店へ入った。

マクドナルドとは違う店だ。それだけで全然違う雰囲気になる。

小さな席に着いたせいで、エレGYとの距離はいつものマクドナルドよりもずっと近い。

こんなに近くで向き合っていたら、心の中を見透かされそうだ。

僕は身を反らせて、なるべくエレGYとの距離を稼いだ。

食べる物もいつものハンバーガーやポテトと少し違う。

「いつもマックだから、なんだか新鮮だね」と、エレGYは食べながら言った。

「う、うん」

落ち着かない僕は、昨日作り始めたゲームの話をした。

「やった、また新作だ! 何のゲーム?」

「シミュレーションだよ。アイテムを拾って合成して売る......っていう、ありがちなやつ。そろそろ、そういうのを作らないと、来月の家賃がやばいから」

「郵便局、クビになったもんね、ククク」手のひらで口を隠して、いやらしく笑うエレGY。

「そうだね、クビになったね。ククク」と、僕も同じ真似をしてみせる。平日の昼間のファーストフード店で、男と女が「ククク」と怪しげに笑い合っている姿は、さぞかし滑稽こっけいに見えるだろう。

「タイトル、なんていうの?」

「え、あ、タイトルまだ決めてない」

「じゃあ......、『ククク物語』にして?」

「駄目だよ、このゲームは大勢にウケないと駄目なんだから」

「ちぇー......、じゃあ、またエレGY出して?」

エレGYのためだけに『二人乗り』を作った事の、ほんの少しの後悔を思い出した。

作品を通してエレGY個人に自分を表現することは、もうあまり気がすすまなかった。

そうした作品の中で彼女に語りかける存在は、僕ではなく、ジスカルドの方なのだ。

「駄目駄目、もうエレGYは出さない」と、僕はきっぱり断った。

すると彼女は、予想以上にしゅんとして寂しげな表情を見せた。

視線を僕から逸らし、「そっか......」と小さい声で呟いた。

そんなに残念がるとは思っていなかったため、彼女の反応に僕は戸惑った。

続く会話が思い付かず、少しだけ気まずい雰囲気になった。

既に空になっているジュースを飲もうとして、自分が焦っている事を改めて自覚する。

時計を見ると、映画まではまだ少し時間があった。

彼女は少し退屈そうに、店の外を歩く人の流れを眺めていた。

それはエレGYと会うようになって、初めて彼女が僕に見せた態度に違いなかった。

これまで彼女は、一度もつまらなそうにしていた事はなかったし、常に目を輝かせて僕を見ていた。

彼女が僕から視線を逸らしているというだけで、これほどに自分が困惑するとは思いもしなかった。

その時点になって、今日はまだ彼女の手首を確認していないことに気がついた。

ハッとなって、すぐに手を取ろうとしたが、店の外に視線を泳がせている彼女からは、何か気安く触れられないようなバリアを感じた。

いや、それでも、これは話が別だ。嫌がられても傷を確認する必要がある。

風邪のせいで前回会った時から幾らかの日数が空いている。その間に彼女が手首を切った可能性は少なくない。

僕は思い切って彼女の手を取り、手首を裏返させた。

エレGYは突然手首をつかまれて驚いていたが、すぐに僕の目的を理解すると、肩の力を抜いて両手を差し出した。

新しい傷は無かった。

「ない......、良かった」

「うん......、切ってないし」

その事には安心したが、胸の中で別の不安が残る。

「もうエレGYは出さない」と言った事が、よほど彼女を傷つけてしまったのだろうか。

手首の確認を終えた後も、エレGYからの不穏な空気は漂い続けた。

僕は『二人乗り』というゲームを作ったことを本格的に後悔した。

もしかしたら彼女は今、ジスカルドと僕の差を感じているのかもしれない。

作品を通してでしか、僕を尊敬できない事実に気づいたのかもしれない。

すぐに「やっぱりエレGYをゲーム中にも出すよ」と言えば、この場は彼女も喜ぶだろう。しかしそれは、作品を介さねば僕という男を楽しめないということを、より明確にしてしまうのではないか。

どうやったらこの突然湧いた雰囲気を切り替えられるのか分からず、僕は彼女に「そろそろ出よう」と促した。

彼女は何も言わずに立ち上がって、トレーを片付けた。

映画館のある川崎チネチッタに向かう間、僕もエレGYもあまり言葉を喋らなかった。

何かいい話題はないかと必死に頭を巡らせたが、歩道のタイルの線を足で踏まないように歩くゲームに脳は掛かりっきりだ。

すると、こんな時に限って思い出したくない記憶が蘇った。

前の恋人ユメとは何度もこの道を歩き、映画を観に行った。

「タイルの線を踏んだら負けだよ」僕がそう言うと、ユメも本気になってそのゲームに参戦してきた。

ユメの浮気が発覚した後も、なんとかユメの心を取り戻そうと、平日でも映画やショッピングに誘い続けた。

ユメと最後にここを通った時も、タイルゲームに誘った。だがユメはさげすむ目で僕を見て「恥ずかしいから止めて」と言った。

「今日、家へ行ってもいい?」と聞くと、「彼が来るから駄目」と言われた。

ユメとはいつ別れたのか、はっきりしない。

気づけば、ユメには僕ではない男がいて、僕はただ取り残された。

ある日、ユメの家へ行くとその男が居た。

僕は靴のまま家の中へ上がり、その男を何発も殴った。

後ろからユメが叫んで止めた。

家から追い出されて、ドア越しに「もう一度やり直して欲しい」と懇願こんがんした。

「ジスカルドになろうと必死じゃん。カズはもうジスカルドにはなれないよ。もう変わっちゃったんだよ」と、ドアの向こうでユメは泣きながら答えた。

映画館に着くと、僕は真っ先にトイレに入って抗不安剤を多量に服用した。

胸の奥に生まれた巨大な喪失感をなんとか押し殺す。

トイレから出てくると、エレGYが不安気な表情で僕を待っていた。

「じすさん、大丈夫?」と、心配そうに聞いてくる。

僕は目を合わさずに「うん」と答えて、彼女の細い指に自分の指を絡ませた。

彼女は明らかにドキリとした様子だったが、僕は静かに手を繫いだまま、彼女をスクリーンのあるホールへと導いた。

その行動がどんな悪い影響を及ぼすのか分からなかったが、そうしないと僕はエレGYを傷つけてしまいそうだった。

ユメとの思い出を散々語った末、僕のことを何も知らないとエレGYをののしって、全てを無茶苦茶にしてしまいそうだった。

だから、僕はエレGYと手を繫いで、そして席に着いた。

映画の内容は、全く覚えていない。

エレGYの手があまりに心地よかったのと、抗不安剤の副作用によって、僕は完全に丸々二時間熟睡してしまったからだ。

目が覚めた後も僕の脳は完全には覚醒せず、しばらくはモヤモヤとした霧に包まれたような気分だった。

エレGYには悪いと思いつつも、意識がはっきりせず、会話をしようという段階にさえ至れない。

「じすさん、むっちゃスウスウ言ってたよ」と、彼女は微笑んで言った。場をなんとかなごませようとしているのが分かる。

...............」心の中で、うん、そうだよ、と答える。口の動きを伴わせるだけのエネルギーがない。

「大丈夫?」

...............」うん、大丈夫。

「ねぇ、本当に大丈夫?」

...............」うん。

「じすさん?」

「もう、大丈夫だよ!!」と、やっと声が出たかと思うと、僕は大声でそう怒鳴ってしまっていた。

エレGYはびっくりした顔をして、「分かった」とだけ小さく呟いた。

すぐに「あ、うん、ごめん、大丈夫だよ、ごめん」と慌てて謝ったが、彼女の顔に笑顔は戻りそうにない。むしろ今にも泣き出しそうな感じだった。

すまない気持ちが膨らんだが、映画館に入る頃から僕の胸奥に発生した巨大な黒い塊は、そんな生やさしい感情は優先するに値しないと、冷たく僕に宣告していた。

電車の中でもほとんど会話を交わさなかったように思う。

というか、まともな記憶がなかった。

大井町駅に着いてホームに降り立った時、僕はふらついて彼女に腕を支えられた。

「触るな」と言ってそれを拒んだ所は憶えている。だがすぐに意識は水面下へと再び沈んでいった。

二人で駅の周りを二時間近くもブラブラと歩いたようだ。

気付けばもう遅い時間だったが、彼女はどうするんだろう......、いつ帰るんだろう......、ここで何してるんだろう......、みたいな疑問が、頭の隅っこでフワフワと浮遊していた。

結局、戸越公園まで自転車を押しながら歩いて来てしまった所で、

「今日泊まってもいい?」と、彼女は言った。

CHAPTER 2-11
2011:04:30
2011:04:30

11『エッチしない』

僕は歩くのを止めて、じっと彼女を睨んだ。

「えっ」と、彼女は一瞬脅えるような声を出して、すぐにギュッと僕を睨み返した。

「なんで泊まるの?」と、僕は更に睨みを強めながら言った。

「もう遅いから......、帰るの面倒じゃん」

「ふーん」

「泊めて?」

彼女はわざとらしく困ったような仕草をして見せた。

女子高生らしいと言えばらしい仕草だが、何故か腹が立った。

もう薬の作用は切れていたが、切れた事による反動が、僕の理由の無いいきどおりを助長しているようだった。

「エッチするんでしょ?」と、僕は問いただした。

彼女はぎょっとした顔で「え゛えっっ」と反応した。

何も恥じるような事は聞いていないと言わんばかりな堂々とした口調で、僕はもう一度、

「エッチしないからな!」と、くぎを刺すように告げた。

だが、言った後で、まるで自分に言い聞かせているかのような感じに聞こえてはいまいかと、自己嫌悪に陥った。

僕は再び早足で歩き出した。

「なんで?」と、後ろから彼女は言った。

なんでとはどういう事だ、なんでエッチしないのかって事か?

エッチするとかしないとか、独断的に質問したのは僕なのに、どうしてそれを彼女が追及する必要があるんだ?

エッチする事を遠まわしに許容しているのか?

......などという思考が頭を埋め尽くした。

「なんでーー?」と、さっきより後ろで声がした。

早歩きでスタートした自分の足を、今更止めるのは僕のプライドが許さなかった。

どんどんと後ろに遠くなっていく彼女に、「付き合ってないから!!」と、前を向いたまま大声で答えた。

数秒の間を置いて、予想よりもずっと後ろの方から、彼女の叫ぶ声が聞こえた。

「じゃあ付き合って!!

なら、今日泊めてくれるよね!!

