編集部ブログ

2018年3月22日 13:00

レイヤー論:ノート(大塚英志)

 忘れてしまうかもしれないのでひとまずメモをして、ここにおいておく。メモなので校正その他は施していない。

 

【1】レイヤーの視覚メディア史

 2018年3月11日、京都で山本忠宏(神戸芸術工科大学)の企画したワークショップ及びミニシンポジウム「まんがの色彩学」に主催者側として立ち会って感じた、レイヤーという問題について、これまでの文脈を絡め、メモしておく。忘備録である。

 レイヤーという問題については、エイゼンシュテインの「カット内の多層的な画面構成」が、「カット間のモンタージュ」「映像と音のモンタージュ」に次ぐ第3のモンタージュである、という仮説を既に述べたことがある(大塚英志・山路亮輔「「映画的手法」のWEB最適化実験とリミテッドアニメ」https://drive.google.com/file/d/0B6iMn03_LIBRUnFGek9KUG93S1E/view)。つまり、「レイヤーの統辞法」のような概念の導入がまんが・アニメ表現論には不可避であると同時に、このようなレイヤーの美学を歴史的に、かつ横断的に検証する必要がある。『FRONT』のグラフモンタージュに見られる切り張りによって過剰にレイヤー化した画面構成に見られるように、「レイヤーの統辞法」は、一種の「美学」として戦時下に形成され、その美学をマルチプレーンという「機械」によってアニメーションに導入したのが「桃太郎 海の神兵」(1945)である。マルチプレーンの日本への導入はこれより先に「アリチャン」(1941)があるが、重要なのはマルチプレーンによって現実の風景をレイヤーの層として捉える、エイゼンシュテインの美学が「文化映画」経由で、アニメーションに導入されたことだ。

 このような歴史的な視点が、トマス・ラマール『アニメ・マシーン』には、やはり、抜け落ちている。レイヤーの美学を日本アニメーションの特質と直感しつつ、1980年以前に歴史的に遡れていない部分である。

 風景を「層」として捉える考え方は「木の間越しの風景」(例えば、モネの「木の間越しの春」(1878))と呼ばれる印象派の手法に見られ、しかし、それは北斎「富嶽百景」(1834)あたりからの引用である、即ちジャポニズムである、とされてきた。同じく、エイゼンシュテインも「イワン雷帝」(1944)のレイヤー的画面を浮世絵からのインスピレーションではないか、と示唆するスケッチを残してもいる。

 だが、こういう美学の出自は「日本」起源なのか。

 ヨーロッパでは17世紀頃には、ピープ・ショウ(エンゲルブレヒト劇場)という覗き眼鏡が生まれている。複数のガラス絵の描かれた絵を一つの覗き穴から見ることでレイヤー的な奥行を見せる装置である。17−19世紀にかけてはトンネルブックというレイヤーを重ねた蛇腹式の絵本も同時期に流行した。いくつかの先行研究によれば、18世紀頃にはヨーロッパ、アメリカ、中国で流行した大衆文化となるようだが、日本の近世では「覗きからくり」と呼ばれ長崎に渡来し、17世紀末には江戸に出現したことが、園果亭義栗『字盡繪鏡』(1685)で確認できるという。ちなみに、ピープショウは万華鏡型の手持ちだが固定式のものがジブリ美術館一階にある。

 この西欧に出自のある覗きからくりが北斎らのレイヤー的画面に影響を与えたかどうかは、ぼくの勉強は及んでいない。

 ただ、少なくとも、ヨーロッパの大衆文化の中にあったピープショウ的なレイヤーの手法が、一端、浮世絵を介することで西欧美術というハイカルチャーに再発見されたといった方が正確であろう。それが「ジャポニズム」として、言説化したわけだ。

 ラマールの主張が、慎重でありながら、どこか「日本」とマルチプレーン的レイヤーを重ね合わせようとするのは西欧のジャポニズムを介したレイヤーの再発見という歴史経験の反映であるともいえる。

 このようなレイヤーの問題は、エイゼンシュテインがマルチプレーン的なレイヤーの美学を言語化できなかったように、「レイヤー」というまんが業界・デザイン業界ではPhotoshop以降に一般化したこの用語とイメージがなければ言語化しづらかった。

 そもそもラマールの議論に相応にのっとれば、視覚的な美学は装置によって規定あるいは形成されるのである。その意味では現在のPhotoshopに代表されるレイヤーによる作画アプリケーションという「装置」、マルチプレーンという「装置」によってレイヤーが美学として形成された、ともいえる。その意味でピープショウという「装置」も同様である。このレイヤーの美学の起源は確定出来ないが、私たちが忘却しているかもしれない装置も含め、文化間を再帰しながら、現在へと連続し、ようやく「レイヤー」という語とであったと言える。

 そして、このような忘れられた「装置」として、印刷における「版」の重ねあわせがあるのではないか。

そのことを踏まえ、レイヤーとまんが・アニメーションについて考えを深める必要があると考え、ぼくの共同研究会のメンバーである山本ら3名による「レイヤー」をテーマとするパネルを今年夏の北米アニメーション学会に提案する一方、今回のシンポジウムは「版(レイヤー)と色彩の様式〜アール・ヌーボーとバンドデシネ」とした。

