編集部ブログ夜の最前線

2017年4月26日 14:33

ネタバレは迫害されている

丸茂です。
昨日はL・P・デイヴィス『虚構の男』を読みました。

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国書刊行会さんの海外文学シリーズ〈ドーキー・アーカイヴ〉の1冊。
時は1966年、小説家のアラン・フレイザーはイギリスの片田舎で50年後の未来を描いたSF小説を執筆している......というほのぼのした田園風景から物語が始まるのですが、その日常に違和を覚えたアランは、この世界は本当に現実だろうかという疑念を抱くのでした。
その疑念は単なる妄想ではなく、物語はやがて二転三転してSFに変貌していく展開がものすごい......のですが、ネタバレになってしまうので自粛。


しかし......思うのです。
ネタバレしないと、その本のおもしろさって伝えられなくないでしょうか?
本を紹介していると「ここがおもしろいんだけど、これを喋るとネタバレになっちゃうから......」というもどかしさをしばしば覚えます。

世の人々はネタバレ可派と、ネタバレ否定派に二分されております。
ぼくはネタバレ可派です。
ミステリ読み失格かもしれませんが、犯人が誰かネタバレされても、けっこう楽しく読書できます。

しかし、ネタバレに対して世間は厳しいです。
ちょっと内容に踏みこもうものなら、即座にバッシングが寄せられる。
若干息苦しさを感じないでもありません。

ただネタバレ否定派の方々の気持ちはわかるのです。
やはり先を知らぬまま手探りで読み進めるほうが、新鮮な読書体験となるでしょう。
それにネタバレによってネタバレ否定派の方々はダメージを受けますが、ネタバレを禁じられてもべつにネタバレ可派の人間はダメージを受けません。
それならばネタバレ可派は口を噤むしかないのでは......と承知してもいるのです。

しかし......本を紹介する立場になってみると、この状況は些か厳しい。
だって、その本を読んでもらうことが、つまり内容を知ってもらうことが、いちばんおもしろいのですから!
「感動する!」「泣ける!」的なコピーが多用されるのは、内容に触れられない状況も一因となっているのではと、ふと思います。

......と、言い訳がましく述べて参りましたが、それでもネタバレを避け、本のおもしろさを伝えなければいけないのが編集者のお仕事。
語彙の無さを痛切に自覚している今日この頃、ネタバレをしないことを前提として、安易なコピーにならぬよう、語彙を蓄えていくべく本を読むのでした......。