今日、エッチもできるよね!!」

彼女の甲高い大声に反応して、近くで犬が吠え出した。

猥褻わいせつな発言をそんな大声でするんじゃないと犬が説教しているようで、僕は思わず吹き出してしまった。

アパートのすぐ近くのコンビニに入って、食料と飲み物を確保した。

エレGYは、これは誰が飲むのだろうかと疑問を持つほどの量のアルコールを僕に購入させた。

一瞬、家にゴムあったかな、という疑問が浮かんだ。

愚問だ......と自分で自分に回答した。

ゴムの有無は関係ない。

性行為をするつもりは無い。

僕のアパートのドアの前まで来て、「泊めてくれるんだよね」と彼女は聞いた。

僕はドアを開けながら、「うん、でもエッチしないし......、付き合わない」と答えた。

エレGYがご飯を食べている間に、僕はバスタブとトイレを掃除した。

このアパートに女性を入れるのは初めてだった。

男性でもまだ小山田幸貴一人しか入れたことがない。

バスタブの掃除が終わると、僕は彼女をお風呂に入れた。

その間に今度は、部屋の掃除に取り掛る。

普段、人を入れない部屋を短時間で掃除するのは骨が折れた。

掃除中、バスルームからは彼女の歌声が聞こえた。

聞いた事のないメロディだ。

おそらく彼女の作詞作曲による歌の一つなのだろう。

歌詞の内容までは聞き取れなかった。

お風呂からあがった彼女は、夕食を取る僕を見ながら、物凄い速さでアルコールを摂取していった。

僕が心配して止めようとすると、「うるさい!」と怒鳴った。

二人で延々と、ただ話だけをした。

意味の無いような、当たり障りの無いどうでもいい話ばかりだったが、時間を潰すには十分だった。朝までの時間を一緒に過ごすという初めての事だけで、僕も彼女もある程度楽しめた。

そして外が明るくなって、二人とも疲れ果てて毛布の上に寝落ちた。

最初の数時間はおそらく完全に熟睡した。

それから数時間ごとに、うっすらと記憶が浮上してはまた沈んでいった。

その度に、僕とエレGYの眠る位置間の距離が縮まっているのを僕は見逃さなかった。

数回目の意識が半覚醒した時、この分だとあと二回も覚醒しないうちに彼女の体が僕に接触する事が予測された。

緊急事態、緊急事態発生!

危険物質が接近しています!

この針路のままでは衝突は避けられません......

などと、寝ぼけた頭の中で警告アナウンスが流れた。

僕は再度睡眠へと落ちていく寸前で、残った全ての力を振り絞って、体の向きを彼女の反対側に変えることに成功した。

「なんで女子高生が僕のアパートで寝てるんだ......、なんでだ......」と、もう一人の僕が夢の中で僕を責め立てていた。

目が覚めた。

時計を見ると、正午だった。

エレGYはまだ眠っていた。

短いスカートから剝き出しになった白い太股が危険な構成をしていた。

目を逸らしながら、そっと毛布をかける。

バスルームに入って安堵の溜め息をついた。

シャワーを浴びた。

なんで安堵の溜め息なんだよっ、なんで僕がっ、あほらし! と、善人を気取ろうとする自分にうんざりする。

バスルームから出たら、真っ先に毛布をチラッとめくって、彼女の眠っている間にパンツをしっかり見ておこうと心に決めた。

バスルームから出ると、エレGYは既に起きて、昨日食べ残した食料を摂取していた。

「なーんだ、もう起きちゃったのかっ......、パンツ見とけば良かった」

「すけべっ」

エレGYを駅まで送って帰した。

帰ってからまた眠った。

      ×

暗くなってから起き出して、コンビニでご飯を買った。

コンビニの帰り道、昨日からの事を振り返る。

......僕とエレGYはどうなってしまうんだろう。

もう幻想とか魔法とか、考えるのがわずらわしかった。

彼女が本当の僕に幻滅してしまうなら、さっさとそうなってしまえばいいんだ......と、僕は諦め気味に考えた。

エレGYとの関係の中でジスカルド像を意識する事に、僕は疲れてしまっていた。

家に戻ると、女子高生がドアの前に立っていた。

一瞬、現実味の無い光景に目を疑う。

エレGYだ。

「なんしとんじゃ!!」僕は啞然あぜんとしながら叫んだ。

「うひゃひゃひゃ」彼女は、僕を驚かせることに成功し、いかにも満足といった風に笑った。

「うひゃひゃじゃねーだろっ、帰れバカッ」

エレGYの両手にぎっしりと握られた二つの紙袋を見て、僕はもう一度、「帰れバカッ」と怒鳴った。

「帰らないっ」

「絶対泊めないよっ、帰れっ!」

「やだっ」

「黙れ! 帰れ!」

そして彼女は泣き出した。

涙をぼろぼろ流す彼女を前にして、僕はくたびれたように溜め息をついた。

多分泣くだろうな、という......この今の光景が、彼女の姿をドアの前に見た時から、既に予測できていた。

もう一度泊めるなど言語道断。泊めれば今度こそ何かが発動してしまいそうだった。そして取り返しのつかないほど深い傷を互いに負う事になる。

僕は平静に携帯を取り出して、電話を掛けた。

「あ、小山田君。僕......。もう仕事終わった? えーと実はさ、今日、今からご飯行かない? うん、また焼肉で大丈夫。ごめん、あの......一人連れてく。うん。そう。じゃあ八時にね」

CHAPTER 2-12
2011:05:01
2011:05:01

12『魔法解除』

小山田幸貴に助けを求めたのは、泣き出したエレGYをそのまま帰す自信が無かったからだ。

泣き止まぬ彼女を強引にすぐ帰すのはあまりに危険だった。彼女は一応リストカッターなのだ。

戸越銀座商店街にある毎度のゲームセンターに、小山田幸貴はnikoを伴って現れた。

nikoまで来るとは思っていなかったので驚いた。

普段、小山田幸貴と焼肉屋へ行く時、彼女はいつも仕事で時間が合わず、彼一人だけの事が多かったからだ。

前回の喧嘩の事で少し心配になっていた僕は、二人が一緒にいる姿を見てほっとした。

「こんにちは」と、エレGYはかしこまって二人に挨拶をした。

「この人は小山田君だよ。僕のゲームにも時々出てくる」と、エレGYに紹介する。

小山田幸貴は会釈をして微笑んだ。

次にnikoを紹介しようとしたら、彼女は自分から「私、にこだよ。エレちゃん初めまして」と言って、エレGYと握手をした。

焼肉屋へ移動し、四人でテーブルを囲んだ。

エレGYに食べたい物を聞くと、お酒と答えた。

さすがに店内で高校生にお酒を飲ませるわけにもいかず、代わりにコーラを注文する。

店員の持ってきた肉をnikoが率先して焼いてくれた。

素直にそれらを次々と食べていたら「にこも食べるの!!」と不服そうに訴えた。

「食べなよっ。僕焼くからさ。ほら、食いねえー食いねえ」

僕とnikoのやり取りを見て、エレGYが笑った。

エレGYは初めはぎこちなかったが、小山田幸貴と知り合った頃の話や、彼とnikoの出会い話などを聞かせていくうち、いつもの元気を取り戻してくれたようだ。

小山田幸貴には既に聞かせた内容もあったが、エレGYとの出会いから今に至る経緯を、彼女が少しでも良い気分になるよう、僕は面白おかしく話した。

一通り食べ終わると、最後にまた、とうもろこしを注文した。

網の上でコロコロと転がしながら焼く。

その頃には、エレGYとnikoはすっかり仲のいい友達同士になって、携帯のメールアドレスを教え合っていた。

どうやら彼女の衝動を落ち着かせる事には成功したようだ。

焼きあがったとうもろこしを食べていると、「それが一番おいしんでしょ」と小山田幸貴が茶化した。

食べ終わって店を出る段階で、僕は青ざめた。

もう財布には千円札が一枚しか無かった......

小山田幸貴に何度も謝りながら、僕とエレGYの二人分をおごってもらった。

「エレちゃんまた遊ぼうね」と、nikoが手を振りながら言った。

「うん、遊ぶよ! 小山田さん、にこちゃん、バイバイ!」と、エレGYも笑って手を振り返した。

終始、僕は笑顔で振舞ったが、心中では彼女が泊まると言い出した事を忘れてくれるよう願っていた。

二人と別れて、僕とエレGYは大井町駅まで歩く事にした。

「今日は帰れるよね」と聞くと、エレGYは「うん、ありがとう」と答えた。

彼女の持ってきた二つの紙袋を持って歩いていると、中からフライパンが見えた。

他にも色々な物が入っていそうだ......

いったいどうするつもりだったのか聞いてみたかったが、あまり彼女の目的を探って、また「やっぱり泊まる」と言い出されては困る。

僕は、自分のゲームの曲を口ずさんだ。

「それ、『スターダンス』だよね。私、『スターダンス』大好き」と、エレGYは言った。

この曲を彼女が知っている事は分かっていた。

ゲーム『スターダンス』を作ったのは、僕が大学生の頃だ。

エレGYが僕を知ったのもその頃なのだろう。

僕の口ずさむ曲を聴いて、四年前の頃の事を思い出しているのかもしれない。

夜道を歩く彼女の横顔を見ると、どこか哀しげだった。

駅に着いた。

ホームまで来て、エレGYは「帰りたくない」と泣いた。

終電間近で、ホームにはほとんど人が居なかった。

電光掲示板は、次の電車が来るまでまだ数分ある事を告げている。

「そろそろ飽きてきたでしょ? 僕に」

彼女はうつむいたまま首を横に振った。

僕はホームのタイルをつま先で蹴りながら溜め息をついた。

......エレGYがどんなに僕に接近しようと、辛い思いばかりをさせてしまう。

なぜなら、僕はジスカルドではない。

最初から分かっていた事なのに、利己の想いを優先して彼女を傷つけてしまった。

終わりまでの時間を少しでも長引かせようとして、いたずらに彼女の心を振り回してしまった。

彼女の涙を再び見て、これ以上泣かせてはいけない、と強く思った。

......それにはもう、魔法を自ら解くのが一番いい。

回送電車が通り過ぎるのを待った。

脳裏で、これまで僕に会って去っていったファン達や、ユメの事が思い出される。

エレGYとの事も、そこに加わるだけだ。

静かになってから僕は彼女に言った。

「一時的な陶酔で、それが依存に連鎖しただけじゃん」

............

「君が好きなのはジスカルドの方で、僕じゃないよ。僕の事はあまり好きじゃないって、もう分かってるでしょ?」

............」彼女は何も答えない。

「ジスカルドなんて居ないから、無理して僕を好きになろうとしてるだけなんだよ。もう、会うの......止めた方がいい......

ずっと俯いたままだった彼女の姿勢に変化があった。

そして僕は、その時突然起こった出来事をしばらく把握できなかった。

彼女は、僕の腹部を半ば本気の力を込めて、グーでドスンと殴り、僕が「うぇっ」と腹を押さえてよろめくと、

「うるせえ、いずみかずよし!!」と、泣きべその顔で言い放ち、物凄い速さで階段の方へと走って行ったのだ。

「ちょっ......

僕が呼び止める間も無く、彼女はホームの階段を駆け降りながら「ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか!!」と、絶叫した。

静まり返った夜のホームに、エレGYの叫び声は痛烈に響いた。

彼女の姿はもう見えなかった。

階段を昇って来た帰宅途中のサラリーマンが驚いて、彼女が去っていった方を呆然と振り返っていた。

彼女が忘れていった大量の荷物がまだ僕の足元にあった。

僕は、本当にバカみたいに、ホームの端っこで一人、右手で腹を押さえながら、ただ突っ立っていた。

CHAPTER 3-1
2011:05:02
2011:05:02

1『夜の道、一人歩いて』

エレGYが去った後、大井町から戸越公園駅まで電車に乗った。

駅を出て、彼女が忘れていった紙袋を引きずりながら、アパートまでの夜道を一人歩く。

昨日も今日も、二人だとあまり気にならなかったが、もう夜に外を歩くにはかなり寒い。

お腹には、まだ彼女に殴られた時の痛みが残っていた。

加減がない......