 ここまでが3月11日以前までの考えの流れの整理である。

【2】キアロスクーロという問題

 3月11日のワークショップ・シンポジウムでは、まずフランスのBDのカラリスト(着色の専門職)Jerome Maffreによるまんがカラーリングのワークショップをおこなった。指導はPhotoshopを使用した。先行して、大塚原作の「多重人格サイコ」カラーリング実験が谷口恵太によって行なわれていて、更に、これを受け、山本が「サイコ」の任意の見開きを数名の仏人カラリストに着彩させ、ヒアリングを行なっていた。

 これは色という水準でのナラティヴの理論構築の準備作業であったが、「レイヤーの統辞法」が同時に問題になるという感触はあった。

 Maffreのワークショップはその一環で、BDのカラリストにおける色彩のナラティブの確認が目的であった。

 Maffreの示した手法は、以下のものであった。

 ①まず、用意された一頁の中の複数のコマをグレースケールで4段階にレイヤー化する。これはいわばナラティヴの視点から、コマとコマのまとまり、演出上の優劣を付すレイヤー化だといえる。

 ②次にコマ内の人物、オブジェをグレースケールによって手前から奥に階層化していく。つまり、マルチプレーンのように手前から奥への階層化をグレースケールで行う。空間内のレイヤー化である。

 ③そして、最後に人物やオブジェ内で明→暗へのレイヤー化が行われる。

 この工程の中で当然、光源や物理的な明暗差は階層化の判断の前提の一つとはなる。しかし、Maffreによる階層化は、①コマ間②人物、オブジェ間③人物・オブジェ内の陰影といった、それぞれの水準に於いてのナラティヴ上の序列化が優先される。単純に言ってしまえば重要なコマ・人物・オブジェ・パージとそうでないものをそれぞれの水準で階層化していくのである。

 手順としては「明度」を設計したあと「彩度」、つまり「色」を重ねて行く。グレースケールによる「明度」というレイヤーの上に、「彩度」というレイヤーが重なるのである。

 つまりPhotoshopという「装置」が幾重ものレイヤー化を補助している、ともいえる。

 このような、手法は、現在は「グリザイユ画法」(「白黒の陰影を先に塗り分け、その後色を重ねる技法」などと紹介されることが多い)として、アニメ・マンガ的なイラストレーションの作画法として普及している。「グリザイユ画法」として検索すると、膨大なキャラクター絵の描き方画像が見つかる。グリザイユとは、古典期の彫刻レリーフなど陰影を強調するモノクロームの絵をいい、油絵の下絵として用いられるから、グレースケールを下絵とするカラーリングの手法の呼称としては間違ってはいないが、15、6世紀のフレスコ画に見られる手法が、現在のアニメ的イラストのデジタル作画技法として復興しているのは興味深い。ただ、web上の「グリザイユ画法」は、大半が、一点もののイラストレーションの作画法であり、単体のキャラクターをグレースケール化するものである。Maffreが示した、「コマ間の意味の優劣をグレースケールによって階層化する」ような、ナラティヴとの関わりは希薄である。

 この「グリザイユ」は本来、フランス語だが、イタリア語ではキアロスクーロと呼ばれる。

 このキアロスクーロを問題としたのが、ワークショップ後のシンポジウムにおける、木股知史による「明治期、版の表現の諸相──一条成実からはじめて」という報告である。テーマとしては、明治期の雑誌表紙、挿画、絵ハガキなどの「絵」に於ける「版」(つまり「装置」)の問題を扱うものである。

 報告は、ぼくの希望で、一条成美を導入として論じてもらった。一条は『明星』『新声』などにミュシャ風の表紙を描いた人気画家だが、遅筆で酒浸り、詐欺まがいの事件まで起こしたりして早逝した幻の画家であり、木股とぼくだけがその運命や果たした役割に関心を持つ、忘れられた画家である。木股は、一條の成したミュシャの「日本」化(が、少女まんがの絵の出自であることはここでは踏み込まない)の過程の中でキアロスクーロの果たした役割を明らかにした。

 その際用いた資料が、一条の『新派彩画法』(1901)である。

 『新派彩画法』は一条の残した絵画入門書であるが、20頁に満たないものである。同書は木俣所有のもの、そして関東圏の美術館の未整理蔵書の中にあるもう一点の計2点しか現存が確認出来ていない。

 キアロスクーロというのは①明るい色を下地に塗る②ペンとインクで素描③明るい部分を白でハイライトを入れる、という手法である。一条の「線」は浮世絵の彫り師では再現できず(萩尾望都の線を木版で再現することを想像されたし)、そのことが彼の画家として生き延びられなかった要因だと木股は注意を促す。『新派彩画法』で一条がしめしたのは、①鉛筆で薄い下絵を入れるが、ペン入れ、ペンによる陰影付けはしない。②ハイコントラストの絵を2枚の版木用に描く。③それを色のやや淡い版とやや強い版として重ね合わせる、という手法である。キアロスクーロから、版木で再現性の低いペンの線の版を消去し、二段階に階層化されたことでキアロスクーロを「レイヤー」として一条は受け止めた。それが、一条が『新派彩画法』で「方法化」したものだ。

