ここから本文です。

カテゴリ: 編集部より

編集部ブログ 白倉由美の「死ぬ話」

赤い実

 公彦がいとこの穂加が死んだという知らせをうけたのは、秋のはじまりのことだった。

 やけに銀杏の葉が散るなあ、これではまるで「雪のように舞い降る」、という言い方そのものじゃないか、と葬式の日、公彦は思った。

 死因について、穂加の両親は必死にかくしていたが、それは穂加の死因が自殺だったからだ。

「なにも悩んでいるそぶりはみせませんでした」

 父親は頑にいった。

「明るい、将来を夢みている子でした」

51年間のエスケープ

 午後六時になり、野球を観ようとテレビをつけると、歌が聞こえた。

「朝昼晩と頑張る、私たちのーーー」

 放送視聴予約をしていたので、そのまま画面は野球放送に切りかわった。いつものように君が代が流れ、球審が試合の始まりを告げる。二回裏が終わり、点差が2×1に開いた頃、私はふと気づく。

 朝昼晩と私、頑張ってないーーー。

交換日記

 父と母は同じ年の同じ日に生まれた。東京と福岡ではあったけれど。その二十数年後、彼らは神奈川で出逢い、結婚して、僕が生まれた。

 父母はお互いの生まれた日をまるで運命のように感じており、僕が幼いころから、知り合いや近所のひとを招いてホームパーティをひらいた。母は料理研究家だったし、父はプロダクトデザイナーだったので、それは割に華やかなものだった。

 父のつくったセンスがよく個性的な家具に、母のつくった料理が並ぶと、ワインやシャンパンで顔を赤らめた来客たちは嬉しそうにさざめく。まだ幼い僕はひとり庭にでて、ひとりでかくれんぼをして時間をつぶした。

 外交的な両親の許に生まれた僕は何故かひとぎらいで、友だちがいなかった。

 いつものようにホームパーティが催されたある日の午後、裏庭の木戸をあけて、喪服を着た幼稚園の先生がそっとはいってきた。

 きれいでやさしいその先生を僕は好きだった。

コペルニクスの夜

「哲学はあるけれど、語る言葉を持たないんだね」といったのは、僕がななつの時から飼っている猫だ。それは福岡ソフトバンクホークスが優勝を逃した日のことだった。僕はテレビの前で悲嘆に暮れていた。開幕からスタートダッシュに成功し、交流戦を一位で駆け抜け、6月にはマジックが点灯するといわれていた福岡ソフトバンクホークス。2位と最大11・5ゲーム差をつけていた福岡ソフトバンクホークス。でも負けた。負けてしまった。ああ、どうしよう。僕の人生は終わりだ。

 そんな僕の気持ちを無視するかのように、ブルーとグレイのチェックのベッドカバーの上に座り、猫は言葉を続けた。

「語るべき言葉がない。それが君の問題なんだ」




本文はここまでです。