これで終わったな、と僕は思った。

彼女が僕の腹を殴ったのは、おそらく僕の言った事が当たっていて、何も言い返せなかったからだろう。

......僕自身の事を好きなわけではないと、彼女も薄々感じていたのかも知れない。彼女にしてみれば、現実には存在しないジスカルドに近づくためには、もう僕を求めるしかないのだ。

腹が立った。

彼女が幻影のジスカルドしか求めていないのに、僕の気持ちだけは本物の彼女に虚しく向けられている。

惨めで苦しい。

彼女は悪くない。

ジスカルドを操り、自分を誤魔化していたのは僕だ。

ただ魔法が切れて終わった。それだけ......

エレGYの泣き顔を思い出す。

彼女がこの事で再び手首を切ってしまわないかを考えると、より気が重くなった。

しかし、それを確認しようとメールを出したりするのは止そうと決めた。

そんな事をしていたら、根性の弱い僕は彼女を諦めきれなくなってしまいそうだ。

彼女の荷物は郵送しよう。住所は通販の履歴で分かる。

アパートまで着くと、再び扉の前にエレGYが立っているのではないか、と一瞬思ったが、誰も立ってはいなかった。

代わりにポストの中に、ガス供給の停止を伝える紙が入っていた。

おそらく今日の午後の内に止められたのだろうが、その頃僕は、一晩泊まったエレGYをやっと帰した後で、ほっとして熟睡していたのだ。

僕はその紙をくしゃくしゃに丸めてポストの中に押し戻した。

家の中は、エレGYが泊まっていったままの状態で残っていた。

軽く後片付けをしてから、PCを起動させようとして手が止まる。

何のためにPCを点けるんだ、と自問した。仕事をする時間でもないし、もうメッセンジャーでエレGYの名を探すこともない。

駅から持って帰ってきた彼女の紙袋二つが目に入った。

「あの馬鹿......、何持ってきてんだよ」と、一人で呟く。

少しだけ躊躇したが、結局、荷物の中身を一つずつ出してみることにした。

まず、フライパン......

アルミの片手鍋

果物包丁

調味料の小瓶数個

チャーハンの素

パスタ

レトルトのミートソース

レトルトカレー二袋

インスタントラーメン三袋

変な猫の絵が描かれたマグカップ二個

......モノポリーの柄が描かれたビニール袋が出てくる。

中を開けると、

何故か初期の頃の少し大きめなゲームボーイ。シールが完全にげて何のタイトルか分からないソフトが差さっている。起動すると、テトリスだった。

更に、同じ袋の中から......

CDプレーヤーと、CD収納ケース

箱からはみ出してぐちゃぐちゃに混ざり合った幾つかのカードゲーム

携帯用ミニモノポリー

携帯用ミニ碁盤

サイコロ

もう一つの紙袋の方には......

化粧品の詰まったリロ&スティッチのポーチ

ピンクの手鏡

ドライヤーとヘアブラシ

歯磨きセット

のど飴とチョコレートが無数に入った袋

あとは、イトーヨーカドーのビニール袋に包まれた着替えが入っていた。

やつは無人島でも行く気か......

しかし、エレGYは本当に僕の家で同棲どうせいでも始めようと思っていたのかもしれない。

そこまでいかずとも、数日間は滞在しようと計画していたのは間違いないだろう。

これらの荷物を詰めるエレGYの姿を想像すると、胸が苦しくなった。

彼女のCDプレーヤーを開けてみると、僕のCDが入っていた。

かなり初期の頃のCDだ。

まだレーベル印刷ができず、表面にサインペンで手書きでタイトルを記入していた頃の物である。

インクは所々がかすれ、CDを何度も聴いた形跡がうかがえた。

CDの収納ケースの方も覗いてみる......

三十枚くらいあるCDは、全てが僕の作ったものだった。

彼女が中学生の頃から四年間をかけ、買い求め続けたCD達がそこに収められていた。

収納ケースの端に小さなメモ帳が挟んであった。

『AMゲーム・プレーノート その三』と表紙に書かれてある。

かなり傷んでおり、使い古されている。

中を見ると、びっしりと文字が並んでいた。

僕のゲームの名前がリスト化され、それぞれに彼女のプレー記録やコメントがあった。

色とりどりのペンで書かれ、所々に可愛いシールやイラストがちりばめられている。

二〇〇五年下半期からのゲームが、公開された順に書かれていた。おそらく新作が出る度に追加していったのだろう。最初のページの方は、文字の色が薄れて消えかかっている。

誰に見せるわけでもなく、エレGYが自分のためだけに作ったプレーノート。

『その三』と書かれているからには、『その一』と『その二』もあるに違いない。

この一冊だけでも、書かれている内容は相当な量だ。

このメモ帳は、僕のゲームを見守り続けてきた彼女の記録の一部だ。

大きな時間と想いの重さが感じられた。

辛くて読めなかった。

メモ帳を閉じる......

裏表紙には『フレーフレー、じすさん!』と書かれてあった。

それを見て、そこで初めて僕は泣いた。

CHAPTER 3-2
2011:05:03
2011:05:03

2『革命の終わり』

それから二日間、エレGYからは何の連絡も無かった。

彼女の荷物を宅配便で送ろうと、一度コンビニまで持っていったが、大きな荷物二つ分の送料は予想外に高く、僕は店員に「すみません、お金足りませんでした」と恥ずかしいセリフを吐いて、再び家まで持ち帰った。

アンディー・メンテの通販には新たに三件の注文が来た。

どれもCD一、二枚の小さな注文だ。

内一通には、備考欄にメッセージが書かれていた。

『初めてCDを買わせて頂きます。

つい最近アンディー・メンテを知って、ちょっと変わった雰囲気に、あっという間にハマってしまいました。「怪盗プリンス」や「自給自足」が凄く面白くて、これがフリーだなんて驚きです。じすさんの日記も大好きです。

もし良かったら......メッセンジャーのアドレスを書いておくので、登録して下さい。

youko_loves_am_xxxooo@hotmail.com』

昔はこうしたメッセージに対して一通一通返事を書いていたものだが、いつの間にか億劫おっくうになって書かなくなった。

この差出人の女性もジスカルドを見ている、と僕は沈んだ気持ちでそれを読んだ。

全くやる気は出なかったが、貴重な収入のためだと自分に言い聞かせて、返信と梱包作業を行った。

郵便局へ持っていくと、三件分の発送料は、僕の全財産にギリギリ収まってくれた。

これで数日中には数千円が口座に振り込まれるだろう。

ただそれまでは飲まず食わずになりそうだ。

毎日ネットバンクで残金を確認したが、なかなか入金はなかった。

数日目の朝、携帯にエレGYからのメールが届いてるのを発見した。

『荷物、忘れちゃった。ごめんね、じすさん。ごめん』とだけ書かれていた。

返事は出さなかった。

代わりに、既に空腹の絶頂に達していた僕は、「二つ目のごめんは、きっと僕の腹を殴ったことに対する謝罪だ」と勝手に決め付け、エレGYの荷物の中にあったチョコレートを慰謝料として全部食べてやった。

インスタントラーメンやパスタも入ってはいたが、ガスが止められているのでお湯が沸かせず、どうしようもない。通販の振込みがあったら、まずガス代を払おう。荷物の中にある食料で一週間は生きながらえそうだ。

エレGYと会わなくなっただけだというのに、一日がとても長かった。

経済的危機を乗り越えるために、それらの時間を全て新作のゲーム開発にあてた。

僕は猛スピードでプログラムを組み、絵を描き、音楽を作った。

そこには何の思い入れも、信念も無かった。

ただ金にさえなればいい。

今更、誰かのために作るなどという理由も無かった。

エレGYは僕の新作をやるだろうか。

やるかもしれないし、やらないかもしれない。

どちらにせよ、もう彼女の事を考えたくなかった。

意識すると、辛くなった。

少なくとも、僕の方は彼女の事が好きだったのだ。

ただ、彼女が見ていたのは僕ではなく、僕が生み出した幻影の方だった。

今まではユメの事を思い出す度に飲んでいた抗不安剤が、エレGYに関する思考の中断用にとって代わった。

二、三日して、通販の代金と郵便局からのアルバイト代が振り込まれた。

それらは一瞬にしてガス代と家賃に消えた。

濡れタオルで体を拭くだけの日々に別れを告げ、久しぶりに湯船につかった。

腕に自然治癒途中のアザがあった。もうほとんど治りかけていたが、よく見れば足にも幾つか跡がある。

脳裏にエレGYの屈託の無い笑顔や、甲高い笑い声が蘇った。

自転車に二人乗りをして、分離帯の上から転倒した時のアザだ。

随分と昔の事のように思えた。

どのアザも、もう消えかけている。

エレGYの残したインスタント食品を全て消化し終えると、残りの彼女の雑貨や衣類、CDなどを全て一つにまとめ、今度こそ宅配便で古島絵里の住所へ送った。

エレGYからは、まだメールが届き続けていた。

着信音が鳴る度に、抗不安剤を摂取する癖がついた。

僕は、それら全てのメールを読まずに削除する事で、なんとか心の傷を最小限に留めようと努めた。

削除したメールは数え切れない。

それでも、いっこうにメールの止む気配が無かった。

僕は、仕方なく終止符を打つための一通を書いた。

『僕はもう以前ほど君に興味がありません。だから、僕の事はなるべく早く忘れるように努力して下さい。僕もそうします。君と知り合えた事はとても良い事でした。ありがとう。今は傷つくかもしれませんが、手首は絶対に切らないで下さい。僕からの最後のお願いです。さようなら』

なんて勝手なメールだろうと思った。

しかしこれがベストであると判断した。

会って直接別れを告げるのは、お互いを引きらせてしまいかねない。

送信して、すぐに抗不安剤を二錠口の中に放り込んだ。

しばらくソワソワした。

なかなか薬が効かない。

自己嫌悪は増幅する一方だった。

そのうち、胸が焼けるように熱くなり、嗚咽おえつが止まらなくなった。

息が上手く出来ない。

寒気もしだした。

布団に横になる。

着信音が鳴った。

すぐに携帯を取り、見ずに消去した。

消去したら、涙が溢れ出た。

薬をもう一錠だけ飲み、毛布にくるまって目を閉じる。

ただ、早く時間が流れて欲しかった。

そうすれば忘れられる。

エレGYとの事も、ユメの時と同じように。

痛みが意識と共に拡散していく。

じょじょに呼吸が楽になって、そしてやがて眠った。

次の日から、もうメールは来なくなった。

CHAPTER 3-3
2011:05:04
2011:05:04

3『万人受け』

食いつなぐためだけに作っていたゲームは、予定より早く完成し、ネット上に公開された。

タイトルは『ひきこもりの魔法使い』。

貧乏でひきこもりの魔法使いが、家の窓から手の届く最低限の範囲内から、落ちている石や砂、草、虫などを入手し、魔法で様々なアイテムに合成していく、いかにもありがちなシミュレーションゲーム。