 これは「レイヤーの統辞法」としてはシンプルだが同時に『新派彩画法』という入門書の存在が、一条のなかで、「方法化」の意識があったことの証しとなっている。一条は「黒板画譜」(1902)という、北斎漫画の基礎ともなった蕙斎の「略画式」の近代化(まんが記号説への接合を可能にする「近代略画」への移行)を果たす入門書の執筆や、詐欺での検挙さえ、入門書詐欺であったことも、作画法の方法化に相応の意識があったと判断していい証左になる。

 そもそも、キアロスクーロ素描がミュシャの「基礎」であったことは、ミュシャ財団が所蔵する膨大なミュシャのキアロスクーロ素描からぼく自身が確認した。また、明治期のアール・ヌーボーの日本受容の拠点であり、学生によるミュシャ模写が残る京都繊維工芸大の前身、京都高等工芸学校では、当時、キアロスクーロ素描の課題作品も確認できることから、ミュシャ、あるいはアール・ヌーボーの日本へのローカライズにキアロスクーロは強く意識されていたことも確かめられる。

 ぼくが「入門書」を資料にしたまんが表現史を一時、試みたのは「方法化」されたものの歴史を辿らないとまんが表現論は、論者の自前の術語による自家撞着議論となるからである。

 しかし、一条はキアロスクーロを二層の版木による陰影のレイヤー化として受容した。このようなローカライズは「版木」という「装置」がもたらした思考によって初めて可能になったといえる。

 一條の絵は、「明星」や新体詩集などの挿画に用いられ、近代における「内面」の発見と呼応しているが、それがぼくの言うキャラクター小説、仮想化された「私」の物語小説の出自となり、1970年代の少女まんがの「内面」の発見とともにミュシャが再発見されるという筋道は、大雑把だが描ける気がする。少女まんがに於いては、吉本隆明が「位相化」と呼んだ、言語の垂直方向へのレイヤー化が24年組というミュシャの再発見者たちによってなされていることは記しておいていいだろう。ここでは論じないが、明治期、候文と言文一致の間に位相化が発生しているのであり、そこから直接、24年組の言語の位相化までの飛躍はできないが連なる問題である。

 キアロスクーロに関しては近年、物語絵画の技法の問題として論じられており、ヘンリー・フューズリ「画法講義」(1831年)の中では「物語界が中の人物を主役、脇役、その他という関係を明暗の処理によって序列化する」手法だと述べていることが指摘されている(松下哲也『ヘンリー・フューズリの画法』)。同書のあとがきは、19世紀のロマン主義絵画から現在のまんがのキャラクター論に飛躍してしまうが、現在との連なりは、まず、グレースケールのレイヤー化をナラティブと結びつけるキアロスクーロ的思考法が、BDの着色法において見られることの方に目を向けるべきだろう。その間を埋める作業を怠ったまま、西洋美術から日本のキャラクター論への直感的連想は、ラマールと同様の無自覚なジャポニズムになってしまうリスクがある。

 だが、【1】【2】で概観したように、「レイヤーの統辞法と美学」は、まんが・アニメ・映画・美術・写真など各領域の歴史を縦断することで、初めてその全容が見えてくるものである。その領域、文化を越えた往還をたどれるのである。

 

【3】レイヤー化する世界認識

 こういった「レイヤー問題」は、一緒にここ数年、研究会の山本忠宏や藤岡洋とは、私的にというか、雑談的に議論してきたから、最終的には彼らがそれぞれの関心として立論していくだろう。

 だが、重要なのはwebやアプリケーションなどの「装置」によって、私たちに私たちの見る、書く、考える、といった行為そのものが「レイヤー的」なそれに今や、強制的に組み直されていることの意味である。Maffreは、Photoshopによって、過剰なレイヤー化が生じていることをあくまで作画の問題としてだが、指摘したことは注意していい。

 そもそも、ぼくは、「Maffreがナラティブをレイヤーに変換して行く」、と当然のように説明したが、しかし、それは、どういうことなのか。物語がレイヤー化するとは、いかなる変換なのか。

 「レイヤー」という語の一般名詞化によって、レイヤー的思考の歴史をたどることが可能になったことと、世界認識や世界像そのものが「レイヤー的」に組み替えられて行く事態の進行は当然、呼応する。ぼくはラマールのいう「機械」ではなく「方法」や、装置化した「方法」が、表現や世界認識を作ると考える。その意味で、「レイヤー的装置」の変遷や文化間の移動の実証的検証に興味がある。

 レイヤー論は現在への何らかの「批評」の枠組みを提供するかもしれない、と思う時があるが、それはこのような手続きから導き出されるべきものである。(2018/3/18)