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カテゴリ: 編集部より

記事カテゴリ:作品

革命

 彼女は革命を夢みている。秋風が黄金色に染めた木の葉がはらはらと舞い散る。彼女は茶色のローファーで、死んでゆく草の葉を踏んでいく。

「ここにはもう、いたくないなあ。でも遠くにいきたいのとも違うの。ここにいたままで、世界が変わるといいのに。夏が過ぎ去って、夕闇が長い影を連れて落ちてくるように。なにもかも、急激に変化すればいいのに」

「汐吏(しおり)、ちゃんと受験勉強してるのか」と僕はきく。

「このあいだの模試の結果、僕知ってるんだぜ。あれじゃあ、汐吏の第一志望は月より遠いよ」

「私は月に行きたいんじゃない。ただ革命をまっているの」

 僕は汐吏に気づかれないように、そっとため息をつく。汐吏と出逢って17年。僕たちは兄妹のようにいつも一緒だ。汐吏と一緒にご飯を食べ、宿題をし、昼寝をする。汐吏には双子の兄がいる。生まれて3ヶ月の時、汐吏の兄は突発的な病に襲われる。そしてそれから汐吏の兄は成長を止められてしまう。汐吏の兄は他のひとの手を借りずには生きていけない。汐吏の母親は汐吏の兄にかかりきりになる。汐吏の面倒を見られなくなる。汐吏は遠い親戚で、でも隣に住んでいる僕の家にいることが多い。いつだって妹のような、姉のような、友だちのような、他人のような、そして恋人のような汐吏。

 最近、僕の母が亡くなったので、夕食は汐吏と僕でつくる。汐吏は料理がヘタなので、僕が作ってもいいのだが、汐吏は覚束ない手つきで包丁を持つ。

「来たるべき革命にそなえて」といい、キュウリを刻み、トマトも刻み、ミョウガを刻む。サラダはこれだけ。味つけは醤油と檸檬。カルディで買ったパクチースープの素を少し。僕はご飯を炊き、かぼちゃの味噌汁を作り、魚を焼く。豆腐をパックから出し、納豆をテーブルに載せる。

「今日が革命前夜になるかもしれない」と彼女はいう。夜毎、夜毎、必ず、繰り返す。

「ねえ、今、誰か来たよ」と彼女はいう。

「ほら、扉の開く音」

 僕は耳を澄ます。風の音しかしない。

「ロベスピエールが来たのかもしれない」と不意に彼女はいう。

「ロベスピエール?」

「テルミドールの反動で失脚した彼の霊が蘇ったのかも」

「汐吏、はやく飯食って明日の予習しなよ。来年、受験するんだろ」

「ねえ、私の頭をみて」

 僕の言葉は彼女の少し上をとおっていく。汐吏は僕の頬のそばに身体を寄せる。汐吏の髪は、甘い、水蜜桃の香りがする。汐吏はいう。

「よく見て。頭の天辺。ねえ、私、つむじが二つあるでしょう?」

 さらっとした黒い綺麗な髪のなか、銀河のようなつむじが確かに二つある。

「つむじが二つあるのは、一度死んで、もう一回生まれかわった徴(しるし)なんだって。しってた?」

 僕は汐吏の兄のことを思う。彼の命は何度も尽きかけた。彼女の両親や、医師たちや、まわりの大勢のひとたちにたすけられ、彼は命をつないでいる。彼女の兄は死を抱えている。そんな双子の兄を持つ、汐吏。

「私が死んだあと、もう一度生まれ変わる時に、ふたつにわかれちゃったのかもしれない」うつむいたまま、汐吏は言葉を落とす。コップについた水滴がテーブルにこぼれる。

「私だったのかもしれない」

 僕は汐吏の指にそっと手を添える。白い珊瑚のような指。生きている。彼女の兄も同じ指で、生きている。

 明日、革命が起きて、世界がすべて、がらりと音を立てて変化する。でもそれは悲しい景色かもしれない。悲劇かもしれない。誰かが死ぬのかもしれない。革命には危険がともなう。

 それでも汐吏は願うのだ。

 兄がその足で大地を踏むことを。言葉を発することを。「汐吏」と妹の名前を呼ぶことを。

 テーブルの上の魚の眼は濁って、死んでいる。僕は身をほぐし、箸で口に入れる。咀嚼する。僕は死んだものを食べて、生きている。

 仕方ない。仕方ないじゃないか。

 僕たちは選べないのだ。

 生まれてくる時代。場所。性別。両親。階層。才能。運。病。災害。やがて迎える死。

 その一方でまた人生はすべてが選択だ。毎日、僕らは無自覚に選んでいる。選び続けるのが、生きていくということだ。

 でも汐吏の兄は選べない。

 汐吏は声を立てずに泣いている。汐吏の兄の死が近いことを、汐吏は識(し)っている。誰もが識っている。選べない。彼女にも。

「夜は明けるよ」と僕はなぐさめにならないことを言う。

「わかってる」と汐吏は言う。革命は明日も起きないことを、識っている。

 

 それから三年、彼女の兄は生き続ける。そして二十歳になって、翌日に死を迎える。もう誰も泣かない。涙はあの秋の夕食れに汐吏の肩や髪に舞い散った木の葉のように、すべて降り注いでしまい、季節は終わったのだ。僕と汐吏はもう一緒に食事をすることはない。大学も別々になる。そして彼女は遠い国に行く。それからもう彼女と逢うことはない。長い間、彼女の笑顔をみない。時間だけが過ぎてゆく。

 妹のような、姉のような、友だちのような、他人のような、恋人のような汐吏。

 君はまだ夜の底にいるのか?

 僕の声は永遠に届かないのか?

 僕が革命を起こさなかったから、僕は汐吏を失った。

 人生を選べない。

 毎夜、昇る月をただ見上げることしかできないように。

(written by 白倉由美



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