万人受けを狙っただけあって、直後の反応はまずまず。

すぐにサウンドトラックCDの制作にも取り掛かった。

それで次の家賃や電気代はなんとかなる。

CHAPTER 3-4
2011:05:05
2011:05:05

4『人とは違う生き方』

しばらく経って、ずっと休み続けていた碁会所へ久しぶりに顔を出した。

エレGYと出会うまでは、アンディー・メンテの仕事をしない日はあっても、碁会所へ行かない日はない程に、僕は囲碁に対してだけは真剣だった。

僕が囲碁に没頭するようになったのは、ユメと別れた事がきっかけだ。

囲碁に夢中になる事で、ユメとの事を少しでも忘れようとした。

碁会所に通う事が、抗不安剤を服用するのと同じような意味を持っていたのだ。

おかげで僕の囲碁の棋力は短期間で急上昇した。

その頃の癖なのか、エレGYの事を考えまいとしていたら、碁会所に行ってみようという気になったのだ。

昔と同じように、再び囲碁に熱中してエレGYの事を忘れられればいい。そう思った。

「おや、珍しい子が来たなっ。しばらく来なかったから田舎にでも帰ったかと思ったよ」と、先生が言った。

「すみません。郵便局のバイトが忙しくって」僕は噓をついた。

「噓つけぇ〜、ゲームとか音楽の方に夢中だったんだろ?」噓がバレた。

以前、僕がゲームや音楽を作っているのを話した事がある。

元ミュージシャンだった先生と、お互いの曲を聴かせ合ったりもした。

しかし先生はエレGYの事までは知らない。

「そ、そんな感じです......。郵便局のバイトもクビになっちゃいました」

「あははは、本当かい。しょうがないね。......じゃあ打つか。棋力落ちてなきゃいいけどな」

「お願いします」

先生と向き合って座る。

前回と同じように黒石を三子置いて、対局が始まった。

先生と打つ碁は、他のお爺さん連中や小山田幸貴と打つ碁とは違う。

先生と打つ碁は、言わば試験だった。

その対局で、どのような内容の手を打ったかが先生に判断される。

先生とは何度も打ったが、未だに碁石が汗で光った。

神経を尖らせ、集中と緊張のせいで指先が震える。

囲碁は手談と言われる事がある。

石の一手一手に意思がこもり、対局している者同士だけが分かる会話となる。

特に高段者になってくると、下手シタテと打つ時、相手の心理が読めてしまう事がある。相手がどんな考えなのか、どんな心情なのか、どんな性格なのかさえ分かってしまう事もある。

つまり先生のような人と打つと、まるで自分の皮膚が透明になって、自分の何もかもを見透かされているような気分になる。

以前はそれを強く感じていたが、僕の棋力が上昇するにつれ、先生の考えている事もじょじょにだが分かるようになってきた。

先生と打っている最中は、何にも代えがたい喜びを感じる。

普段の生活で、それほどに意識を研ぎ澄ませ、全力で戦いに立ち向かう事など皆無かいむ

普通では味わえない精神的窮地きゅうちを、先生との対局では体感できる。

アドレナリンが舞い、冬でも掌に汗をかく。

先生はよく碁吉ごきちの話を僕にした。碁吉のキチは「狂う」の意だ。碁吉とは、碁が極度に好きになってしまい、没頭するあまり家族も仕事も失って、しかし尚も碁を打ち続けるような人の事を言うのだ、と先生は言った。

碁吉になる人の気持ちが分かる。

碁を打っている間は、何もかもを忘れられる。

一度深い読みに潜行すれば、あらゆる現実の苦しみから逃避できた。

どんな心の痛みも振りはらって、目の前の戦いが全てとなる。

先生との対局を終えて、二人で一手目から並べ直し検討する。

碁会所に通い始めた頃は、初手から全てを再現する先生を見て、神業かと思ったものだ。

今では僕も一緒に並べ直せるほどにはなった。

......序盤は何事も無くゆっくりと進行していった。

互いに石を打ち合い、中盤に差し掛かる。

「前は毎日来てただけあって、衰えてなかったな」と、先生はパチッと石を置いて言った。

僕の優勢に傾くきっかけとなった箇所だ。

部分的な戦いを制し、黒の有利な展開となった。

続けて数十手を打ち直し、先生の手が止まる。

「この手はなんだ? 攻めるのか守るのかはっきりしない」

先生の厳しい口調に、僕はただ「はい」と答えて頷いた。

「急に変になった。迷いがあるな......。ここで攻めるなら、隅は捨てろ。捨てたくないなら、最初から攻めるな。気合が足らない」

実戦では隅の薄みが気になって仕方がなかった。だが局面は攻めるべき状況に至っており、僕は悩んだあげく、どちらともつかぬような曖昧あいまいな手を打ってしまったのだ。

何もかもを読まれているようだった。対局中の心理はおろか、今の僕の弱さすら。

その一手を境に、この碁は形勢が入れ替わり、僕の投了となった。

「あの手さえ無かったら、白は足りない。そしたら俺の負けだったな」と先生がニコニコして言った。

碁石を碁笥に戻し、「ありがとうございました」と言って、ようやく張り詰めた気を解放する。

興奮状態だった脳が一気に脱力し、心地よい疲労感で満たされた。

「しかし強くなったよ。本当に。半年で二段になれる人はそうはいない」

先生は車椅子の上で腕を組み、目を閉じてそう言った。

褒められて嬉しくなる。

レッスン代を払おうとすると、先生が止めた。

「実はもうここ閉めるんだ」

意外な言葉に耳を疑った。

「いつですか?」

「今月いっぱい。......最近は、子供教室の人数も『ヒカルの碁』のおかげで増えたし、それなら自宅でやっていけるなと思ってね。年寄りはもう駄目だ。『ヒカルの碁』の影響で囲碁人口は増えたっていうけど、増えたのは子供だけで、囲碁好きな年寄りは減る一方。公民館に行けば月千円で打てるしな」

「そ、そうですか......

僕はひどく残念だったが、それをうまく言葉にできなかった。

この近くに他の碁会所はあっただろうか、などと自分本位な考えが浮かぶ。近くにあったところで、そこに先生のような特別な人は居ない。

先生は奥の本棚を指差して、「どれがいい?」と僕に尋ねた。

「好きなの一冊持ってくといい」

並んでいるのは膨大な数の囲碁の教本。それに混じって分厚い外国文学の全集が何セットかある。

「ああ、それはロシア文学だ。ここを開いてから、毎日ちょっとずつ読んでたんだよ。こういうのを三十年も毎日読んでれば、同じ年数働いてるサラリーマンらとは、幾分違う人間になれるかもしれない......なんて思ってな、ははは」

哀愁の混じった笑顔で先生は言った。

「泉君も、人とは違う事をしてるんだろ?」

「えっ......、ええ、まあ......」突然聞かれて、受け答えに戸惑う。

「はは、しょうがないな。人と違う生き方は苦しい事ばっかりだぞ?」先生の言葉は重い説得力を伴っていた。

......でも、誰もしないような生き方をせんと、特別な存在にはなれない、ってな。......がんばれよ」

先生は二冊の本を棚から出して、僕に差し出した。

趙治勲ちょうちくん打碁傑作選』の上下巻とあった。

「これにしよう......。こりゃ俺が、泉君くらいの棋力の時に読んだ本だよ。いい本で今でも時々読んで並べてる。気が向いたら読むといい」

僕は二冊をしっかりと両手で受け取って、深く頭を下げ礼をした。

CHAPTER 3-5
2011:05:06
2011:05:06

5『フリーウェアゲームスピリット』

十二月になった。

余計な事を考えぬよう、アンディー・メンテの仕事に没頭する日々が続いた。

サイトを毎日更新し、ゲーム以外のコンテンツの充実化も同時に進行させていく。

新作のゲームが好調で、通信販売の注文数が一気に増えた。

貯金残高は今月の家賃や光熱費を十分まかなえるまでに達し、生活に若干の余裕が生まれだした。

すぐに次のゲームの制作にも取り掛かった。

苛々いらいらしていた。

食費にも困らず、年明けの家賃さえ心配いらぬ程に収入は増えたというのに、僕の気持ちは日に日にすさむようになった。

ファンサイトや掲示板では、新作ゲームを賞賛する書き込みが毎日多数見受けられるようになり、最近では滅多に無かった熱烈なファンメールもチラホラと届いた。

しかし、どのファンを見ても、ついエレGYと比較してしまった。

誰も彼女ほどに僕を理解などしてはいない......と、気がつけば蔑んでいる。

おかしな考えだ。

彼女だって、本当の僕ではなくジスカルドを見ていた。

彼女ですら僕を理解していないなら、もうこの世に今の僕を理解している者などいない事になる。

多分、そうなのだろう。

エレGYからのメールが届かなくなってからというもの、時々、つい彼女の影をネット上で探してしまった。

アンディー・メンテ関連のファンサイトやどこかの掲示板に彼女の名が無いかと検索してみたり、もしかしたらオンラインになっているかもしれない、とメッセンジャーを度々起動させてみたりする。

何も無い事が分かり、僕はほっと安心する一方で、極度に落胆した。

彼女を振り返ろうとする自分を責め、薬で押し殺す。

新しいゲームの制作は、中盤まで進んで、失速、停止した。

どんなに万人受けするゲームを作っても、ただ収入が増えるだけだ、と虚無感が僕を満たしてしまったのだ。

いつの間にか、かつての平凡な日々へと逆戻りしている事に愕然とする。

毎日、朝起きては、今日も何も無い......、と呪った。

だが、もう一度ブログにおかしな事を書いて、何かを起こす気力は無い。

ゲーム制作日誌のブログのアクセス数は、一日に千人を越えていた。

アンディー・メンテのファン数は明らかに増えていたが、昔からのオールドファンは減ってしまったような気がする。

......何年も前からの古いファンは、エレGY同様に、ジスカルドを愛してゲームをプレーしてくれる。しかし、新作の見栄みばえに釣られて増えた新参は、別に制作者の姿などをゲームに求めてはいない。面白いゲームがタダでできればそれでいいのだ......、などと、そんな事をただ鬱々と考え続けた。

かつては、自分の非力さを擁護するために用いてきた「ジスカルドの魔法」が、今では何より愛しい「僕の作品」に思えた。

「ジスカルド」というもう一人の僕こそ、アンディー・メンテ最大の作品ではないのか。

そして、それを誰よりも愛してくれたのが......、エレGYだったのかもしれない......

      ×

僕が躁鬱そううつ病ではないか、と掲示板に書き込みがあった。

新作ゲームの公開から二週間もしないうちに、アンディー・メンテのサイトが閉鎖状態となった事に対する反応である。

僕は何度も新しいゲームの制作を再開しようと試みたが、無理だったのだ。

一旦そのゲームは中断し、気分を変えて違うゲームの制作にも挑戦してみた。

だが、何かを作ろうとすると、その都度、エレGYの残した道標が僕の心に現れる。

本当はそんな風に作りたくないが、お金のためだから......、と割り切って作る部分。自分に対する噓の部分。そうした箇所で一々つまずいた。

初心者が悩むような事だと、自分を嘲笑あざわらった。

随分昔に通り越したはずの葛藤の壁だが、そんなものが、エレGYの影を伴って完全に僕の仕事を立ち往生させた。

苛立ちが頂点に達した日、僕は制作途中の全てのゲームをハードディスクから削除した。

アンディー・メンテのサイトのトップページにはこう書いた。

『アンディー・メンテは閉鎖します』

ブログや掲示板はそのまま放置したが、通販ページやゲームコンテンツは全て削除した。

これで収入源は完全に絶たれる。貯金の残高が尽きればおしまいだ。

何もかもが、どうでもよかった。

何もかもをぶち壊して、いくら押し殺しても出てくる感情と共に、全部をリセットしたかった。

一部のファン達は、各所のサイトや掲示板で、その事に対する疑問や抗議を投げかけていた。

「閉鎖とはどういうことですか? 再開はされるのですか?」などという内容のメールが多く届いた。

しかし数日ですぐにそれらは沈静化した。

何も変化が起きないと分かると、新規ファン達はまた別の無料ゲームを求めて去って行ったのである。

残ったのは結局、昔からいたファンだけのようだった。

しかしそこにはもう、彼らが求めるジスカルドはいない。

僕は自分に嫌気が差していたのだ。

目指すべき夢を目指さず、あるべき姿でいられない。

かと言って自分を捨てて完全に商業主義に徹する事もできず、生活は依然貧乏という鉄の重りを引き摺ったまま。

志はいつの間にか喪失し、状況の悪さと自分の弱さは世の中のせいにして、日常すら変える事も出来ずにただくすぶり続ける。

そんなある日、僕はブログにあの日記を書いた......、本当はあの時点で、アンディー・メンテは閉鎖するはずだった。

だが、メールが来た。

差出人は、エレGYと名乗った。

僕は、彼女とマクドナルドで出会い、話をした。

彼女には、僕がかつて手にしていたはずの無限のエネルギーと若さがあった。

彼女は、僕が忘れかけていたスピリットを思い出させた。

......フリーウェアゲームの制作とは、本来自由気ままなものである。

その良さの一つは商業性に束縛されていない所だ。

未完成だろうと、不出来な物であろうと、まさに自由。

何をやってもいい。

プレーヤー側は無料でそれらを入手し、気に入った物だけを遊ぶ。

気に入らなければデスクトップのゴミ箱に捨てるだけだ。

高いお金を払って買ったのに全然つまらないじゃないか、などと思う事もない。

フリーウェアゲームはタダなのだ。

こうした背景の中で、無数のフリーウェアゲームが創造される。

自由な精神は新しい挑戦や開拓をやりやすくし、次から次へと未知の概念・価値観を生み出していく。

これこそが、フリーウェアゲームスピリットだ。

かつては僕も、そんなスピリットに共鳴し、夢を見出していた。

自由な表現を得る事の素晴らしさに感動し、誰も見た事の無いようなヘンテコな作品をがむしゃらに作った。

生み出され続けるカオスなゲーム達は、そうした物に敏感な感覚を持つ一部の若者達へと伝わっていく。

ところがある時、僕は変転した。

僕が作るゲームから、突拍子とっぴょうしもない表現や希有けうの成分は少しずつ姿を消し、だれもが面白いと既に知っている欠片ばかりの、秩序ある寄せ集めへと変わっていった。

生活のための収入を、ゲーム作品から派生するグッズ販売に頼るようになったからだ。

公開するゲームが多くのプレーヤーに受け入れられなければ、当然二次商品も売れず、それは僕の生活レベルに影響する。

ただ作りたいものだけを作るわけにはいかなくなった。

綺麗事では食えない。当たり前のこと。

しかし、もはやそこに、あの高潔なフリーウェアゲームスピリットは存在しない。

自分が恥ずかしかった。

自分のやっている何もかもが。

自分の作っている何もかもが。

見せ掛けに過ぎないと分かってはいても、相対的価値の高いと分かっているものを利用する事で、センスや能力の無さをカバーするのだ。

そういう物を利用する事でしか生み出せない。

自分だけの絶対的な価値を探求し、それを表現する事から逃避している。

光を発してる存在じゃない。

反射してるだけだ。

そんなやつは芸術家じゃない。

エレGYの事を考えた。

彼女は中学生の頃から、ネット越しにずっと僕を見てきた。

それほどの長期間、僕の作品に触れてきた彼女なら、僕の表現が変化した事にも気付いたかもしれない。

......最初の頃は作品から自由な精神を感じていたのに、徐々にプレーヤーの好みを意識したびた印象を受けるようになった......、とか。

それでも彼女は僕に会いたかったのだろうか?

それとも、ネット越しに見えるジスカルドは、まだまだ夢と希望に溢れていて、新しい表現と価値を模索する勇ましい冒険者だったのだろうか?

頭に浮かぶエレGYの瞳は、あまりに真っ直ぐで眩しい。

僕がフリーウェアゲームスピリットを失う事を、彼女だって嫌うはずだ。

若さと独自の信念に満ち溢れた彼女は、夢に突き進んでいた頃の僕と少し似ている。

あの頃の僕なら、間違いなく今の僕を罵倒し、嫌悪する。

夢を捧げてきたアンディー・メンテが尽き果てるのは、大切な物を見失ってしまった事への報いだ。

やがてアンディー・メンテのトップページも消えた。

ごめんな、ジスカルド......

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CHAPTER 3-6
2011:05:07
2011:05:07

6『nikoからの電話』

午後が来ても、窓の外からの光は暗かった。

ガラス越しに建物の隙間から覗く冬の曇り空は、この世の終わりのように絶望的だ。

全世界の全ての人間が絶望しているなら許せるが、自分だけが一人、この空を見ながら鬱屈うっくつしていると思うと、このままわびしく死んでしまいたくなる。

布団に横になったまま動かず、ぼうっと窓を見上げていると携帯が鳴った。メールではなく電話の着信音だ。

一瞬、エレGYが掛けてきたのかと思ったが、携帯の電話番号は教えていない事をすぐに思い出した。

見ると、携帯の画面には「niko」と表示されていた。

「もしもし......」と、布団に寝転がったまま電話に出る。

「しすみん?」

携帯の向こう側から、nikoの特徴ある声が聞こえてきた。

「どした?」

「ききたんがね、ききたんがね、別れるって......

電話の向こうでnikoが泣いてるのに気づいて、布団から体を起こす。

「なんでえっ」と、僕は驚いて言った。

「ききたん、にこの事、うざいって言うの。毎日、夜帰ってきてから、何もしないで家にいるのがうざいって」

以前の小山田幸貴のアパートでの喧嘩を思い出した。

電話越しに、雑踏の音が聞こえた。

「今、どこにいるの?」

「戸越銀座」

nikoは小山田幸貴の家を飛び出し、戸越銀座の商店街を歩きながら電話を掛けていると言う。

「分かった。とりあえず、そこに行くから待ってて」

電話を切って、出かける準備をした。

nikoは商店街をとぼとぼと一人で歩いていた。

ジャージ姿に、サンダル。手に何も持たず、突然に家を出てきたと言わんばかりの格好だ。

表情は暗く、目は沈んでいた。

nikoが泣き出す代わりに雨が降り出した。

nikoは俯いたまま、僕の後ろにあったファミレスを指差した。

財布の中身を思い出す。

「オーケー。早く入ろう、濡れちゃうよ」

席について、僕は小山田幸貴にメールした。自分の彼女と他の男が、知らない場所で食事をしていてこころよく思う男はいない。一時間くらいしたら、家に帰します、と打った。

フライドポテトを注文し、フリードリンクを取りに行く。

二人分の紅茶をぎ、席に戻ると頼んだポテトもきていた。

「しすみんごめんね」

紅茶を一口飲んでnikoは言った。

「いいよ、大丈夫かい」

「うん、平気だよ。よくあることなの。......でも、しょっちゅううざがられるんだ。ききたんがテレビ見てる時とか、勉強してる時とか、すっごい冷たいの。邪魔しちゃ悪いって分かってるけど......、もう少し構って欲しいだけなの」

nikoは両手の指の爪をこすり合わせながら、溜め息と共にそう話した。

「そっか......

「うん。大喧嘩しちゃって出てきただけ。別れるって言ってたけど、前とおんなじ。心配しなくていいよ。電話してごめんね」

「いいよ。家に居ても暇だったから」

とりあえずは、それほど切羽せっぱ詰った修羅場ではなかったと分かり安心する。

......そうだな、男は集中してる時に邪魔されると嫌がるもんね」

「しすみんもそれ系か」

「それ系じゃ」

正直に答えると、nikoの方からポテトが飛んできた。

「きっと、にこには、ききたんしか無いから駄目なんだ」と、nikoは眉間みけんにしわを寄せ、「にこには趣味がないから駄目なんだ」と続けた。

「しすみんにはアンディー・メンテがあるでしょ。ききたんにも遊戯王とか、アニメとか色々あるでしょ。にこにもそういうのが必要だ。そしたらききたんが何かやってる時は、にこも自分の事をやって、邪魔しないで済むね」

「そうか......、そうだね。違う趣味がお互いにあると、教え合ったりできるしね」

心の中で、アンディー・メンテはもう無いけどね......と呟く。

nikoは紅茶とポテトを交互に口に運んだ。

どうやら僕に話して気持ちも少しは落ち着いたようだ。

「エレちゃんの趣味は?」

「え」

nikoの突然の質問に言葉が詰まった。

nikoはまだ、僕がエレGYと会わなくなった事を知らない。

「えーと、なんだろ......

エレGYの趣味が何だったのか、頭を巡らせる。

彼女の事をあまり思い出したくないという気持ちのせいか、すぐにはっきりとは思いつかなかった。

エレGYがアンディー・メンテを好きなのは知っているが、それ以外に趣味があるのだろうかと考えた。

以前彼女が、自分で歌を作って路上で歌ったりしている、と言っていたのを、数秒経ってから思い出した。

「そうだ。よく分かんないんだけど、歌を作ったりしてるらしいよ」

「へぇー、すごいなー......。エレちゃんの歌、聴いてみたいなー......

エレGYは僕と会っていた時も、歌を作ったり、路上で披露したりしていたのだろうか、とふと思う。

特異な価値観を持つ彼女が作る歌とは、いったいどんなものだったのだろう。

その事を詳しく聞こうとしても、彼女はほとんど何も教えてくれなかった。

「僕も聴いた事ないんだよ」

「なんだ。しすみんもまだまだだな」

「う、うん......

「エレちゃんって、高校生だよね?」

「あ、うん。そうだよ」

「いいなー。にこもまた学校行きたい」

「行けばいいじゃん」と、軽く答えた。

そしたら、「そっか。よし、にこ学校に行くよ!」とnikoは言い出した。

「何かの専門学校行って、いい女になるの! ききたんが何かやってる時は学校の勉強すればいいし、頭も賢くなるよね。そしてききたんにもっと好かれるんだっ」

「学校!? ......そ、そうか。学校か。それはいいと思うよ」

唐突の決意表明に、戸惑いながらも賛成した。

突飛ではあるが前向きな考えには違いない。行動力のあるnikoらしい対応策だと思った。

「ね? よーし、にこは学校に行くぞっ」

すっかり力強さを取り戻した彼女を見てほっとする。

小山田幸貴とnikoの二人には、ずっと上手くいって欲しかった。

会話が一段落付いた所で、

「僕、エレGYともう会ってないんだ」と、打ち明けた。

「どしてっ」nikoの表情が強張こわばった。

「あの子は......僕が好きじゃなかったんだよ。ネット越しに、僕に妄想を抱いてただけだから......

「そんな」

nikoは「うーん」と唸って、しばらくしてから言った。

「ききたんも、ネットゲームの中じゃ、にこがベタベタする性格だって気付かなかったから、ゲームで知り合うなんてやっぱり駄目だって前に言ってたの。......でもさ、そんなの普通の恋愛も一緒だよ? 普通の恋愛だって、付き合ってみるまでお互い分からない事だらけだし。それに、後から嫌な部分が見えたって、それも含めて好きっていうのが、本当の好きだもん」

外はまだ雨が降っていた。

僕は店の外を見ながら、

「小山田君は、にこちゃんの嫌な部分も受け入れてくれると思うよ」と言った。

「そんなわけないよ。ききたんはにこが嫌いだもん」

「嫌いだったら、趣味を持って欲しいとか言わないさ。とっくに別れてる」

そう言って、僕は店の外を指差した。

nikoは僕の指の先を辿たどり、後ろを向いて外を見る。

店の外に、傘を差しながらひっそりと立つ小山田幸貴の姿があった。

彼の左手には、もう一本の傘も握られていた。

「え......、ききたん?」

「嫌いなら、雨の中、傘持ってきたりしないだろ?」

外を見るnikoの目がうるむのが分かった。

席を立とうとして、そこから涙が一粒だけぽつんと落ちた。

その一粒の分、外の雨も少し穏やかになった気がした。

店を出て、僕は自転車に乗りながら、小山田幸貴に手を振った。

小山田幸貴の差す傘に入ったnikoが、もう一本の傘を僕に差し出して「ありがと、しすみん」と言った。

それから、

「エレちゃんだって、しすみんの嫌なとこも含めて好きだったんじゃないの?」と言った。

僕は何も答えずに、傘を受けとった。

CHAPTER 3-7
2011:05:08
2011:05:08

7『マック遭遇』

外の空気は一段と冷え込みだした。

僕はいつまた風邪を引いてしまわないかとビクビクして、ほとんど外出しようとはしなかった。

今、体調を壊してしまったら、余計な薬代で貯金を圧迫させてしまう。

収入が無い以上、残高が僕の残り寿命を意味している。

が、しかし......、その日に限っては、底をついた抗不安剤を処方してもらうために、大井町にある精神科クリニックまで、なんとか赴かねばならなかった。

ただ破滅へと突き進むだけの毎日で、その薬は唯一の命綱だ。

食費を削ってでも、それだけは必要である。

寒さがどんなに怖くても行かねばならない。

僕はこれでもかというほど服を重ね着した。更にニット帽とマスク、マフラーに手袋を着用。

万全の無敵態勢で自転車に乗った。

空は曇り、風も強かったが、さすがにそれだけ防寒すれば向かい風も怖くない。

頭の中で、処方のための診察代と薬代を予想し、それを差し引いて、あとどれくらい生活が続けられるかを計算した。

大丈夫だ......、少なくとも年は越せる......

大井町の駅前まで来ると、右手にマクドナルドが見えた。

赤い看板に、咄嗟に体が反応する。

なるべく他の事を考えようとしたが、エレGYとそこで初めて会った時の光景が、強制的に脳裏で再生された。

やめろ......、やめろ......、やめろ......

そこさえ過ぎれば、クリニックの入ったビルまですぐだった。

なんとか辿り着き、診察を受けた。

医者から、飲むペースが早すぎる、と注意を受けたが、処方箋しょほうせんは書いてもらえた。

数十分後、隣のビルの薬局にて、二週間分の抗不安剤の入手に成功した。

これでまたしばらく凌げる......

薬を得たというだけで安堵し、気が緩んだ。

帰りもまた駅前のマクドナルドが気になった。

早く通り過ぎようとスピードを上げたが、横断歩道で信号に阻まれた。

なかなか青にならない事に苛々する。

深呼吸をしたが、意に反して動悸どうきが高まるのが分かる。

信号が変わった。

発進。

チラリと店の方を見た。

駄目だと分かっていながら、おもわず視線が、窓際のあの席の方へと向いてしまった。

見るな、と自分を制止しようとしても、言う事をきかない。

心の中で警告ランプが明滅しだす。

百五十メートルほどの距離があったが、誰かが座っているのが分かった。

彼女であるわけがない。

他の誰かだ。

さあ、もう行こう。帰って薬を飲むんだ。

遠目にも制服を着た女子高生だと判別できた。

別人だろう。

そして、赤色のマフラーすら見えた。

...............

心臓が急激に強く鼓動した。

ブレーキをかけて片足を下ろし、呆然とマクドナルドの方を見た。

「なんで居るんだ......

不意に携帯が鳴った。

見ると、既に四通のメールが受信されていた。

どれもエレGYからのメールだ。

息を吞んだ。

いつから届いていたのだろう。

彼女のメールが途絶えてからは、携帯を見る機会はほとんど無かった。

アンディー・メンテの閉鎖に対して、彼女から何らかの反応があるのは予想できたはずだが、薬の残り数を気にして、携帯の確認を遠ざけていたのだ。

削除しなくては。

右手の手袋を脱ぐ。

手がかじかんで上手くボタンを押せない。

削除をするはずが、僕の指は命令を無視して、メールを開こうとしている!

やめろ、メールを見るな!

一通目が開いた。

『じすさん、私、死にたい』

全身がカッと熱くなるような感じがした。僕の中のもう一人が二通目を開くのを命懸けで止めようとしていた。

一拍おいて、二通目が開く。

『アンディー・メンテが無くなった。どうして? 私のせいかもしれない』

三通目と四通目を阻む気概はもう無かった。

『痛い。じすさん、痛い...。息ができない。ずっと返事が来ません』

『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい』

メールを見終わって、再度マクドナルドの方を見た。

顔までは判別できなくとも、あれがエレGYである事はもう間違いなかった。

いったい何故居るんだ、と頭の中で繰り返した。

まさか、僕がメールを無視し始めてから、ずっと毎日通っていたのではなかろうか。

彼女ならやりかねない。

僕は自転車を押しながら、ゆっくりと歩いて店の方へと接近した。

五十メートルくらいまで近寄った時、店内の窓際の席にすわる彼女がこちらを向くのが分かった。まだ遠くではあったが、エレGYだとはっきり見えた。

彼女は数秒、視線を泳がせた後、僕の位置に目をとめた。

一瞬、この厚着とニット帽、更にマスクまでしている僕には気づかないかもしれない、と思ったが、彼女の視線はしっかりと僕を捉えたまま動かなかった。

僕はまるで呪いにでも掛かったかのように立ち尽くし、ただ彼女と互いをじっと見つめ合った。

体中の神経が、音が鳴るのではないかと思うほどに振動した。

僕の中の、ようやく封じ込めつつあった気持ちが、再び動き出そうとしているのが分かった。

駄目だ......

僕はすぐに自転車に跨り、方向転換をしようとする。

ぱっと彼女の方を見ると、さっきまで居たはずの席に誰も居ない。

今まで見ていたのは幻覚だったのか、と自分を疑いそうになった。

「じすさん!!」

突然、響いた大声にハッと我に返り、幻覚などではない事を悟る。

店から飛び出したエレGYが、全速力で僕の方へと走ってきていた。

思い切り振られた彼女の両腕に、真っ白な包帯が見えた。

僕は慌てて自転車の向きを直し、彼女とは反対方向へとペダルを漕ごうとする。

ハンドルの変速機が重いギアに入ったままで、なかなか加速しない。

やっと走り出したかと思うと、またすぐペダルに負荷が掛かり、バランスを崩しそうになって両足を地面に落とした。

「嫌!!」と、僕の真後ろで声がした。

振り返ると、エレGYが自転車の後部座席を両手でつかみ、必死に進むのを止めようとしていた。

「離せよ!! 馬鹿!!」そう叫んだら、マスクが耳から外れて落ちた。

「絶対嫌!!」彼女は泣いていた。

周りの通行人が、何事かとこちらを見ているのが分かった。

僕は自転車に跨ったまま、後ろのエレGYの手をつかむと、力ずくで後部座席から振りほどいた。

その際、彼女の袖口があがり、手首に巻かれた包帯は、肘の方にまで達している事を、僕は目の片隅に捉えた。

罪悪感と恐怖で血の気が引いた。

その包帯は、僕のせいで彼女が手首を切ったのだと訴えていた。

心の中が質量さえありそうな黒い鬱で充満する。

全身の力を振り絞ってペダルを漕ぐ。

「嫌だよ、じすさん!!」と、辺り一帯に響き渡る程の叫び声が後ろから聞こえた。

僕は漕ぐのを止めず、前を向いたまま「手首切るなよ、馬鹿!! もう絶対切るなよ!!」と、懇願するように叫んで、走り去ろうとする。

「聞いて、じすさん!!」

エレGYの声が、さっきより少し小さくなった。距離が開いたのだ。

信号の手前まできて停止し、後ろを振り返る。

彼女は走って追い駆けて来ていた。諦める様子など微塵もない。

信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたが、物凄い速さで僕の自転車に到達した彼女が、僕の上着をつかんで止めた。

強引に振り払おうと、体を左右に振る。

彼女の指が上着の生地に食い込んで離れない。

体ごと突き飛ばそうとしたが、包帯を見ると、彼女の腕が千切れてしまいそうで、思わず力が緩んだ。

それでも彼女は倒れた。しかし僕の上着をつかんだ手はそのままだったため、彼女の体は僕と自転車の真下に滑り込むようにして仰向けになった。

スカートがまくれて、太股があらわになる。

自分で突き飛ばしておいて、僕はすぐに、自転車に乗ったまま、彼女を引っ張って立ち上がらせた。

彼女は頑として僕を睨んでいた。

「おまえ、俺のこと好きじゃないだろ!! なんで付きまとうんだよ!!」心まで緩みそうになった自分を戒めるように、大声で言った。自分の事を思わず「俺」と言った事に、自分でハッとする。

「そんなこと無い!」

「噓つけ! ジスカルドが幻想だから、仕方なく僕を好きになろうとしてるだけだろおが!!」言うだけ辛くなった。

「聞けよ、馬鹿!! ジスカルドも泉和良も、両方併せておまえだろ!!」

エレGYは泣きながら僕の目を貫いて、そう言った。

「ち、違う、ジスカルドは僕じゃない。僕が作ったキャラクターだ」

「じゃあ、ジスカルドを知らない人が、じすさんを分かってるって言える? アンディー・メンテの事、全然知らない人が、じすさんを理解してるって言えるの!?」

............

「私は泉和良の事は今までよく知らなかったけど......、アンディー・メンテはじすさんにとって全てだったって信じてるの!! だから、アンディー・メンテのジスカルドは、泉和良にとって、すごく大事な一部だと思う! 幻想なんかじゃないよ!! 泉和良からジスカルドを消したら、泉和良じゃなくなると思う。どっちが欠けても駄目......、全部併せてじすさんでしょ?」

僕はもう自転車を走らせようとはしていなかったが、彼女はまだ上着をつかんで強く引っ張ったままだった。

彼女の右手首を覆う包帯の端が赤くなっているのに気づいた。傷の一部が開いてしまったのだ。

上着から離そうと、包帯の上から彼女の腕をそっとつかんだ。

だが、彼女は上着もろとも互いの体を強く揺さぶり、僕の手を拒絶した。

「なんで何も言わないんだよ!! なんでメールの返事よこさないんだよ!!」

ただ黙って、必死に叫ぶ彼女を見た。

二人ともまだ肩が激しく上下していた。

「私......、じすさんが好きなんだよ......! 私の事......、放っておいて逃げるなら......さっさと行けよ......! ばーか! ばーーーか......!!」

細い声を精一杯振り絞って出していた彼女の声が、じょじょに小さくなった。

彼女はやっと上着から手を離して、自転車のタイヤを横から蹴飛ばした。

突然バランスが崩れて、僕は自転車ごと歩道に倒れてしまった。

何かを投げつけられた。

「何するんだ」と言おうとしたが、起き上がると彼女はもう居なかった。

見渡すと、駅の方へと一人で走って行っていた。

啞然と見つめていると、構内に消える前にこちらを一度振り返り、そしてまたすぐ去って行った。

倒れた自転車を起こそうとして、横にぐしゃぐしゃになったバンソウコウの箱が落ちているのを見つけた。さっき投げつけられたのはこれだ。

手に取ると、蓋の部分に見覚えのある文字があった。

『エレGYのリストカット用』

CHAPTER 3-8
2011:05:09
2011:05:09

8『命の恩人』

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CHAPTER 4-1
2011:05:10
2011:05:10

1『光』

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CHAPTER 4-2
2011:05:11
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2『四年ぶりの返信』

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CHAPTER 5-1
2011:05:12
2011:05:12

1『謎の封筒』

僕はアンディー・メンテのサイトを復活させ、ブログや通信販売も再開させるに至った。

作りかけだったゲームは全て消えてしまったが、僕の胸の中では、もう一度かつてのような輝きを放つ作品を作りたいという欲求が戻りつつあった。

もう媚びた物を作る気はない。

純粋な衝動によってのみ作られるべき物を、作りたかった。

しかしそれでは、今までのようにハイペースで作品を制作していく事はできなくなる。

一度閉鎖までしてしまった上、作風はマジョリティを無視した物に戻り、更に公開頻度も下がるとなれば、以前ほどのファン数は到底期待できないだろう。

だが、それでもゼロじゃない。その事を喜ぶオールドファンだっている。

生活は困窮こんきゅうするかもしれないが、それを上回って優る価値を、僕は知っている。

それに、マイノリティでも集まれば力となる。

光強まればそのうち、エキセントリックなまたたきに寄せられて、物好きが大勢集まる事だってあるかもしれない。

そしたら全員、ジスカルドの魔法に掛けて混乱させてやろう。

別にもう、どう思われても関係ないんだ。

今の僕には強い指針、目指すべき光射す方向がある。

エレGYが自信に満ちた笑顔で真っ直ぐ指差す先、かつての僕が夢見た果ての先。

魂の命ずるところをなそう。

好きなことを好きなだけ......

それがありのままの僕だ。

      ×

大井町のマクドナルド前での激闘から二日。

僕らは互いにメールを出し合った。

エレGYの元へすぐにでも会いに行きたかったが、意外にも彼女の方から、少しだけ待ってと言われた。

何やら準備があるらしい。

コンビニに夕飯を買いに行き帰宅すると、ポストに挟まった封筒を発見した。

封筒はピンクの星模様で、宛先の住所は水色のペンで手書き。裏面の封の部分には猫のシールが貼られている。

督促状でも請求書でもない事は明らかだ。

部屋に入って、カッターで慎重に封を切る。

中からは、「しょおたいじょお!!」と筆ペンで狂ったように書かれた便箋が一枚出てきた。

墨が乾き切らぬうちに入れようとしたのか、便箋の各所が黒く擦れた跡で汚れていた。

なんだこの封筒の外見と中身とのギャップは......

便箋の裏にも何か書かれてある。

古島絵里リサイタル

日時‥十二月二十四日 夜九時〜

場所‥大井町OIOI前広場

備考‥みなさまの熱狂的ご要望にお応えして、イヴにスーパーライブを開催します!! 当日は混雑が予想されますので、お車でのご来場はご遠慮下さいチキンラーメンうめえ!!

今日はもう二十三日、イヴの前日だった。

チキンラーメンが食べたくなった。

CHAPTER 5-2
2011:05:13
2011:05:13

2『約束』

十二月二十四日。

朝方まで眠れなかったにもかかわらず、午前中に目が覚めた。

何をやっても手につかない日中をただひたすら過ごし、夕方地点を折り返す。

ようやく午後七時頃になって、とうとう待てずに家を出た。

まだ二時間も早い。

外は既に夜で、いつも以上に寒かったが、湧き出る期待と若干の不安で頭は麻痺している。

OIOI下の広場までは一瞬で到着してしまった。

この寒さだというのに、二、三組のストリートミュージシャン達が演奏していた。

少し風もあり、立ち止まるにはやや辛い気温だが、クリスマスイヴのせいか広場は意外に人が多く、彼らの音楽に耳を傾ける人も何人か見受けられた。

とりあえず広場を一周してみる。

当然、彼女の姿はまだ見当たらなかった。

広場の中央に設置された時計を見ると、九時までまだ一時間半。

ミュージシャン達の歌でも聴いていようと各組の間を行ったりきたりする。

しかし、いつ現れるか分からない彼女の事が気になってキョロキョロしてばかり。どの歌も丸っきり頭には入ってこなかった。

九時十分前になって、赤いマフラーと制服が視界に現れた。

エレGYだ......

彼女は僕には気づかず、広場の隅へと移動した。

緊張しながらその姿を追う。

どのタイミングで、自分を彼女に気づかせればベストなのか、という計算が頭を走ったが、そのタスクは一秒でフリーズした。

彼女の横顔を目にしただけで心も体も発熱した。

彼女は一角のベンチに陣取ると、バッグからキティちゃんのイラストの入った真っピンクの小さなラジカセと、「古島絵里がうたっています」と大きく手書きされたダンボールの不出来なポップを取り出した。

ダンボールの皺と文字の擦れ具合から、随分使い古されているのが分かる。

彼女はベンチの手前の地べたにしゃがみ込むと、自分と観客席の間にカセットテープを数個並べ、ラジカセやポップを各所に配置して、あっという間に超ミニコンサートステージを完成させた。

それから彼女は、しばらく下を向いて体を前後に揺らせ、次に辺りをキョロキョロと見回して、僕を発見した。

彼女と目が合っただけで、僕の胸に詰まった様々な気持ちが一気に溶解する。

僕は笑顔を見せた。

手を振ろうとして右手を上げると、彼女が全く表情を変えずに僕を睨んでいる事に気づく。

な、何故睨む......

僕がここへ来た事を怒っているのだろうか。

マック激闘の日からメールしか交わしていないものの、僕らは完全に打ち解けあったのではないのか?

まさかそれらは全て僕の勘違いだったとか......

そんな愚かな不安が頭に浮かんだが、すぐに否定する。

彼女から招待状が来たではないか。

微妙な位置で空中停止したままだった手をゆっくりとおろし、僕は、彼女の目の前、一メートルの地点に座った。

彼女の目はまだ鋭く僕を睨んだままだったが、近くまで来て、それは彼女が極度に緊張しているからなのだと分かった。

自らもよおす出来事に、彼女がこれほどまで気を張り詰めているのだと知って僕は驚いた。

彼女にとってこれから起こる事は、決してふざけ半分などではないのだ。

両腕の包帯がまだ取れていない事も、その時気がついた。

あの時、僕の上着を引っ張る彼女の手首の包帯に、真っ赤な染みが浮かんでいたのが鮮明に思い出される。

今はもうその染みは無い。包帯は白く綺麗に彼女の手首を守っていた。

「パンツ見えてるよ」と、僕は言った。

無意識かもしれないが僕を睨みつけた事への仕返しだ。

彼女は慌てて座りなおした。

無表情のままだったが、少し赤くなった。

彼女が目の前にいるからとは言え、公衆の中で、こうして地べたに座り込むのには相当恥ずかしさを伴った。

この広場はストリートミュージシャン達の溜まり場ではあったが、それでも自分達がその場から浮いているような感じがして、ただでさえ高鳴る心臓に拍車がかかる。

見ている側ですらこれなのだから、当の彼女はもっとだろう。

こんな中で、いつも一人で歌っていたのだろうか。

それも、ラジカセ一つで。

それも、鼻歌だけの伴奏で。

エレGYは深く深呼吸をしてから、ラジカセの再生ボタンを押した。

寒さのせいか、緊張のせいか、彼女の指は震えていた。

ガチャッ

と、古めかしい音がして、シャーというホワイトノイズが流れ出す。

互いに心を解きあって会うのが久しぶりである事から来る新鮮な感情と、これから何かが始まるのだという場の空気とが相乗して、口の中が乾くのが分かった。

突然、スピーカーから彼女の鼻歌が流れ出した。

鼻歌を伴奏にするなんて、実際に聴いたらあまりにお粗末に聞こえるのではないか、と思っていたのだが、予想に反して、それは美しい伴奏だった。

エレGY自身の歌声が、伴奏にライドした。

僕の状況分析が追いつかぬままに、彼女の歌はそうして始まった。

「*++,‥;,#‥;,$#$+*#$+*#$+#$+*

+*#$,#〟#*P#*$+*#*#〟+*$+#〟+4」

日本語ではなかった。

外国語でもない事は明らかだった。

何語であれ、文法の成立していない未完成な言葉......、動物の鳴き声にも似た発音。

では和声はどうだ。

伴奏の敷いたラインは、カデンツは元より西洋音楽の楽典をとうに逸脱し、......と言うよりも、その配置と移動は、それらを意図的に避けているかのようだ。

まるで、それらが劣っているとでも言うように。

当然、メロディも音楽の規範からは掛け離れた流れになっている。

ただ

美しかった。

発声の、ベロシティとビブラートの操作能力が極めて高かった。

それらのスキルだけは、どうやら既成概念に準じてくれている。

一見、カオスだが、無秩序ではない事は容易に分かった。

時たま、既成の湖畔を彼女の声がかすめると、涙が出た。

偶然などではなかった。

彼女は、既成概念の遠方より、その沿岸の小さな位置に狙いを定めて、確実にヒットさせているのだ。

歌詞(?)にも、同様な手法が見られた。

理解不能な言語(?)の中に、時たま人間が理解できる単語や文節が出現しては煙のように消えた。

浮き彫りにはならず、周囲の特殊な言語に完全に溶け合って、ただの一単語が、人類が得た新発見かのような感動を伴って、僕の耳に流れ込んでくる。

彼女の十五分に及ぶ一曲目が終了した。

彼女の顔には、僕が知るいつものエレGYの表情が蘇っていた。

「凄い、君は凄い」と、僕は興奮して言った。

彼女はあどけない顔で目を丸くして、白い指を僕の目に接触させてきた。

目を突かれるのではないかと思い、彼女の手を払った。

彼女の目的が、僕の目から流れた涙を拭う事なのだとすぐに気づく。

自分で慌てて拭った。

彼女の歌そのものに対する感動だけではない。

歌を聴いている間に、彼女と出会ってからの二ヵ月が思い出された。

ようやく彼女と素直に向き合う事ができる......という感慨深さが、胸に込み上げていた。

「もっと早く聴かせてくれればよかったのに」

「だって、恥ずかしかったの」

「何も恥ずかしい事なんかないよ。とっても良かった」

「違うよ、じすさんの真似してるだけだってバレるじゃん......

「え? 僕の真似? そんなはずない、君の歌は素晴らしいよ」

彼女は怪訝けげんな顔をして、

「昔のじすさん、こういう曲作ってたの覚えてないの?」と言った。

「帰って『あおいほし』や『music』を聴いてみなよ。昔のじすさんの曲大好きなんだ。私、じすさんみたいになりたかったの。ゲームは作れないけど、歌なら真似できるかもしれないって思って......

言われてみれば、似たような曲がその二枚のCDから幾つか思い浮かんだ。

しかし、比べても旋律はずっと凡庸で、それらは全て歌の入っていない曲だ。

僕の真似をしたとは言っているが、同じ類と一括ひとくくりにできる程度ではなかった。

彼女が、僕の昔の作品から、一粒の種を得たのは確かかもしれない。

だがそれを長い時間の努力によって育み、巨大な大樹へと繁らせたのは、彼女自身に他ならない。

子供の頃や思春期に、様々な作品に触れることで創造的なセンスが形成されるように......、彼女は僕の生み出した作品達から何かを吸収して、彼女独自のセンスへと発展させていったのだ。

......そうか。

「そうか。その歌は、僕からもらった光がきっかけか」

「うん、そうだよ。本当は、誰よりじすさんに聴いて欲しいって、ずっと思ってた。やっと聴いてもらえた。あー......緊張した」

この時僕は、フリーウェアゲーム作家としての最上の喜びと、その誇りを理解した。

僕が真摯しんしになって生み出す創作物は、たとえ金銭的に反映されずとも、そこに込められた魂が種となってネットの世界へとばらかれる。

そしてそれは奇跡的に誰かのもとへ届き、心の道標や支えとなって、未知なる新しい息吹を生んでいくのだ。

......エレGY......、彼女のように。

「フフ、ほらね、じすさん」と、彼女は笑った。

「え......?」

「私、光見せたよね? 約束」

「約束?」

彼女は体を近寄らせて、

「うん、そう。......キスしてくれるよね?」と言った。

彼女は少しだけ恥ずかしそうに視線を泳がせ、最後に僕の目を見てから瞼を閉じると、静かに唇にキスをした。

............

「一緒に歌う?」と彼女は言った。

僕はまるで赤ん坊のようにきょとんとした顔をして、

「歌う」と答えた。

CHAPTER 5-3
2011:05:14
2011:05:14

3『二人乗り再び』

自転車のぐにゃぐにゃの前カゴにエレGYのバッグを入れた。

僕が「いいよ」と言うと、エレGYは後部座席に跨り、僕の胸に両腕をまわしてしがみついた。

ペダルをぐっと踏み込む。

じょじょに自転車が進み、最初はぐらついていたハンドルがジャイロ効果によって安定していく。

止まっていた景色が動き出し、スピードを得る。

車輪の回転は尚も加速して、貪欲に輪力を食らい続けた。

もうただでは止まらない。

「もっと速く! もっと! 光速を超えろーー!!」

彼女の物理的不可能な要求を受けて、二人を乗せた自転車は必要以上の速度で疾走した。

夜の風に体が溶けていく。

速さが分かつ別の次元に到達したかのようだ。

歩道と車道を区切るアイツが見えた。

深夜のおかげで車は一台も走っていない。

準備は整った。

時は満ちたり。

彼女の悲鳴のような笑い声と共に、僕らは猛スピードで分離帯の上に乗り上げた。

CHAPTER 5-4
2011:05:15
2011:05:15

4『エレGYのAMゲーム・プレーノート その三』

西暦二〇〇五年のAMゲーム 下半期

『ピンブル』 ちょっとえっちなゲーム。ピンクとブルーがこうなってああなって、むぎゃむぎゃむぎゃ。明日から私も、ピンクと水色の靴下をちぐはぐにはくって決めた。

『クーラー大嫌い』 環境問題を取り扱ったゲーム。自然破壊の末に、女の子が地球をガブッと食べちゃった! じすさんがクーラーが嫌いだって初めて知った。

『ビクトリー』 猫が目からレーザーを出すゲーム。

『ビクトリー2』 猫がみんなの犠牲になって街を救うゲーム。

『ビクトリー3』 ビクトリーが心が荒んで、友達のクロイツを殺してしまうゲーム!

『ゆうがた』 変な電話ばっかりかかってくる!!

『マクドナルド大好き』 ハンバーガーをひたすら食べ続けるゲーム。ヤミー! ヤミー!! ハンバーガーにストローを差しちゃった時の「why?」っていう顔がお気に入り。

『お休み、また明日』 ピンクの獣が「おやすみ」って言ってくれるだけなのに、どうしてこんなに心が穏やかになるんだろう。

『アクセス』 いくら書いてもメールが届かない切ないゲーム。エンディングのヤギさん郵便のアレンジの曲で泣いちゃった(うえーん)。

『あおいほし』 サイバーな雰囲気のパズルゲーム。音楽がすごい不思議。なんだろうこれ! ああ、頭がああ、頭がああ。私、頭がどうかしちゃった。

『自給自足』 無人島でサバイバルするゲーム。やり出したら止まらなくなって、気がついたら朝が来てた。「雨」っていう曲がすごくきれい。

下半期 十一個

今年は、上半期と併せて、合計二十六個の作品がアンディー・メンテから出た。

じすさん。たくさんの素敵なゲームをありがとう。

去年に比べると少ないけど、どれもスゴイものばかりだった。

来年もじすさんのゲームをいっぱいしたい。

今年出たムービーの感想

『Reiʼs Medicine』 00-6435p!! それって、この世の全ての苦しみを消しさる薬なんだって! すごく格好いい。

西暦二〇〇六年のAMゲーム

『ラブズ』 仮想空間で戦争ゲームを繰り広げるプレーヤー達の会話ログ。すごい切ない話。ダウンロードした次の日に、もうサイトから削除されてた! 一日しか公開されなかったゲーム。毎日サイトチェックしてて本当に良かった。私ってエライ。

『わんこ』 犬になりたい子のゲーム。変なアイテムが集まるのが好き。「あほになりたい子」っていう子供が、川の上を流れてきた。ラブ。

『みんなきらい』 ビックリした......。突然男の子が怒鳴り出して、心臓が止まるかと思った。じすさんには何か辛い事があるのかな......

『あの世』 ずっとゲームが出ていなかったから心配してたの! ついに新作が出た!! 久しぶりのRPG。画面がちゃんとしていてキレイ。

『彼女BOX』 今までの中で一番好きかも......。読み終わったら鳥肌が立った。じすさんの描くSFが大好き。

『ネオ・ビクトリー君の占いステッキ』 可愛いビクトリーちゃんが占ってくれるゲーム。初占いのラッキーアイテムは「マウスのうらっかわ」。

『宇宙の果て』 宇宙の果てを目指すゲーム。一週間かけてついに宇宙の果てに到達。そしたら、果ての先があった! その果てまでいったら、また先が......!! 一ヵ月かかってようやくクリア。この感動......誰なら分かってくれるの!?

『チンチロにゃんドリーム』 ナンパするゲーム。宇宙人をホテルに連れこんじゃった! なんてこった!

『ヒ。コヒ。コヒ。コクンとうんち』 うんちで社会に制裁するゲーム。「少年は、自分の家のトイレと、世界で最も交通量の多い道路上空とを、次元パイプで直結させた」......こんな凄いゲームを作るなんて、じすさん最高。うんち万歳。

『米磨ぎ婆の魚釣り』 変なのばっかり釣れるの! 夕日が釣れてびっくり。タイトル画面の魚をクリックすると、なんと米を磨ぐ音が聴ける。

『ビクトリー4』 わあ、とうとう第四弾が出た! サイト見て目が点になった。ありがとうじすさん!! 宇宙二千京年後で、クリックするだけのゲーム! 感動して部屋がティッシュだらけ。

『怪盗プリンス』 自給自足の続編。やおいシーンが見れた。音楽が全部イイ。どうしてこんなにステキな曲ばかり作れるんだろう。私もじすさんみたいな曲が作りたい。

『0次元キャットアルマゲドン』 猫が隕石をよけて生き延びるゲーム。すぐ死んじゃう。プレー回数:正正正正正正一三十一回目にしてついにクリア! なんと、クリアしたら地球が滅ぶ。

『助けて!!』 おばけに閉じ込められた猫が脱出するゲーム。最初はただのアクションかと思ってたけど......、なんだか、じすさんが助けを求めてるみたいに見える。

今年は十四個の作品が出た。

毎年出る数が減っている。

反対にゲーム一本一本のボリュームは大きくなっているかも?

今年出たムービーの感想

『フレーフレー・アンディー・メンテ』 アンディー・メンテ、ラブ!! 一生ついていくって決めた。

『暗黒猫軍団』 これを見た時、涙がバカみたいに出た。じすさんが死ぬほど心配になった。ゲームなんか出なくてもいい。じすさんには無理をして欲しくない。

『メリー・クリスマス・アンディー・メンテ』 とっても神聖なムービー。「来年もまた、ぼくのゲームして遊んでね」......うん、遊ぶよ、じすさん。

西暦二〇〇七年のAMゲーム

『スミレの花』 グラフィックがとてもキレイ。無人の惑星に取り残された少年スミレが、お父さんからもらった種で植物を育てて、生き延びるゲーム。ひとりぼっちのスミレが、「がっきゅううんこ」って、さっき呟いてた。AMゲームの雰囲気って、誰にも真似できないと思う。

『アイラム・イヴ』 お医者さんになって患者を治療するゲーム。完成度が高い。AMらしくないくらい(ふふふ)でもゲームはハマる。

『ノーネームワールド』 じすさんが友達のポーンさんに捧げたゲーム。何をするにも行動の結果がランダムで決まる。ただの運だと分かっているけど、面白くて何回もやっちゃう。ポーンさんがうらやましい......

『ネット・セネリー』 じすさんから見たネットって、こんな風なのかな。きっと普通の人はこのゲームをやっても、面白くないって言うと思う。だけど私はこういうのが好き。

『ラブリー☆ラッピング』 かわ......いーーーーーーー!! シールを貼るだけなのに、病みつきになっちゃう。出てくるシールが全部欲しい。本当にあったらこのノートに貼りまくるのに。

『SISTER』 チャットで対戦するカードゲーム。チャットでコードを入力し合うだけで対戦できるのが不思議。どうやってるんだろう? 私のお気に入りは「わんこ」と「じすねこ」のレアカード。

『アールエス』 物凄いボリュームのRPG。いつまでも遊べそう。「彗星たんぽぽ」とか、「宇宙旅行の入江の水」とか、どのアイテムも名前がステキなの。

七月頃からずっとゲームが出てない。

八月に出たムービーの感想

『utu』 「全ての出会いには別れがあるって」......じすさんが「自分は呪われてる」って歌ってるムービー。悲しくて切ない。だけど、好き。

『Licky can see the world』 「気持ちは変わってしまうのかな。どんなに想い合っても、いつか二人......すれ違うの? ハンバーガーが好きな事や、コカコーラが好きな事も、いつか変わってしまうの?」......何度も口ずさんだ。じすさんの詞は真似できない。

九月 新作無し

十月 新作無し

十一月 『二人乗り』 今世紀最高のゲーム。

    『ひきこもりの魔法使い』 今世紀最低のゲーム。

西暦二〇〇八年のAMゲーム

『エレGY』 じすさんが世界で最も愛している恋人に捧げたゲーム。